夢のあとさき

 とにかく馬鹿みたいに忙しかった。戦争など前線で戦っている間が一番楽だとニトロは溜息をつく。
 折衝、交渉、使者の行き来。それを国内外でやるのだから、たまったものではない。もっとも、ニトロも一応は関係者だ、黙って眺めている、というわけには更にいかない。
 おかげで私的な時間など持った記憶がないほどだった。結局イーサウ帰着の時にカレンとは多少の言葉を交わしたきり。カレンはニトロの傍らに当然のような顔をして立つキアランをちらりと見やってはにやりと笑う、それだけだった。
「どうなったんです?」
 キアランはイーサウにやってきた。ニトロも別行動をする理由が見つからない。が、ニトロは彼を自宅に置く気がなかった、少なくとも今現在は。だからキアランは大陸魔導師会本部にいる。ニトロの部屋があるから好都合でもある。
「ラクルーサ?」
 慌ただしく食事に戻ったところだった。顔色が悪い、とエイメにたしなめられて、そう言えばしばらくまともに食事をしていない、と思い出してニトロは渋々仕事を手から離した。
「身代金と戦費をぶんどるのに成功したみたいだぜ? 割り引いて、分割で、だけどな」
「それで、いいんですか? 僕にはよく、わかりませんが。連盟は勝ったのでしょう?」
 勝利者なのだから好きに振る舞えばいいだろう、と言わんばかりのキアランにニトロは苦笑する。キアランがそう思っているのではないことは、なんとなく察せられた。人狼から見た人間はそのようなもの、というところなのだろう。だいたい間違ってはいない気がするが。
「勝ったから、だな。なにせ、割引分割の条件が関税の引き下げだったからな」
 関税、とキアランが首をかしげる。山に暮らす人狼としては輸出入などあまり馴染みがないだろうし、そもそもキアランは島主の屋敷に軟禁状態であった。経済、というものそれ自体に縁がない。
 ニトロもよくわかっているわけではないが、と言い添えて多少の説明をする。本来のキアランは頭のいい男なのだろう、ニトロの拙い説明でよくぞわかったものだと思うほどの理解力を見せた。
「なるほど。そういうことだったんですね。連盟は、得をしましたね、それは」
 うんうん、とうなずきキアランは茶を淹れてくれた。上手になったな、と思いつつニトロは飲み干し、慌ただしく仕事に戻る。
 ラクルーサ相手の折衝がうまく行ったせいだろう。イーサウは好景気の予感に沸いている。誰も彼もが勝利と懐の温かさに機嫌がいい。
 それを見定めたサマルガードは、本当にニトロに約束した法案を通してしまった。ニトロ自身が唖然とするほど、呆気なく、そして連盟は諸手を上げて歓迎した。
「……さすがに意味がわからん」
 お手上げなのはニトロだった。いったい何がどうなったらこうなるのか、と頭を抱えたくなる。これぞやり手議長の本領発揮か、と言っておけばいいのだろうか。
「お前にもか?」
 人間側の説明を聞きたかったのだろう、首をかしげて苦笑したのはエヴリルの処遇を確かめるためにイーサウに同道していたカハルとクレールだった。
「ん、なんかありました?」
 カハルの様子が普段と違う。ニトロの部屋を訪れるのに、彼は後ろを振り返って人気を確かめるようなことをしたことがない。感覚が鋭いせいだろう、人狼は。けれど彼はその目で確かめたかったかのよう、振り返っていた。
「いや、まぁ。あったと言えば、あったな」
「イーサウのお嬢さんがたは面白いもんだね。この子がずいぶんと気に入ったらしい。娘さんにたかられてたさ」
「おふくろ、よせよ!」
「本当のことだろうさ」
 くっくと喉の奥で笑うクレールにキアランも小さく笑う。家族に囲まれて、キアランは目を細めてもいる。シアンがここにいれば、と思っているのだろう。ニトロはさりげなくキアランの隣に腰を据え直す。
「まぁ、もてるのはわかる気はしますがね」
 言えば途端に飛んでくる視線。何も言わずにこちらを見るだけのキアラン。ニトロはそっけなくその指先に触れただけ。クレールが笑った。
 実際カハルはニトロの目から見ても美しいと思う。街の娘たちは野性味のあふれた男性美の形、としてときめきを覚えることだろう。改めてわからなくはないな、とカハルを見ていた。
「それにしても、キアランが襲われたのは、ここだぞ?」
 カハルは連盟、ではなくイーサウを指して言う。ニトロはだからこそ、いまでも自宅にキアランを置くことをしない。多忙なニトロだった。自宅に置けば、キアランは一人になる時間が長すぎる。同じ轍を踏む気はない。
「イーサウの人間ってのは、楽天的ないい人、らしいですよ。議長は人狼を妖精の子孫って断言しましたからね、議会で」
 その結果、魔物ではなく妖精だったのか、ならば危険はないではないか、と世論が一気に傾いた。ニトロはそのあたりの意味がわからないのだが、とにかく世論はそういうことになった。
「まぁね、昔にもおんなじことがありまして。ダモンとは会ってるでしょ? あいつ、本職の暗殺者だったんですよ」
「……は?」
「色々あって廃業してイーサウに暮らすってなったとき、ダモンを眺めに来た人間がいっぱいいました」
 普段は香油の店を営んでいる彼だ。その店にも物見高い見物人があふれていた、とニトロは語る。クレールが天を仰いだ。その気持ちはニトロにも理解ができた。なにしろかつて同じ気分になった。
「イーサウの人間は、その時なに言ったと思います? なんだ、意外と普通の男じゃないか。つまらない。でも、だったら平気だ。――そう言って受け入れたんです」
「……正直言ってあたしはイーサウの人間とうまくやってく自信がないよ」
「大丈夫ですよ、刀自殿。俺もねぇわ」
 ふん、とニトロが鼻を鳴らす。それでもなんとかなっている、と言いたいのだろう。人狼と、魔術師と。ここには「人間族」ではない者たちばかりがいる。
「できればエヴリルの決着を見届けたいんだがな。この熱狂には付き合い切れん」
「同感です。きゃあきゃあ言われんの、疲れるでしょ? 連絡は欠かさないんで、戻ってていいですよ」
「お前も言われる口だろうな?」
 にやりとカハルが笑う。人間の姿をしていてもカハルは牙があるような気がする。本人は八重歯だ、と言い張るが。それもまた野生美を増す結果になっているのだからカハルとしては降参する、というところか。
「俺は言われませんよ? 人付き合いが悪いので有名ですからね」
「面と向かって言われないだけだろうさ。――キアラン」
「はい、伯父さん」
「ま、苦労はするだろうな。頑張れよ。たまには帰ってこい。従兄弟が待ってる」
「あ……。はい」
 ぱっとキアランの頬に血の色が浮かぶ。家族が待っているから故郷に戻れ、そう言われるのは嬉しいことらしい。ニトロはキアランの反応から学んでいく。
 不思議だな、と思いつつ。地上の種族としては長い時間を歩んできた。それでもこんなにも知らないこと、学んでいないことがいくらでもある。それが、面白い。
 そのエヴリルの処遇が決まったのは、しばらく経ってからだった。時間がかかったのはドンカ神殿が難色を示したことに端を発する。婚姻を司るドンカ神だ、エヴリルの所業は何より許しがたいものだっただろう。そのドンカ神殿をいわば「除け者」にした形で話が進んでいたのに機嫌を損ねたらしい。
 が、話は意外な方向に行く。セヴィル島にも、ドンカ神殿があったのだ。もっとも、ない方が不思議なほど、各地にある神殿ではある。その神官たちがエヴリルの罪から目をそらし続けていたことが発覚するに至って、ドンカ神殿は折れた。結局エイシャ神殿、双子神神殿、ドンカ神殿の共同拘束下に置くことになった、と大陸魔導師会に知らせが来たのはラクルーサ側との協議が決着するころだった。
「あんた、どうするよ?」
 仕事の話しかしていないな、とニトロは溜息をつきたくなる。キアランとも色々な話をしたいと思っているのだが、なにぶんとにもかくにも仕事が嫌と言うほど押し寄せてくる。
「一緒に行きますよ。僕がいないとあなたが困るでしょうし」
 ニトロの眼差しに何を読み取ったか、キアランは屈託なく笑ってそう言っただけだった。出会った当初のくたびれた男はいなかった。多少、体重も増えたのかふっくらとして、少しは若返った気もする。人間とは年齢の重ね方が違うのか、ダモンと並べば今では間違いなくキアランのほうが年下に見える。と言っても、人間で言うのならば三十代半ば、というところだろう、外見上は。ニトロと並ぶとちょうどいい。そう言ったのはダモンだったが。
「ま、困るっちゃ、困る……かな」
 ぼそりと言って頬のあたりをかくニトロなど、余人は知らないだろう。キアランはずいぶん見慣れてきた。気を抜いている彼、というものを見ることを許されている。それだけで充分すぎるほど。
「なんです、その言い方は?」
 だからこそ、そんなことが言える。ニトロが反論できるよう、キアランは笑って言う。彼は口許を皮肉に歪め、それでいて視線を天井に彷徨わせていた。
「なんつーの、ほら? まぁ、その? あんたがいないと、つまんねぇし?」
「ニトロ?」
「わかってんだろうが?」
 にやにやとするキアランをニトロは一睨み。ひょい、と腕を伸ばして耳元に囁く。ついでに耳朶を噛んだが。それをすれば噛みつき返される、とわかっている。子狼同士がじゃれているようなもの、かもしれない。
 体を離したニトロが渋い顔をしていた。キアランの眼差しに気づいたのだろう、お前ではない、と目顔で伝えてくる。言ってもいいものならば、と首をかしげるキアランにニトロは口許で笑った。
「神殿の決着がな、ちょっと」
「なにかありました?」
「んー、エヴリルな。セヴィルの廃坑道に監禁することになったわ。神の名の下の拘束ってのは、魔術師的に言えば呪詛なわけよ。だから、エヴリルは廃坑道から出られないような呪いをかけられる、と思って間違いない」
「それは……」
「神官たちはな、殺したガキどもの死霊に怯えるエヴリルなら、ガキどもが殺された場所が監禁するに相応しいって言ってんだけどよ。――シアンが暮らした場所を穢されるのが、ちょっとな」
 幼くして死んだまま、気づきもせずに「成長」していたシアン。彼が生き、暮らしていた場所をエヴリルなんぞに踏み荒らされたくない。呟くようそんなことを言うニトロの手を取り、思わずキアランは額に押し戴いていた。




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