夢のあとさき

 事実上、戦闘行為は一日で終結したようなものだった。散発的な戦闘は以後数日にわたって続いたものの、戦略的なものではない。アイラに率いられたティアンたち一般兵士で片付くような問題だった。
 ラクルーサ側に不利が重なったことが要因だった。まずセヴィル島という小さな区域に閉じ込められたこと。船を失った彼らは撤退もできず、集結もできず連盟の襲撃を受ける一方だった。次に島民が反発したこと。連盟住民、との意識はいまだ薄い彼らではあったけれど、「ラクルーサ王国の臣民」になどなりたくはなかったらしい。どこに逃げても島民が報を入れてくるのであっては連盟の餌食でしかない。最大の問題。
「馬鹿ですかね、あいつらは。フェリクス師の宣告をまったく理解してない」
「忘れてるのだろう、もう」
「そのくせに魔術師は怖い? 氷帝って聞いただけで小便漏らしそうな顔してましたよ」
 ニトロの言にサマルガードが顔を覆う。が、口許が笑っていた。ラクルーサに魔術師はいない。それが最大の問題だった。逃げても見つかる。島民の通報を待つまでもなく、魔術師が探査してのける。特攻をかけても魔法で撃退される。そもそも船を失ったのだとて魔法だ。その船を奪い返そうにもこれまた魔法で操られた波によって近づけもしない。お手上げ、とはこのことではないだろうか。
 かつて氷帝フェリクスは、アリルカ独立戦争の終結を見て言ったらしい、勝てる算段をしてから来い、と。いつでも相手はする、と。魔法を失った彼らは、その保護をも失くしたことをもう一度考え直せという意味ではなかっただろうか、そうニトロは思っている。
 もっとも、ラクルーサとしては「魔法の恐怖」があまりにも強烈だったせいか、宮廷魔導師団がかつての規模で再編成されることはなかったし、フェリクスの言葉の意味を深刻に受け取ることもできなかったらしい。
「おかげでこのザマだ。楽はさせてもらいましたけどね」
 ふん、とニトロは鼻を鳴らす。そろそろセヴィルから撤収だった。実を言えば魔術師としてはこれからがまた忙しいのだが。
「すまない、ニトロ師。負担ばかりをかけています」
「こちらの手間を省いてるだけですよ、お気になさらず」
 軽く笑ってニトロは部屋を出て行った。飄々とした足取り。サマルガードは部屋の中、扉が閉まってもその背に向けて頭を下げ続けていた。魔術師にばかり負担を強いている。それを改めて感じたのがこの戦争だった。それをきちんと受け止め、消化すべき時期に来ている。
「――ラクルーサの二の舞は演じません」
 サマルガードの言葉は誰にも届かない。本人だけが自らに言い聞かせるそれだった。それで、充分だった。
 ニトロはそのようなことがあったなど露知らない。これからの大仕事に頭を痛めている最中だった。
「トリムさん、どうしましょうね?」
 騎士の移送問題が立ちはだかっている。セヴィル島に置いておくわけにもいかないが、だらだらと連れて歩いては悶着の元だ。魔法で転移させるのが一番早いが、問題は人数だ。五十人以上の騎士を一度に転移させるとなると、イーサウ側で転移点を作成する必要がある。
「俺、一度戻りましょうか? 転移点作って戻りますよ」
 それが最も早いのではないか、と提案するニトロの傍らにはキアランが。あれ以来、キアランは常にニトロの傍らにいる。ダモンには通訳ですよ、と笑ってみせた。ニトロとしては反論しにくいのが困りもの、というところか。
「必要ないよ。はい、これ。預かりものね」
 にんまりとしたトリムが隠しから取り出したものにニトロは大きな溜息をつく。どこぞで見覚えが嫌と言うほどあった。
「それは……? とても、美しいものですね」
 キアランが興味深そうに覗き込んだトリムの手の中には片一方だけの耳飾り。トリムがニトロに贈る、というような性質のものではないのはキアランにもわかっている。
「遠距離通信用の魔法具……要は、こことイーサウとで話ができるわけだ。魔術師に限るけど。俺がこっちに潜入したときマーテルと一緒に作ってたの、見てただろ? ――相手は?」
 思い出したよううなずくキアランを横目に捉えつつトリムに尋ねれば、想像通りの答えが返ってきた。マーテルとの間に確立させたはずの魔法具だったはずが、いつの間にかカレン用に調整済みらしい。
 長々しくわざとらしい息を吐くニトロをトリムが笑う。耳飾りをつけるニトロをキアランが見つめる。白金の髪によく似合う、などと思ってしまった自分に彼はほんのりと赤くなっていた。
「……あー、俺です」
 ――どこの俺だよ?
「俺って言ったら俺に決まってんだろうが、このダメ師匠め!?」
 ――あいあい、なんだって? 終わったのかい?
 緊張感がないにもほどがあるカレンの声音だった。それでいて、疲労を隠そうとする努力をしているカレン。接触中に嘘はつけないな、と苦笑する気配まで鮮明に伝わってきた。さすがの技量だ、とニトロは舌を巻く。マーテルとの間では、ここまでの鮮明さはない。
「ちょっと大量移送する必要がありまして。――うい、五十人ちょっとかな。とりあえず全部騎士階級らしいです。議長によると、身代金を請求するんで、それなりの扱いをしてほしいってことで。うい、了解です。んじゃ、できたら連絡ください」
 あいよ、と返答をして遠ざかっていくカレンの気配。何も問わなかったな、とは後になって気がついた。
「カレンさん、心配してらしたのでは?」
 キアランに言われてはじめて気づいた。真実、通訳だな、と思ってしまう。ニトロは苦笑し、けれど首を振る。
「心配は……もう終わってたんじゃねぇかな? 俺の声聞いて、事情は察しただろうし」
「勘のいい子だからね、彼女は」
 しみじみと言うトリムにニトロは力なく笑う。いまだどうあっても敵わない師がいる。その師より年上の魔術師がいる。トリムは年上なだけでたいしたものではない、と謙遜するけれど、そのようなことはない。彼もまたアイフェイオンの名を持つ。ましてトリムは幼少時代を星花宮で過ごした。それだけでニトロにとっては憧れる要因になる。
「ま、仕事しちまおうぜ」
 肩をすくめてこちら側の準備をする。トリムとニトロによる転移点の構築だった。魔法的に描くものなので、常人の肉眼に見えるものではない。それをキアランは食い入るように見ていた。
「見えるか?」
「見える、というわけでは、ないですよ。なんとなく、感じるような、そんな感じですね」
「ふうん」
 仕事中にふと尋ねればそんな答えが返ってきた。面白いものだな、とニトロは思う。返答が、ではなく口調が。精神の声はもう少し率直な話し方をするくせ、こうして人間の姿で会話するとき、キアランはいつまで経っても丁重だった。
 カレンからの連絡は待つほどもなく来た。セヴィル側の作成も滞りなく済む。議長が呼ばれたのはそのときになってから。一応は監督をしてくれ、と呼んだのはトリムだった。
「あなたがたばかりにやらせてしまったわね、ごめんなさい。私じゃ技量が足らなくって」
 議長と共に現れたエイメがすまなそうに眉を下げる。ニトロはにやりとして片手を振る。エイメの魂胆がいまは見えた。議長に詫びさせないために彼女はそうしたのだと、不思議と理解ができた。キアランが横にいるせいかな、などと思う自分を小さく笑う。
 ずらずらと連れてこられた騎士たちは総じて不機嫌そうで、かつ青い顔をしていた。不機嫌はわかるが、なぜ青い顔を、と首をひねっているうちに理解が及ぶ。むしろ向こうが口を開いた。王の代人と思しき騎士が胸をそらして発言するに至って連盟側は呆れを隠せなくなる。
「我らラクルーサ騎士たるもの、死など恐れん。平民どもの娯楽に供されようと我らが忠誠は陛下に!」
 どうやら見世物として殺される、と思い込んでいるらしい。議長が丁重に誤解を正す。口ではなんと言っていようとも、代人は迂闊にもほっとした顔をした。それに騎士の一部が顔をそむけた。
「色々あるらしいな?」
「人間も、色々だからでしょうね」
「なるほど」
 キアランに向けて言ったわけではなかったのだけれど、結局は彼が解説してくれた。そうこうしているうちに話はついたと見える。
「トリム師、ニトロ師。お願いします」
 しかし魔術師が進み出てくるに至って、またも騎士たちは恐慌に陥る。顔色だけを変えて恐怖をあらわにすまいとかえって進み出てこようとするのが面倒だった。ニトロが一言口の中で呟く。途端に突進してきた騎士たちは見えない壁にぶつかることになった。
「お見事」
 トリムの賞賛にニトロは照れ笑い。壁の向こうで騎士が喚いている、そのすぐ眼前でやっているのだからやはり魔術師は理解しがたい、と肩をすくめる連盟兵士たち。
「それでも、悪いところではなさそうですね。悪い人たちでも」
 いつの間にかキアランの側に寄ってきたカハルとクレールだった。あのあと、クレールは衣服を整え、人間の姿でサマルガードと会見したらしい。そこで何を話したのか、キアランは知らない。が、決裂はしなかったのだろう、最低限。いま老婆がここにいる、それが証だった。
「お前は人が好すぎるよ」
 ふん、と鼻を鳴らしたクレールをカハルが笑う。蓬髪は見苦しくない程度に整えられ、頭頂部の髪の束だけを後ろで結んでいる。カハルにはよく似合っていた。
 そして魔法がはじまる。喚き散らす騎士たちなど意にも介していないトリムとニトロ。壁によって逃げることもできない騎士たちを前に詠唱を続けている彼ら。あ、とキアランが声を上げたのが先か、動じないクレールが息を飲んだのが先か。彼女はすでに一度見ているはずなのに、それでも驚愕が隠せなかったらしい。騎士たちは一人残らず消えていた。
 次いで二人の手によって、連盟首脳部が転移して行く。代わってセヴィル島を一時統治下に置くための官吏がカレンによって送り込まれてきた。あっという間の手際、というより彼女にとっては予測の範囲だったか。それを思えば悔しいニトロだ。
 続々と連盟側も撤収をはじめる。兵士を転移させてもかまわない、とトリムは申し出たらしいけれど、吐き気が怖い、と笑って謝絶されていた。もっとも、魔術師の負担を思ってのことだろう、と後でキアランが教えてくれたが。
 その魔術師たちは一部がセヴィルに残ることになる。なにも騎士だけで戦争行為に及んだわけではない以上、ラクルーサにも兵士はいる。それを船に乗せて水と食料を与えた上で沖で旋回させておく、ということらしい。大量の人間をイーサウに連れ帰るのも収容するのも手間だったから合理的なことだ、とニトロは思う。確実に脱走、というより船の制御を取り戻してラクルーサに逃げてやる、と兵士の顔には書いてあったがまず無理だろう。
「さぁて、帰るか」
 イーサウに戻れば戦後処理という名の面倒事が一度に押し寄せてくるのはわかっている。できれば船の監視組として残りたかったがそうもいかないニトロをキアランが静かに笑って見ていた。




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