夢のあとさき

 翌朝。早々にダモンが二着分の衣服を持って現れる。ティアンはと尋ねればもう仕事をしている、とのこと。まだ隠れ潜んでいるものがいないか、巡回に出ているらしい。
「カハルさんはどこです?」
 さすがに狼の姿になられると区別がつかない。もう少し力のある神官であったのならば姿形になど囚われないのだけれど、とダモンは笑う。
 ここだぞ、と言わんばかりに一頭の狼が歩み寄ってきた。ダモンはちらりとキアランとカハルを見比べる。並べれば違いは顕著だった。漆黒のキアランと、鈍色の背をしたカハル。それでも紛れられると見分ける自信はない。
「ニトロ。君はもしかして区別ができるのかい?」
「見ればわかんねぇ?」
「わからないから聞いてるんじゃないか」
 首をかしげるニトロを笑えばそんなダモンこそが不思議だとニトロも笑う。元気になったな、としみじみと彼を眺めていた。友人の眼差しにニトロはふい、と横を向く。その裾、キアランと思しき狼が噛んでいた。それをまたひとしきり笑ったダモンが二頭に衣服を差し出せば、共にひょい、と服を咥えて歩いて行く。どこぞで着替えて出てくるのだろう。
「意外とって言ったらなんだけれど慎み深いよね?」
「野郎ばっかなんだから別にいいだろうにな」
「いや、ニトロ。女性がいるし」
「あー、忘れてた」
 言えば聞こえていたのだろうクレールがこちらを悪戯に睨んでいた。そんな他愛ないことを話しているうちに二人になって戻ってきた。人間の姿になればカハルの方がはっきりと背が高い。蓬髪のままではあったけれど、こうして衣服を整えると野生の優雅さ、とでも言うような美だった。
「カハルさん、様になってるなぁ」
 ニトロも同感だったらしい。素晴らしいカハルの体躯に見惚れている様子にキアランが嫌そうな顔をしていた。
「ニトロ」
「うん?」
「キアラン。見てみたら?」
 ダモンの指摘にキアランが慌てる。ニトロはなるほど、と言ったきり考え込んでいた。彼にはこうした感情の機微がわかりにくい。
「キアランは苦労をするね」
「僕は気になりませんよ。嫌なこともあるだろうけれど」
「うん、だと思った。実は僕もそれを言われたことがあったから」
「言ったなぁ、昔。ティアンと一緒だと苦労するぜって俺、言ったわ」
 懐かしい話だった。そのことでキアランは知るだろう。ニトロは自分の感覚に引き寄せれば、理解が可能なのだと。もっとも、すでに知っているとはダモンも感じてはいたけれど。
「さ、行きましょうか」
 いい気分の朝だった。潮風がここまで届いているのだろう、ダモンの鼻には甘い朝の香り。慣れない海の匂いにニトロが顔を顰めているのも面白い。
 これから会見する人物のことを考えれば、いい気分になどなりようもない。だからこそ、ダモンは明るく振る舞い続けている。
「いいお人だな、あなたは」
 ダモンのしていることに気づいたのはカハル。ニトロは不思議そうにカハルを見やる。なにを当たり前のことを言っているのだろうとでも言うような眼差しがダモンには面映ゆい。
 港の方まで下りて行く道々、所々で小規模な戦闘がまだ起こっている。いずれも散発的なもので、戦争、としては終結したも同然だ。なにしろ敵の大将と言うべき王の代人はすでに連盟が確保している。
「そこかな? あぁ、トリムさんがいるね」
 屋敷の前でトリムが手を振っていた。あまりにも普段通りの姿で、ニトロなど魔導師会本部の前で待ち合わせでもしている気分だ。とはいえ、トリムもいまは魔術師の長衣をまとっている。一応は正式の会見、と気を使ったのだろう。それを言うのならばニトロもだった。ダモンも戦闘中に着ていた簡素で動きやすい衣服ではなく、神官姿だ。キアランはそれが珍しいのだろう、興味深そうに見ていた。
「どうです、トリムさん」
 ニトロの問いにトリムは顔を顰める。進展なし、ということだろう。議長の許諾を得ている一行はそのまま屋敷内に進む。警護の兵士の姿が散見された。
「一応は騎士殿だしねぇ。敵とはいえ、連盟の評判が落ちるのは議長も困るだろうし」
「困る?」
「うん、人質ってことのようだね。イーサウ出身の議長としては捕えた騎士は全員身代金と引き換えに解放するつもりみたい」
「なるほどねぇ。商売人だ」
 だからこそ、ラクルーサに戻ったあとで連盟の処遇が酷かった、などと言われるのは国家としての評判にかかわる、ということらしい。そのあたりになると魔術師にはさっぱりだった。
 島主の別邸であるだけのことはある屋敷だった。イーサウの街にも中々見られないような贅を凝らした作りだ。カハルの目にはいささか華美が過ぎる、と映ったらしい。ニトロも同感だった。
 その贅沢にもほどがある居間に一行は腰を据える。トリムが兵士に何かを言っていたから、ここに連れてくるのだろう。そう思ってほどなく。一人の騎士がエヴリルを背後に庇ったまま現れた。
「どうぞ、騎士殿」
 トリムとニトロの長衣姿に騎士は顔を顰める。魔術師たちは気にした様子もない。不快だったのはダモンだ。人狼たちは無表情のままエヴリルを見ていた。とにかくは、とトリムが捕虜であるはずの彼らにも席を勧める。それに騎士は少し意外そうな顔をした。
「あら……あなた……」
 ふとエヴリルの目がダモンに留まる。どこかで見覚えが、と思い出したのだろう。ついでキアランに。唇がにんまりとした。
「キアランね? 戻ったのね、あなた」
 彼は答えない。無言のままのキアランを横目でニトロが見る。カハル共々蒼白になっていた。怒りをこらえているのだろうとニトロも感じる。自分がキアランを襲撃されたときに感じたような怒りの様相。彼らの怒りがいかに深いか、ニトロにも察せられた。
「率直に問う。騎士殿、なぜその女性をあなたは庇うのか」
 彼らが怒りをあらわにするのは得策ではない、とダモンは見定めた。だからこそ最初に発言したのはダモン。
「なぜと問うか、野蛮人どもめ。婦人は庇うものだろう、理由もなにも必要であるものか」
 その言葉に、ニトロがふっと息が抜けるような笑いを漏らす。騎士が鼻で笑われたとでも感じたか、激しそうになるのをニトロが片手を上げて止めた。
「騎士殿のお国では、殺人は見逃すことになっているのですか」
「なにを、唐突に。そのようなはずはあるまい」
「女性が犯した殺人は?」
「……なに?」
「そう難しいことではない。その女は確認できただけで十七人を殺している。うち、十四人は嬰児だ」
 真っ直ぐな藍色の目。騎士は飲まれた。目の前にいるのが魔術師である、それだけで精神的な圧迫を感じていたものが。
「……世迷言を」
「そう思うのならば。――ダモン」
「遅ればせながら。エイシャの神官、ダモンと申します。いまの発言は事実と私が確認いたしました」
 神官として、とダモンは胸元の聖印に手を当てて言う。が、騎士は不思議と引き攣った顔をしていた。はたと気づいたのはトリム。
「あぁ……ラクルーサのお人だったね、そう言えば」
「トリムさん?」
「リオン師だよ。愛すべきエイシャの総司教でもいらした。だからラクルーサでは、ね」
「そう言えば、確かに」
 エイシャの神官、と聞くと彼らはいまでもリオンを想起するのだろう。それだけ当時の恐怖は強いのかもしれない。いまもなお。ニトロは思い至り、にやりとする。
「私も名乗りましょうか。カレン・ニトロ。見ての通り魔術師です。――あなたがたには、氷帝フェリクスの直系、と言った方がいいかな?」
 嫌がらせでしかない、とニトロにもそれはわかっている。騎士が顔色を変えた理由が人狼たちには理解できないだろう。それでもその恐怖の表情に多少の溜飲は下がったらしい。
「話がずれたな……。とにかく、連盟としてはその女の引き渡しは絶対です」
「……貴様らに引き渡せば、この婦人は」
「まだ庇いますか? 神官が保証した人殺しを? 本人が否定してもいないのに? もしそれでも庇う、と言うのならば我々はあなたもまた嬰児殺しの賛同者として裁きますよ」
「な――!」
「連盟に私は提案しています。エヴリル・マイナーは神殿に預けることになるでしょう。それでもまだ、拒みますか」
 神殿に、とニトロは言った。その内容を言わないのは卑怯だとは思う。が、ここで騎士に粘られるのも面倒だった。実際、騎士は神殿、と聞いた途端に少し気配を和らげた。いったい何を勘違いしているものか、連盟は直ちに女を吊る、とでも思っているらしい。法の下の裁判など「平民」が行うとは想像の外ということか。
「神殿か……。ならば」
 騎士の眼差しがエヴリルを見やる。不安におののいているのは騎士の方。興味深いものだった。否、あっさりと騎士を籠絡してのけたエヴリルこそ恐るべきもの。そしてエヴリルが小さな悲鳴を上げた。ニトロにですら、演技とわかるそれだった。
「いや……そんな……! 神殿ですって? そんな……怖い」
 神殿を恐ろしい、と言う時点でどうかしている、と騎士以外の全員が思う。けれど騎士はエヴリルを痛ましそうに見るのみ。そんな騎士にエヴリルは取り縋る。
「私……身籠っていますのに。キアラン、あなたの子よ? どうしてなの。私を見捨てるの、あなた」
 エヴリルがそのふくよかな腹を両腕で抱いて見せた。嫣然と、笑っているつもりだろう。だがキアランには、そしてニトロにも、その胎にいるのがシアンであるかのような強烈な不快さ。同時に、すでに次の「シアン」が宿っている恐怖。
「貴様、婦人を――!」
「キアラン、どうだ」
 激する騎士にもお涙ちょうだいのエヴリルにもニトロはかまわない。真っ直ぐとキアランを見る。少し青くなっていた。
「……正直に言って、否定ができない。屋敷から逃げ出す直前まで、僕は伽を命ぜられていた」
「了解した。だったら胎の子は俺が引きずり出す。その女を母親として生まれるのは子供の不幸だ」
「待て、ニトロ。すぐさま覚悟を決めるのは君の悪い癖だ」
「癖だ、ほっとけ。だいたいな、生まれてからじゃ遅いだろうが。十四人の兄弟がお前の母親に殺されましたってガキに言えるか?」
「だからと言って婦人の体から子供を引きずり出して殺すなど、だから魔術師は!」
「誰が殺すと言いました? 魔力で養う。子供は生かす。その女を母親としては生まれさせない。胎の子は、俺の魔力で養う、俺の子だ」
 言い放ち、エヴリルを睨み据えたニトロ。怖い、と騎士に縋りつくエヴリル。溜息と共にダモンがニトロの背を打った。




モドル   ススム   トップへ