夢のあとさき

 戸惑いも、当然のものだった。妖精など、子供のお伽噺だ。それも本当に小さな幼子の。よく子供たちは言う、「妖精さんはいるの!」と。大人たちは微笑ましげに眺める。そんな話でしかない。
 兵たちが顔を見合わせ、ダモンたちが首をかしげ。立ち直ったのは議長だった。興奮するニトロにそっと話しかける。
「ニトロ師、妖精、ですか?」
 それでも声に困惑が現れている。それを彼は恥じたらしいけれど、いまのニトロは気づきもしない。目をきらきらとさせてサマルガードを見やった。
「えぇ、妖精。カペルスウェイトっていうのは……妖精犬、と言われてますけどね」
 ニトロは文献で見ただけだ、と言いおいて彼らに話す。妖精犬とも言われたカペルスウェイトは、文献にですら多くは残っていないのだが。
 どんな姿にも変化をするけれど、多くは狼のように大きな犬、あるいは狼そのものの形をしている、と言われていた。人間とも親しく、仲の良い人間の手伝いをする、とも。悪戯好きというのも妖精らしい特徴だった。
「まさか、文献に残ってるだけのカペルスウェイトの名を聞くとはな……」
 まじまじとカハルを見、キアランを見る。銀狼の姿を取ったクレールを見る。他にもいる彼らの種族を。
「誤解するなよ? カペルスウェイトじゃないぞ、我々は。あくまで人狼だ」
「その違いは?」
「我々の伝承では、だけどな。あるカペルスウェイトの一人が、山の娘に恋をしたのだと言う。娘との間に生まれたのが、妖精であり、人間である我々の最初の祖先、と言うわけだ」
「なるほどなぁ」
 感慨深げなニトロだった。妖精であり、人間。正に彼らだと思う。兵たちはどう感じるのだろう。ニトロ自身は以前と変わりなく、彼らは彼らだと感じているのだが。
 ちらりと見やった兵たちの眼差しにニトロは笑い出すところだった。さすがに疑い深げな目をしているものが多い。が、魔物、というより妖精、と聞かされた方がずっとよかったのだろう。なにとはなしに懐かしげな顔をしているものもいた。お伽噺を聞いていた時分を思うのかもしれない。
「大師匠に聞かせたかったな……」
 ぽつん、とニトロは言う。口許には笑み。キアランの首を抱き締めて、ニトロは夜空を仰ぐ。もうこの世にはいない天才魔術師。
「本当だねぇ。エリナードさんが聞いたら、どんなに喜ぶことか。あの人、ずっと妖精は実在した過去があるはずだって、言ってたから」
「ですよね。聞かせたかった――」
 ぎゅっと拳を握る。ニトロの仕種にトリムがほんのりと笑った。トリムはニトロとエリナードのかかわりを、表向きでしか、知らない。だが、ニトロこそ、エリナードの魔道を継ぐものだ、と思っている。カレンを経て、更に遠く広くなった魔道を彼が更に繋げていくのだと。それこそが、感慨深かった。幼いころ、可愛がってくれたエリナードの道が繋がって行くことが。
「エリナード師は、この事態を予測していた、と?」
 驚愕する議長にニトロは顔の前で手を振る。そんなはずはないだろう、と茶化すような仕種に議長は照れ笑いをしていた。
「あの人は、妖精って話が残ってるんなら、妖精族がいなかったはずはないって言ってただけですよ。この世で、その血を継ぐ人たちに会うことがあるとは、思ってなかったんじゃないかな」
「私たちも想像もしていなかった」
 言ってトリムはカハルに微笑みかける。優れて素晴らしい男だと思った。男性美のある種の究極の形がここにある、とでも言おうか。トリムの賛辞の眼差しにカハルが小さく笑った。
「……ほんと、不思議だな。妖精の実在が話の上でだけでも、証明された。いままで疎遠になってた種族と、再会する日が来た。呪師っていう、俺たちとは違う魔道を繋いできた人たちにも会った。――世界は、不思議に満ちている」
 ニトロは再び夜空を仰ぐ。いつか人は空を駆けるのかもしれない。あの星々にまで手が届くのかもしれない。きっとその日が来ても、不思議は尽きない。知らないこと、わからないこと、いくらでもある。そんな気がした。それがなぜか、とても嬉しかった。
「なぁ」
 兵たちを見れば、ばつの悪そうな顔。なぜだろう、と首をかしげるニトロをキアランが小さく笑う気配。
 ――あなたが急に元気になるから。それだけあなたが気落ちしていたんだって、彼らは知ったんじゃないかな。
「ふうん? そんなもんか。俺は俺だけど、まぁ。わからなくは、ないかな?」
 ――自分のことは意外とわからないものだよ、ニトロ。僕がここで見つけたあなたは、知らない他人みたいだった。
 それほど酷い顔をして戦っていたニトロ。あの瞬間、キアランは足が竦んだのを思い出す。飛び出す直前のニトロの表情。まるで死体が戦っているようだった。
 キアランのその思いと感情がニトロに伝わる。それに触れ、ニトロはようやくに自覚する。どれほどの有様だったのかを。苦笑するしかなかった。
「――あんたらさ、やっぱりこいつら、怖いか?」
 怖いだろうな、と思っていてニトロは問う。素直に返答をしていいんだよ、ダモンが笑って言い足していた。兵たちは一人、また一人、とうなずく。そして首を横に振る。
「知らないから、怖い。やっぱり、怖い。それでも、怖がっちゃ、だめだと、思う」
「妖精なんだろ? その、半分でも? だったら……その、魔物じゃないし」
「だな。そうだよな。うん、魔物じゃない」
 口々に言う兵士たちをニトロは目許で微笑んで見ていた。いまはそう言う。けれどすぐに変わるものでもないだろう。何かの切っ掛けで、人狼は魔物と言い出さないとも限らない。
「――不思議を、むやみに怖がることのない国に、したいと思います、ニトロ師」
 はっとサマルガードを見やった。議長は唇を引き結び、兵たちを見る。ニトロたち魔術師を。カハルたち人狼を。
「不思議なことは不思議なこと。それでいいと言えるような国に、できればいいと思うんですよ」
 照れて笑った議長。ニトロはほんのりと胸の中にぬくもりを覚える。キアランがそれは期待と言うんだ、と教えてくれた。
「ま、それはそれとして? とりあえずは戦争の決着が先だ」
「君が妖精だって騒ぎだしたんだからね、ニトロ? ついでで申し訳ないが、議長。遅くなりましたが、発見確保しましたよ」
「……それを先に言っていただきたかった」
「申し訳ない、魔術師の性でして」
 にやりと笑ったトリムに議長は溜息をつく。兵たちは笑う。その表情が突如として引き締まった。その程度の問題だったのだ、と彼らすべてが悟っていた、鮮やかなほどに。考え方感じ方、違うのは仕方ない。
「……あぁ。師匠が言ってたの、こういうことか」
「ニトロ?」
「いや、俺が学ぶべきは人付き合いの技術だってな、あの女。ずっと言ってたからよ」
「さすがカレン師。君に相応しい助言だ」
 ダモンに納得され、思わずキアランを見る。狼は重々しくうなずいていた。肩をすくめれば、トリムが吹き出す。また話がずれる、とばかり議長が大きな声を出してトリムに報告を求めた。
「いや、申し訳ない。港近くの大きな屋敷で……島主の別邸だ、ということでしたがほとんど使っていなかったらしい屋敷です。そこでマイナー親子を発見しました」
「ご苦労様です。問題はありましたか」
「ありました」
 念のために聞いただけだった議長が目を丸くする。それを意にも介さずトリムは長い溜息をついた。
「エヴリルを守ってるラクルーサの騎士殿、というのが厄介でして」
「はぁ?」
 ニトロが頓狂な声を上げる。それはカハルの暴走を防ぐものだったのかもしれない。半ば腰を浮かしたカハルがその声に毒気を抜かれたよう、再び座りなおした。
「女性は守るものだ、と固く信じて疑わない様子でね。まいったよ。王の代人がどこかに……あぁ、君たちが? うん、その人の命令でね、兵士たちに投げ与えられたらしいんだよ、エヴリルは」
「……正直、その方がエヴリルはよかったんじゃないかと思う節がないわけでもないんですが」
「同感です。大喜びで男漁りをしたんじゃないかと」
 ダモンが顔を顰めるのにトリムは肩をすくめる。エヴリルを知らないが、彼にもそう感じるものはあったらしい。
「騎士殿にとっては想像もできない世界のようだね、それは。女性をそのように扱うなどあり得ないって、ご自分の判断で彼女を匿ったらしいんだよ」
「代人に逆らって?」
「それが代人のためにもなる、と言ってたけど。意味はよくわからない」
「おそらくは、そのような処置をしたと広まれば王国内で代人の評判が落ちる、ということでしょう」
 サマルガードの解説に魔術師たちはぽん、と手を打つ。ダモンとティアンが顔を見合わせては肩をすくめあう。何度そうしたか忘れそうだった。久しぶりに魔術師の浮世離れぶりを感じていた。
「で、その騎士がどうしたんです? エヴリルを渡さないって言ってるとか?」
「そのとおり。野蛮な平民の手に渡せば令嬢がどのような悲惨に合うかわかったものではない、と言い放たれてね」
 その場にいた連盟兵士を押さえるのに一苦労だった、とトリムは言った。議長は長い溜息を吐く。まだまだ問題は山積みだった、と思い出してしまった。
「――議長殿」
「お約束は守ります。騎士が守っている? 正直に言えば、知ったことではありません。我々が勝者です。悪評が立とうとも、奪います。必要ならば」
「あー、議長? お覚悟は立派ですがね。俺が『説得』に行きますよ」
「……ニトロ師の説得は、物理現象を伴いはしないのだろうか」
「それは次の説得ですね。とりあえず、朝になったら行ってみますよ。それでいいですか」
「あまり面倒事は――と、言えた義理ではないな。よろしくお願いする」
「了解。カハルさん、同道しますか」
「させてもらう。仇の面は拝んでおきたい」
「んじゃ、そういうことで。休みましょう。俺は疲れたよ」
 キアランから片腕を外し、ニトロはぐっと伸びをした。深く息を吸えば自分に何かが還ってきた気分だ。
「ニトロ、一言いいかい?」
 ダモンの笑顔。いやな予感がして身構えたニトロをキアランが笑う。
「一番騒いでいたのは、君だからな?」
 にこにこと笑うダモンの眼差しを避けようとキアランを楯にすれば、カハルにまで笑われた。それでもひどく、いい気分だった。




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