|
場の雰囲気が変わったのをカハルがにやにやしながら眺めていた。キアランのために、悪いことではない、とカハルは安堵してもいる。いずれにせよ、キアランは山には戻らないだろう予感があった。そしてカハルの目が変わる。突如として厳しくなった眼差しに議長の方が先に反応した。 「――先ほど、ご自身の理由がある、と仰いましたね?」 ニトロに助勢したこと。ニトロを助けると同時に彼らにもニトロを助ける理由があったと彼は言ったはず。それにカハルがゆったりとうなずいた。 「率直に申し上げた方がいいかな?」 それでいて悪戯っぽい表情だった。あからさまな態度に出るのを嫌った、とも見える。ニトロはどことなく察しがついて、無言でキアランの背を抱いていた。 「そうしていただきたい」 「では、遠慮なく。――エヴリルの生命を頂戴したい」 にやりと笑ったカハルの口許、いまはないはずの牙を幻視した。狼の、獰猛な牙を。その牙にかかったならば人間などひとたまりもない。サマルガードは一歩も退かず首を振る。 「……ほう?」 いまにもカハルが立ち上がろうとする。議長はたとえ敵味方に分かれた相手であったとしても、命をくれてやることはできないだろう。エヴリルを連盟に連れて行けば、死刑と決まったも同然であったとしても。否、だからこそ、法治国家として、法の外の処断を許すわけにはいかないだろう。 「カハルさん、ちょっと待った。議長も、座ってください」 互いに座を立ちかねなかった二人の間にニトロは手を差し伸べる。どうしたものか、と考えていた。自分が口を出す問題では本来はなかったし、そもそも自分にはよくわからない問題でもある。 ――復讐を望んでいる、みんな。 「うん?」 ――僕の息子が殺されたことを、許しはしないと。 「了解。とりあえずそういうもんだと思っとく」 キアランとニトロが何をやり取りしたのか、サマルガードにはわからない。不審な表情を彼は隠しもしなかった。人狼により良い取引を持ちかけられるものと思ったらしい。 「いや、議長。俺は……あんまり公言したいことでもないんですがね。人の心ってもんがわからない。何を考えてるか、なぜそう考えてるか。さっぱりなんですよ」 「心が、わからない……? まさか」 「そのまさかでしてね。他人が嘆こうが後悔しようが、理解ができない。俺自身なら決着がついたことはついたことで、あとからどうこうしようとも思わないせいですかね。――ただ、そうしたい気持ちってものがあるらしいってのは知ってるし、それならその意志に添うのも手段の一つだとも思ってる」 苦笑するニトロに卒然とサマルガードは理解した。ニトロはずっと言っていた、キアランのことは済んだこと、今更どうもない、と。あれは彼にとってはただの事実だったのだと。それが人々の間で奇異に感じられると彼は知って、そしていままで隠してきたのだと。隠す気もなかったほど、惑乱していたのだと。ふ、と議長の眼差しが地に落ちる。今更ではあったけれど、後悔しても足らない気分だった。 「俺にわからないことを、キアランが助言してくれてる。まぁ……元はと言えばこいつの話ですしね。それを容れた、というわけですよ」 内緒話のようで気分を害したのならば謝罪する、ニトロはさっぱりとそう言う。キアランが襲撃され、ニトロはどれほどのものを抱えていたのか、サマルガードにもはっきりとわかったわけではない。が、その一端だけであったとしても今、理解した気がした。 「さて、提案ですがね。――カハルさん、俺としてはね、神殿に預けるのを提案する」 「ほう? 奉仕に身を尽し、悔い改めろとでも言うつもりか?」 「あのね、あんな女、悔い改めるわけないでしょうが?」 呆れたニトロの口調にカハルがにやりとする。ならばどういう意味だ、とまた眼差しが険しくなったが。 「どこに預けるか、で色々詳細は変わるだろうけど。まぁ、俺としては十七人分の断末魔を繰り返し何度も体験してもらうのがいいんじゃないかと思ってますよ」 「な……ニトロ師、それは、いくらなんでも!」 「どうしてです、議長? 自分が悪いとは微塵も思ってないんだ。自分が何をして、相手がどれほどの目に合ったのか、その体で、心で、同じ目に合えばいいでしょうが。他人の心がわからない俺だって、自分の体験に照らし合わせれば理解はできる」 それのどこが悪い、ニトロは言い放つ。サマルガードとしては、あまりにも惨い、と感じる。十四人の赤子の死、三人の女性の死。その断末魔を繰り返し体験するなど、肉体よりも精神が持たないのではないだろうか。そして気づく、持たせるつもりはニトロにはないのだと。赤子の断末魔と共に死ねと彼は言っているのだと。 「カハルさんがね、あの女を欲しいって言っても、牙にかけ、爪で引き裂いてなぶり殺しにしたって、所詮死ぬときは一瞬だ」 それよりは長く苦しい死を。ニトロはカハルの目を真っ直ぐと見てそう言った。どことなく、キアランの考えていることが伝わってきている。はっきりとした言葉にはなっていない。が、そのぶん強く伝わるキアランの感情。悔いても悔いても足らない息子の死。それをもたらしたエヴリル。 「横から申し訳ない。ニトロの友人で、エイシャ女神の神官、ダモンと申します。――うちの神殿で預かってもいいですよ。その内容で神罰の呪文をかけることはできる。個人的に言えば、双子神のほうが適してるかな、とは思いますが」 「双子神?」 短いカハルの言葉。ダモンは笑みと共にいなす。本気で狼に狙われたかとダモンは錯覚した。背筋が冷える。ぴくりとも動かずにいてくれたティアンがありがたい。彼がそうしているからこそ平静を保てたようなものだった。 「愛と欲望を司る双子の神様です。僕らの知人にその神官がいますが、怒り狂っていましてね、エヴリルのことでは」 「自らの欲望で他者を踏みにじるのを双子神は殊の外に忌むらしい。ましてその結果となればあの始末だ。俺の提案より過激な罰を与えると聞いても俺は、驚かない」 「なるほどな。議長殿のお考えは如何」 「……率直に申し上げれば、拒否したい。あまりにも惨いと、私個人は感じる。が……赤ん坊だけでも、十四人、か……」 「一人二人ならいいってもんでもないでしょうがね、議長。怨みがたまり過ぎだ、あの女には。このまま殺して終いには、できないでしょうよ」 キアランだけではない、このセヴィル島にはエヴリルの餌食になった男が何人もいる。その家族も大勢いる。目をそらし、なかったことにしなければならなかった子供の死。議長は豁然と目を上げた。 「わかりました。――ただ、私の一存、というわけにはいかない。議会に提案をして、ということになります。そこはご理解いただきたい」 「……内緒ですがね、提案が通らなかったらエヴリルはこの世から消えますよ、カハルさん。そういうことでどうです?」 「ニトロ師。それを私の前で言うのはやめていただきたい。黙認しにくいでしょう?」 にやりとしたニトロにカハルは大らかに笑った。ゆったりとサマルガードに手を差し伸べる。どうするだろう、と興味もあった。サマルガードは表情一つ変えずカハルの手を取り握る。人狼と握手を交わす。ニトロの目が和んでいた。 「駆けつけてくださったお礼としては、いかにも頼りなくて申し訳ない」 こんなものではとても礼にはならない、サマルガードは羞恥に耐えかねている様子だった。なにか礼ができれば、と考えているらしいのだけれど、いまだ思いつかない様子でもある。 「確かに、本当にちょうどいいときに来てくれたもんだ。……つか、あんた。どうやって海渡った……いや、そうか、人間の姿で舟漕ぎゃいいだけか」 「ん? いや、歩いて渡った」 「……はい?」 ニトロの呆気にとられた顔など中々見られるものではない、とティアンとダモン、顔を見合わせて笑い合う。ニトロの腕の下ではキアランまで。 「そう難しいものでもない。狼の姿でないとできないことだがな。要は、人間で言うなら右足を出して沈む前に左足を出す。その繰り返しだな」 「……あんたもか?」 ――カハル伯父に教わったら、できた。意外と簡単だったよ。 「お前なぁ! できるんだったら思いつけ! あの沼での苦労はなんだったんだ!」 ――いや、ニトロ! そんな、無茶な。僕は人間社会でほぼ監禁状態だったんだ、人狼にできることと言われても……! 「そりゃそうだけどよー」 むつりとしてニトロはキアランの足を手に取る。両前脚を持たれた狼、とはなんとも情けない格好だった。キアランである狼のいわく言い難い表情をダモンが笑う。その間にもニトロは前脚をしげしげと眺めていた。 「ふうん。別に何がどうってわけでもねぇよな? あれか、魔力を感じないでもねぇし。魔力を身体能力に転化してるって考えりゃいいのか」 「あんたはあんまり驚かないんだな?」 「そりゃ、まぁ。俺もできるし。そっちはどう? 止まれる?」 「いや、止まったら沈む」 「んじゃ、今度よかったらすり合わせでもしません? 止まる方法、教えますよ」 「それはいいな。興味深い。我々カペルスウェイトの末裔としては多少の不思議はできて当然ではあるんだが、魔術師は面白いな」 唐突にもほどがあった。ニトロの手がカハルに伸びる。あまりにも突然のことだったせいだろうか、カハルが避ける暇もなくニトロに手を取られていた。 「ちょっと待った。いま、なんて言った? カペルスウェイトの末裔だって!?」 「そう、言ったが?」 「キアラン!!」 ――いや、待って、ニトロ。僕は……その、隠していたわけではなく、あなたが興味を持つようなことだとは。 「言い訳無用! トリムさん、トリムさん! トリムさん、来て!」 珍しい慌てぶりだった。が、口許が緩んで仕方ないニトロを見ている限り非常事態ではない、とダモンは安堵している。そんな彼にサマルガードも息をついてた。 そしてそこに現れる青年が一人。ふわりと出現したとしか思えないその姿。事実、ニトロの呼び声に転移してきたトリムだった。 「珍しいね、どうしたの。おや、こちらは?」 「人狼のカハルさん。キアランの伯父御ですよ。って、そうじゃなくて! カペルスウェイトの末裔だって! カペルスウェイトですよ、カペルスウェイト! ――妖精は、実在したんだ……!」 トリムの手を掴み、ニトロは頬に血の色をのぼらせて興奮していた。そんなニトロにトリムも驚いたらしい。けれどすぐさまその表情が蕩けて行く。 二人の魔術師の会話に、サマルガードと兵たちが唖然としていた。まさか、妖精とはと。 |