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ニトロは狼の群れと共に、兵とは少し離れた場所に座っていた。傍らにはキアラン。狼の体に片腕をまわし、けれど互いに言葉はない。気詰まりであるはずの時間が、しかしそうではなく、どことなく居心地がいい。毛皮の中に指を埋めれば、心地よさそうに体を預けてくる狼。あちらに一頭、こちらに一頭。みなが思い思いに体を伸ばし、あるいは丸まって休む。ニトロは何を言うでもなくそれを眺めていた。その眼差しがふと険しくなり、振り返る。ニトロが率いていた一隊の隊長と、数人の兵がそこにいた。 「――こいつらに指一本でも触れたら、その瞬間、俺は連盟の敵にまわると思え」 兵たちが何を言うより先だった。気を飲まれ強張り仰け反る兵たち。ニトロは薄暗い中、爛々と藍色の目を輝かせる。 ――ニトロ。 すり寄せてきた頭。ニトロは意に介さない。何があったのか忘れたのか、そんなつもりでキアランを抱き寄せた。 「そいつら……その、悪さは、しないんだろうな?」 果敢に問うてきた兵にニトロは顔を顰める。隊長がたしなめようと男の腕を叩く。困っていたのだろう、彼は彼で。ニトロに申し訳ない、と目顔で訴えてきたけれど、ニトロに聞く気はなかった。ニトロの口許が皮肉に歪む。 「あんたらは剣を持ってる。魔術師でも人狼でも殺せる道具を持ってる。俺としては人間がいつ襲い掛かってくるかと、そっちの方がずっと心配なんだがな」 「俺たちはそんなことはしない!」 「へぇ? なんでだ?」 「なんでもどうもないだろう! そんなこと、するはずないじゃないか!」 「人間は、簡単に襲い掛かったりしないのに、異種族はそれをするって? 馬鹿な。襲い掛かられたのはこっちだぞ?」 ぽん、とキアランの頭を叩く。それがキアランだ、とは彼らにはわからないだろう。が、言っている意味は通じた。息を飲み、そらされる目。 「……俺たちは、怖いんだ。狼がそこにいる。それが、怖いんだ」 「俺は人間がそこにいるのが怖い」 「そんな……。だって、ニトロさん……」 「異種族だから魔物と勘違いした? 勘違いで殺されかかった身にもなれ。俺だって異種族だ。いつ人間に殺されそうになるか。たまったもんじゃないわ」 ふん、と鼻を鳴らした。ニトロの言い分に兵たちが顔を見合わせる。ニトロは違う、と言いたいのだろう。が、彼が魔術師という異種族であることもまた事実。 「人間は、俺が大事に守ってたやつを平然と襲撃してのけた。そのくせ、俺に先頭に立って戦えって言う。意味がわかんねぇよ、俺は。なんで俺が人間のために戦うと思うんだ? 俺が戦って当然だって、なんで言えるんだ? 俺の大事なもんを奪っといて、なんでだ? 人間は、そんなに偉いのか?」 見上げてきたキアランの金の目。ニトロは咄嗟に目をそらす。自分が何を口走ったか、といまは意識したくない。くつくつと笑うような思考が漏れて伝わった。 「……そいつら……いや、その人たち? が、安全で、大丈夫なんだって、わかってれば、俺たちだって――」 「あのなぁ。なんでだよ? どうして、ただ生きていることを人間に許されなきゃならないんだよ?」 「許すとか、そういう……」 「そういうこと言ってんの、人間は。あんたらは。数を恃みに弱さを笠に来て、異種族を迫害してるんだ、人間は。俺たち魔術師だってそうだろ? 俺は別にいいさ。弱い人間を守って戦うのは性に合わない。最前線で魔法ぶっ放してるほうが気が楽だ。だがな、どうして自分が一番前で戦わなきゃらないんだって思ってる魔術師だっている」 人間は弱くて脆い。それを守って戦うのは確かに苦痛だ。よけいな手間がかかる。ニトロとしてはそれにうなずけるけれど、だからと言って必ずしも魔術師が先頭、というのは間違ってはいないだろうか。人間は、それを疑問に思わないのだろうか。 人間が、わからなかった。もっとも、他者を理解できたためしなどないに等しいニトロだったが。それでも便利に使われている、と思えば腹は立つ。 「こいつらは賢いよ。人間の前に出りゃ、あんたらにこういう目に合わされるってわかってたから、隠れて暮らしてた。ほんと、賢いわ」 狼の群れが頭をもたげ、あるいは顔を伏せ。笑っているな、とニトロは感じる。キアランもだった。彼の声ははっきりと聞こえるというのに、他はそうでもない。キアランがまだ未熟、ということなのだろう、それは。 「いい加減、魔術師も隠れ暮らす時期かね。人間様にいいように使われるのも、そろそろあれだしな」 皮肉が滴るようなニトロの声。愕然としたのだろう兵たち。ニトロがそこまではっきりと離脱を口にしたのははじめてだった。 驚くようなことか、とニトロ自身は思っている。戦前にも、そう言っていた。イーサウに戻る自信はない、そう言ったはず。 「いまの顔見て、ますます思ったわ。あんたら、俺がイーサウに戻るんだろうって、なんのかんの言ってもやっぱり戻るんだろうって、思ってたんだな」 「そりゃ、ニトロさんにとっても故郷だし」 「故郷だからなんだ? 生まれた場所って言うなら俺はラクルーサの生まれだぜ?」 その程度としか思っていない、ニトロは断言する。彼らのよう、イーサウという地に愛着はないと。それにも兵は驚いた顔をした。人間と魔術師の差、と感じたのだろうか。 ――そういうものですか、ニトロ。 「俺は、だな。魔術師だから故郷に愛着がないってわけでもないだろうさ。全部が全部一緒ってわけでもないだろ」 ――ならば、人間も、では? 「あんたは人が好すぎるんだ。狼が好すぎるって言うべきか?」 ――難しい問題ですね、それは。 くつくつと笑うキアラン。言葉遊びだと彼は理解している。キアランとならば、通じる。同じ言語を話している兵たちとは、乖離がある。ニトロの長い溜息が聞こえた。 兵たちはそんな彼をおろおろと見ていた。たぶん、そこの狼と話しているのだろう、彼は。それでも言葉を返さない「獣」と話すニトロに違和感を覚えたのも確か。 「ニトロさん、俺たちは、知らなかった。これから、その……ちゃんと知っていくから。だから」 朴訥な声をしていた。ニトロは自分の方が悪いような気がしてくる。「よい人たち」を追い詰めているのではないかと。その脳裏にこだまするのは、襲撃されたときのキアランの声。幸い無事だった。いま、ここにいる。けれどあの衝撃が去るものではなかった。 「あんたら人間が、人狼を怖がるように、俺は人間を信じられない。正直に言って、本気で怖い」 次はないだろう。次は、本気の殺し合いになるだろう。種族間の戦争になる。それが怖いのかもしれなかった。何より、キアランを失うのが。ぎゅっと抱き寄せてきたニトロの腕を感じ、キアランは慰めるようその体にすり寄った。 「――二度と再び襲撃などさせません」 不意に声が聞こえた。薄暗がりの中から現れたのは議長サマルガード。戦闘で傷ついたのだろう、頭に包帯を巻いている。激戦の中にいた証拠だった。 「ニトロ師の不満は、聞かせていただいたつもりです。不安も、聞かせていただきました。ニトロ師が人間に感じる不信も」 胸元を掴み、サマルガードは進み出る。その後ろ、ダモンとティアンがいた。ぽんぽん、と自分の横腹を叩いて見せたから、ダモンの負傷は癒してもらったのだろう。思わずほっと息をつく。それにニトロは思い至り口を開いた。 「――俺にも、信用できる人間はいる。人間全部が信用できないとは思ってないし、魔術師全部が善人だとも言わない」 それでもそこまで言ったのは、キアラン襲撃が心底衝撃だったせい。たかが風聞で、自分という存在まで「人間」に否定された気がした。 「当たり前に暮らしてた、と思ってた。人間の中で、普通である生活をしてた、と思ってた」 率直な思いを語るのならば、ニトロにはその普通がよくはわかってはいない。が、人々が暮らすよう、真似て暮らしていた。それで、うまくやっていた。 ――やっていたと僕も思いますよ、ニトロ。あの瞬間まで、ご近所もよくしてくださっていた。 そのとおりだ、とニトロはキアランを強く抱く。狼の硬い毛が、温かい体が。あのときにキアランを殺されていたかもしれない。思い返すだけで、怖かった。 本当に、怖かったのだと思う。怒りではない、ただ怖かった。平静を失っていたのは。怒りがあるとするならば、自分自身に。キアランを守り切ることができなかった自分に腹が立って仕方なかった。 「ニトロ師。すべてが片付いたら、私は議会に提案をしようと思っています」 「異種族を迫害してはいけませんって? 守るかよ、そんなもん」 「でしょうね。それは、理解しています。が、だからと言って放置はできかねます」 おや、とニトロはサマルガードを見上げた。立ったままの彼は苦悩に顔を歪め、それでも眼差しを上げていた。 「他者を脅かすことない限り、他者に脅かされることのない権利を。種族の文化を尊重し、それを守る権利を。連盟は、種族の如何にかかわらず、それを保護する義務を。連盟住民である限り、迫害は許されない、許さない。――連盟基本法に、そろそろ付け加えてもいい頃合いだと、私は考えます。仮に生存権、とでも呼びましょうか」 「……いつから考えてた?」 「議員に選出されたときからです。人間は弱い。だからと言って、弱さを大儀に異種族を排除していい理由はない。――そもそもそれをすれば連盟は、殊にイーサウは破綻しますよ」 肩をすくめたサマルガードにニトロは小さく笑う。素直な言葉だと思った。現在のイーサウは魔術師の技術力を失えば経済が目に見えて落ちるだろう。 「利用している、と考えてくださって結構。我々は我々で、あなたがたにとって居心地がよい、利用価値のある国でありたい。互いに価値の在る国でありたい。ラクルーサの二の舞を演じるのはごめんです」 サマルガードが周囲を見回す。まだ片付けられただけの死体の山。魔法を嫌ったがゆえに、彼らは負けたと言っても過言ではないこの戦闘。兵たちにもその言葉は身に染みて理解ができた。 「ニトロ師。少しだけ、猶予をいただけませんか。必ず帰還後、この法案を提出し、通して見せる。二度と異種族排除には向かわせない。私の政治生命をかけて誓います」 頭を下げたサマルガード。ダモンがその後ろで微笑んでいた。ティアンが肩をすくめるに至ってニトロも同じ仕種を。ぱっとサマルガードの表情が明るくなる。ここで拒めば自分が悪者ではないか。内心の溜息を感じたのだろうキアランが慰めるよう伸びあがっては頬を舐めてくれた。 |