夢のあとさき

 指呼の間に島主の館が見えている。が、そこまでが遠かった。狭い道が災いし、互いにとどめの一手が繰り出せない。何度かは馬に乗った騎士の突撃があったけれど、ニトロの魔法に馬の方が驚倒して戦闘にならず、と見るやそれも止んだ。
 結果が、泥仕合だ。兵と兵とが切り結び、血塗れの惨状。ニトロもダモンも先頭で戦い続けていた。魔法を見た経験がラクルーサの兵にはほとんどないらしい。それも当然か、とニトロは思う。
 星花宮の悲劇からどれほど経ったか。魔術師にとっては先ごろのことであっても、人間の世代では違う。そのせいだろう、ニトロとダモン、双方ともに魔術師、と認識しているらしい。
「まだ行けるかい?」
 戦闘中、偶然に肩を接する機会があった。ダモンのにやりとした笑み。ニトロこそそれを聞きたいというのに。
「骨折してるやつに言われたくないな」
「たいしたことでもない。痛みには強いんだ」
「そういう問題か?」
 軽口をかわし、また離れて行く。背後に従う兵士たちの心強そうな声。連盟兵士は魔術師との連携に慣れている。ラクルーサ兵はそうではない。それが現れていた。
 ダモンの腕の冴えこそ、見事だった。先頭に立つような年齢を彼はすでに過ぎている。それでいてすら、凄まじい。通常の視覚ではほぼ見えない銀糸を操る姿。ダモンの手が動いた、次の瞬間には敵兵の腕が切り飛ぶ、首がなくなる。まるで魔法だ、と連盟兵士でさえも感じていたのだからラクルーサ兵が魔法と誤解するもむべなるかな。
 そこに飛ぶニトロの本物の魔法。水系魔術師、とはいえ、ニトロはあのカレンから後継指名を受けた魔術師。乱戦になっていようともなんの問題もなく味方を避け、風から火から、戦場を乱舞するそのさま。連盟兵士にとっては見事の一言。敵には恐怖の具現。
 魔法を目にするたび、引き攣っていく敵兵の顔。あまり見て心躍るものではない、とニトロは思う。魔法は確かに恐るべき力ではあるが、自分を悪魔のように扱われるのは癇に障る。逆に、途轍もない戦力と持ち上げられても癇に障る。疲れているな、と思った。
 無理もない。すでに陽は西に傾きはじめている。ニトロもダモンも、休むことなく先頭に立ち続けてきていた。兵士たちは交代で下がり、息を入れる暇がある。二人にそれはない。それをしてはラクルーサに突破を許す。戦い詰めで、ニトロの目許にも疲労が濃い。
 反対に、魔法を見続けたラクルーサ兵は狂気の寸前だった。あまりにも恐ろしい。この世にこんなものがあるとは夢にも見た覚えがないほどの恐怖。あるいはそのせいだったか。
 島主の館に上がる道は島の中では広い方になる。が、元が島であるだけに大通り、というわけにはいかない。そもそも市街地であるだけに路地がいたるところにある。それが双方の注意力を削いでいる原因でもあった。いつ何時どこから敵が飛び出してくるかわからない、それは神経をすり減らすのに充分な要因だった。
 ニトロとて、油断はしていない。ダモンと二人、背後の兵士を守り抜く。そのためにここに立っている。けれど彼もまた、生身だった。そして偶然もあった。ダモンの銀糸が放たれ、ニトロが魔法を発動させ切ったその瞬間。狙っていたわけではない、間違いのない偶然の産物。恐怖に凝った悲鳴のような鬨の声。路地から突撃してきた敵兵に、ニトロの反応が間に合わない。
 ニトロ。呼ばれた気がした。咄嗟に魔法を紡ぐ。自分のためではなく、護身呪を。瞬間、黒い閃光。ニトロの魔法をまとった閃光が敵兵に。眼前、赤いものが散りしだく。ぽかん、と口を開けた敵の顔。まだ若い。喉笛を食い破られた。恐る恐る上がる手。喉に触れた。ついで吹き上がる鮮血。どう、と男が倒れる。遅れて悲鳴が聞こえた。
「馬鹿野郎、なんで来た!」
 そこには巨大な一頭の狼が。漆黒の体に血を浴びて、敵を威嚇する。一声。風すら止まったかの。遠吠えに、応える狼の声。路地から走り込んできた十数頭の狼。まさか、と喘ぐ連盟兵。ラクルーサの恐慌は見るも哀れだった。
「ニトロ! 無事か!」
 ダモンの立ち直りが最も早かった。ニトロはそちらにうなずき返し、にやりと笑う。それにダモンの驚いた目。小さく笑って仕事に戻る彼。ニトロの目が漆黒の狼ではなく、白銀のそれに。
「手伝ってもらえるってんなら使うぜ?」
 ふん、と鼻で笑ったような気配が返ってきた。ニトロは黙って手を伸ばす。その掌にすり寄せてくる狼の頭。
「……なんで来たよ?」
 漆黒の狼が見上げてくる。ニトロはそちらを見もせず魔法を紡ぐ。ダモンの援護をし、自軍の兵を進ませる。
 ――いつか守らせてくれる、とあなたは言ったじゃないですか。忘れましたか?
 悪戯っぽい、キアランの声だった。久しぶりに聞いたその声。ニトロの心の奥が震える。ぎゅっと握り込んだ手の下、狼の頭があった。
「とりあえず仕事すんぞ。行けるか?」
 ――行けないようなら来ませんよ。
「もっともだ。行くぜ」
 にやりと口許が笑う。ニトロに生気が戻ってくる。魔法すらその鮮やかさを増した。次々放たれる荒れ狂う炎、切り裂く嵐の刃。澄み切った水の太矢が体を穿ち、どこからともなく生えた蔦が足を取る。一瞬でも立ち止まれば連盟兵の餌食だった。そして狼の。
 白銀の狼を先頭に、彼らは連盟兵を導くよう敵を食い破る。鋭い牙が、猛々しい爪が人間の肉体など紙より易く破っていく。
 連盟兵は、いまは何も言わなかった。ニトロの傍らにある漆黒の狼がおそらくキアラン・ヒースリップである、と理解しているものもいた。それでも何も言わなかった。共に戦ってくれることを感謝するとまでは行かない。だが、彼らを害そうともしない。いまはそれで充分、ニトロは前だけを見ていた。
「一隊、屋敷を制圧してくれ」
 玄関を破る。白銀の狼が先頭切って駆け込んだ。ニトロには察するものがある。クレールはエヴリルを許すまい。あの女の命を牙にかけると言うのならば止める気はなかった。
「ニトロさんは?」
「金山。鉱山に立て籠もられると厄介だ」
「わかりました。――それと」
「……狼なら、あんたらが妙なことしない限り、敵対はしねぇよ」
「あ……いや。はい。了解です!」
 少しばかり青ざめた顔をして、それでもうなずき走って行く。一度ダモンに目で合図をすれば、こちらに向かって駆け寄ってきた。
「あんたは――」
「僕の手がいると思うけど? それとも、君一人で行く気かい。キアランがいたとしても」
「いや、それは――」
「さっさと行くよ、ニトロ。陽が落ちると逃げられて面倒だ。あぁ、キアラン、久しぶりだね、元気そうで安心したよ。再会の挨拶は後でいいかな?」
 ちょっと忙しすぎる、笑うダモンに周囲の兵士の安堵の声。わからなくはない、とニトロは納得する。やはり狼は恐ろしいのだろう、それが人狼でなくとも、狼の姿が。
 半数ばかり、狼もついて来ていた。すぐさま駆け出し、鉱山を制圧する。中にはラクルーサ騎士が立て籠もっていたけれど、反攻はすぐにやんだ。呆気ないほどだったのは、あとで理由が知れる。立て籠もっていたのは王の代人。戦場に立った経験などないに等しい若い貴族だった。
 坑道に、キアランの、狼たちの吼え声がこだまする。哀悼だ、ニトロは感じた。ここで死んでいった子供たちに。別けてもシアンへの。
「ニトロさん――」
 兵士の引き攣った顔にニトロは答えない。肩をすくめて貴族の連行を指図したのはダモンだった。捕えられた代人は、最後まで何が起こったのか理解できていない様子だった。
「どこにでもぼーっとした馬鹿はいるねぇ」
 鉱山から出れば、もう陽は落ちていた。ニトロが灯した魔法の灯り、そして兵士たちが手に持つ松明。地上に降る星のよう。ぼんやりと見ているのは、疲労のせいに違いない。ニトロの掌、狼の頭がまだあった。擦りつけてくるそれにニトロは目を瞬く。
「……ちょっと待て」
 音が聞こえるほどの切り替わり方だった。ダモンは顔を伏せて忍び笑いを漏らす。全島的に戦闘が終了しているのだろう、駆けあがってくるティアンが見えた。手を振れば安堵の笑み。その拍子に折れた骨がようやく痛み出す。
 ニトロは気づきもせず、膝をつく。狼の頭を両手で挟み、ぎりぎりと掴み上げているかのよう。両手指が毛に埋まった。
 ――ニトロ、ちょっと。
「うっせぇ! あんた、なんで来たんだ! 俺を守る!? ふざけたことぬかすな阿呆が! あんたの姿見りゃぶち殺してやろうって兵士がいるんだぞ? 忘れたのか、この馬鹿が!」
 行き違いであった、風聞に惑わされただけだった。そんな言い訳をニトロは微塵も信じていなかった。仮にそれが言い訳でなかったのだとしても、キアランの姿を、まして狼に変じたこの姿を見ればまた襲撃するに決まっている、そう信じていた。がしがしとキアランの頭を掴んだまま揺さぶれば、目を白黒とさせた狼。
 ――待って、ニトロ。手荒い手荒い、手荒いですよ!
「手荒いで済んでるのを幸いだと思え、馬鹿!」
 ――あなたの危機を見過ごしにできなかった。それが理由では問題がありますか。
「あるに決まってんだろうが! それで自分が殺されかけたら何の意味がある」
 ――死にませんよ、人間の攻撃くらいで。剣で切られても人狼は頑丈なものなんです。
「そういう問題じゃねぇわ!」
 ――では、何が問題で?
 どことなく楽しげなキアランの声。ニトロは言葉に詰まる。なぜ、いま、キアランが、ここにいる。自分の傍らに、いる。口を開き、閉ざし。ニトロは言葉を持たない。
 ――あなたのところに帰ってきた。それが理由です。いけませんか、ニトロ。
 真っ直ぐと見上げてくる金の目。ニトロは黙って狼の首に顔を埋める。頬に当たる毛の感触。狼の匂い。背後で兵が騒めく声が聞こえたけれど、気にもならなかった。
 ――ただいま、ニトロ。
 髪を舐められる感覚も、久しぶりだった。キアランが、ここにいる。くすぐったそうに笑う声。どちらのものだったのか。首をかしげたときには自分のものだと知った。
「……おう」
 そっけない返答に狼が笑う。その声は恐ろしげなものだった。が、ニトロにはそうは聞こえない。ダモンにも、存在を忘れられたまま顔を顰めているティアンにも。
 伝令が飛び交う。ニトロたちはこの場で警戒に当たれ、そう知らせてきた。同時に食事の配給も。ようやく仕事ができる、と駆け上がってくる神官たち。こっちだ、ティアンが神官を呼んでいた。




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