夢のあとさき

 滞陣十日。日がな一日海を眺めて歯噛みを続けていたわけではなかった。が、動きがないのも確か。議長はじめとした連盟軍首脳は早馬に伝書鳩、魔法とありとあらゆる手段を使って情報収集に怠りがない。
 その中で判明した事実にサマルガードは顔を曇らせたままだった。本当に、ラクルーサは動かない。セヴィル島を接収しただけで、済ませようとしている。セヴィルが自ら島を献じた、との報告が確かであるのならば、連盟に打つ手はないことになる。
 それでも兵の意気は盛んだった。なんとしてもセヴィルを取り戻す、と息巻いている。これをそのままに軍を解くこともまた難しい。刻一刻とサマルガードに精彩がなくなっていくその晩、事態は動いた。
「議長!」
 飛び込んできた兵士は難しい顔をして集まる首脳部に気圧される。打開策はないか、と深夜にもかかわらず会議中だった。
「どうしましたか。何か、異変が?」
 その中でも優しいサマルガードの声音。兵士は背筋を伸ばし、ほっとしては報告をはじめる。
「セヴィル島から、漁師の一団が参っております! みな、息も絶え絶えで……」
「なんと! すぐこちらに」
 は、と返答をした兵士が背を返す。すぐさま漁師たちが連れてこられた。居合わせたニトロですら、顔色が変わるほど酷い有様の漁師たちだった。全員が傷を負い、頬がそげ切っている。たった十数日で、これだった。
「イーサウの、議長様で……?」
 漁師たちの頭だろう男が恐る恐る口を開いた。三人ばかり、なんとか島を抜けだしてきたのだと彼は言う。対岸に連盟軍がいるのは見えていた、と。なぜ助けてくれないのか、すぐにでも島に来てほしい。半ばなじるようなその言葉。呆気にとられるものも多くいた中、サマルガードだけは目を煌めかせる。
「少し、お話を聞かせてください。セヴィル島は、自ら連盟を離れ、ラクルーサについたのではないのですか」
「まさか! そんな話に……なってるんで?」
「えぇ、そう聞いています」
「だったら島主だ! あの野郎がやったことだ、俺たちはちっとも知らねぇ!」
 漁師が声を荒らげる。偽りのないその表情。勝機が見えた。セヴィルの意志ではない、それがいまこの瞬間、確認できた。イーサウ自由都市連盟として、大義が立った瞬間だった。
「だから、早く助けてくれ。頼む、俺たちはみんなもう、ぼろぼろだ。たった十日前だなんて、信じらんねぇ」
「女子供はなんとか隠れて暮らしてる。男はもう何人も死んだ。ラクルーサのやつらに殺されたんだ」
「道具を壊しといて、悪魔の道具を使うのはだめだとかなんとか。それなのに、前とおんなじだけ働けなんて、無茶だ」
「真っ暗ん中で漁に出て、帰ってこなかったやつらもいっぱいいる。鉱山では中が崩れて生き埋めになったって話も聞いた」
 口々に非道をなじる漁師たち。連盟軍にも熱気が感染する。すぐさまにでも助けに行こうと。セヴィルを取り戻す。横暴な王国から島民を助け出す、と。
「――一つ、聞いてもいいか?」
 それに馴染めない男が一人。ニトロだった。彼の周囲だけはしんと冷気が漂ってすらいるかのよう。
「島主は、どうしてるんだ?」
「知るか! 屋敷から出てこやしねぇよ」
「それで? 島からラクルーサを追いだした後は、またマイナーを担ぐのか?」
 ニトロの言葉に漁師が口ごもった。わからないでもない、とエイメは思う。彼らはそんなことを考えたことはたぶんない。今後のことを考えるのは自分たちの役目ではない、そう思っていたのだろう。戸惑う漁師たちを見定め、ニトロはうなずく。
「議長。私見だが、マイナーを担ぎ出すなら、同じことが起こる。同時に、島民が、自分たちの行く末を他人に預けてきた結果が、これだ」
「待ってくれ、別に俺たちは――」
「キアラン・ヒースリップ。聞き覚えは?」
 短いニトロの言葉にさっと漁師たちが顔を伏せた。首脳部はまた魔物騒ぎを持ち出すつもりか、と思ったらしい。が、ニトロの言葉の意味は違った。漁師たちの解釈も。
「あなたがたは、知っていたな? キアランが、屋敷に拉致され、無理矢理夜伽をさせられていること、知っていたな? 他にも何人も同じ被害にあった男たちがいた。見て見ぬふりをしたのはなぜだ? 自分に火の粉が降りかかるのが、嫌だったからだろう? そうやって、他人に何もかもをかぶせた結果が、これなんだ」
 ざわざわと周囲で人の声。ニトロはそう言えばこの話を知らないものもいたのか、と今更ながらに思い至る。どうでもよいことではあった。
「あなたがたの考え方が変わらない限り、二度でも三度でも同じことが起こる。そして、その尻拭いをするのは連盟だ。――連盟も連盟だ。金山欲しさにセヴィルを勧誘したものの、だからこそなのかセヴィルの封建体制を見過ごしにしてきた。島民を教育することもなく放置した。今日の日を招いたのは連盟でもある。ご一考願いたい、議長」
 最後だけ、サマルガードに眼差しを戻したニトロの目。藍色の矢のようだった。サマルガードはその真っ直ぐな視線をよけようとはしない。真っ向から見つめ返し微笑む。
「腹案はすでにあります。いまはまず、島の解放をしましょう」
「……差し出口をしました。ご寛恕を」
「逆耳の言を退けるようでは議長失格というものです。ありがたく拝聴しました」
 微笑む議長にほっと息をつくものがいた。さすがにニトロが連盟に対して怒りをこらえている、と知らないはずもない。いまここでニトロを失うことだけは避けたい彼らだった。
「漁師の皆さんには休んでいただいて、作戦会議とまいりましょう」
「あ、いや……議長様。我々は戻らねぇと。家族が……」
 ぐっと唇を噛んだ漁師の頭。姿が見えなければ家族が殺されるのだろう。どうにか隙をついて抜け出してきた彼らになんとしても報いたいサマルガードだった。
「舟で来たんだな? 魔法で安全に戻れるようにしてやる。誰か、パンかなんか、包んでください。舟の中で食えるように」
 率先してニトロが言うとは思ってもいなかったサマルガードだった。慌てて誰かが兵士に糧食の準備を伝える。
「あなたは、優しい。ニトロ師」
 夜の海は熟練の漁師でも恐ろしい。否、熟練だからこそ、恐ろしい。それを安全に戻れるようにしてくれる、と保証してくれたどうやら魔術師らしい白金の髪をした浅黒い男。言葉は厳しく態度も同情的ではまったくなかったが、それでも漁師たちは安堵していた。それがサマルガードにとっては何より嬉しいことだった。が、ニトロの言葉で背筋が冷える。
「……ここに、キアランがいたら私にそう助言するだろうことを、しただけです」
 行こう、言い捨てるようにしてニトロが漁師を伴い天幕を出て行った。呆然と立っているサマルガードの傍ら、エイメが立つ。
「……我々は、ニトロ師をどれほど傷つけたのだろうか」
「議長の責、というわけではありませんでしょう?」
「私の咎でしょう。ヒースリップ氏が襲われて、助けに行こうとしたニトロ師を止めたのは私なのですから」
 魔物と言われたキアラン。ニトロは言う、この場にキアランがいたのならばそう言っただろうことに従っただけ、と。たったそれだけの言葉ではあった。が、サマルガードに与えた衝撃は大きかった。
 実際にサマルガードはキアランが狼に変じたところを見たわけではない。人狼という種族だ、と聞かされていたのみ。だが、どこかで「異種族なのだから考え方は違うだろう、動物なのだろう」と思っていなかったとは言い切れない。それがニトロの言葉で根底から覆された気分だった。サマルガードには念願があった。その自分ですらこの有様か。恥じる彼はそれでも顔を上げる。この恥を生かすために、イーサウ連盟次の百年のために。
 そんなやり取りがあったなど露知らず、ニトロはすぐに戻った。舟は無事にセヴィルに向けて戻っていった、と報告をし、周囲を何気なく見回す。少し様子がおかしいような気もしたが、気には留めなかった。
「軍議をはじめましょう」
 サマルガードの宣言で場が引き締まる。自衛軍指揮官とアイラ、エイメと議長、そしてニトロが作戦卓の周囲に集まった。
「すぐにでも、港に指示を飛ばします。船を調達し、兵を島に渡らせます」
 まずはそこからだ、とサマルガードは言う。その際に起こり得る戦闘を指揮官が考慮しはじめ、ニトロは口を挟んだ。
「――議長。私を、信頼しますか」
「なにを突然。我々は、あなたを信じています」
「なにが起こっても? どんな事象でも?」
「信じろ、と言うのならば信じましょう」
 それが、償いになるのならば。サマルガードは言わなかった。ニトロは言われなかった言葉など聞こえなかった。ただ一度、うなずく。
「海を凍らせます。走って渡ってください。それほど距離はない。駆け抜けられるでしょう」
「な――」
「不可能ですか」
 指揮官に言えば、ぶんぶんと首を振った。それができるのならばこんなに楽な作戦はない、とでも言い出しそうだ。
「だったら俺が手伝いましょう、ニトロ。いいですね?」
 ぐい、と首を突っ込んできたのは一歩下がっていたマーテルだった。マーテルはニトロが何をするつもりなのか階梯が違いすぎて理解ができない。ただ、無茶をするつもりなのは長い付き合いだ、理解していた。
「お前は一番に走ってくれ。射程に入ったら、兵が撃たれないよう、援護を。向こうにも弓はある」
 遠からず兵の存在には気づかれる。よもや海を走り抜けられるなど想像もしていないだろうが、それでも目には見える。見えれば、弓矢で狙い放題だ。
「それなら僕が君の手伝いをしようか」
 にこりと微笑んで進み出てきたのはトリム・アイフェイオン。ニトロは顔を顰める。まさか従軍していたとは気づかなかった。注意力が散漫にもほどがある、それをたしなめられた気分だ。
「君が何をするつもりなのか、僕には想像ができる。僕はもう外聞を気にするような年でもなし。いいだろう?」
「……気にしてください」
「今更だね。君がやるなら、僕も手伝おう。その方が確実だよ。どうする、ニトロ」
「……お願いします」
 わかったよ、トリムはうなずく。サマルガードはじめ、魔法に縁のない常人たちはそのやり取り一切を聞かなかったふりをした。それがニトロを守ることにもあるいはなると予感して。
 その後の軍議は順調だった。渡航の手段が手に入ったのならば、後はダモンが報告してくれた島内の様子から作戦を立てていく。夜明け間近、準備がある、と天幕を出て行ったニトロの後ろ姿、サマルガードは一礼していた。その肩のあたりで聞こえる笑い声。振り返ればくつくつとトリムが笑っている。
「怒っているね、ニトロは。エリナードさんが怒ったときに、本当によく似ている。あの人も、怒ると言葉数が少なくなる人だった」
 懐かしいね、と目を細めるトリムにエイメが呆れて肩をすくめていた。




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