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無造作に探索をするニトロの姿を見ることができるのは彼より力ある魔術師だけだろう。なにも自ら危険を求めることもない、ニトロは魔法で隠形していた。 足跡がいくつもある。引きずられたのか、足跡のまま流れるような跡に変わっているものもある。何があったのか、と思えば顔を顰めざるを得なかった。 「とりあえずは……痕跡はなし、か」 ラクルーサ兵に間違いはないだろうが、だからと言って紋章入りの楯が落ちているような間抜けなことはさすがにない。ニトロは小さく溜息をつく。 対岸に、セヴィル島が見えていた。じっとそちらを見つめ、けれどニトロの意識は背後に。ゆっくりと、振り返る。気づけば胸元を押さえている己の手。 右腕山脈に近づくに従って、気配もまた、近くなっていた。たぶんきっと、キアランがいる。山の中に彼はいるのだろう。無事であることが、ほんの少しニトロに冷静さを与えている。 彼との間に成立させた共感魔術はいまもまだ効果を失っていない。おそらくは近くにいるのだろう、とは感じても、けれど物心両面で接触のしようがない。あちらから語りかけてくれれば、思いはしたものの。 ――あんたが無事でも、俺に話しかける理由がねぇな。 イーサウで、彼はどれほど嫌な思いをしたことだろう。突然の襲撃を受けるなど、その傷心はいかばかりかと思う。 ふと昔のことを思い出した。自分でも覚えていたとは意外なほど、昔のこと。まだ幼かった、いまとは違う名前で呼ばれていた幼少時代。 ニトロはラクルーサの北の生まれだった。いまもなおラクルーサは魔法を恐れる。当時もそうだった。ニトロに魔力の兆候が見られた途端、集落の人々の見る目が変わった。まだ五歳かその程度だったニトロですら、それは感じられるほどの激しさで。 ――あのままだったら、俺は。 村人に襲撃されていたかもしれない。それを恐れた両親の勧めで、祖父がイーサウまで連れてきてくれた。キアランの感じただろう恐怖と嫌悪が、だからニトロには想像できる。自分がなぜ家族の下を離れなければならないのか、自分が何をしたと言うのか。あの当時はさっぱりわからなかった。いまでも、よくわからない。 ――魔物、か。 魔力がある、ということは常人にとっては魔物と同然、ということなのかもしれない。人語が通じるだけましなのか、それともゆえにいっそう恐ろしいのか。恐ろしいと思ったのが生まれた集落の人々で、まだましだと思っているのが連盟なのかもしれない。 山を見つつ、ニトロは長い溜息をつく。いまからすぐさま山に入ってしまいたい。キアランを捜したい。せめて無事な顔を自分の目で見たい。 「でも、あんた」 会いたいと、思ってもらえるだろうか。拒まれるのではないだろうか。その恐れが足を止めていると言っても半分くらいは当たりだった。残りの半分は紛れもない義務感。連盟に住んでいるからこそ、仕事は果たす、ただそれだけ。 それが、けれどしかし半分でしかない、ということがニトロ自身を驚かせていた。自分で半分だ、と知っているのならば、もう一つの理由の方が割合としては大きいと認めたようなもの。 「この俺がな――」 醜く唇が歪む。ニトロが恐怖していた。はじめてだった。彼から会いたいと他人を望むのは。去って行った他者を追った経験がニトロにはない。そのようなものだ、としか思っていなかった。その程度の関係だった、としか思わなかった。 いまは。キアランに会いたいと思っている。ただの行き掛かりであったはずなのに、そう思えばおかしなものだ。 「世の中は不思議で満ちている、か」 皮肉に言い、ニトロは視線を外す。いずれ仕事を放り出してどこかに行ってしまう気はない。たとえキアランを捜したくとも。 それだけ、捜したいと思っている。会いたいと思っている。心底から、不思議だった。もし仮にダモンが行方不明になったとしても、これほど惑乱しないのではないだろうか、自分は。もう少し冷静に彼を捜す気がしてならない。 「自惚れ、かな?」 最近は自信を失うことが多すぎた。あれほど心配するな大丈夫だ、守り抜くと言っておいてこの体たらく。小さく口許だけで笑い、ニトロは周辺の探索に。何はともあれ、連盟の兵士を危険にさらすわけにもいかない。淡々と仕事をこなすニトロの目は、けれどともすると狼の足跡を探していた。 その頃、セヴィル島は大混乱の最中だった。対岸からは静まり返った普段の島の様子に見えていたとしても。 「やめてくれ、それを取られたら仕事にならない!」 悲鳴を上げる漁師たち。ラクルーサの兵は無表情に漁網を取り集めて行く。抵抗する漁師は切り捨てられた。血溜まりの中、漁師たちが怯え騒ぐ声。集められた漁網はすべて切り刻まれ、焼き払われた。 漁網だけではなかった。嵐の晩でも決して消えることのなかった漁師小屋の灯りも壊された。鉱夫からは鑿、槌の類が取り上げられた。軽やかに動く車輪も。 それらはすべて、連盟から買い付けた魔法具だった。単純なものばかりで高価ではない。が、効果的な道具ばかり。たった二十年。けれど、魔法具に慣れた二十年。それらを失った島民は明日の仕事を思い怯える。 「作業を続けるように」 冷酷なラクルーサ兵の声だった。何を言われているのか、理解ができない。繰り返された言葉に、ゆっくりと理解が染みる。 「待て! 道具を壊しておいて、無茶だ!」 「仕事しろって言うなら、なんで壊した!」 「そうだそうだ、無理言うな!」 漁港で、鉱山区で、至るところで上がる悲鳴じみた怨嗟の声。兵は取り合わなかった。忌々しげに壊した道具を見やる。 「これらは悪魔の道具である。ラクルーサの民が使うべきものではない」 「誰がラクルーサの民だ!」 「出てけ、セヴィルから――」 言葉の途中で途切れた。そのまま肩口から血を吹き出し、男は倒れる。島民は言葉もない。逆らってはならない。逆らえば死ぬ。蒼白になり、後ずさる。 「領主様は、いままでと同じだけの貢をお望みだ。励むように」 言い捨てて背を返したのは騎士だろうか。島民は寂と声もなかった。無理だ、誰の頭の中にもこだましていたとしても。いままでの豊かな成果は魔法具あってのこと。自らの手で掘り、漁る。想像もできない苦行が待っている。島民の目が、島主の屋敷を憎々しげに見やっていた。 その島主の屋敷も阿鼻叫喚が起きている。元凶はエヴリルだ。金切り声が耳障り、と騎士の一人に殴られたばかり。 「やめろ、娘に手を出すな、無礼者めが!」 マイナーが娘の前に膝をつき、その背に彼女を庇う。口の端から血を流し、頬を腫れあがらせたエヴリルがまた声を張り上げて喚く。 「なにやら、酷い声が聞こえるね」 そこに入ってきたのはこのラクルーサ海軍を率いる騎士だった。ある伯爵の三男で、この遠征が成功すればセヴィルの管理権を与える、と言われ海軍を率いた。無論、セヴィルは金山だ、領有するのは王家となるが。その代人であっても莫大な資産が彼の懐には転がり込むこととなる。 「お耳障りでしたか。申し訳ない」 「田舎と聞いていたからね、まぁ、こんなものだろう」 肩をすくめた王の代人に騎士たちは揃って一礼をする。マイナーが唇を噛み、エヴリルがまたも喚こうとする。咄嗟に機転を利かせた兵の一人がまたエヴリルを殴った。 「やめろ! わしを誰だと思っている!? 娘に――」 「誰だと思っている? セヴィル語、と言うのかな? それともイーサウ語? これは、何を言っているのか、誰か理解ができるか」 代人は物憂げに隠しから手巾を取り出し鼻先に当てる。視界の端に、反対の口の傍からも血が流れるエヴリル。が、彼の目には映ってもいない。 「わしがラクルーサに協力をしたからこそ、ここまで安全に来れたのではないか! その功をなんだと」 「協力? あぁ、お前がセヴィル島を献じたことを言っているのかな。中々殊勝なことだったね。まぁ、平民にしては気が利く、と言っておこうか」 「な――。献じた、だと!?」 愕然としたマイナーを騎士たちが冷笑していた。立ち上がろうとする島主に一斉に剣を突きつける騎士たち。ぎょっとしたマイナーが仰け反った。 「私はこんな田舎の島の運営など、よくわからないからね。まぁ、お前に裁量させてやってもいいかとは思っていたが……」 「待て、待て、待て! 違う、話が違う!」 「ほう? 聞いていないな。どんな話であろうとも。すでにセヴィル島は我らがラクルーサの領有だ。まぁ、使ってやってもいいとは思っていたが、その態度では、ちょっとねぇ」 「若君。危のうございます。このような下賤な者にお任せになるなど。ご器量を疑われますぞ」 「だよね。では、どうしようか。生かしておいても面倒そうだしね」 にこりと笑った代人に、マイナーは青ざめる。ラクルーサと手を組んで、イーサウの街に一泡吹かせるはずが。なぜ、どうして、こんなことに。 「お父様を殺すって言うの!? 私を殺すって言うの!? できるものならやってみなさいよ!」 父親を突きのけんばかりにして胸を張ったエヴリルは顔中血だらけだ。結いあげた金髪は当然にして崩れ、衣服も乱れている。その襟元を掻き合わせながらエヴリルは胸を張る。 「なんだ、これは? 豚が人語を話すとは、田舎とは興味深い」 「ぶ――豚ですって!?」 「やめろ、エヴリル。やめないか」 「だってお父様!」 娘の腕を掴み、引き戻そうとする父親と、引き戻されることを予想していたエヴリルと。出来の悪い喜劇のよう。その間に代人の耳元に囁く騎士の声。 「ほう。なるほどね。豚で淫蕩となれば、こんなところに置いておいては風紀が乱れる元というものだ。こんなものでも兵たちは楽しめるだろう。くれてやるがいい」 さっとマイナーが青ざめる。娘の身に何が起こるか、理解した証に。無情な兵の手が娘を奪い取る。意外にもエヴリルの唇には笑み。腫れて歪んだそれではあったが。 「あたしの虜になった兵隊さんたちに寝首をかかせてやるんだから。みんなあたしの魅力には逆らえないのよ! あなたもベッドに呼んであげてもよくってよ」 ずるずると引きずられて行くエヴリル。父親は目をそらした、二重の意味で。代人は不思議そうに彼女を見やる。 「中年の若作りで不細工、しかも臭い。救いようがないな」 呆れた代人に騎士たちの追従笑い。絶句したまま引きずられて行くエヴリル、ついでとばかりマイナーも。そして屋敷にはようやく秩序が戻った。ラクルーサの秩序が。 |