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イリオ隧道が近づくころ、海側出口からの使者の往来が激しくなる。それでも軍は進み、隧道を抜けた。途端に感じる海風。潮の匂いにダモンは息を吸う。イーサウの街にいては感じない香り、よいものだった。戦争でなければもっとよいものだった。 「なにか、あったみたいだね?」 ニトロに問えば無言のまま肩をすくめられた。ニトロとしてもそうするしかない。無論、彼は事態の遷移を知っている。 イリオ隧道の海側出口を少し南側に行くと貿易港がある。北側に進めばセヴィルの対岸に位置するノイの村。使者は貿易港からやってきていた。 事前の作戦では、上陸してくるラクルーサ軍を迎え撃つ予定だった。連盟軍が渡航しなければならない場合、というのももちろん考慮に入っている。その際に起動するのが貿易港に停泊中の船。ラクルーサ海軍の船と違い、完全に輸送船だった。おかげで速度はまるで出ないが、輸送力だけはある。それでセヴィルに渡ることもサマルガードは考えていたらしい。 「どういうことですか」 隧道を抜ける前のことだった。貿易港からやってきた使者の言葉にサマルガードは眉を顰める。その場にいるのは自衛軍指揮官と黒猫の隊長アイラ、エイメとニトロだけだった。 使者の言葉を要約すると、ラクルーサの軍船が貿易港に張り付いている、とのこと。もっとも、相手は船だけあって、その場に停泊している、というよりは狙われない位置を取り、航行している、ということらしい。 「出航すれば、襲撃する、と知らせてきています」 使者も困り顔だった。議長の命令には従いたいが、むざむざ死ぬために出航はできない。輸送船と軍船では戦いにならない。すぐさま横付けされて乗り込まれて乗員皆殺しが見えすぎている。 その裏取りを、ニトロがした。隧道の手前で野営した折、転移して確かめてきただけのこと。実際に軍船はいた。皓々と明かりを掲げ、示威行為に励んでいるとしか思えない船の姿。暗闇の中でもよく見えた。 「色々あるね」 ダモンが微笑む。ニトロに言えないことがあるのは知っていた。答えなどはじめから期待していない。ニトロにただ、話しかけ続けているだけだ。他の誰がしてもニトロは厭う。が、ダモンが相手の場合のみ、彼はそれとない反応を返す。いまニトロの下に残されたたった一人の友人だった。ティアンでさえ、いまのニトロは拒む。彼も心得ていて、ダモンとともにニトロがあるとき、ティアンは近づかない。ダモンが何気ない視線を感じているのだ、ニトロが気づいていないはずはなかったが。 「予定通りに行くものでもないさ」 「相手があることだからね」 「……だな」 短い、やり取りとも言えない会話。それでも会話をするようになったことが極端な進歩でもある。イーサウにあったニトロはカレンとすらまともな会話をしていない。仕事の打ち合わせだけは平静に行っているのだから呆れたものだった。 連盟軍が、ノイの村に到着する。その浜辺で布陣を、というのが当初の予定だ。そして当惑した、みなが。 「誰も、いない?」 辺りを見回す。確かに大きな村ではない。セヴィルとの売り買いと漁業で身を立てている小さな村で、セヴィル島の附属集落として連盟に所属している。だがしかし、誰もいない。 一部が斥候として村に入り、確認をする。打ち捨てられた物の数々。何かを引きずった跡。壊された家の扉。食べかけだったのだろう食事もそのまま腐っていた。 「連れて行かれましたね」 報告を受け、議長にニトロは言う。淡々とした言葉が過ぎてサマルガードはニトロに責められた気分だった。ニトロにそのようなつもりはなかったとしても。 「ここの人たちを連れて行く意味が、わからないわ……。確かに邪魔ではあるでしょうけれど、戦いには」 「どちらかと言えば邪魔になるのは保護する必要のあるこちらですがね」 事実を述べているだけのニトロ。自衛軍の指揮官が顔を顰めた。アイラはそっと顔を伏せる。言っていることは理解するが、言っていいことではない。 「理由はともかく、村人が拉致された可能性は高い、ということです」 「でしたら、指示を」 「――いまは、静観します」 ならば野営の準備に戻る、ニトロは出て行こうとする。間違ってはいない。用事がないのならば、別の用事を片づける。ニトロにとってはただそれだけ。サマルガードがそっと唇を噛む。 その時だった。周囲が騒めく。見れば一隻の船がこちらに。使者を示す白旗を掲げているところを見れば戦意はない。 「行きましょう」 ニトロを促し、サマルガードは前に出る。指揮官とアイラが議長を守る位置についた。魔術師たちはその左右に。 そして使者が到来する。議長にとっては悪夢のはじまりだった。それはいかにもラクルーサ貴族、というべき男だった。貴族のいない連盟では見ない顔つき。他人を傲岸に見下す男の顔。連盟でも大金持ちが貧乏人を見下すことはままある。だが劣等種を見るような目では決して見ない。貿易の盛んな連盟では今日の貧乏人が明日もそうとは限らないし、逆もまた真。王国では、貴族に生まれればそれだけで貴い身だった、生涯にわたって。 「こちらはラクルーサ王国の使者殿である。誰か言葉の通じる者はいるのか」 使者の従者まで、そのようなことを言った。王侯貴顕のいない連盟は、ラクルーサから見れば確かに平民の集団でしかないが。 「イ−サウ自由都市連盟議長がここにおいでです。ご従者は下がられよ」 むっとした口調もあらわな自衛軍指揮官。そんな彼を従者が嘲笑する。さすがに剣に手をかけるまでは行かなかったが、さっと顔が紅潮した。 「議長殿は中々優雅を心得ていると見える。戦場に美女を伴うとは中々」 使者が笑った。物を見る目つきでエイメとアイラを見る。エイメは変わらずそこに佇むのみ。顔色一つ変えなかった。 「魔術師ですの。剣をお好みならば、そちらのアイラ隊長に。いずれがお相手仕りましょう?」 「な――。魔術師か!」 「えぇ、不都合が? ここはイーサウ連盟ですもの」 使者の顔色の変化は面白いようだった。魔術師、と聞いた瞬間に一歩を下がる。従者はいまにも逃げ出しそう。サマルガードはそれに驚きを感じていた。そこまでラクルーサは魔術師を恐れるか、と。かつて魔術が爛漫と開いた国だというのに。 「使者殿には彼の方がお好みかしら? 彼、氷帝フェリクス師の直系ですの。どう、ニトロ。お相手して差し上げたら」 「議長がお許しになるなら。――まずは使者殿の話をお聞きになっては? 何も我々の腕を試したいわけでもありますまい」 使者にとって何より不幸だったのは彼が普段のニトロとは違うことだった。茶化すでも馬鹿にするでもなく、淡々とした藍色の目が使者を射抜くだけ。 「――氷帝!?」 ひっと従者の小さな悲鳴。逃げられない使者が蒼白になった。いまだにフェリクスの名はラクルーサの悪夢らしい。 「使者殿、ご用の筋を」 魔術師たちに感謝を。サマルガードは内心で頭を下げる。初戦の舌戦はこちらの勝ち、というところだった。 「よ、用というのは他でもない! セヴィル島はマイナーなる平民よりラクルーサに献ぜられた。連盟の所属ではなくなったものと思うように!」 「……ほう?」 「我々の領土に我々が駐屯する。なんの問題があろうか?」 「ラクルーサは、連盟に」 「我々ラクルーサは虎狼ではない。己が領地に在するのみ。セヴィル島のみを我々は接収した。ノイ村? 知らんな」 「お話の趣旨は、理解しました。が、事は重大です。このまま引くにしろ、戦いを挑むにしろ、私の一存ではどうにも。議会を経る必要がありますので本日はお引き取り願いましょう」 ふん、と鼻を鳴らしたラクルーサ貴族。平民の集団が何を言う、そんな顔つき。二人の魔術師を見たときだけ、額に汗が。悠然と兵の間を抜け、使者は帰還する。 「さて、議長? どういたしましょう」 「まずは天幕でも張っていただきましょうか。とりあえずは野営の準備ですよ」 「そう致しましょうね。皆さん、準備をしてくださいな。はい、働く働く!」 エイメの明るい声音に兵たちがほっと息をつく。議長を見る目はいささか厳しかったが。兵たちの目は言っている。このまま退くなどあり得ない、と。 天幕を張り終え、兵たちも夜営の準備を終えた。セヴィルにも明かりが灯りはじめたのがこちらからでも見える。 「正直に言って、困りました」 天幕にはまた同じ顔触れがそろっていた。作戦台を前にサマルガードが頭を抱える。先ほど使者に言ったのは丸きりの嘘だった。今現在、サマルガードの意志こそが連盟の意志。要は時間稼ぎをしただけだ。 「なにをお困りなのか言ってくださいな、議長。お一人では何も解決しませんもの」 「単純な話です。我々イーサウ自由都市連盟は、都市の自由意志の元、同盟を結んでいます」 「つまり、セヴィルが連盟を脱退し、ラクルーサにつくのならば阻む手はない、ということですか」 「ニトロ師のおっしゃる通り。現時点で私は手を縛られました。が、兵は」 「そうでしょうね。むざむざとセヴィルを盗られた、ならば取り返す。そう思うものでしょう」 ニトロに理解できないこと、とエイメがそれとなく補足した。常のニトロならば理解できないまでも察するが、いまの彼には斟酌する気など微塵もない。 「法の下、私は動けません。が、兵の気持ちを考えると、退けません」 「――本当に、セヴィルの意志かしら?」 「隊長?」 「だって、マイナーは連盟相手に目に物見せてくれるって息巻いていたんでしょう? ラクルーサの所領になって、それが何か旨味があるのかしら?」 あっとサマルガードが息を飲んだ。アイラの言う通りだった。島主マイナーは連盟を見返したいのであって、ラクルーサ領になりたいわけではないだろう。 「どこかで、何かがありましたね」 ニトロの静かな言葉。それが何かがわかれば打開はできる。いまは不明なそれを指摘したニトロに、やはりサマルガードは責められた心地だった。 「こんなことならば……あなたにヒースリップ氏を救いに行っていただいても、なんの問題もなかった、そんな気がしてきました」 「今更でしょう。済んだことは済んだこと、もう終わったことです。エイメさん、周辺の探索に出てきます」 お願いね、微笑んだエイメに片手を上げてニトロは出て行った。いまの言葉がニトロのただの本心だとはエイメ以外には通じなかった。 |