夢のあとさき

 十五日が経ち、近隣都市から兵が集まり、防衛線の構築が進みつつある中、連盟は報告を受ける。
「セヴィルにラクルーサ軍が到着しました」
 苦汁を飲んだ議長サマルガードの声。カレンは知っていたのではないか、と疑っている。キアラン親子の事件があるより先、議長は島主がラクルーサと共謀していると、知っていたのではないかと。先に潰さなかった理由は何か、それまでは見当もつかない。
「予定は」
 短いニトロの言葉。議長はニトロに引け目があるのだろう、彼に対しては常にもまして丁重だった。ニトロの方は気づいてもいないが。
「相手は船で来ています。上陸を叩くのが常道というものでしょう」
 もっともだ、とニトロもうなずく。セヴィルに到着した軍の規模をアイラが報告していた。それを聞く限り、最低でも数日は休息を取るだろう。船に詰め込まれたまま、すぐさま襲ってくることができるほど余裕はなかった、とニトロは見当をつける。そのとおり、と議長もうなずく。
「明日には、出発します。各自、ご準備を」
 了解した、と戦時顧問団が胸元に手を当て礼をする。カレンとニトロたち魔術師も一斉に退出して行った。
 まだまだ用はある。ある気がしているだけかもしれない、カレンは苦く思う。カレンはアリルカ独立戦争を知っている。大規模な戦争、というものを知る最後の世代かもしれない。
 それでも、否、だからこそ、戦争など起こらなければよいと常々思っている。平和なぬるま湯のありがたさ、あの当時の師の姿を思い出すにつけ、身に染みて感じる。いま、自分が似たようなことをしていると思えばこそ。
「あちらは、どうです?」
 あれ以来、ニトロは表情を失ったままだ。氷帝フェリクスがその伴侶を失ったときのように、と言えば言いすぎだろう。きちんと感情表現を彼自身はしているつもりの様子でもある。だが、カレンにすら伝わりにくい。所詮は想像でしかないが、ニトロは表現できないほどの怒りに苛まれている。それが他人に対してなのか、自分自身に対してなのか、怒りの形を取った失望なのかは、カレンにもわからない。ニトロ自身、己を持て余しているのかもしれない。
「まぁ、なんとかやってるみたいだな。さすがアイラだぜ。いい仕事するわ」
 幸運の黒猫隊はそれ自身ですべての任務をこなすことが可能な傭兵隊だ。中には優秀な工兵もいる。その彼らと協力し、魔術師たちはイリオ隧道のイーサウ側出口に工作をはじめている。
「使わないに越したことはないんでしょうけどね」
「でも使う羽目にはなるだろうよ」
「ですかね」
 何事もないかのような会話。罵声を伴わないのだけが普段とは違う。傍らを進みつつ、エイメはそれに身体的とも言える痛みを覚える。自分の弟子でこそない。が、幼少のころから可愛がってきたニトロが。自分の姿形を嫌って髪を染めていた彼がはじめて美しい白金の髪をさらして見せたときのあのなんとも言いがたげな表情。エイメもまた覚えている一人だった。
 師弟の会話は作戦にかかわるものだった。セヴィルの対岸は、というよりイリオ隧道の海側出口から先はほぼ渚、と言っても過言ではない狭い土地だ。そんなところで大軍の展開はできない。ラクルーサにとっても頭痛の種ではあろう。
 連盟にとっても同じだった。だからこそ、上陸を叩く。ラクルーサはそれを阻むための手段を用意する。当たり前の戦闘にしかなりようがない。迂回路すらない、いわば正面衝突しか起こり得ない。
「あいつらは騎士だからな」
 カレンが肩をすくめる。騎士が何ほどの者、と言いたい気分は往々にしてあるものの、カレンが知っているのは往時の騎士であり、現在は違う可能性を否定しては敗北のはじまりだ。強壮な騎士が集団になっている、と思っておく方がいい。
 転じて連盟は、少数の自衛軍が常設軍としてあるだけだ。そこに徴集された兵と志願兵、場合によっては傭兵隊を雇用し、冒険者を募る。今回は大軍がいても仕方ない、という意味もあってまだ新たな傭兵隊の雇用はしていない。ただ冒険者を募りはじめてはいる。
 互いの戦力と言えばこのようなものだった。職業として――と言えば騎士は怒りを見せるだろうが――常に剣を振るう者と、そうではない者の差。カレンは撤退戦になるだろう、と予想している。
「撤退戦のほうが被害が出ますよ。錬度が違う」
 ニトロの言葉にカレンはうなずく。そのとおりだ、とも思っている。だがラクルーサ軍がすでに到着している以上、どうにもならない。上陸を叩き、撃ち洩らしを隧道に引きずり込み、工作で潰す。いまのところこれが最善だろう。
「山は考えなくていいのが、楽と言えば楽ね」
 静かな溜息はエイメのもの。隧道以外に山を越える手段はないわけではないが、相手が騎士ならば考慮に入れなくともかまわない。甲冑をつけたままの山越えは無謀に過ぎる。
「山を荒らされたくはねぇな、私は」
「――師匠」
「なに勘違いしてやがる? 私はドルシアの住処だから嫌だって言ってんだぜ? 他の呪師がどうなってるのかも心配だからな」
 ぽん、と背を叩けばニトロはまた平静に戻る。一瞬の感情。平坦に戻るのが早すぎた。これが呼び水となって怒ることができたならばニトロは楽になれるのに、カレンは内心で溜息をつく。
「ドルシアさん、連絡がついたって言ってたかしら?」
「ん? あぁ。一応、警告を飛ばしたって言ってたな。連盟に味方する気はないだろうが、かと言ってラクルーサに助力する気はもっとねぇだろうってのがドルシアの考えだ」
「あちらにとっては呪師も魔術師も魔法使い、でしょうからね」
 もっともだ、とカレンは大きく笑う。魔術師、それもカレンほどの魔術師が明るく朗らかでいる、それを見た街の人々がほっとした顔をしていた。そんな彼らにカレンは気安く手まで振ってやっていた。意外と芝居気のある彼女にエイメは唇で笑う。片目をつぶられてしまったが。
「魔術師、いないんですね」
 ぽん、と放り投げられたニトロの言葉はさすがのカレンにも汲み取りがたい。が、一呼吸おいて理解が及ぶ。
「あぁ、宮廷魔導師団再配備、なんてことにはなってないみたいだな」
 星花宮が消え、ラクルーサは魔術師を失った。自ら放逐した。すでに人間の換算では相当な年月を経ているが、いまだ宮廷魔導師団は存在しない。
「アイラから聞いたのだけれど。まったくいないわけではないみたいよ?」
「そうなのか?」
「えぇ。ミルテシアとの色々もあるじゃない? だから最低限、お城の守備ができる程度は、いるみたい。むしろ、捕まっちゃったって感じみたいだけど。時々逃げて来るのがいるわ」
「なるほど。私が知らないってことは」
「技術的にはその程度ってことね。もちろん、自分の意志で仕えてるのもいるみたいよ。それはそれで本人の選択ですもの、どうでもいいわ」
「つまり?」
「そちらも技術的には見るべきものがあるとは聞いていないわね」
 それも当然の話だった。かつては魔術の華ひらくラクルーサ、と謳われた。現在魔術の華が咲いているのは連盟だった。星花宮の当時より、更に魔道は進んでいる。カレンが胸を張ってその師に自分は彼を越えた、と言えるほどに。その知識を持たないラクルーサの魔術師が連盟のそれには匹敵すらできないだろう。
「だったら、鳥でも飛ばしますか。偵察」
 ひと段落するのを待ち、ニトロが言う。少しずつニトロの存在が消えていくような嫌な感覚をカレンは自らの笑い声で跳ね飛ばそうとでもするよう。
「ぼんやりしてんじゃねぇぞ、次男坊。お母さん、とっくにやってたぜ?」
「そうでしたか。気がつかなかったな。ちょっと忙しすぎた」
「おう、殊勝なもんだ。いい子にはいい話を聞かせてあげよう」
 子供にするよう頭を撫でてもニトロは顔色を変えもしない。こうなれば根競べだ、とカレンは思う。いつもどおりを演じ続ければいずれ本物になる。にやりと笑ってカレンは言葉を続けた。
「アイラが報告してくれた数はこっちでも裏を取ってる。さすがに途中で迂回されました、適当なところで襲撃されました、予想外に被害が出ました、は避けたいからよ」
「ですね。それはまずいでしょう」
「だろ? 島に上陸したところも確認してる。幸い、セヴィルは鉱山関係の魔法具があるしな、魔力の滞留があるおかげで偵察もやりやすい」
「カレン様、それって見つかってないのよね? だったら」
「おうさ。船に魔術師は同乗してねぇわ。幸いだったな。同類が乗ってると、船から魔法飛ばされてやりにくいと思ってたからよ」
 ラクルーサ上陸時に船上から弓で攻撃される程度は織り込み済みだが、遠距離魔法を撃たれるとなればまた別の防護策が必要だった。今回はそれを想定しないでいいぶん楽ができる。
「あぁ、ちょうどいいな。ニトロ、自宅の片づけして来い。お前、あれから帰ってねぇんだろうが?」
 誰もが言えなかったことをあっさりカレンは言った。少し時間がある、だから一旦自宅に戻れとカレンは。ニトロはどうするのだろう、本部に近づきつつある中、エイメは不安になる。
「そうですね。散らかりっぱなしだ。片づけてから戻ります」
 そう、片手を上げ、即座に跳んだ。ただ、それだけ。二人の溜息が重なる。多忙を理由に戻らなかったニトロの気持ち。帰したがったカレンの気持ち。どちらもが宙に消えた。
 そんなことは露知らず、ニトロは自宅の中に転移する。たかが十五日。何も変わっていない。少々埃の臭いがする程度。ぐるりと見回す。
「帰ってくる気がしない」
 このあと。これから先。イーサウは、自分の住処なのだろうか、今後も。わからないことにニトロはゆっくりと首を振る。
 その眼差しが捉えたもの。玄関先に落ちていた衣服の塊。キアランの物だった。襲撃され、止むを得ず狼に変じて逃げたのだろう時の。拾い上げ、なんとなく胸に抱いた。ぬくもりがあるわけでもない、ただの布の塊を。
「あぁ……」
 あれほど急に逃亡したキアランだった。シアンの遺骨など抱える暇があったとは思えない。案の定、小箱はそのままになっていた。シアンが気に入っていたあの万華鏡と共に。
「悪かったな、寂しかっただろ」
 小箱に手を置く自分の声が遠かった。シアンは何を言うだろう。ニトロは知っているつもりだった。父さまを助けて。きっと彼は。
 心のシアンにすら返答できないニトロの目。床の上に落ちた一枚の紙片。拾い上げれば走り書き。
「僕は大丈夫、か……」
 狼になる直前に書いたものなのだろう。急ぎ過ぎて乱れた筆跡だった。ニトロは黙って懐にしまう。小箱に万華鏡を納め、それだけを持ちニトロは本部へ。片づけに戻った、と言えるほどの時間を経てはいなかった。




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