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戦時特別法は即時可決された。十人委員会を基本とし、各種専門家が戦時顧問として選出される。自衛軍指揮官、幸運の黒猫隊隊長アイラ。魔術師からは十人委員会のエイメの他、カレンとニトロ。そしてマーテルが。 そして議長に半年と限った全権が与えられる。戦争の継続、あるいは降伏も議長の一存となった。議会制を採る連盟は、確かに住人の意志が反映されやすい。が、戦時に時間をかけては敗北は必至。それが連盟の意志だった。 「議員各位は出身都市にお戻りになり、兵の徴集をお願いします。顧問団は昼食を挟み、会議を行いますのでお集まりを。総会は閉会とします。御異存は」 なし。勢いのある議員たちの声。セヴィルへの反感を口にするもの、戦争への不安を漏らすもの、様々だった。それでも意志は統一された。これからイーサウ自由都市連盟は戦争に突入する。 「ニトロ師。どうか、ご自重を。ヒースリップ氏一人の命では、済まないところまで来てしまいました。この罪は、私に。すべてが終わったあと、復讐をお望みならば私の生命を差し上げます。いまはどうか、連盟のすべての生命をお守りください」 サマルガードの真っ直ぐな言葉に息を飲んだ議員たち。硬直する住人代表たち。ニトロは淡々と議長を見やる。普段ならば浮かぶはずの薄い笑み。欠片もない。 「了承した。――これは、あなたの罪ではない。キアランから目を離した私の愚かさが招いたこと。ただ、それだけです」 言い捨ててニトロは立ち上がる。昼食を取るならば、早い方がいいだろう。仕事はいくらでもある。肩の痛みが薄れつつあった。キアランが魔法の効果域から出つつあるのか、それとも違うのか。ニトロに区別はつけられない。 「ドルシア」 カレンが呪師ドルシアに声をかける。本人としては連盟の一員、という意識はあまりないだろう。その状態でこんなことになってしまった。戸惑う彼女にカレンが声をかける。 「万が一ということもある。あんたとお嬢さんがたは私の保護下に入ってくれ」 「――ありがたい」 住人達は何を言われているか理解したことだろう。そんなことはしない、断言したそうな顔をするものも確かにいた。が、カレンは気に留めない。たった一瞬の風聞に彼らは乗せられてしまった。次がないとは言い切れない。 「行くぞ、ニトロ」 うなずいてカレンに従う。軽い足取りのエイメが同行した。カレンと並ぶエイメの後ろ姿。ドルシアを案じつつ笑顔の二人。ニトロは何気なく見ていた。住人達の横を通るとき、彼らは何かを言いかけた。 「あ――」 ニトロは気づいていないのか、それとも無視をしたのか。ただ足取り乱れることなく議場を出て行った。住人の伸ばした手だけが宙をさまよう。 議事堂は混乱している。突然にもたらされた戦争の報。立ち騒いでいて当然だった。魔術師たちは足早に移動し、議場を出て行く。魔導師会本部に戻っても、混乱していた。混乱、というよりは興奮、だろうか。こんなときでも魔術師はどちらかと言えば好奇心を満たしたがる傾向が強い。カレンの部屋の近くまで来るとさすがに静かだったが。 一旦ドルシアを別室に置く。そちらに娘たちを呼び寄せ、カレンが信頼する魔術師を護衛につけた。そしてカレンの部屋にはすでにマーテルとデニスが待っていた。 「ニトロ……!」 デニスの歪んだ顔。また泣いていたのかと思う。シアンの時と今回と、デニスはずっと泣いている。 「おう」 軽く片手を上げただけのニトロにデニスはかっとした。あれほど仲良く、ニトロとしては奇跡的に仲良くやっていたキアランが、こんなことになったというのに彼は。 「デニス君」 そっとその腕を掴んだのはエイメ。笑顔のまま黙って首を振っていた。戸惑って師を見る。カレンもまた同じことを。気づかずニトロは前を見ている。 「師匠。水盤、お借りしていいですか」 かまわない、と返答するカレンと、いつになく丁重なニトロ。正直に言ってデニスには気味の悪い光景だった。傍若無人を着て歩いているようなニトロが。 ――ニトロ君ね、自分でも気づけないくらい、たぶんきっと、怒ってるの。だからね、いまはそっとしておいてあげて。 デニスの精神に接触してきたのはエイメだった。淡々とした無表情のニトロなど見たためしがない。迷うデニスは、けれどエイメの忠告を受け入れる。自分には理解ができない。怒っているのならば声を張り上げ怒ればいい。が、それは自分の考えであって、兄弟弟子と雖もニトロは違うのかもしれない。 ――ちったぁ大人になったか? 長男坊よ。 かすかに笑ったようなカレンの声にデニスは顔を顰める。いつまでも子供扱いはやめてほしい。そんな素振りでありながら、事実は違った。カレンの精神の中、懸念と不安を読み取っていた。魔力の劣る自分にすら読み取れるほど強い不安、あるいは読み取られてしまった師の緩み。それが怖かった。 ニトロはそこに誰かがいる、と認識しているのかどうか。師の水盤に向かい、詠唱をする。ただの水盤ではなく、魔法具化されているこれならば、と思ったけれどやはり無駄だった。 「だめですね。キアランはそもそも異種族だっていうだけで、魔術師でもなんでもない。多少魔力はあるような気がしますけど、その程度でしょう」 「掴みきれねぇか?」 「はい。足取りを追うのは難しい。自宅に戻って痕跡を探しても……さすがに無理でしょうね」 肩をすくめたニトロの手。震えてもいなかった。デニスはいまニトロがどんな気持ちでいるのかが、わからない。わからないなりに、案じたいとは思う。放っておいて欲しいのかもしれなかったけれど。どうしたらよりニトロのためになるのか、いまだにわからない自分と恥じつつ。 「師匠も会議の連続で腹減ったでしょ? デニスさんが飯の用意してくれてたんですよ。食います?」 「ちょっとマーテル? もうちょっと他に言いようはないの、こんな淑女を捉まえて」 「俺の知ってる淑女は痴話喧嘩で魔法戦をやらかしたりしないもんなんです」 「やってないわよ!」 「あー、マーテル? 痴話喧嘩って」 「カレン師と喧嘩してたじゃないですか。あのときですよ」 「それは痴話喧嘩って言わねぇだろうが!?」 いつもどおりの、いつもとよく似た会話。カレンとエイメと。誰かが二人の仲の良さをからかって、それに反発しつつ満更でもなさそうな二人。ニトロの周囲だけ、ぽっかりと空気がなくなったかのよう。 「ニトロ。食うだろ? お茶淹れてよ。お前のほうが上手じゃん」 「茶? あぁ、わかった」 何気なく、声をかけられただろうか。案ずるデニスの眼差しをニトロは無視した。否、気づいていないのだとデニスは思い知る。言われた通り茶を淹れて全員に配る。差し出された食事を当たり前に食べる。けれどそれだけだった。 「さて、と。作戦会議と行くかね」 カレンとてそんなことはわかっている。目で見るよりはっきりとニトロの異変を感じている。それでもいまは放っておいてやるしかできない。ニトロがそれを望んでいる。誰の手も望まず、一人で立つことを。 「あら、いいのかしら?」 「別にいいんじゃねぇか? 何も全部決めちまおうってわけでもねぇや。こっちのできることは何か、詰めておくだけだぜ」 片目をつぶったカレンにエイメは微笑む。マーテルとデニスはぎこちなく笑う。部屋の温度がいつもより低いような、不安感。ニトロがそこにいる。 「とりあえず、私は――」 「カレン様はだめよ? あなたが出たりしたら人間の戦争じゃなくなっちゃうもの」 「それで済めばよくないか?」 「冷静になってちょうだい。それで魔術師忌避がはじまったらどうするの?」 かつてラクルーサに星花宮が存在したころ。よく言われていたものだった。四魔導師が一人でも戦場に立てばそれで戦いは終結を見る、と。いまのカレンはそれに匹敵する。顔を顰めたエイメにカレンは肩をすくめた。 「黒猫は同行するんですか?」 マーテルの実際的な問いにエイメがうなずく。マーテルはいまでも黒猫隊に籍がある。彼らと連携するのも可能だろう。 「だったら俺はそっちですかね。連絡役がいるでしょ?」 「そうね。顧問団との連絡役はデニス君に頼んでいいかしら?」 「僕で、いいんですか?」 デニスは戦場に立つことは難しい。何より性格がそちら向きではない。そしてデニスはアイフェイオンの魔術師であるけれど、汎用型魔術師だ。自らの身を守れるほど、物理攻撃力がない。後詰にまわるつもりであったデニスとしてはありがたい提案ではあった。 「私は前線に行くことになると思うの。本隊に私がいて、黒猫にマーテルがいる。カレン様は議会に腰を据えていただいて。ほら、あなたしか頼めないじゃない?」 悪戯っぽいエイメの微笑。お前しかいないのだから仕方ない、そんなことを言われてもデニスには嬉しい言葉だった。それでも頼りにしてくれている、そう感じる。 「お前はどうするよ?」 避けていた問いをカレンがした、言葉を挟まず聞いていたニトロに。軽く首をかしげ、ニトロは答える。 「自重してくれって議長が仰ってたでしょう。つまりそれは戦場に立て、という要請だと思っていましたが」 「私もそう思うよ。その上でお前は、どうしたい」 「了承しましたから。それだけですね」 肩をすくめた。それでも久しぶりにニトロの感情表現を見た、そんな気がしてしまうほど淡々とした彼だった。そこにいる、という存在感すら希薄になりつつあるようで、カレンにはそちらの方がずっと恐ろしいというのに。 「ま、それならそれでいい。無様をさらすような真似はすんなよ?」 こつん、と普段のように額を小突いた。ニトロからの返答はない。それでもカレンは普段を演ずる。エイメも、マーテルも。ただ一人、デニスだけがそうはできず、痛ましそうな眼差しをニトロに。 「どうかしたか、デニス?」 不思議そうなニトロの声音に、デニスは撃ち抜かれたかと思った。知らず体が仰け反る。それにもニトロは淡い眼差し。 「……いいや、なんでもないよ。ニトロ、もうちょっとお茶淹れてよ!」 彼は軽く返答をして席を立つ。そっと溜息を抑え込み、デニスは目許を拭う。なぜか涙が出て仕方なかった。その頭の上、ぽん、と乗せられたカレンの手。 |