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ニトロの無表情な目が住人を見ていた。なにも映さない、なにも浮かべない藍色の目が。 「なぜだ。あなたがたは、我々が、あなたがたと同じよう、当たり前の日常を送るのを見ていたはずだ」 今日もそうだった。たった半日にもならない。出がけにニトロを見送るキアランと、そのやり取りを見て笑っていた住人達。 ふわりと霧が触れるような軽い感触の魔法。カレンは静かに顔を顰める。議場で魔法を使うのはとんでもない礼儀知らずの行為だ。が、いまのニトロを咎める気にはどうしてもなれない。いまだ無表情のまま、ニトロは語る。 「あなたがたは、自分の目で見たものより、他人を信じた。議員から、知らされたんだろう?」 水系魔術師を敵にまわすのはやめた方がいい、そう笑っていた人がいる。かつて祖父がその祖父から聞いたのだと笑っていた言葉をサマルガードは思い出す。 「そうだ、議員さんが。あいつは、いや……あの人は、魔物だと」 「当たり前に生きていただけのキアランだった」 「でも、我々の前で狼になった!」 「先に言ってくれていれば我々だって」 「それを言われるのが嫌だから、黙っていた。どうしてだ。キアランはヒトとして生きているだけだった。たかが姿形が変わる程度のことで、どうして人間に自分はこのような存在だ、と許しを請わねばならない。生きることに、どうして許しを請わねばならない。異種族だからか? 私もまた、異種族だ、魔術師という。――あなたがたは、我々の日常を見ていたにもかかわらず……それより同じ人間の風聞を信じた」 そっとニトロが手を上げた。自分の掌を見るニトロの目、なにが映っているのかとカレンは思う。キアランであればいい、そう願う。が、いまのニトロは何を見てもいなかった。 「もし――そうであるのならば、由々しきことですわね」 議場に響く静かな声。セヴィルの男も逃亡を諦め、親セヴィル派に周囲を固められてそこにいる。そこに聞こえたのは壇上のエイメの声だった。 「せめてニトロ師に尋ねていてくれれば、と思います。なぜ、ニトロ師が不在の間に彼らはヒースリップ氏を襲撃したのか」 誰が見ても優しい美女と言うであろうエイメの眼差しに押され、住人たちは一人また一人と視線を伏せて行く。怖かったからだ、とエイメにはわかっている。が、これはカレンが口にしてはならないこと。塔の管理者としての立場がカレンに口を閉ざさせる。ならば、とエイメは言葉を継いだ。 「ニトロ師が魔術師で、彼らが人間であったから。同じ人間からもたらされた情報だったから、ニトロ師より、風聞を信じた。仮にこれが事実であるとするならば……大学再編も考え直さねばなりません」 さっと議長の顔色が変わる。ついで少しずつ議員たちも。エイメが何を言わんとしているのか、わからないはずもない。 「よさないか、エイメ師。仮定で物を言うべきではない」 「いいえ、カレン師。我々は、幼い子供たちを守らねばなりません。魔術師排斥がはじまれば、一番に被害にあうのは子供たちです。我々魔術師は、星花宮の悲劇を忘れてはおりません」 ラクルーサと同じだ、断じられた議員たちが住人同様顔を伏せて行った。恥じている。辱めたいわけではないエイメだった。けれど、いま言わねばならないことだった。カレンの代わりに。カレンこそ、本当は言いたいはずだった。 「――キアランは、生命を脅かされている。あなたがたは、知っていただろうか」 そんなやり取りなどニトロは聞こえていないのかもしれない。わずかに痛む肉体と、心に空いてしまった大きな空洞。ほんの半日にもならない時間が。 「娘の罪を隠したいシオドア・マイナーに、彼は狙われている。あなたがたが、キアランを殺す結果になるのかもしれない」 「し、知らなかったんだ! 知っていたら!」 「見つかったら、そのときには絶対に」 「見つかったら? 次は? 死体を前にしてあなたがたは同じことを言うのか。死体はそれを聞いて慰めれられるのか。――私は、慰められない」 次などないだろう、人の命は一つきり。真っ直ぐと、どこも見ていないニトロの目。痛々しくて見ていられない、カレンは目をそらしたくなる。決してそうはしなかったけれど。いっそ暴走できれば、ニトロも楽になれる。けれど彼はそれもできない。精神力の問題なのか、誇りゆえか。ニトロが暴走したことはいまだ一度もない。 「議長。退席を求めます。よろしいですね」 キアランを捜しに行きたい。いまからでは捜そうにも無理がある。キアランは人狼というだけで、魔術師ではない。相手が魔術師であるのならば距離がある程度開いていたとしても接触ができる。居場所もすぐにわかる。キアランはそうではない。だが虱潰しにしてでも捜すつもりだった。 「待ちたまえ、ニトロ師。退席は認めない。総会はいまだ閉会したわけではないのです」 「――私がそれに従わねばならない理由は」 「あなたが連盟の住人だからです」 「――了承した」 すとん、とニトロが座った。何事もなかったかのように。住人たちが恐る恐るニトロを見ている。怒りを見せないニトロ、というものが気味悪いのだろう。これが言葉にできないニトロの怒りの表現だと彼らは知らない。気づかない。 「議員各位も着席を。住人の方々にも席をお作りして」 顔色の悪い議長の声。住人達はここにいていいのか、戸惑っていた。それも議長に席を作られ、おずおずと座っていく。議員も少し落ち着きを取り戻したらしい。 「続けます。――セヴィルのマイナー氏親子の罪は連盟の法に照らして明らかではあると思います」 淡々とした議長の声、軽く起こる同意の拍手。熱心だったのは住人達。キアランが魔物ではない、ニトロに断言されていまは庇う側にまわりたい一心なのだろう。それならばなぜこうも簡単に踊らされた、カレンは苦々しい。エイメの言う通りだ、彼らは人間だから人間の、同族の言葉をこそ信じた。ニトロに問うことなく激発した、ニトロが魔術師という異種族であるから。 ――間隙、か。 カレンも感じていなくはなかった、人間と魔術師の間に横たわるものに、人間が魔術師を、異種族を遠巻きにしていることに。なのにいまは措くことのできない問題を措かねばならなかった。 「罪は、これに留まらない」 議長の目が真っ直ぐとセヴィル代表を見た。席にはつかず、周囲を固められていた男はきつくサマルガードを睨み返した。 「マイナー氏が、ラクルーサと共謀しているという情報を掴み、我々は内偵を進めていました。――現在、ラクルーサ海軍が連盟に向かって進軍しています。連盟は防衛するか、降伏するか。総会の議題はこちらになります」 悲鳴のような騒めき。住人たちが腰を浮かす。キアランの風聞は、これが目的だったかと。イーサウの人心を騒がせるために。さっとニトロを見る彼らは唖然とする。ニトロは何も聞こえていないのではないか、そんな無表情のまま座っていた。 「セヴィル代表。申し開きはありますか」 切り裂くサマルガードの声。周囲を守っていた議員たちが割れる。反サマルガード派として、セヴィルに与したものの、ラクルーサに連盟を売るつもりなど毛頭ない議員もいた。それでも少数は残る。彼らに守られ、セヴィルの男はまなじりを吊り上げ、議長と議員を睨みまわす。 「申し開きなどする必要を認めない。連盟がセヴィルをないがしろにした罪と思うがいい!」 さっと身を翻したセヴィルの男。追随して背を向ける数人の議員。捕まえようと伸びる腕を振り払い、男は議場から逃げて行く。 「そのまま行かせなさい。かまいません」 「ですが、議長」 「我々がすでに対策を取っている、それを知らせる意味で逃げていただくのはけっこうなことです。不意打ちはさせません」 若手の議長の目にある強い光。騒めく議員が落ち着きを取り戻す。防衛か降伏か、議長は問うたけれど無意味だ。降伏など、あり得ない。 「セヴィル島を敵にまわすとは連盟が金山をひとつ失うことを意味します。経済的に大打撃になりますがよろしいのですね」 「いまここで金山を失おうとも連盟を失うわけにはいきません。連盟が失われるとき、人命が失われるときです」 「ラクルーサ王国に飲み込まれ、我々は生きて行くことができるのか。否!」 「真っ先に狙われるのはイーサウだろう。が、それで済むはずもない。我々が、我々の祖先が切り開いてきたこの土地を失うわけにはいかないのだ」 「議員各位のお言葉に感謝を。いま、多少の感情の行き違いがあるようです、念のため、議長の私から申し添えます。――我々が切り開いてきた土地、守り抜いてきた命。確かにそのとおりでしょう」 立ち上がり、サマルガードはゆっくりと壇上を歩む。大きな身振りをする人ではなかった。どちらかと言えば平時にこそ活躍する、物柔らかな男、と誰もが思っていた。いま、彼の背後に覇気が見える。戦うイーサウの男の姿が。 「ですが、街道を敷設したのは誰か。水道を整備したのは誰か。イーサウには人造湖すらある。連盟の幼子が生水を飲むことができるのは、誰のお蔭か。――言うまでもない、魔術師たちのお蔭です。我々は、我々の利益として、魔術師排斥など決してさせない。ならば、なにをすべきか」 「魔導師会に感謝を」 「住人に教育を」 「だが、魔術師にも歩み寄っていただきたい」 口々の言葉にエイメの眼差しが和らいでいく。感謝されたくてしたことではない。正にサマルガードの言葉と同じだった。魔術師は、魔術師の利益として、連盟に協力し続けてきた。 「色々互いに思うところはあるでしょう。常人の間に魔術師排斥が広がっている、とは私は思いません。今回は不幸な事故、と言っていい」 「カレン師の仰ることはもっともですわ。その事故の大きさを考えなければ」 「事故は事故だ」 カレンとエイメの眼差しが絡みあう。ニトロはただ座したまま。二人とも、ニトロが心配でならなかった。時折、肩先を押さえている。いまだ痛むのだろう。否、痛むことだけが安堵となっている。すぐさまにでも追わせてやりたい。けれど。 「住人の皆さんも、どうぞ軽挙はお慎みくださいませ。ラクルーサがやってきます。ここで種族間の不和など起こしてはならない。そうでしょう?」 優しいエイメの目に見つめられ、首が折れるほどの勢いで住人達はうなずいて行く。基本的に純朴な人たちなのだ、とエイメは思う。恐ろしいから、激発した。間違いと知れば過ちと認め、力になろうとしてくれる。 ――ニトロ君の慰めには、ならないわね。 キアランは無事だろうか。ニトロが肩を押さえているのならば、痛みは続いている。痛みがあるのならば、今現在この瞬間はまだキアランは生きている。 ――逃げ延びて、キアラン君。ニトロ君のために、逃げて。 ふと、ニトロが顔を上げた。エイメの内心の声に反応したのではない。虚空を見つめていた。 「ニトロ?」 気づかわしげなカレンの声音。普段ならば気色が悪いと笑い飛ばすだろうニトロ。いまは。 「狼の、遠吠えが聞こえた。そんな気がしただけです。幻聴ですよ」 静かすぎるニトロの言葉。すべてを切り捨ててしまったのではないか、カレンは案じる。師の眼差しすら切り捨てて、ニトロはただそこにいた。 |