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キアランをどうしようか一瞬迷ったものの、カレンの目に同行させるよう、と読み取り、ニトロは彼を伴い部屋を出て行く。何も知らない娘たちが笑顔で手を振ってくれた。 「で、師匠?」 カレンの自室はいつもながらだった。片づいているのか散らかっているのか、いま一歩判然としない。物が多いせいだろう。あちらこちらに研究中の魔法具がある。 「僕がここにいても?」 ついて来てしまった、と戸惑っているらしいキアランだった。カレンがにやにやしながらニトロを見ている。それをきっぱり無視し、ニトロは言う。 「師匠がついてこさせろって言ったんだ。気にすんな」 「人にせいにするかぁ?」 「言ったなぁ、師匠だろうが!?」 師弟の言い合いにキアランが目を細める。どことない苦笑と、そこはかとない微笑とがない交ぜになったような笑み。ニトロは見なかったふりをした。 「ま、本題に入ろうかね。私も忙しい身の上だ」 先にからかってきたのはどちらだ、とはニトロは言わない。言えば話が面倒になるに決まっている。長年カレンの下にいる経験則、というものだった。 「ちょっと面倒な政治の話なんだがね。ニトロ」 あいよ、と返答をしてニトロは茶を淹れる。話が長くなるらしい。茶を淹れつつ顔を顰めてしまった。政治向きの話は得手ではない。 「まずイーサウ自由都市連盟とは何ぞやって話なんだがね。連盟は、所属都市が一定の自治を保ちつつ、外敵には団結して防衛しようって思想で発生したわけだ」 「共同経済圏でもありますけどね」 「それはまた別の話」 にやりと笑ったカレンの精悍な目。ニトロは自分が緊張しているのか、と気づく。茶々を入れてしまったのはたぶんそのせいだ。 「で、一緒にやるんだったら話し合いがいるよな?」 「それは、わかります」 「うん。その話し合いを議会と言うわけだ。議会には議員が参加する。ま、これもそりゃそうだって話だな。議員は……キアランにわかる話だったらな、島主マイナーと他数名、だいたい五人くらいがセヴィルの代表ってことになるわけよ」 言われてキアランは首をかしげる。セヴィルであるのならばそうなのだろうが、そのような話を聞いた覚えがない。あるいはそれはたとえ話なのだろうか。考え込むキアランにカレンが微笑む。 「知らなかっただろ? 当然だ。通常の議会に議員全員が参加することはまずない。参加してもいいんだけどな。まぁ、面倒だ」 「で、代表者一名が参加するのが普通かな。セヴィルでそれが誰だったのかは俺も知らねぇけど」 「言ってもキアランも知らないと思うから省くぜ。で、だ。ニトロ坊や。十人委員会が総会の招集を決議した」 「はい!?」 知らない単語ばかりが飛び出してくる。キアランはけれど黙って聞いていた。魔術師たちは自分勝手に話をするけれど、いずれこちらが知らないと気づけば解説をしてくれるもの、とすでに知っている。彼の笑みに気づいたニトロがばつが悪そうにそっぽを向いた。 「さっきの話に戻るとな、セヴィルだけで五人いるんだぞ? 連盟加盟都市の議員が全部集まったらどうなるよ?」 「それは……大変な人数になりますね」 「だな。だから何事もないときには一人だけ加わってりゃ問題ない。とりあえず連盟の方針を話し合ったりするだけだからな」 「でも一人でも参加するのはな、結局みんな自分が可愛いからだ。連盟で決めたことが自分とこの都市に不利だったらどうするよ? 話し合いに加わってなかったらあとで文句言っても無駄だろ」 だから一人は議会に参加する、ニトロは言う。キアランにも納得ができる話だった。光景の想像はしにくかったが。 「それでも何十人かにはなるんだ、議会は。これ、話し合いをさっさとしないとならないときには無理があると思うだろ?」 「――たとえば、外敵が襲ってきたけれどどうしよう、みたいなときのことですね?」 そのとおり、カレンは満足そうにうなずいた。この無頼が服を着て歩いているような女は意外なことに教授が好きだと弟子のニトロは知っている。若者を教え導くのが楽しいらしい。思わずにやにやすれば無言の拳が――それも不可視の魔力によるそれが――飛んできた。 「そういう緊急時の決定を委ねられたのが十人委員会だ。これは連盟議長と大陸魔導師会から出てる顧問が一人。それと、別に議会から十人が選ばれる。要は十二人いるわけだな」 「十人委員会がたとえば戦争だとか、大規模な飢饉の救済だとか、そういうものを決定して、布告する。これは議会が覆せない、連盟の決定事項として行うってのが連盟の法なわけよ」 「知りませんでした」 「普通は知らないし、知らなくても問題ねぇんだよ。そんなこたぁ知らなくても生きてける。そういう平和を作ってきたのが、連盟なんだ」 ぶっきらぼうな口調はニトロ同様。カレンの言葉にはニトロ以上の重みがあった、戦乱を知る者としてのそれが。キアランは曖昧にうなずくだけ。それでいいとカレンもうなずく。 「次、総会な? だいたい想像はできるかな?」 「すべての議員が集まる、ということでしょうか」 「素晴らしい。そういうことだ。これ、私も把握してねぇけど、今どれくらいだったかな? 二百人以上三百人未満ってとこかな。けっこうな人数だ。こいつらを前に十人委員会は何を布告するつもりなのか。……私はそれがわからん」 む、と唸ってカレンは腕を組む。十人委員会にはいま、エイメが所属している。彼女はすでに知っている話だ。だからこそ、カレンは十人委員会召集を聞いてからエイメに会っていない。彼女も心得て会いに来ない。それがありがたいと同時に、寂しくもある。そんな思いを振り払い、カレンは真っ直ぐと顔を上げていた。 「まぁ……セヴィル絡みでしょうよ」 「そりゃわかってんだけどな」 「師匠、アイラから報告は? あぁ、やっぱ行ってたか。だったらそっち絡みは?」 ラクルーサ海軍が動く、と言う。いまだどこかに到達した、とは聞いていないが、アイラが掴んだ情報だ、間違っているとは思いにくい。 「それもな、イーサウに来るのか、それともラクルーサ北部でなにかあったのかが不明なんだよ」 「不明なんだったらまずこっちでしょうが?」 「そう決め打ちしていいもんか。……ラクルーサがイーサウと事を構えるって前兆がねぇんだよ」 確かに仲良くやっているわけではないが、かといって戦争状態か、と言えばそのようなこともない。それとなく輸出入がある、というのが二国間の現状だ。それは、ニトロにもわかっている。が、いまラクルーサが動くのならばイーサウ連盟が目的としか思えない。 「で、だ。ニトロ。万が一ってことがある。お前、いま本部と自宅を行き来してんだろ?」 「してますけどね。俺も馬鹿じゃねぇんだ。キアランに襲撃かけられたらすぐわかるようにしてありますよ」 「え……? あなたは……そんなことを……」 「当然だろ?」 何を今更、とニトロは驚いていた。シアンが逝ってしまったからといって、事態が解決したわけでは断じてない。 「マイナーはキアランを諦めないだろうよ。なにしろあんたとドルシアはあの男の罪の生き証人だ。ニトロはちゃんと考えてるさ、その辺はな」 その上で、とカレンは言っている。言いたいことがわかってきたニトロは思わず顔を顰めてしまった。その袖口をキアランが取る。不安そうな眼差しだった。 「あぁ、いや。あんたを守るのに不都合があるとか面倒だとか、そういう話じゃねぇんだよ。また俺に悪評が立つな、と思っただけだ」 「お前、そんなこと気にするタマかよ?」 「反論できねぇけどな、師匠! あんたが言うなよ!」 からりと笑うカレンと一緒になって笑うニトロ。守られている、不甲斐ない、はじめてキアランは思う。こうして人間の姿でいる限り、自分は無力だ。が、狼になればここにはいられなくなる。 「乗り掛かった舟ってやつだな、気にすんな。それにな……師匠の前で言いたかねぇんだが。――あんたとは馬が合うんだよ。そういう貴重な相手をどうこうされたくねぇんだ、俺は」 ふん、とそっぽを向いたニトロ。にまにま笑うカレンは何も言わない。だからこそ、ニトロが言いたくなかったのだとキアランは思う。それ以上にニトロの言葉が嬉しかった。 「ほれ、キアラン。手ぇ貸しな。手首と掌、傷ができて邪魔じゃないのはどっちだ?」 「手首ですね」 「だと思ったぜ。狼になったとき、掌じゃ痛くてかなわねぇもんな」 うんうん、と当たり前にうなずくニトロとカレン。こうして自分が自分であることを当然として受け入れてくれている彼ら。キアランは何を言うこともできずただ頭を下げる。二人して気づかないふりをしていた。 ふっとニトロが何かを呟く。そのときには彼の手の中に青碧の短刀が。出会ったころに見たことがある、キアランは思い出す。 「ちょっと痛いぜ?」 大丈夫だ、とうなずければ捲り上げた袖から覗く手首をニトロは思い切りよく切る。さっと血の筋が走った。じわりとした痺れと熱さ。なにがはじまるのだろうと思っていたキアランは驚く。ニトロもまた、自分の手首に傷をつける。そしてそのまま傷口同士を重ね合わせた。知らず胸が高鳴る。魔法だ、というのは理解している。それでいてこの動悸。キアランは詠唱するニトロをじっと見ていた。 「よし。これであんたが傷を負った瞬間、俺もまた同じ傷を負う、あんたの傷を半分引き受ける形だな。あんたは死なないで済むわけだ」 「ちょっと待ってください! そんな、ニトロ……!」 「ここにゃ神官もごろごろいるんだ。致命傷以外ならすぐ治るわ。問題ねぇよ。あんたを殺られるほうが問題なんだよ、二重にな」 「生き証人は失くす、ニトロ坊やは大事なやつを失くす。な? まぁ、不快だとは思うが守られてやっててくれ」 カレンの言葉にキアランは反発したい。はじめから、言ってほしかった。そうすれば。思ったところで拒む手段がなにもない。いまはただ、守られるしかない自分。 「俺にあんたを守らせろ」 傷口に傷薬を塗りつけながら、ぶっきらぼうなニトロだった。 「……別の機会に僕にあなたを守らせてくれるなら」 「……おう、了解」 にやりと笑ったカレンにニトロは物も言わず魔法を飛ばす。びしょ濡れになったカレンはそれでも大笑いをしていた。 |