夢のあとさき

「ドルシアんとこ行くけど、あんたどうする?」
「ドルシア……ですか?」
「おうよ」
 自宅で朝食を取りながらだった。ニトロは相変わらずのぶっきらぼう。それがキアランは気にならないらしい。おかげですっかり二人暮らしも早、馴染んだ。
 正直に言ってニトロは仕事でもしていないと落ち着かない気分だった。苛立ちと、据わりの悪さと。
 苛立ちの方は単純だ。何も、できない。島主マイナーはシアンが逝ってしまったあの日、イーサウを発った、と後でカレンに聞いた。もしほんの少しでも時間がずれていたならば、シアンはあの男の顔を見ずに済んだ、とついつい考えてしまう。
 シアンのことも後悔の種にはなっている。が、それ以上に島主の娘、エヴリルのこと。恒久的な手段を取りたくとも、すでに議長が知る話となっているだけあって暗躍するわけにもいかない。こんなことならば話すのではなかった、事後承諾にしておくのだったと思っても時すでに遅し。待機状態が続いているだけあって、苛立ってかなわない。
 据わりが悪い原因は、眼前のキアランだ、とニトロは目の端で彼を見やる。嫌ってはいないし、「人間」にしては非常に馴染みやすい相手で、ニトロとしては居心地がいい。それが、だからこそ据わりが悪い。何も拒むようなことではなかったし、気持ちもいいから毎晩キアランが枕になるのが恒例になってしまったのも、なんとなく落ち着かない。
 ――野郎が隣に寝てるんだったらきっぱりお断りできるんだけどな。
 内心で呟いて、ぎょっとした。もしもそれがキアランだったら自分は拒むだろうか。アーロンならば間違いなく寝台から問答無用で放り出す。魔法の一撃くらいは叩き込む。が、キアランならば、どうだろう。
 そうして迷うからこそ、居心地が悪い。腰が据わらない。仕事をするに限る、そう思うのはそのせいだった。
「僕は、かまいませんが。役に立てますか?」
 シアンのことならば気にしないでいい、キアランはそっと微笑んで言う。ニトロ相手に言葉を偽ることをキアランはやめた。ならばそれは本心だろう。最低限、キアランは偽らない、と言ったし、それを信じるくらいは自分にもできる、とニトロは思う。
「書き物したりしてくれると助かる。俺、話しながら書くの苦手なんだよ」
「任せてください」
「おう、頼むわ」
 残りの玉子をかき込んだ。なんとなく、目が合わせづらい。同居になって、毎日デニスに頼るわけにもいかない。結果、ニトロとキアランで家事は交代だ。もっとも、ニトロは元々家事が苦手であったし、キアランは島では屋敷勤めで家事そのものをしたことがない。
 それでもキアランは根が繊細なのだろう。教えればみるみると覚えた。もちろん教えたのはニトロではない。デニスが楽しそうに教えていた。いまの玉子も少々炒め過ぎではあったけれど、ニトロがするほど焦げてはいない。
 朝食を片づけ、ニトロが淹れた茶を飲んでから家を出た。茶を淹れるのだけはニトロがうまい。キアランの好みを探るのが中々に面白くてニトロも色々と試している。人狼のせいだろう、やはり。人間の姿であっても彼の鼻は鋭い。いつもどおりに淹れると香りが強すぎるらしい。それをあれこれいじるのがいまのニトロの楽しみにもなっている。
 ――人生、わかんねぇな。
 同居でいいだろう、そう言ったとき自分は何を言ったか。所詮は研究好きの魔術師だ、自宅にはさほど帰ってこないから気兼ねは要らない。そう告げたはず。なのに暇さえあれば帰ってきている気がしてならない。思い起こせば本部で寝た記憶が最近はない。毎晩温かな枕の誘惑に勝てないでいる。否々、島主が去ったとはいえ、手の者すべてが退去したわけでもない。魔導師会の調査から玄人を雇った可能性は潰れているが、念のための護衛は欠かせない。だから自宅に戻っているはずが、奇妙なほどに日常だ。キアランがいる日常が、なんとも言い難い。快い居心地の悪さ、とでも言うような。
「できるとは思うんだけどなぁ。いまは無理することねぇわな」
「なんです?」
「ん、転移。あんた、精神の接触ができるんだったら魔法寄りだしな。転移しても問題はねぇような気がすんだよ」
「そういうもの、なんですか?」
「おう。楽できるからな。今度時間見て試してみようぜ」
 はい、とキアランが微笑んだ。陰りがないはずはない。いまだシアンを失って時間が経っていると言うほどでもない。それでもキアランは立ち上がろうとしている。不意に思う、強いな、と。ニトロは同時に己の弱さを思った。接触ができると口にしながら自分は、と。首を振って話を切り替える。話題に上げてから往来でするような話ではなかった、と気づいたが。
「あんた、食い物ってどっちが好みなんだ?」
「どっち? あぁ……火が通ったものの方が好きですよ。いまは」
「なるほど?」
 にやりとしてしまった。キアランは他人に聞かれてもいいよう、言葉を選んだ。頭のいい相手と話をしているのは楽しい。キアランも普段の笑い方ではなく、ふっと口許を歪めている。少し楽しそうだった。
「いまじゃないときには、そうじゃないってことだよな?」
「ですね」
「面白いって言ったらあれだけどよ。不思議なもんだな。精神はカタチに左右されるってことなのかな」
「なにか、覚えが?」
「前に話しただろ? 獣への変化の魔法は、人間性を失う結果になるってよ。それだけ、ヒトってのはカタチに考え方やなんかを左右されるもんなんだなって思ってた」
「僕は、僕では……あるんですが。確かに、そうですね。この形ではないときには、別の物が食べたいですし」
「だろ?」
 多少の賭けだ、とキアランは口にした。ニトロは鈍い男ではない。言葉を濁しても自分が食べたいと言ったのが何か、理解しているはず。それでいて、ニトロはそのとおりだとただうなずくだけ。思わず口許が緩んだ。そのキアランの耳元、わずかに屈んだニトロの声。囁くというようなものではなく、単に他人の耳を憚ったかの。
「生肉食おうが、内臓貪ろうがな、あんたはあんたで、人を襲うことはしない。それでいいんじゃね?」
 前を見たままのニトロ。通りを歩く人々は彼が何かを言ったなど、思いもしないだろう。単に体勢を崩した、ただそれだけにしか。キアランはだから彼に倣って前を見る。言葉での返答をせずに。横目で見やったニトロの唇が小さく笑っていた。
 狼の巣にあるニトロの自宅から大陸魔導師会本部があるタウザント街まではけっこうな距離だった。確かに転移ができれば楽だろう、とキアランもうなずきたくなる。
 ドルシア親子はまだ本部にいる。不測の事態が起こるのを恐れているからではあるが、彼女たちはそれなりに楽しくやっているらしい。魔法学院を改編し、タウザント大学設立に当たって呪術科――呪師の魔法を呪術と言うとはドルシアの言だ――を儲けよう、という話も本格化している。
「よう、ドルシア。忙しいか?」
 すでにカレンの部屋ではなく、ドルシアは一室を与えられている。まだ客間なのだけれど、いずれ呪術科ができれば彼女のきちんとした部屋が用意されることだろう。
「それなりに忙しいね。でもあんたを拒むほどではないよ。何か用かい?」
 ちらりと彼女の眼差しがニトロの背後へ。キアランを見てはかすかな目礼。何を言っても無礼になる。詫びる言葉がない。取り返しはつかない。そんな彼女にキアランは静かに微笑み返すだけ。わずかな緊張に二人の娘たちがどぎまぎとしているらしい。
「アイリーン!」
 母の声に慌てて茶を淹れる姉の姿。山の洞穴ではあれほど冷静を保っていた彼女だったが、ようやくあの惨事からは立ち直った、ということなのかもしれない。
「どうぞ。あの、シアンさんのことは……。あたしたちも」
「気にしないでください。ありがとう、あの日、シアンはあなたがたに遊んでもらって、とても楽しそうだった。それで、充分です」
「シアンさん、ちょっと子供っぽいって、思っちゃったの。あたし、そんなこと思わなきゃよかった……」
 姉の後ろで妹が涙ぐんでいる。ニトロは何より愁嘆場が苦手だ。それに気づいたキアランがもう一度気にしないで、と笑った。
「まず仕事の話と行こうぜ。いいか、ドルシア」
 淡々としたニトロの声音に妹が少しばかり嫌な顔をする。それを姉が苦笑してたしなめていた。
「かまわないよ。なんだい」
「俺の研究で見てほしいもんがあってな。大学設立前だってのに、まずいかな?」
「いいんじゃないのかい? 本気でまずかったらカレンさんが止めてくれるだろうし」
「ずいぶん師匠を買ってんな?」
「あれは立派な人だね。尊敬に値する」
 冗談口に真面目に返されてしまってニトロは肩をすくめる。それでいてどことなく誇らしい気持ちにもなるのだから困ったものだった。
 ニトロが持ちかけたのは蛇の沼浄化の研究だった。解毒がいままでの鍵語魔法ではうまく働かない。無理をすればできなくはないが、別の場所にしわ寄せが来ては無意味だ。だからこそ、ずっと研究を続けてきたニトロだった。
「そんでな、この前ちょっと潜ってみたんだがよ。なんか……魔力に似たもんは感じる。むしろ、神殿の気配に近いっつーか」
 呪師としては何か見解がないか。研究の切っ掛けにしたいのだ、とニトロは言った。真っ直ぐな眼差しにドルシアは内心で微笑む。そして山で聞いて育った話がいかに歪んでいたかも知った。昔はそのとおりだったのだろう。けれどいまの魔術師に呪師に対する偏見も隔意もないのだ、とこちらに来てドルシアは理解した。
「それは、あたしの領分かもしれないね」
「呪師のってことか?」
「そもそもあたしらの魔法は大地の魔法さ。要は、あるべきものをあるべきようにする、そういう魔法だ」
 だからこそ、呪詛をかけた状態をあるべきもの、として定義したとき、解呪は術者に多大な苦痛をもたらす。それは世界の再定義に等しい。ドルシアが語る呪術の根幹にニトロは聞きいる。壁際で娘たちも熱心に聞いていた。
「なるほどな。なんかわかってきたかも? 時間できたらでいい。蛇の沼に――」
 同行してほしい、ニトロが言いかけたとき嫌な顔をする。すぐさま理由はわかった。ドルシアの部屋の扉を叩く音。返答するなり顔を見せたのはカレンだった。
「ニトロ。ちょっといいか?」
「ヤだよ! 絶対に面倒事だろうが!?」
「当たり前だろうが? いいから付き合え。お母さんのお手伝いしろって」
 にやにや笑うカレンの目許にだけニトロは緊迫を見る。盛大に文句を垂れるのはおそらくは不安が勝ることになるだろうキアランのため。そんなことをする自分に不思議を覚え、内心で溜息をつけば覚悟が決まった。




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