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キアランが神殿に詣でたい、と言い出した。異存はないニトロは案内を買って出る。そんな自分が少し不思議ではあった。キアランはエイシャ神殿の場所も双子神の神殿の場所も知っている。否、まだ危険はあるからだ、と思いなおした。 「ニトロ。少し、いいですか?」 道々キアランは話し出す。それほど深刻な話題ではないのだろう。ちらりと横目で見やってニトロはうなずく。 不安はあった。平気な顔を他人にはして見せるキアラン。シアンを思ってくれてありがとう、頭を下げて礼まで言うキアラン。家の中ではぼんやりとしていることもまだ多い。どこの誰にであってもそれでいいだろうに、とニトロは思う。無理をして、平気な顔を作るキアランが不安だった。そう感じる己への不思議と共に。 「これからのことなんですが……」 「うん?」 「さすがに、島には戻れませんし。これからどうしようかと」 キアランが何を言っているのか、と思わずまじまじと彼の顔を覗いてしまった。その表情が面白かったのかキアランの口許がほころぶ。ニトロは苦笑して肩をすくめた。 「僕はずっと屋敷勤めでしたし。なにができる、というわけではないので……手に職があればまた違ったのでしょうが」 「そんで? なんかやってみたいとかか?」 「いえ、そうではなく。そもそもどうやって暮らして行こうかと」 その言葉にニトロはぽん、と手を打つ。驚いたキアランが彼を見上げた。金の目が陽の光に輝く。色がまったく違うというのに、煌めき方にシアンを思う。 「全然、考えてなかったわ」 「それは、そうでしょう。僕もいい大人ですし」 「そっちじゃねぇよ。なんだろ? あんたが出て行くって考えてなかったわ」 「……はい?」 思ったことを思ったままに口にすればキアランの呆然とした声。ニトロこそ頭を抱えたいというのに。己はいま何を言った、と自分で自分を問い詰めたい。もっとも、アイラにからかわれたような色めいた話では断じてないのだが。 「なんだろうな。あんたがいても別に俺、邪魔だと思ってねぇし。いたいだけいれば?」 「それはご迷惑……ではなさそうですね?」 にやりとしたキアランなど珍しい。同じ表情をニトロは返す。そのとおりだった。迷惑であるのならばはじめから言わない。気づいたキアランに気が楽になる。 ――友人候補、かな? このままもしかしたら友人になれるのかもしれない。思ったときにはもう友人なのかもしれない。ダモンはどうだっただろう。気づいたときには友人だった。もしかしたらキアランも。それを思えばどことなく恥ずかしい。 「ただ僕は本当に何もできませんし。ただ御厄介になるのも、違うでしょう?」 「んー。じゃ、助手やって。ほれ、竜の泉でやってくれてたようなやつ。書き物整理するとか、そういうの」 「そんなことで、いいんですか?」 「いいんじゃね? だいたい俺、普段は本部に詰めてるし」 大陸魔導師会のあるタウザント街に暮らしている、という意味か。問うキアランにニトロは首を振る。小さく笑っていた。 「自宅が二つもあるような魔術師はあんまりいねぇな。自宅がないってのならいるけど」 「それは――」 「ほとんど研究しっぱなしってやつはその口だな。俺も研究はじめると自宅には戻らない日も多いし。気兼ねなくいりゃいいだろ?」 「それであなたがいいのなら。たまには戻って顔でも見せてくれると嬉しいですね」 「ふうん。そういうもん?」 「僕は、ですが。別にあなたに研究を控えろ、という話ではないですよ? たまには食卓を囲みたい、そういう話です」 なるほどね、とニトロはうなずく。キアランに勘所を掴まれている気がした。悪い気分ではない。むしろ、いい気分だった。自分にわからないことをキアランが解説し、補ってくれているかのような。 ――友達ってのは、こういうもんですかね? いまはいないフェリクス・エリナードに心の中、語りかけてみる。どんな関係でもいい。心を傾けられる相手を一人でいいから持て、と助言をくれた魔道の天才。いまだ叶えられない己の不甲斐なさ。キアランに気づかれないよう、そっと溜息をついた。 「おや、どうしました?」 エイシャ神殿にダモンはいなかった。それにキアランは驚いたらしい。が、元々彼は在家神官で、普段は自分の商売をしている。そのあたりをキアランは飲み込んでいなかった様子だった。 「先日のお礼に伺いました。女神様にお祈りをさせていただけませんか」 「もちろんです。こちらにどうぞ」 迎えてくれたのはあの日、解呪に立ち会ってくれた司教だった。気安い人物で、笑顔と共に祭壇の前まで案内してくれる。キアランが膝をつき、シアンを迎えに来てくれた礼を心の中で述べているのがニトロにも窺える。 「最愛のエイシャの顕現を目にされたとか?」 キアランが立ち上がるのを待ち、司教は悪戯っぽくそう言った。それに今更ながらに畏怖の表情を浮かべたキアランと、肩をすくめてうなずいたニトロ。 「俺は直接お目にかかるのははじめてでしたね」 「直接?」 「あぁ、うちの大師匠がお目にかかってるらしい。あのお姿で出てきて、一緒に遊んだって聞いてる。つか、その記憶を俺も見てる」 魔術師が師の名を継承するときの儀式にそういうものがあるのだ、とニトロは言う。以前は師の記憶を見るのが精一杯だったが、カレンの苦闘の結果、いまでは一門の魔術師たちが本の形で記憶を残せるようになっている。それを見せてもらったのだ、とニトロは言った。 「可愛らしいお姿だったでしょう? 誰もが愛さずにいられない、最愛のエイシャはそういうお方ですよ」 「本当に。息子も……」 「痛ましいことでした。が、いまは我らが女神の下、楽しく遊んでいてほしいと私も願っています」 無言で頭を下げるキアラン。顔を上げたとき、眼差しは神像へと。あの少女とは似ても似つかない大人の美しい女の姿。けれどキアランはその向こうに少女を見るのかもしれない。 「これは俺から。大師匠の縁で」 司教に奉納品、として夏霜草の銀細工をニトロが差し出す。司教は笑って受け取り、一度額にと差し上げた。そしてまるで女神に語りかけるよう、祭壇へと。その後ろ姿に一礼し、二人はエイシャ神殿を後にする。 「あなたにとって神々の御姿は珍しくない?」 ダモンにも礼を言いたいと言うから双子神殿の前にそちらに向かう。いまならば香油の店にいるだろう。そのニトロに不思議そうなキアランだった。 「そんなはずあるか。俺ははじめてだったって」 「魔術師なら、そういうこともあるのかと」 「いやいや。大師匠がやたらとエイシャ女神に気に入られたってだけみたいだぜ? 別に信徒でもなんでもなかったらしいんだけどな」 「不思議なものですね……世界には、僕の知らないこと、たくさんの誰も知らないこと。不思議が満ちている、そう思います」 「まったくだ。俺なんかが生きてける隙間だってあるからな」 肩をすくめたニトロの肩先、軽い衝撃を感じて見やればキアランの拳。思わず目を瞬いてしまった、あまりにも珍しくて。 「そういう言い分は、あまりにも寂しいと僕は思いますよ」 「寂しい?」 「僕の勝手な感想ですが。何がどうとは聞かないでください。僕にだってわからない。ただ」 ニトロの言葉に寂しさを感じた、キアランは言う。キアランにわからないことを理解できるニトロではなかった。首をかしげるものの、どことなく胸が温まるのを覚えないでもない。ニトロの苦笑に目を留めたキアランの微笑。 ダモンは店にいた。わざわざ礼を言いに来ることはなかったのに、そう言いつつ顔を見せてくれたのは嬉しい、とキアランに言う。 「あなたに一番にお礼を言うべきでした。ありがとうございます」 シアンの魂を繋ぎ留めてくれたダモンだから。キアランの言葉にダモンが顔を顰めた。なにもそれを知らせなくともいいだろうに、とニトロは責められたらしい。意に介しもせず、ニトロは手近にあった紙片に素早く書きつける。それでいて、悪戯書きでもしているかのようだった。 ――具合、悪いか? ただその一言だけを。ダモンが読み取ったと見るなりすぐさま塗りつぶす。キアランがその文字を見ることはなかった。ダモンは目で笑っただけ。大丈夫だ、と言っているのは伝わった。 が、大丈夫なのであったとしても、体調が優れないのもまた、伝わる。シアンの魂を繋いだことがダモンの心身を損ねているらしい。 ――僕の望みだ。 ダモンもまた、書きつけてくる。不便だな、ふと思った。ダモンに魔力があればこんな手間をかける必要はないのに、と。ない物ねだりをしても仕方ない。できることがあるのならばダモンは手伝えと言ってくれるだろう。それを信じてニトロはうなずく。隣でキアランがくしゃみをしていた。 「あぁ、キアランにはこの店、つらいでしょう。けっこう香りが強いからね。ほら、外行って、外。また今度遊びに行くよ。キアランはどこに?」 「俺んち」 「このまま厄介になることになりました」 「……ふうん、そぉ?」 「アイラみたいな真似してんじゃねぇわ!?」 ニトロが声を荒らげ、くしゃみをしながらキアランが笑う。ダモンは安堵していた。キアランが無理をしながらでも立っている。シアンのためにしたことではあった。あのように歪められた子供を救いたい、あるいはそれは自分の望みでもあった。そして結果として、キアランもまた少し、救われている。しばらくは体調が優れないだろうけれど、なんの後悔もなかった。すべてはエイシャのお導き。ダモンは心の奥で祈りを捧げた。 「……なんだか、出会った人すべてが僕を励ましてくれている気がします」 「それ、負担だったら言えよ?」 すぐさまだった。ニトロの鋭い声。店を出て歩きながら傍らのニトロを見上げれば、声同様の鋭い眼差し。 「……えぇ、そのときには」 「励まされんの、めんどくせぇ時だってあるだろ。ほっといてくれって言いたい時だってあるだろ? 言えなかったら、俺に言え。対応はする」 人の心がわからない、とぶっきらぼうに言い放つニトロなのに。キアランの口許に浮かんだ笑みにニトロがそっぽを向いていた。 |