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なんとも言い難い顔をしたニトロがカレンの自宅を訪れた。普段ならば用事があれば接触で済ませてしまういい加減な師弟だ、こうしてわざわざ訪れることが尋常ではない。が、カレンはにやりと笑っただけだった。 「どうしたよ?」 「追いだされたんですよ」 苦笑して肩をすくめたニトロだった。大方あれが原因か、とカレンは見当がつく。今度微妙な顔になるのはカレンの方。居合わせたエイメがくすくすと笑った。 「デニスだろ?」 「ですね。邪魔だからどっか行ってろって言われましたよ」 「まぁなぁ。あいつもシアンを可愛がってたからなぁ」 ニトロが留守の間、シアンとキアランの傍らにいたのはデニスだ。何くれとなく面倒を見ていたシアンが、彼の知らないところで旅立ってしまった。それがデニスには衝撃だったらしい。キアランに知られることを恐れてデニスにも黙っていたニトロとしてはおとなしく兄弟子の言うことを聞くくらいしかない。 「デニスの感情過多とお前の薄さを足して二で割りゃちょうどいいんだろうがな。それをすりゃ、二人共のいいところが台無しだろうしよ」 「俺にいいところなんかありますかね」 おや、とカレンは内心で首をかしげる。ニトロはあまり自嘲的な物言いをしない男だった。他人の感情などわかるものかと傲岸に言い放つ男が。 「あるんじゃねぇの? お前にはダモンって友達がいるんだからよ」 友人がいるのならばいいところの一つや二つあるだろう、カレンの投げやりな言葉。呆れたエイメが肩をすくめるけれどニトロはそれにほっとしていた。 「そうだ、ニトロ君。ちょっと毒見をしてくれないかしら?」 ぽん、とエイメが手を叩いて立ち上がる。なんだ、と首をかしげている間にまだ焼き立てなのだろう菓子を持って彼女は戻った。 「出来たてなの。チーズのスフレ。おいしかったらカレン様に食べていただきたくって。あなた、毒見をして頂戴な」 「それを師匠本人の前で言う意味ってなんです?」 「言葉に意味を求めちゃいけないわ」 「魔術師がそれ言っちゃだめでしょうが!?」 嫣然と微笑むエイメにニトロは声を荒らげ、けれど笑っていた。デニスに言われたことが響いていなかったわけではないのだ、と不意に気づく。どんなに哀しいか、お前にはわからない。デニスはそう言った。普段の彼ならば、長い付き合いだ、そのような物言いでニトロを責めることをしない。無意味だと彼もまた知っている。それでも口をついてしまった言葉。ニトロが黙って退散したのはそのせいかもしれない。 キアランは、普段通りにしているつもりだろう。膝の上、息子の骨の入った小箱を置いて、じっとしていることはあっても。微笑んで、食事をして、普通に話もする。それが痛々しい。ニトロですら、そう思う。 いまデニスはそんなキアランの側にあってなにを話しているのだろうと思う。キアランを元気づけようとしているのか、自分も寂しいと言っているのか。ニトロにはわからない。 「あ……うまいな、これ。すっげぇ軽い」 「でしょ?」 「ふわふわですよ。――シアンに」 「そうね、シアン君に食べてほしかったなって、私も思うわ。きっとあの子、気に入ってくれたんじゃないかしら」 「デニスの飯食って、嬉しそうでしたよ」 「それまでは、食えなかったんだろ? 私も何度か見ちゃいたけどよ。よくキアランが気づかなかったもんだわ」 「あいつ、もし生きてたら魔術師になってたかもとか、思いません? もしかしたら魔力持ちだったのかもしれないと、俺は思ってんですがね」 カレンにニトロは首をかしげて見せる。師の見解はどうだったのだろう。カレンは無言のままにやりとしただけだった。とっくに師はそう感じていたのかとニトロは息をつく。 「キアランはともかくデニス坊やが気づかなかったってのはどうかと思うがな」 「あいつは真っ直ぐと物を見る癖がついてんでしょうよ。俺みたいに斜めに見ることをしねぇんだ」 「最初から疑ってたんだろ、お前」 「違和感しかなかったですからね。あぁ、これが話に聞いてたタイラント師のドラゴンかって思いましたもん」 「シェリ、か……」 カレンも実際に目にしたことはない、と言う。アリルカ戦争当時のことだ。暗殺されたタイラント・カルミナムンディは最後の力を振り絞り、その魂でもって伴侶に己の欠片を残した。それがシェリと名付けられた真珠色の小さな竜。 「そんだけ、父親の側にいたかったんだろうな」 エイメがそっと微笑んでカレンを見ていた。シアンを思うとき、カレンは何を考えるのだろう。エイメはそんな彼女をどんな思いで見ているのだろう。ニトロは内心で溜息をつく。今更ながらわからないことだらけだった。 「キアラン、ドルシアを責める気はねぇのか?」 すでに本部に彼女たちは戻っている。あちらで護衛がついていることだろう。カレンもドルシアに張り付いていては仕事にならない。それでも預かった者の責任として、カレンの目は鋭く弟子を見る。ニトロは苦笑して白金の髪をかき上げた。 「ないみたいですよ。責めるなって言ったなぁ、俺ですがね」 「ほう?」 「黙ってた俺なら責めていいって言ってんのに、それをする気もねぇと来た」 責めてくれた方がいいような気がニトロはしている。当然にして責められて気分がいいはずはないが、そうすることでキアランの気が楽になるならば、そんな気がしなくもない。 「あいつ……責めを負うべき人間は他にいるって」 「島主親子だろ? 私もそう思うがな」 「そんなもんですか? いや、俺だってね、エヴリルはぶっ潰そうと思ってますよ。あの女が生きてる限り次のシアンが生まれる。だからなんとかしようと思っちゃいます」 「ニトロ君は責任を取らせるって考え方がわからない?」 「ですね。責任ってなんです? どう責任を取ったら綺麗さっぱり片がつくんです?」 「あのな、ニトロよ」 ふう、とカレンが長く息を吐く。どう言ったものか、と考えているのだろう。久しぶりにそんな師の顔を見た。 「片なんかな、つかねぇの。つかないもんを、ついたふりしてやってくんだよ。これで決着したって顔して、終わったことにすんだ。それだけだ」 「あぁ……なるほど?」 「お前だけじゃねぇよ。こんなの納得できねぇよ、私だってな。そうだな、お前に実感のある話だったらな、ネイトが殺されて、闇の手が壊滅して。お前、すっきりしたか?」 すっとニトロの顔色が変わる。ぽん、とエイメの手がカレンの背を叩いていた。あまりにも率直すぎると。案じるエイメの眼差しにニトロは首を振る。大丈夫だと言ったつもりだった。 「それがな、決着したことにして、次に進むってことだ。なんとなく、わかるか?」 「そういうもんなんだってことは、わかります」 「それでいい。昔も言っただろ? お前が学ぶべきは人付き合いの方法だ。あのな、ニトロ。お前、生真面目すぎんだよ」 「はぁあ?」 あまりにもとんでもない言葉を聞かされたニトロの頓狂な声。エイメが大丈夫そうね、と小さく笑った。 「だいたいのやつがな、お前みたいに真剣に人付き合いとは何ぞや、なんて考えねぇわ。他人の感情なんかお前だけじゃねぇよ、誰にもわかんねぇの。わかったふりするからややこしいことになるのが社会ってもんだぜ? 気楽に行けよ、気楽に」 ひらひらと手を振るカレンにニトロは虚脱する。生真面目だなどと感じたことは微塵もないが、カレンが思い詰めるな、と助言してくれたことは理解した。思わず口許にそっと笑みが浮かんで消える。 「まぁ、それはそれとして? とりあえずあの女、なんとかしたいんですけど。キアランがどうのじゃなくって、俺が不愉快なんで」 他人の思惑など知ったことではない、と言ったつもりがなぜかカレンがにやにやとする。キアランを気遣ってでもいるように解釈された気がした。 「キアラン君とあなた、相性がいいのかもしれないわね。ダモン君以来じゃない? あなたがそんなに一生懸命になってるのって」 「俺が必死になってたのは――」 「シアン君だけじゃないでしょ。シアン君を亡くしたキアラン君にも寄り添いたいってあなたを見てると私はそう見えるの」 違っていたらごめんなさいね、エイメはふふふ、と微笑む。ニトロは反論をせず肩をすくめた。いまなにかを言えばこてんぱんに師に遊ばれる予感。カレンがここぞとばかりににやにやしているのだから。 「まずはあの女ですよ、そっちが先! 師匠、なんか聞いてません?」 「んー。議長が動いてんのは、わかってんだけどな。なんか不穏なんだよな……」 「そっか……。ねぇ、師匠ー。あの女、ぶち殺してきていいー?」 「そうだなぁ。シアン連れて帰ってくる前だったらなぁんにも見なかったことにして見逃してやったけどなぁ。いまはダメ」 ちょん、と鼻を指で弾かれた。呆れたエイメの嘆きの溜息。確かに他人に聞かせられる会話ではないな、とニトロは笑う。 「あの女だけだったら闇から闇にさようならすりゃ解決すんだけどよ。議長がなぁ。なんか動いてんだよなぁ、あの男」 「それがわかればもう少しすっきりするのかしら、カレン様?」 「あー、エイメ。お前はだめだからな? 顧問の立場利用してなんかやらかそうと思ってんだろうけど、絶対にだめだからな?」 「もう、心配性ね、カレン様ったら」 そっと肩先に手を当ててカレンの顔を覗き込むエイメ。満更でもなさそうなカレン。ニトロは身を乗り出して二人を交互に見つめた。 「俺、邪魔ですかね?」 ぷ、とカレンが吹き出す。拗ねているとでも思ったらしい。大いなる勘違いだ。ただの冗談なのだが。エイメときたらさすがカレンの親友、たいしたものだ。胸を張って言い放つ。 「そうね、ちょっと邪魔かしら。ニトロ君、帰ってちょうだい。あぁ、さっきのスフレ。お土産に持っていっていいわよ。冷めてもおいしいと思うの。そっちの感想も聞かせてちょうだいな。じゃ、ニトロ君。またね」 本気で追い返された。手早く菓子を包まれて、エイメが押しつけてくる。唖然としているうちに笑えてきたニトロにエイメがほっとしているなど彼は知らない。助かった、接触してきたカレンからの感謝にエイメは片目をつぶっていた。 |