夢のあとさき

 自宅に戻ったら真っ赤に泣き腫らしたデニスをキアランが慰めていた。
 ――逆だろ。
 思ったニトロはけれど言わなかった。言えばデニスになじられる。どうしたものかと所在なさげな彼にキアランがそっと微笑む。嫌になるほどシアンと似た笑顔だった。
「大丈夫です、僕なら。だからそんなに嘆かないでください、ね?」
 うんうん、とうなずきながらまだ泣いているデニスだった。シアンをそこまで思ってくれたか、と思えばいかなニトロと雖もやはり、胸に迫るものはある。
「……その、言わなくって、悪かったな」
 ぼそりとした言葉に返答は返ってこない。が、静かに立ち上がったデニスが腹立ちまぎれの八つ当たり、ニトロの横腹を殴って帰っていく。
「大丈夫ですか、ニトロ?」
「ん? 別に? あいつに怒られるのは慣れてる」
 長い溜息をついた。デニスがこちらに苛立っているのではないことをニトロは知っている。不甲斐ない、そう感じているのだろう。長い付き合いだけあって察するものがあった。苦笑するニトロの視線がふと卓の上に。
「なんだよ、あいつ?」
 甘い菓子が乗っていた。たっぷりのクリームと蜜漬けの果物。さくさくの生地。デニス手製なのは見ればわかる。まめな男だ、と感心してしまった。
「悲しみには甘いものが効くから、と」
 なるほど、納得した。そして土産もようやく理解する。
「そういうことだったか。なるほどなぁ」
「どうしました?」
「エイメさんから土産。茶でも淹れるか」
 ひょい、と渡せば楽しそうに包みを開けるキアラン。嘘だろう、と思う。偽っているつもりは彼にはないのかもしれない。それでも演技はしている。笑えるような気分ではとてもないはずと、ニトロが習い覚えてきた「常識」は語るのだけれど本当のところでどうなのかは、わからない。
 ニトロが茶を淹れて戻ればデニスが作った菓子の横に綺麗に置かれたエイメの菓子。見比べてもデニスは上手だ、と思う。
「見栄えがいいよな、デニスのって」
「おいしかったですよ。料理上手なんですね、彼は」
「エイメさんのもうまかったぜ。感想聞かせてくれってよ」
「では、いただきましょう」
 静かに微笑むキアランだった。シアンとの相似がやりきれない。自分がそう感じているのならば父であった彼はなおのこと。その程度のことはニトロにも理解はできた。
「チーズですか? 菓子になるとは知りませんでした」
「そうか? こっちじゃ結構やるぜ」
「あなたのお茶も、おいしいです。ありがとう、ニトロ」
「あのな、キアランよ」
 長い溜息がカレンに似ている気がした。妙なところが似てしまった、そんな気がする。師弟と言い、親子と戯言を言い合う。眼前には息子を失った父。何を言えばいいのか、ニトロは見失いそうになった。
「無理すんな。他人のことを気遣うな。あんた、そんな気分じゃねぇだろうが?」
「そうでも――」
「デニスなんか邪魔だから帰れって言ってよかったんだ。つか、俺が追い返すべきだったか。ほっといてくれって、なんで言わねぇの?」
 誰かと共にあるほうが痛みが和らぐ、そんな顔をしているのならばニトロも口は出さない。だがデニスが帰り、こうしてキアランは息をついている。そんな自分と見抜かれた苦笑を彼はしていた。
「嬉しいのですよ、僕は。それは、嘘偽りない。シアンをこんなにも思ってくれていた。それが嬉しくないはずはない」
「でも?」
「……だから、拒みにくいじゃないですか」
 ぽつん、とした言葉。やはりデニスが来たときに自分が盾になるべきだった、とニトロは後悔をする。シアンはこんな自分に父を託してさぞかし不安だっただろう。
「デニスがあんなに泣くとは、俺も思ってなかった。俺も……なんつーか、ちょっと嬉しくはある。とは言えな、あんたの邪魔になってるんじゃ意味ねぇだろ?」
 一番に嘆いているのはシアンの父である彼。その嘆きを何人たりとも邪魔してよいはずはない。ニトロはそう思う。人の感情が理解しにくいからこそ、そう願うのかもしれない。
「シアン、可愛かったからな。デニスだって、助けたかっただろうさ」
「あなたが一番、そう願ってくれていたでしょうに」
「俺は……知ってたからな。シアンの願いは叶えてやれるかもしれない。でも、あいつの命は助けられない。知ってた」
 無理矢理にデニスの菓子を口の中に放り込む。甘くて贅沢で、ひどく美味だった。それなのに、ちっともうまくなかった。砂でも噛むよう、とはこんなことなのか。
「ニトロ。あまり、嘆かないでください」
「別に――」
「僕に笑顔を覚えていてほしいと願ったシアンならば、嘆くあなたを見るのはつらいと思うのです」
「俺は関係ねぇだろ? そんなこと言ってたわけでもねぇしな」
 ふい、とそっぽを向いた。言ってほしかったわけではない。ならばなんだと問われてもニトロにはよくわからない。ただ、シアンが哀しかった。そんな彼にキアランの柔らかな笑み。
「言わなかったのは、言っても通じない、と感じていたからでは?」
 ぎょっとしてキアランをじっと見据えていた。凄まじい勢いで突如こちらを振り向いたニトロに、キアランは驚くこともせず泰然としたまま。
「あなたの言葉の端々に、ダモンとの会話の断片に、それを感じました。――僕に笑顔の記憶を、と言った息子は、たぶんきっと、僕からあなたにそれを伝えてほしい、そう願ったのではないかと思うのですよ」
 意味がわからない、そんな仕種なのだろうか。ニトロが首を振っていた。それでいて目だけはまじまじとキアランを見て。シアンに似ているようでさほど似ていない父親の顔。笑みの作り方だけは奇妙に似ていた。
「俺は――」
「人の心がわからない、感情が理解しにくい、あなたはそう言ったでしょう、ニトロ。ならば、側にいる誰かがあなたにわかる形で知らせれば済む、それだけのことでは?」
「あのなぁ……」
 呆れてしまった。短い付き合いと言うのもおろかな相手にそこまで言われてしまった自分の立場はどうなる。が、ニトロがそんな苦情を述べることはなかった。
 ダモンがいる。それがいまはこんなにもありがたい。師は言った、ダモンという友人がいるのならばお前にもいいところの一つくらいはあるのだろうと。いまこうしてキアランが目の前で微笑んでいる。まるで友人と共にあるような快さで。それを上回る居心地のよさで。それを突き詰めたくなくてニトロは肩をすくめた。
「星が、出ていますね」
 ふっとキアランの眼差しが窓の外へと。何事か、と思っているうちにキアランが取り出したものにニトロは小さく笑う。
「覚えていました?」
「おうよ」
「あなたが作ってくれた万華鏡。シアンと一緒に覗いたんですよ」
 二人で語り合う寝台の中、燈火を、窓の外を。息子のきらきらとした眼差しをキアランは思う。握りしめた万華鏡が掌に痛かった。
「あなたがこれをシアンに作ってくれたのは……」
「……まぁな」
「やっぱり、そうでしたか。シアンは、見ることしか、できなかったんですね。触ることも、香りを楽しむことも」
「みたいだな」
「ありがとう、ニトロ」
 伏せていた目を上げたキアランのそれは煌めいていた。涙のそれなのに、綺麗だった。シアンはそんな顔をさせたかっただろうか。嘆きに沈んではいない、それでも。つい、と立ちあがったキアランが窓辺に。万華鏡を目に当てて、星明りと町の灯りと。
「綺麗ですよ、とても」
 震えるでもない声。静かな声音に笑みの破片。ニトロも黙って傍らに立つ。万華鏡を当てたままのキアランの頬、濡れていた。
「シアンのお気に入りだったんですよ、知っていました?」
「そっか。ずっと遊んでくれてたのか」
「えぇ。あなたがいない間、本部の窓からも覗いていました。ここから見えるものとはまた違って綺麗だと、喜んで」
「師匠、なんか見せてくれたか?」
「星明かりのような光や、踊る炎や。それを覗いては顔を輝かせていたシアンの、幸福そうだったこと」
 万華鏡まで濡れて行く。それでもキアランはずっと覗き続けた。筒を回し、きらきら、きらきら。彼が見ている景色は、シアンが見ていたもの。いまはいない息子の影だけが、隣に。
「きっと、神々がいまはシアンと遊んでくださっていますね」
「だといいな、と俺も思う」
「あなたと、ダモンと。他にもたくさんの人々が作ってくれた時間でした。神々から奇跡を賜りました。親子として過ごしたことのなかった僕たちです。短い間ではありました。もっとずっと息子の成長を見てみたかった」
 本心を、はじめてキアランは漏らす。口にすることができなかったのだろう。誰もが共に嘆いてくれているからこそ。ニトロは黙ってそこにいた。
「それは、嘘ではありません。大人になった息子が妻を迎え、孫が生まれる。そんな日を迎えてみたかった。――でも、僕は幸福です。シアンも幸福だったらいいと思います。神々から下された、恩寵だったのだと、思うのです」
 一つの季節にも満たない短い時間。親子として過ごした、たったそれだけの日々。キアランは万華鏡を覗いたまま、小さく笑った。
「どうして僕をシアンは父と慕ってくれたのでしょうね。不思議です」
「さてな。――あんた廃坑道を覗きに行ってたって、言っただろ。シアン、それが嬉しかったんだろ」
「……そう、ですか」
 たったそれだけ。顔を合わせたこともなかった父と息子。たかがそれだけをあれほどまでに喜んだシアン。頬を濡らすキアランの頭、ニトロが乱暴に横から抱えた。
「あんたは、シアンにとっちゃいい親父だったんだ。俺は、そう思う」
 うなずくこともないキアラン。喉に詰まった嗚咽を飲み下す。ニトロは彼の激情が去るまで、ただそうしていた。
「ニトロ。頭を貸してくれませんか」
「うん?」
「枕になりたい気分なんですよ」
 泣き顔を見られたくないのか、うつむいたままキアランはそっと笑う。肩をすくめたニトロを同意と取ったキアランが背を返した。見計らって寝室に行けば、狼が枕になっていた。




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