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翌日の夕暮れだった。エイシャ神殿には鳩を連れたダモンがいる。そこにニトロがキアランを連れてやってきた。 「来ましたね。ようこそ」 微笑むのはエイシャの司教。すでにドルシアは待機している。遅れてカレンと共にアーロンがやってきた。 「師匠?」 「立会人さ。私と司教殿とアーロンが解呪の立会人、ということになる」 「あぁ、なるほど。政治的に?」 「政治的に」 カレンが肩をすくめる。今日は少し顔色がよくない師だとニトロは思う。自分は充分に睡眠がとれたが、そのぶんカレンは働いていたのかもしれない。 「では、はじめましょうか」 司教の言葉にキアランが不安そうに鳩を見つめた。朝からシアンの鳩を連れてダモンは神殿に籠っていた。シアンは疲労が激しく、解呪の失敗に繋がりやすいからその負担を減らすため、と説明されていたのだけれど、どことなく言葉にされていない何かがありそうで、それが心配でもある。 「なんだよ?」 ぶっきらぼうなニトロの口調。ただシアンの鳩を見ていた。キアランはそれでほっと息をつく。ニトロが普段どおりならば、重大な不安を抱く必要はないのだとばかりに。 「ドルシアさん、こちらに」 司教の言葉に従ってドルシアが進み出る。すでにそこは中立の儀式場として設定されている。エイシャの聖域というわけではなく、魔術師の使う魔法陣というわけでもない。呪師ドルシアにとっては使いやすい儀式場だった。 「シアン、おいで」 ドルシアの言葉にキアランがひくりと動く。鳩をシアン、と呼んでほしくないのだろう。が、それももうすぐ終わる。ダモンが鳩を差し出せば、素直に鳩はドルシアの手の中に。眼差しが今度はキアランを呼ぶ。 「行ってきな」 ぽん、とニトロに背中を叩かれた。うなずいて進み出た足が震えていて、キアランは自身で驚く。ずいぶんと緊張しているらしい。 ニトロとカレンはドルシアの詠唱を耳を澄ませて聞いていた。やはり、違う。呪文そのものが違う程度どうと言うことはない。そもそも鍵語魔法の呪文だとて、術者の独自性に委ねられている部分が多い。同じ結果になる魔法の詠唱がまったく違うこともある。 だが根本が違う、とニトロは感じた。魔力の流れが違う。扱い方が違う。魔力そのものは、おそらくは同一のものを扱っている。それにして。 「面白いもんだな。世界の認識方法が違うんだろう」 「あぁ、そういう、ことか……」 「なんか考えてやがるな?」 「ちょっとね。ドルシアに蛇の沼の解毒を手伝ってもらったらどうかと思って」 「そりゃ面白そうだ。片がついたら見せてみろよ」 「うい」 師弟二人で言葉を交わす機会が久しぶりだ、と感じてしまった。ニトロは顔を顰め、カレンは小さく笑う。そう恥ずかしそうにしたものでもない、とカレンは思う。自分などもっとずっと師に頼りきりだった、いまにしてそう思う。 ――ま、若さの気概ってやつかね。私だってそうだった。たぶん師匠だってそうだった。大師匠もだったんだろうなぁ。 懐かしさにカレンの眼差しが和らいでいた。まったく違う魔法がいまここにある。これを師やその師が見たら何を言うだろう。途轍もなく喜んで学ぼうとしたのではないだろうか。 ――私も。 彼らにできなかったことならばこの自分が。内心に決意するカレンの視界の端、ニトロが拳を握りしめてドルシアの魔法を食い入るように見つめている。カレンの唇が笑みに歪んだ。 神官たちは真剣そのものだった。慣れない場で、危険な魔法を操るドルシアを支えるその眼差し。ドルシア一人で充分ではあるのだろう。けれど万が一を慮って神官たちは儀式場を中立に保ち続ける。 ドルシアもまた、真摯に魔法を行使する。自分が行った呪詛の解呪。痛みを伴うものではあった。心理的に、同時に肉体的に。魔術師たちは知らないらしい。だが呪師の行う呪詛とはそういうものだ。 逸早く気づいたのは、ダモンだった。そのダモンの表情とも言えない微妙な動きにニトロが気づく。無言で傍らのアーロンの腕を叩く。 「だめだ。いまは……危ない」 痛みを軽くすることはできないか、あるいは何か他に手段がないか。ニトロの無言の要請をアーロンは退ける。解呪の最も危険な部分に差し掛かっていた。呪師の魔法など見たことがなくとも、魔力ある神官としてそれは感覚的に察知できる。 同時にニトロも感じているはずだった。それにアーロンは小さな笑みを浮かべる。言葉では色々なことを言う。ニトロは逆に言わないことも多々ある。それでも時折こうしてニトロは他者を庇う素振りを見せる。それがアーロンには、嬉しい。 ――君が考えているような男ではないよ、ニトロは。 アーロンの表情に思わず呟いたのはダモン。魔力のない彼の内心の声は誰にも届かない。ニトロはこんなときには他人を慮るべきだという常識に従って動いただけ。それをアーロンは知らない。ニトロもさすがに気づかれたくはないだろう。 が、それにしては不思議なこともある。シアンはニトロの過去の傷に直結しているからなにもおかしなことはない。が、ニトロがキアランに見せる心遣いは彼の行動原理からは外れている。それだけ相性がいい、ということなのかもしれない、ふとダモンはそんなことを感じながら儀式を見ていた。 はじめに動いたのは鳩だった。脂汗に塗れたドルシアがそっと手を離す。飛び立つでもなく鳩は宙に留まったまま。あ、と息を飲んだのはアーロン。声が漏れてしまったのを恥ずかしげにしていた。 それに気づいた様子もなくニトロは魔法を見つめている。藍色の目が真摯に、何一つとして見落とすまいと。ゆっくりと、鳩の形がほどけていくのを見たのも、だからニトロが最初だった。 光に包まれているようだった、鳩は。ぼんやりとした光のようなものが鳩の形を失わせる。咄嗟に鳩に手を差し伸べようとしたキアランもまた、光に。それに驚いたのだろう、彼は立ち止まる。それでいい、とドルシアがうなずいていた。 詠唱と痛みに嗄れた声。それでも途切れない詠唱。ドルシアの類稀な集中力だった。次第に鳩は完全に形を失い、まるで光の塊になる。 「……シアン」 不安そうなキアランの声が儀式場にかすかに響く。それすらもドルシアの詠唱に飲み込まれた。そのドルシアが腕を振り抜く。痛みを払うような、最後の力を振り絞るような。 「あ――」 光が、収まりつつあった。キアランを包んでいた光はもうかすか。鳩は、と見ればいまだ形はなく、けれど少しずつ大きく、そして人めいて。 「シアン。シアン」 キアランが手を差し伸べる。今度はドルシアも止めなかった。キアランの手が触れた瞬間、光はシアンの形へと変化する。色白の青年が、金の巻き毛に薄青い目をしたキアランの息子がそこに立っていた。 「……父さま?」 「シアン――」 恥ずかしそうにキアランを見つめては首をかしげるシアン。感極まったのだろう、息子の名を呼ぶしかできないキアラン。その側で力尽きたドルシアが膝をつく。 「お疲れさん。無事終わったな」 ニトロだった。ゆっくりと差し伸べられた手を取り、ドルシアは立ち上がる。飛んできたアーロンの神聖呪文が痛みを軽くしてくれた。 「こんなことをしていただくような……あたしの、これは罪」 「それはそれ、これはこれ、ですよ」 「だが……。あたしはこの二人を呪った。あたしの魔法がしたことだ」 ぐっと唇を噛みしめたドルシアの潔さ。解呪が済んだら罪を償うつもりでいたのだろう彼女。微笑んでドルシアの手を取ったのはダモンだった。 「突然ですが、ドルシアさん。僕は昔、暗殺者だったんです」 「……は?」 「人を殺すことが正しいと教えられた、人殺しでした。こんな僕をイーサウはどうしたと思います? 人を殺せと教えた方が悪い、使われていた道具に罪はない、そう言って受け入れてくれたんですよ」 「だからこの場合、島主が咎められるんであって、実行者のあんたが罪に問われることはないさ」 カレンまで同意していた。魔術師の総帥、リィ・サイファの塔の管理者が言うのならば、それは魔導師会の総意になり得る。ニトロにはそれで通じたが、ドルシアは納得しがたいらしい。 「ま、なんか償いがしたいってんだったら、こっちでなんか考えとくさ。こう……社会奉仕的な何かをな?」 「そんなもので……いいんですかね」 「いいんじゃないか? あんたは自分の肉体を傷めて解呪をした。それ、言わないで隠してたよな。言えば償いにならないとでも思ってたんだろ?」 ニトロに似てぶっきらぼうなカレンの言葉。ドルシアは小さく微笑む。耳に届いたのだろうキアランがぎょっとしたようドルシアを振り返る。けれど飛んできたのはシアン。 「ドルシアさん、痛かったの? 僕は全然平気だから。こうしてね、ドルシアさんが魔法をかけてくれたからね、父さまと一緒に旅に出られたの。だからね、ちっとも怖くなかったから。平気だったの」 言えば言うだけドルシアの顔が歪んでいく。予想どおりだな、とニトロはそれを見ていた。ついにはドルシアの大きな目から涙が零れる。シアンをじっと見つめたまま、大粒の涙が頬を伝い、シアンの手を押し頂いてドルシアは泣いていた。 「平気だったよ、ドルシアさん。だからね、泣かないで。泣かないでったら」 困り顔の息子の背後、キアランが微笑んでいた。シアンがこうしてここにいる。人間の姿となって、ここにいる。知る機会のなかった息子の姿、その心。 「僕からも感謝を。あなたの魔法がなければ、僕は息子を知る機会がありませんでした。あなたがシアンを逃がす切っ掛けをくれたようなもの」 「あたしは――」 「ま、呪詛は呪詛だったわけだけどよ。二人ともそれでいい、結果的に問題ねぇって言ってんだからそれでしまいにしねぇ?」 だらしないニトロの発言をダモンが笑う。エイシャの司教までも笑いをこらえていた。それに肩をすくめ、ニトロはカレンを見やる。 「あぁ、解呪の成功は私らが確認した。逆説的にキアランとシアンが呪われてたってことも確認したわけだがな」 「我が名においてもそれを保証いたしましょう、カレン師」 「ありがたい。あとで議長に出す報告書に副署していただけると」 「えぇ、問題ありませんよ」 司教とカレンが政治的なやり取りをはじめ、ドルシアは放っておかれることになった。戸惑いの眼差しにニトロは肩をすくめるだけ。ドルシアより、顔色の悪いダモンの方がずっと心配なニトロだった。 |