夢のあとさき

 ここで休息にしよう、とカレンが言ったのはやはりニトロの負担を思うせいだろう。セヴィルにいる間、本当にニトロは寝ている暇がまるでなかった。あちらこちらと飛び回り、魔法も使い詰めだ。師としてカレンはそれを察していたのかもしれない。
 軽く片手を上げ、ドルシアたちと別れる。彼女たちはカレンが別室を用意している、と言う。エイメやマーテルはまだこれから働くのだろう。
「あー、眠い」
 ぼやきながらニトロはほっと息をつく。隣室に、カレンの仮眠用寝台がある。何かと多忙な師は自宅に戻ってくることもかなわないことが多々ある。そのせいだった。それを言えばニトロもだ。この本部には彼の研究室もある。いまはそちらに戻る気力はないが。
 狭い、本当に寝台が一台、ぽつんとあるだけの部屋。窓もなく、元々は物置か何かだったのだろうとニトロは思っている。そんな場所ではあっても、こうして人気がなくなると気が楽になる。シアンは元より、キアランは生きた人間か、と問いたくなるほど気配が薄い。
「ニトロ。お疲れ?」
 くすくすと笑うシアンは元気だった。悪いな、とは思うのだけれどさすがに朝までつきあってやれるほど体力はない。そんなニトロの困り顔にシアンが微笑む。そこにひょい、と狼が鼻面で足をつついてきた。
「うん?」
 話しかければいいだろうに、そうするとシアンが寂しい思いをすると思うのか、こうして仕種で伝えようとしてくるキアランだった。
「父さま?」
 シアンの声に狼は舌を伸ばしてだらりと笑う。たぶん、笑ったのだろうとニトロも思う。シアンはよりはっきりと通じていたのだろう、明るい声を上げていた。それを確かめ、キアランは寝台の頭の方にと飛び乗った。そのまま後ろ足で枕を蹴落とす。
「……おい」
 ニトロの苦情もなんのその。キアランはくるりと丸くなり、そして二人を見上げた。生きた枕にニトロは溜息。ついたはずなのに気づけば笑っている。
「ほら、来いよ。シアン」
 シアンの腕を引き、寝台に上がるついでに枕を拾う。生きた枕はシアンに譲り、自分は元の枕を使おうとしたニトロだったけれど。
「んー、ニトロが父さまと一緒がいい。僕はニトロと一緒!」
 無邪気なシアンの笑顔。ニトロは肩をすくめてキアランを枕に。そのニトロの腕をシアンは枕に。体を寄せあい、シアンは満足そうに微笑む。
「なんだか楽しいね。ニトロもこういうの、したことある?」
「あるよ、ガキのころにな」
「お友達と?」
 本で読んだのだ、とシアンは言う。友達と一つ寝台にもぐり込み、朝まで他愛ないことを喋ったり冒険の計画を立てたり。そんな話はいくらでもあった。
「……あぁ、友達とだな」
「ふうん。だぁれ? デニスさん? ダモンさん?」
「どっちも違う。もう死んじまったよ」
 普段のニトロならば目をそらす。が、いまのニトロはシアンの薄青い目を見つめて微笑んでいた。カレンが見たならば何を言うだろう。ちらりとそんなことを彼は思う。
「あ……」
「気にすんな。昔の話だからな」
 ぽん、とシアンの金の巻き毛を撫でてやれば困り顔。首を伸ばした狼が巻き毛を舐めていた。それにくすぐったそうに微笑んだシアンだった。
「ね、セヴィル島ってどんなところだった?」
 思えば廃坑道しか、知らないシアンだった。キアランもそれに胸が詰まったのか、体が固くなる。何気なくニトロは狼の頭を撫でていた。
「綺麗なとこだったぜ? 俺は食ってる暇なかったけどな、魚がうまかったってダモンが喜んでた」
「そうなんだ? 海、見たことないんだもん」
「船に乗って渡ったんだぜ。けっこう面白いもんだった」
「いいなぁ!」
 明るいシアンの声。キアランは物も言えないらしい。息子がどんな風に生きてきたのか、改めて感じるのだろう。
「あぁ、そうだ。お前の曾祖母ちゃんにも会ったぜ」
「え! どんな人!? どんな人だった!」
 息せき切って尋ねるシアンを抱き寄せる。自分でそんな態度に気づいたのだろう、シアンがくすくす笑ってもう一度腕を枕に。
「かっこいい狼だったぜ? 俺、襲われたわ」
 ――ニトロ、よく……無事でしたね。
 さすがにキアランも驚いたらしい。キアランを超すような巨体の狼だったのだから、彼としても勝てる気があまりしないのかもしれない。
「いや、敵意がない……ほんとに食っちまおうって感じじゃなかったからな。じっとしてたら話聞いてくれた」
 少し呆れたようなキアランの気配がした。そういう問題か、とでも思っているのだろう。が、ニトロにとってはその程度の問題だ。実際、あの場からでも充分に逆転が可能だからこそ。
「どんなお話したの?」
「お前のこととか、色々な。狼の時には真っ白で、でっかくって、めちゃくちゃかっこよかったぜ」
 クレールのあの威厳を思い出す。山に生きる、神秘の獣。恐ろしく、そして崇むべき獣。人間が狼を恐れ敬うのがよくわかる、そんな気がしたものだった。
「ドルシアはな、娘さんを人質にとられてたんだそうだ。わかるか、人質」
「うん、わかる。酷いことだよね」
「だな。だからお前と親父さんを呪わなきゃならなかったんだ」
「そうしないと、あの子たちが危なかったから? わかる。ドルシアさんは、悪くないよ」
 この話をドルシアに聞かせたい、ニトロは思う。聞かせない方がいいとも、思う。シアンとはこんな人間なのだと誇りたい。だが聞けばよけいにドルシアは自責に駆られるだろう。
「そんな話をな、曾祖母ちゃんから聞いてな。そんでドルシアんとこ行ったら、また娘さんが人質に取られたってんで、今度は島に行って助け出して。ほんと俺、寝てねぇんだよ」
 ぼやくニトロにシアンは縋りつく。楽しげに、まだ寝ちゃ嫌、と笑いながら。ニトロもそうするだろうと思っていたからこそ言った言葉だったが。
「そういやな、曾祖母ちゃんはお前のこと、知ってたぞ」
 きょとんとしたシアン。ぽかんとしたキアランの気配。首を振り向けて狼を見やれば金の目が丸くなっている。知らなかったらしい。
「もう一つそう言えば、があったか。ドルシア、刀自殿と仲良かったぜ?」
 ――はい? もしかして彼女は僕らが何者か……。
「おう、知ってたぜ。刀自殿がドルシアを責めないって庇ってた」
 ――わかります。お嬢さんが人質に取られていたのであれば。よけいに。狼は情の深い生き物ですから。
「それ、刀自殿もおんなじこと言ってたわ」
「ニトロ、ずるい。父さまなに言ったの?」
「あぁ、悪い悪い。曾祖母ちゃんとドルシアがどんな風に仲良かったのか、話してたんだ」
 ぽんぽん、と金髪を撫でるよう叩けばふくれ面。そんな顔ができるようになったシアンを思う。無垢で、愛おしい小さな子供。年齢で言えば決してそんな年ではなかったけれど。
「曾祖母ちゃんはお前が三つくらいのころに島に渡って覗きに行ったって言ってたぜ」
「え……」
「あのとき……どうして連れて逃げなかったのかって、な……」
 シアンの手が無言で狼に伸びた。撫でてやりたくとも、抱き締めてやりたくともキアランにそれは叶わない。キアランの腕の代わり、ニトロがいる。シアンは父の尻尾に顔を埋め、ニトロの腕に憩う。
「曾祖母ちゃんから、伝言だ。――土に還るその日まで、ずっとお空の鳥を見ている。だってさ」
「ん……。いつか、会いに行きたいな」
 行けるさ、とはニトロは言わなかった。ただ微笑んだだけ。顔を埋めたままのシアンの声はくぐもって、けれど小さく笑っているような。
 ――ニトロ、それは。
「ん?」
 ――セヴィルでの言い回しですが。死者の魂は鳥となって愛する人の船を追う、と言います。
「ふうん? そういや、アリソンを誘拐されてたドルシアが似たようなこと言ってたっけな。魂の鳥になって飛んで行きたいとかどうとか。刀自殿がどういうつもりだったか俺にゃわかんねぇな」
 そっけなく言ったが、キアランは納得しないだろう。不吉だ、とでも感じているらしい。ニトロには答える言葉がない。
「他には、ニトロ? もっとお話して」
 せがむシアンにニトロは見てきたものを話してやる。ニトロが寝てしまうまで、とシアンは思っていたのかもしれなかったけれど、先に眠ったのはシアンの方だった。
 ――お疲れ様です。ありがとう、ニトロ。
「どういたしまして。――寂しい思いさせたからな。親父さんと一緒でも、心細かったんだろうさ」
 ――そうみたいだね。シアンは本当にあなたを慕っている。
「兄貴みたいなもんなんだろ?」
 ――どうだろうね?
 他にはない、とニトロは確信している。シアンもそう感じていると察している。どうやらキアランは違うらしいが。
「あー、おっさん? 俺はガキに手ぇ出す外道じゃねぇぞ?」
 ――難しいところかな。シアンは無邪気だけれど、子供という年齢ではないし。
「そんな気はねぇっつの」
 くすくすと笑うキアランにニトロは肩をすくめる。その拍子に動いてしまったシアンの頭を直してやれば、首を伸ばした狼が顔をすり寄せる。
 ――可愛い寝顔だと思います。
「親馬鹿だな」
 ――親馬鹿になれる機会をくれたあなたがたに感謝を。
「こっちの都合さ」
 ぶっきらぼうなニトロの言葉にキアランは頭を下げる。狼の姿でそれをするものだから今度はニトロにすり寄った形になった。
「もこもこのぬくぬくだよな。解呪するとこれがなくなるのがなぁ」
 ――僕は元々人狼ですが。
「だからって枕にするから狼になれってわけにもいかねぇだろうが?」
 茶化したニトロの声にキアランが笑った。狼のそれは唸り声のようで、シアンがぴくりと動く。慌ててまた髪を舐めてやる狼の子煩悩ぶりをニトロはくつくつと笑った。
 ――シアンが起きてしまっても、僕がいます。ニトロ、眠ってください。
「そうさせてもらうよ。ほんと……疲れた……」
 ふう、と長い吐息。胸から吐き尽し、ニトロは片手をキアランにまわし、反対の手でシアンを抱いたまま眠る。体が痛くなりそうだったが、奇妙に心地よかった。




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