夢のあとさき

 それにしてもなぜこんなに大勢が、ニトロはぼやきたくなる。元々人嫌いのニトロだ。さほど気を使う相手ではないからまだしもだったけれど、そこに人がいる、というだけで精神的な疲労を感じる。
「しょうがねぇだろうが? 私もデニスも二人に張り付いてるわけにゃ行かなかったんだっつの」
 ニトロの疲れた顔にカレンの苦情。言われてみればもっともだった。カレンはドルシアの対応が、デニスは彼なりに普段は忙しくしている。その彼がニトロの自宅に張り付いていてはそこに何かがある、と知らせるようなもの。セヴィルの島主がイーサウにいる今、それはできない。
「ま……こっちにいる方が安全か」
 むつりと言ったニトロにカレンは笑う。そんな言葉であってもキアラン父子を守ってくれた感謝とその師は気づいていた。
「――で、とりあえず娘のほうは処置なし」
 ニトロが見てきたことを語れば、冗談だろうとでも言いたげな顔をしたマーテル。気性の真っ直ぐな彼は信じがたいのだろう。デニスも青い顔をしていた。
「あれは……神官としては言ってはならないことだと思うけれど……」
「アーロン? あなた、どうかしたの?」
「具合も悪くなりますよ、お母さん」
 苦笑するアーロンの言葉にドルシア親子が驚きを見せる。いまだ知らなかったらしい。話しておけばいいものを、と思ったけれどそれほど時間もなかったのかもしれない。エイメは気にした様子もなく息子を案じていた。
「あれほど気分の悪いものを見るとは、思ってもいませんでした。どうしようもない人間などいない、と……神官ならば言うべきでしょうがね」
「僕が言うと、ちょっと別の意味に聞こえかねないけれど。死んだ方がましな人間はいるものだね」
「おい、ダモン」
「僕がやるとは言っていないよ?」
 慌てたティアンに笑顔のダモン。ティアンがそうして止めてくれることを期待していたのかもしれない、彼は。
「実際問題として、エヴリルを止める手段そのものを俺たちが思いついてるわけじゃない。ただ……絶対になんとかしなきゃならない確信ができただけだ」
「まぁ、その辺はこっちで議長に伝えておこう」
「頼んます」
 おうよ、と片手を上げたカレンをドルシアが見ていた。女性の魔術師が存在する、とすら彼女は知らなかった。そして師として仰がれ弟子がいる。ましてカレンは魔術師の総帥だ、とすでにドルシアは聞いた。思うところが色々とあるらしい。
「で、そっちはどうなりました、エイメさん」
「それなのよ、ニトロ君」
「ん?」
「……ちょっと、議長が隠し事って言うか……まだ考えてる段階で口にすべきではないことって言った方がいいかしら? そんな感じのことがあるみたい」
「話の筋が見えねぇんですが?」
「あぁ、ごめんなさい」
 にこりとエイメが微笑む。疲れた顔をしているな、とニトロは思う。アーロンも同様だったのだろう。この強健な母に疲労を見るのは珍しい、そんな顔をしていた。
「議長とマイナー氏の会談は綺麗さっぱり決裂よ? 物の見事に席を立たれたわ」
 ――それは、僕のせいでしょうか。
「そうであり、そうでなし、ね」
 キアランの言葉をデニスが中継して語ってくれた。見ればドルシアの二人の娘たちにもキアランの声は届いていないらしい。面白いものだとニトロは感じ、そんな場合ではないと気を引き締め直す。
「あなたが被害者である、というのが議長の判断よ。連盟の判断、と言ってもいいわ。それをマイナー氏はあなたが罪を犯した、と言ったの」
「だから呪ったって?」
「さすがにそこまで言うほど馬鹿じゃないわ。つまり、呪詛が違法だとマイナー氏は知っているという証左でもあるわね」
 なるほど。うなずくニトロの腕にシアンの感触。軽く触れているのに縋るよう。足下にはキアランの毛皮の感触。両側に置いてニトロは考え込む。
「議長は、どう出るんでしょうかね」
「それをエイメに聞いてもしょうがねぇだろ? 一応こっちも探りは入れてるけどな……なんかやばそうな雰囲気だけはバリバリしてるぜ」
「師匠のそれは怖いな」
 にやりと笑うニトロにカレンの笑み。静かで、だからこそ精悍で。背筋に冷たいものを感じてしまったニトロは目を瞬く。それだけいま危ないところにいる、それを悟った。
「一応僕の方も報告を。ドルシアさんのことだけれど」
 まるで学生のよう手を上げたデニスにドルシアが目を向ける。不思議そうな、それでいて険の消えた目は少し、柔らかい。多少なりとも魔術師に対する嫌悪は薄れているらしい。
「大学設立の件だけれど。学院に話を通してみたら、みんな是非ともって言ってる。こちらでは伝説の呪師だからね。ドルシアさんさえよければ是非」
 カレンの下に呪師が来ている、と耳にした魔術師たちがすでに会見を申し込んできていて、そちらをさばくのに忙しいとデニスは苦笑した。
「……あたしが知っていた話とはずいぶん違うんで、驚いているよ。カレン師と話をさせていただいて、印象も変わった」
「あー、ドルシア? この女が普通だとか勘違いしないようにな? これは類稀なる例外だ。この女は俺たち魔術師の中でも超最先端の変人だ」
「おいおい可愛い次男坊よ。お母さんそんなこと言われたら泣いちゃうぞ?」
「勝手に泣いてろ」
 すげないニトロを娘たちが笑う。ニトロは事実を言っただけなのだが。首をかしげればダモンにまで笑われた。
「とにかく、あたしはカレン師に身柄をお預けすることに決めた。他の呪師たちがどうするかは、そいつらの勝手さ。あたし自身に関してなら、知りたいってのがいるなら、教えてもかまわないと思ってる」
「そりゃ結構。俺もあんたに教えを乞いたいことがあるからな」
「……そう、なのかい?」
「普通だろ? 別系統からの視点ってのは興味深い。いまやってる研究が行き詰りがちでな。あんたの目でどう感じるか、聞きたいところでもある」
 率直なニトロの言葉にドルシアが瞬く。そして苦笑し、うなずく。いつでもかまわない、と。そんな母を娘たちが眩しそうに見ていた。
「何はともあれ、こっちが片づいてからだけどな」
 そのとおりだ、とドルシアもうなずく。その目はシアンと狼を。痛ましそうな目だけはしてくれるな、ニトロは願う。ドルシアは真っ直ぐとシアンを見ていた。
「俺の話もしておこうか? と言っても、話すようなことはたいしてないけどな」
 マーテルの話は簡単なものだった。地下牢に転移された後、魔法による眠りを解かれた男たちは一様に唖然としていたらしい。その隙をつくようにマーテルは尋問を開始したのだけれど、まったく口を割らなかった、と言う。
「マイナー氏の権力を笠に着てってわけでもないんだよな。傭兵の仁義を守ってるってわけでもないし。そもそも傭兵組合に問い合わせたら野良だって確定したしなぁ」
「俺の所感だけどな。バレたらまずいことをこれでもかってほどやってんだろ? 島主の権力がどうのじゃねぇんだよ、もう。バレたら一発絞首台ってわかってるんじゃねぇの、あいつら」
「あぁ……それかも。もう少しつついてみるさ」
「頼んだ。悪いな、ヤな役振って」
「気にするな。傭兵にとっちゃ慣れた仕事だよ」
 肩をすくめたマーテルにニトロは目礼する。できることならば全部を自分で片づけたい。その方がずっと気が楽だとも思う。
「君には多くの友人がいるんだよ、ニトロ。君が、どう感じていようともね」
 ダモンの声に黙ってニトロはうなずく。正直に言えばうなずけなかった。いまでも友人、と言えるのはダモン一人だと思っている。確かにティアンや、マーテルの隊長であるアイラも親しく感じてはいる。が、友人、と言い切ることがしにくい。そんな彼の肩をダモンがぽん、と叩いた。
「とりあえずわかってるのはこんなところか? ニトロ、どうするよ。帰るか?」
「あー、俺が帰るとシアンが寂しいでしょうが。な?」
「ん……ニトロと一緒がいいけど。でも、父さま……」
「だな。いいよ、俺もこっちにいる。師匠、ベッド貸してください。俺は眠い」
「女の寝台を気軽に貸せって言うなよな」
「あんたを女のうちに入れたくねぇんだ。だいたい師匠に欲情するこたぁねぇでしょうが。師匠だってそうだったでしょ」
「そりゃそうだ。絶世の美形ではあったからな、眺めてると楽しかったけどなぁ。ベッドん中でイイコトしたいとは思わなかったなぁ」
「あら、カレン様。そんなことおっしゃるの?」
「妬くなよ、エイメ」
 にこりとカレンがエイメに微笑む。これでいまだに「この上なく親しい友人であるだけだ」と双方が言い張るのだからどうかしている、とニトロは思う。エイメの弟子のマーテルがくすくす笑い、カレンの弟子のデニスは天井を仰ぐ。エイメの息子は平然と笑っていたが。
「行こうぜ、シアン。眠るまでの間お話ししてやる」
「ほんと! 父さまも?」
「親父さんも一緒だ。いいよな?」
 ――もちろん。
 誰も通訳などしなかったけれど、狼の尻尾がはたはたと振られていては必要などなかったかもしれない。シアンの喜びにあふれた表情。ダモンが優しげに見つめていた。
「あ……あのね、ニトロ。父さまの呪いって、その、いつ……?」
「あぁ、そっか。ドルシアいるんだしな」
「そのことだけど、シアン君」
 ひょい、とダモンの手が伸びてきてはシアンの金の巻き毛を指で梳く。くすぐったそうに彼は笑った。狼の穏やかな思考がニトロには聞こえる。満ち足りた息子を見ていて、それだけで満足だと。
「君はちょっと疲れているからね。呪いを解く前に僕と一緒に神殿に行こうか」
「え……と……?」
「そしたら親父さんと一緒に遊べるぞ? お日様の下でお出かけできるようになる。あぁ、そうだ。せっかくだ、シアン。イーサウ名物の温泉に行かない手はないよな?」
「それはいいね。君とキアランと、僕も一緒にいいかな? もちろんニトロも」
「ダモン。ティアンがもじもじしてるぜ? 全然可愛くないけどな。連れ合いに置いてかれるのは寂しいってよ、全っ然可愛くないけどな」
「そんなことしてねぇだろうが!?」
 ティアンの大声に娘たちが身をすくませる。が、すぐに笑いに変わった。シアンとダモンの眼差しが重なり、シアンは微笑む。胸を鷲掴みにされるような笑みだった。




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