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神官二人はエヴリルの居間で語った通り、鉱山区で話をして、そして夕刻の船で本土に戻る、そう言って集落を出てきた。 護衛長に命ぜられて遠目に監視をしていた男たちは気にしすぎだとほっとしてもいる。神官を監視するのはやはり、気が咎めていた。その顔色が少し変わったのは山道に入ってからのこと。そのまま下るのだとばかり思っていた彼らはつ、と道を外れる。 「ここから先は立ち入り禁止です」 廃坑道に向かう入り口には番人がいる。そちらの硬い口調に男たちは隠れて息をつく。神官がどうぞ素直に戻ってくれるように、と。 「あぁ、そうでしたか。街者はいけませんね、近道かと思って……」 照れくさそうな年配の神官の声。それに安堵したのだろう番人が笑顔で答えていた。ここからは島民も入ることは許されないのだと。 「廃坑道は危険なものですから。島主様のありがたいご配慮です」 こうして常日頃から番人を置くなど、他の誰がしてくれると言うのか。用もなく日がな一日立っているだけの番人を万が一のために、と島主は配置しているのだと彼は言った。 「なんと。素晴らしいお方ですね」 「えぇ、本当に。いまの島主様になってから、セヴィルは何倍にも豊かになったのですよ」 「島の皆さんからもずいぶん慕われているご様子でしたね」 もちろんだ、と番人は微笑む。神官たちもまた優しげにそんな彼を見やっていた。それに気をよくしたのか番人は語り出す。 「実は……もう何年か前になるのですが。廃坑道の中から赤ん坊の声が聞こえる、なんて怪談があったんですよ」 「おや?」 「風の鳴る音だったようです。が、少し怖いでしょう? ですからこうして皆が怖がらないように、と番人を置いてくださるようになった、と聞いていますよ」 優しい方ですね、島主様は。神官の言葉に番人は誇らしげに胸をそらす。そして神官たちは正しい道を聞いて坂を下りはじめた。番人が見送る影、監視を命ぜられた男たちも隠れて見ていた。気のいい神官なのだろう、一度番人を振り返り、大きく二人して手を振って、そして人影は見えなくなる。 「……戻ろう」 男たちはうなずきあい、番人にも気づかれないうちに、と屋敷へと戻っていった。それを見ているものがいるなど、気づきもしない。 「お見事」 ニトロの手際の良さだった。二人が手を振り、そして前に向き直ったときには幻影に入れ替わっている。坂を下りて行ったのはニトロの作り出した幻影だ。ダモンとアーロンはすでにニトロの魔法下にあり、不可視の魔法の内側に。 「ま、慣れたもんだ」 一日ぶりに見るニトロだった。ずっと傍らにはいたのだけれど、やはり顔を見ればほっとする。ニトロも同様だったのだろう、にやりと笑っていた。 「昔を思い出すね」 一行は、今度はニトロが気配までも消しているおかげもあって音もなく動いている。廃坑道の入り口を守る番人の横を通り過ぎても気づかれもしない。 「あぁ、確かにな」 アーロンはその短いやり取りに、ダモンの過去の話だ、と気づいた。当時のニトロは彼に協力したのだ、と聞いている。 「あのときは気が楽だったよ。相手は生身の人間だ。殺しに行く方がずっと楽だね」 長いダモンの溜息。ぎょっとして隣を見てしまえばニトロに大きく笑われた。アーロンにも言いたいことはわかっている。生身の人間を相手取るよりずっと気が重いものをこれから見ることになる、察していないわけでもない。 「それにしたって、言いようというものがあるでしょうに、ダモンさん」 「そうかな? 僕の本心だったのだけれど」 「強くなったもんだぜ」 「図太くなった、の間違いだろ」 自分で言ってダモンは笑う。陽が傾きかけている山道は、足下が危ない。それもアーロンだけのこと。ダモンはともかくニトロまで達者なことだった。 しばらく行くとかつては整備されていたのだろう道になる。いまは見る影もなく草が生え、瓦礫が転がる。それをよけつつ進む一行の口数がぐっと少なくなった。 二人の神官はすでに感じはじめていることだろう。ここに漂い、わだかまる救われない魂の存在に。その数の多さに。 「泣いているね」 ダモンが小さく呟く。人は死ねば生まれ変わるための旅に出るのだ、と言う。実際、ダモンにとっては同じ信仰を持つかつての総司教、リオン・アル=イリオの見聞、として聞き知っている。 「みんな、……こんな小さくて……」 愕然としたアーロンの呟き。旅立つこともできないほど小さな小さな赤ん坊ばかり。寂しさに泣き、心細さに泣く赤子の魂。 「せめて、送ってやらないと」 ぐっと拳を握ればダモンがうなずいてくれた。ニトロを見やれば時間は作る、とうなずきが返ってくる。 「先に、シアンの方を」 だがニトロはそうも言う。自分が暮らしていた場所を見てきてほしい、というシアンの願いに従って彼らはここにいると言っても過言ではない。 もちろん、それ以外に理由はある。ここに「二人の神官」がいる。しかも信仰の違う二人の神官が。違う神を奉じる神官たちが一つの事実を確認し、報告をする。それは何より確かな証言となる。間違っても疑うことが許されない事実として。 ニトロが彼らを連れてきた理由の第一はそれだった。廃坑道を見てもらうこと。ここで何が起こったのか、連盟に明らかにしてもらうこと。 ――ちっ。胸糞悪ぃ。 それでも気分が悪い。よいはずはない、とわかっていても気分は悪い。着々と一行は廃坑道に入り込む。崩れた坑道ではあってもニトロがいる。明かりもなにも心配はいらない。 「一応な」 入り口にはかつてシアンが語った通りの鉄柵があった。ニトロはそちらも魔法をもって開く。音もせず、けれど軋んだ動きで柵は開いた。 ここを通ってキアランはシアンを覗きに行っていたのか、とふと思う。当時から番人もいたことだろう。柵を開けるには音もしたことだろう。危険を覚悟で、キアランは息子の顔をせめて見に行っていた。様子を窺うしかできないと知りつつも。 一つ首を振り、ニトロは魔術警報を置く。と言っても見えるわけではないのだが。これがあればここを通った存在をニトロは即座に感知できる。人が来ればまた隠れるだけのことだった。 「よし、頼んだ」 そしてニトロは魔法を解く。不可視の結界内にいては感覚が鈍る神官たち。解かれた瞬間、アーロンが仰け反った。 「おい!」 慌ててニトロがその背を支える。そうしていなければアーロンは倒れていたかもしれない。青い顔をしてニトロを見つめるアーロン。その目に色がない。 「アーロン。俺が見えるか?」 「見、える……」 「俺は、誰だ?」 「……ニトロ」 「お前は何者だ?」 「双子神の神官、アーロンだ。――すまない、ありがとう」 額の脂汗を拭っていた。ニトロは内心で安堵する。エイメに申し訳が立たない事態にだけはならないで済んだらしい。 「さすがだね、ニトロ」 ダモンは魔力がないだけにアーロンほど衝撃を受けなかった様子だった。それでも顔色がよくない。魔力がなくともダモンには長い付き合いでニトロが何をしたのか理解ができている。 呪歌の応用だった。ニトロは水系の使い手とはいえ、呪歌を練習することだけはいまではできるようになっている。さすがに歌うことまでは無理だったが、声に魔力を乗せる、という意味ではニトロにも可能。いまはそうしてアーロンの心の奥に声を届けた彼だった。 「これは……捨て置けない。せめて、私たちの手で」 「まずは、集めてあげよう、アーロン?」 「えぇ」 じっとりと脂汗に塗れたままのアーロンがダモンにうなずく。そして彼らは細く欠けた白いものを集めて行った。手の中で守り、一つ一つにくちづけをする。アーロンの目に涙。ダモンの目にも。 「泣くな。泣いてて仕事ができるか?」 ニトロにどやしつけられ、アーロンは座り込まずに済んでいる。拳を握れば手の中に守ったものが壊れてしまう。そっと、そっと、赤ん坊を抱くように。 正に赤ん坊だった、それは。乳飲み子のうちに死んだのだろう彼らの、数多くの骨。腕に抱かれることもなく、乳をもらうこともなく死んでいった赤ん坊たち。泣いていた彼らの魂。神官たちの手に守られて、赤ん坊はいっそう激しく泣いていた。泣けば応えてくれる存在をはじめて魂たちは知ったがゆえに。 「泣くんじゃないよ。怖いことはないよ、もう大丈夫。もう大丈夫」 手の中に守る骨が腕で抱えるほどになる。ダモンと二人、合わせればいったい何体になるのか。何人の赤ん坊がここで死に、朽ちるままにされたのか。 「アーロン」 見つけられる限りは見つけた。泣いている魂たちはもう自分たちの側にすべている。ダモンの言葉にアーロンはうなずく。ゆっくりと息を吸い、ダモンと共に儀式場の構築を。 二人の神官がそれぞれの神に祈りを捧げ、そこは彼らの聖域となる。赤ん坊の泣き声がニトロにまで聞こえはじめた。 「双子神に願い奉る。寄る辺なき幼子を――」 「最愛のエイシャよ。どうか――」 神官たちの祈りの声。赤ん坊の泣き声が次第に小さくなる。ニトロですら目を疑うほどの神聖魔法の発現がそこにあった。魔力のないダモンだというのに、この一度限りとエイシャが彼に力を授けたか。まるで自らの魂を削り取るようにしてダモンは祈る。 あるいは自分の過去を思うのかもしれない。何一つとして正しいものを教えられなかった己を。生きること自体を許されなかった赤子を見て。 「あぁ……」 思わず長い息を吐いていた、ニトロは。二人の神官が天に腕を差し伸べる。廃坑道の中とあって光はない。それなのに明るさを感じた。不思議とニトロにも旅立って行く赤ん坊の姿が見えた、そんな気がする。ことん、とアーロンが膝をついた。 「ごめんよ、アーロン。君に負担を強いたね」 「……とんでもない。私にできることがあって、よかった。本当に、よかった。ダモンさん、感じました?」 「うん。最愛のエイシャ御自らが子供たちを迎えに来てくださった、そんな気がしたよ」 「私もです」 神聖魔法発現のための魔力そのものはアーロンが司っていたのだろう。肉体的にはつらそうな顔をしているアーロン。だが泣いている赤ん坊はもういない。 「これだけで私が生きてきた理由になる。双子神が私をこの地にお遣わしになった」 この罪を許すなと。愛と欲望の神だからこそ、愛もない行為は断じて許してはならないと。神官の厳しい顔つきにダモンもまたうなずいていた。 |