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島主の屋敷は豪華だった。金鉱山を抱えているせいだろう、至るところが金箔張りになっている。品はよくないが、何はともあれ豪華ではある。 「お嬢様」 二人の神官が案内に従って訪れたのは令嬢、エヴリルの居間。大陸各地から集めたと思しき名品の数々で飾られていた。エヴリル自身が肩に羽織っているのも独特の模様から見るにあのチェルレースだろう。 「あら、その方々なのね」 微笑んだのだろうが、笑みが美しくはない女だった。シアンという息子がいることから想像していたとおり、三十代も半ばを超えた中年女性の粘つくような笑み。更に色を薄くしようとしたのか、脱色し、白茶けた金の巻き毛。緩んだ肉体。それだけならばアーロンが内心で顔を顰めることはない。外面の美、というものをまるで重要視したことがない双子神の神官らしく。彼女の笑み一つ、それがアーロンに顔を顰めさせる。 「真実と幻想の女神、最愛のエイシャの神官、ダモンと申します」 そつなくダモンが一礼していなければ、間違いなく顔に出ていた、とアーロンは自戒する。ダモンとの旅で反省することがずいぶん見つかった、それだけは確実に収穫だと思う。そんなことでも考えていなければ危険だった。 「双子神の神官、アーロンです」 普段の彼ならば美しい方、と軽口を叩く。女性には特に。だがアーロンはそれをしなかった。ダモンは心の内側で小さく苦笑した。 ダモンはエイシャの神官として魔力があるわけではない。が、神官として女神の恩寵は賜っている。微々たるものではあったが。おかげでエヴリルの見たくもないものが視えてしまった。 ――修行が進んでいれば楽だったんだろうけれどね。 視覚を制御することも叶わずダモンは耐える。それしかできないのだから致し方ない。諦めが早いのも彼らしかった。 その間に屋敷の人間がエヴリルに神官たちのことを話している。何をしに来たのか、どこに行きたがっているのか。まだ二人は話してもいないのに正確なことだった。少々呆れてしまわないでもない。事前に報告をするなどよくあることだ、が、客の前でするようなことではない。 「ふうん、そう。双子神の神官ねぇ」 ぬたりとエヴリルが笑う。白茶けてはいるけれど、金髪であるところだけがシアンと似ている、とアーロンは思う。思うだけでシアンへの侮辱のような気がした。 「双子神の神官って、体を売るんでしょ。伽をしなさいな。そうしたらどこでも好きなところに行かせてあげるわ」 率直に過ぎた。正直に言ってアーロンもダモンも感じたのはただ一つ。この女は正気か、と。知らず目を瞬くダモンと唖然としたアーロン。エヴリルどころか護衛の男も小間使いの少女も、誰一人として驚いていない。つまりこれがエヴリルの日常ということか。ぞっとしていた。 「信仰上の理由によりお断りいたします」 きっぱりとしたアーロンの声音。肉体をひさぐ、と言われては双子神の神官としてこれ以上ない侮辱とエヴリルは知らないのか。 「だって普段からしていることでしょ。なにが信仰上なのよ」 「我が双子神に、愛と欲望を捧げるのが我が務め。肉欲だけの行為など我が神への侮辱となります。ご存じないのですか」 「ふうん、そう。だったらそっちの。ちょっと年食ってるけど。そこそこ見られる顔だわ」 またも思った。正気かと。そしてダモンは目を動かさず周囲を見やる。案の定、誰もが平静。内心で小さな溜息を。 「女神に誓った伴侶がおりますので、ご容赦を」 「どうせ古女房でしょ? 若い方が楽しいわよ」 にやにやと笑う赤い唇。ダモンは笑顔のままだった。たいしたものだとアーロンは息を飲む。自分など怒りをこらえかねているのに。その肩先、なにもないはずの場所から何かが触れた。軽く息を飲み、深く息を吸う。 「長い付き合いではありますが、男性ですよ」 にこりと笑ったダモンにエヴリルは顔を顰めた。若い方がいいだろうと言いつつ、エヴリル自身決してうら若き乙女ではない。当然だ、十八年前にシアンを産んだのだから。 そしてアーロンははじめて気づく。エヴリルはそのように装っていると。年相応の落ち着いた佇まいではなく、正に乙女のような華やかなドレス。結いあげた髪にしても若々しすぎる。それにもまた顔を顰めたくなった。若作りを否定するのではない。好みでしているのならばせめて似合うような努力をしてほしいものと思う。ただひたすらに気味の悪いものを見た気になった。 「だったら女の良さを教えてあげる。知らないなんて可哀想だわ。いらっしゃい」 「遠慮申し上げる、と言いました。女神に誓った伴侶、とも」 「な――」 二人ともに断られる、とはエヴリルは思っていなかったのか。それともアーロンが断ったのすら戯言だと感じていたのか。いまここに二人の拒絶を理解し、憤怒に顔を赤くした女がいた。 それだけ、島の住人は彼女に逆らわない。逆らえない。指さされれば諾々と従わざるを得ない。呪師ドルシアの例もある。身内に被害が及ぶとなれば、従わねばならないだろう、涙を呑んででも。 「そちらの方。ダモン神官と申されたか」 不意に男が声を上げた。エヴリルの狂乱を見せまいとしたのかもしれない。謹厳な顔つきの男だった。目の鋭さだけが尋常ではなく、間違っても善人ではなさそうだった。 「なんでしょう?」 「なにか……不穏な気配がいたしますな。何をお連れだ」 「ほう」 声を上げてしまったのはアーロン。ダモンはにこにことしたまま。胆の据わり方が違う、またも感嘆してしまった。ダモンは敏い男もいたものだ、と感じている。何も言ってこない、ということは男に魔法の才があるわけではないらしい。要は戦場を踏んだ場数、ということなのだろう。 「エイシャ女神の恩寵篤き申し子の眷属が我が身をお守りくださいます。その気配をお感じになったのでしょう」 なにもない背後で落胆の気配。ダモンは微笑みを崩さなかった。わずかに怯んだのは男の方。女神自身が守護を遣わせるような高位の神官だとは思ってもいなかった、と顔に出ている。 「お二方は鉱山区に行かれたいとか」 伽をしない、と断言したところからエヴリルは口を閉ざしたままだ。興味を失くしそっぽを向いては高価なチェルレースの端を弄んでいる。 「えぇ、そちらにも島の皆さんがいらっしゃるようなので。お話をしたいと思っていますが」 さも不思議そうにダモンは首をかしげる。何か問題があるのかとでも言うように。「布教の神官」に見られて困る何かがあるのかと。笑顔の中、それを男は感じる。そしてダモンは一切口にしていない、そのようなことは。勝手にそれを感じたのだろう己に腹が立ち、男は軽い舌打ちを。疑心暗鬼に陥らせたダモンの手際こそ見事なものだった。ここぞとばかりアーロンが追い討ちのよう感嘆して見せた。 「あぁ……お嬢様はお優しい。我々が危険な場所に足を踏み入れては、とご懸念くださっているのでしょう」 「なるほど、そういうことでしたか。ご心配なく。みなさんとお話をしたいだけですから。私もアーロン神官も危ないところに行く気はないのですよ。山を見てもなにもわかりませんし」 自棄になったか普段の自分を取り戻したか。それともいいところを見せようとしたのか。アーロンの言葉にダモンは乗る。ふん、とエヴリルがそっぽを向いたまま鼻を鳴らした。 「いいわよ、勝手に行けば?」 「お嬢様――!」 「なによ? 文句があるの?」 「――いえ」 止めようとした男と睨み据えたエヴリル。男としては鉱山区そのものに足を踏み入れてほしくはないのだろう。が、エヴリルの言葉が優先する。 「ありがとう存じます、お優しい方」 「世辞になってないわ」 「武骨者でして。申し訳ない」 優雅極まりないアーロンがすれば嫌味以外の何物でもない。が、断じてアーロンは美しい方、とは言わなかった。聖娼として、髪を脱色した人、肉体に緩みがある人、いずれもこの身で知っている。だが彼らには愛があった。正しい欲望があった。エヴリルにはそれを感じられない。 「お許しをいただきましたことです。陽のあるうちに参りましょう、アーロン神官」 「そういたしましょう。では」 男が二人を睨んでいた。視線を合わせるなり、引き攣った笑みを浮かべて一礼する。さすがに神官に楯突く気はないらしい。それをよいことに二人はそそくさと見えないよう心掛けつつ、けれど気分ばかりはそのとおりに屋敷を後にした。 「案内をつけると言われたらどうしようかと思ったよ……」 ぼそりとダモンが言うに至ってようやくアーロンはそのような心配があった、と気づくありさま。ほっと息をつき、屋敷の外に出るなり大きく息を吸う。 「気分はよくわかるよ」 ダモンの苦笑にアーロンは黙って首を振った。きっと理解してはもらえないと。だがダモンもまた首を振る。 「君は聖娼として、神官として、非常な不愉快を覚えたことだと思う。僕は僕で見たくもないものを視ていたよ?」 「あ――」 「若いね、アーロン」 にやりとされてしまった。背後でくすくすと笑う気配。声こそ聞こえなかったけれど、アーロンは顔を顰める。 「笑わなくてもいいだろう!」 ダモンにではなく言えば、こらえきれなかったのだろう、気配がはっきりと笑っていた。 ――それにしてもアレはないぜ? 「ん、なにが?」 ――誰が眷属だよ? 「君が。間違ってはいないだろう? 僕は嘘はついていない」 ――まーな。 確かにエイシャ女神のお気に入り、水の申し子エリナードの一門の魔術師であるニトロだ。間違ってはいないが、誤解を招かせる気しかない発言ではあった。 「僕を誰だと思っているんだ。幻想の女神の神官だよ」 ふふん、と笑ったダモンはずいぶんと気分がよくなりつつあるらしい。友人と話をして気が紛れたのだろう。 その二人を見て――片方は見えないが――アーロンも気がほぐれて来た。同時に、さすがダモンと思ってもいる。ニトロは内密の話でもない、とアーロンにも声が聞こえるようにしてくれている。二人の会話を聞かせてくれている。だからこそ思う。肌に書かれた文字を読み取っているとは言うが、そうとは思えない自然な会話だったと。 「あなたから学ぶことがたくさんあるな」 アーロンはにこりと笑う。もういつもの彼に戻っている。そんな気がしてダモンは内心で息をついていた。 |