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娘は怯えきり、泣き疲れ、部屋の隅でうずくまっていた。夜も遅いというのに皓々とつけられたままの明かり。それが三人の男たちを照らし出す。粗野で、下卑た男ども。いずれも島主配下の漁師のようななりをしていた。が、そうではない臭いを彼女は嗅ぐ。だからこそ、よけいに恐ろしい。 部屋で酒盛りをする男たちは彼女の見たとおり、漁師ではなかった。エヴリルにも抜かりはない。漁師などを使ってはいざというときに抑えが利かなくなる。万が一にも娘を汚してしまえば人質としての価値は激減する。男たちは外道仕事で隊を追われた傭兵崩れだった。 「こっち来な。酌しろ」 顎を上げ、赤らんだ顔の大男。娘はびくびくとしながら卓の側へと。抵抗すれば引きずられるだけ。震える手で酌をすれば酒が零れた。 「おぉっと。こんな粗相をしちゃあ、いけねぇなぁ。おじさんが教えてあげようなぁ」 「ほれほれ、震えてるじゃねぇか。かわゆいのぅ」 「こっちにも注ぎな!」 腕を引かれ、娘は涙をこぼしながら男たちに従う。伸びてきた手が胸を掴み尻を揉む。悲鳴を上げればよけいに喜ぶ男ども。酒が進み、呂律が怪しくなり、一人、また一人と卓の上にうつぶせるまで彼女は耐え続けた。それがいつもより早かったことを彼女は喜ぶ。 「……お母さん」 帰りたい。今すぐにでも帰りたい。こんな恐ろしいところにいたくない。前はまだよかった。姉がいた。いまは一人きり、ここで耐えるだけ。ぽろりとまたも涙が落ち。 部屋の隅でうずくまる彼女は息を飲む。悲鳴を上げかけた唇に指が当てられ、彼女は黙った。それだけ、男どもの粗暴に慣れはじめていた、彼女は。 「口開けな」 現れたのは白金の髪に浅黒い肌、という特徴的な容貌の青年。いったいどこから入ってきたのか。見当もつかない彼女は、けれど言われるままに口を開けた。 「あ――」 小さな驚き。口の中に放り込まれたのは栗の甘煮。間違いない、姉の味だった。目を見開く少女にニトロはほっと息をつく。ここで悲鳴を上げられては台無しだった。 「あんたがアリソンで間違いないな?」 こくん、と彼女はうなずく。間違っているとは思っていなかったニトロだが安堵に肩から力が抜けた。その場に片膝をつき、少女と目線を合わせる。 「俺はニトロ。あんたのお母さんに、あんたを助け出すって約束をした。話を聞いてくれるか?」 「お母さんに?」 「そうだ」 「帰れるの? あたし、帰れるの?」 「帰れるよ。もうちょっとの辛抱だ」 そっと微笑むニトロにアリソンの眼差しが溶けて行く。どれほど恐ろしい思いをし続けていたのか。これをしているのが同じ女のエヴリルだと言うのだから本気で島ごと沈めたくなってくる。 「話だが――」 「待って、聞こえちゃう。あの人たち、耳はいいの。すぐ起きちゃうから」 「大丈夫だ。酒に細工したからな。完全にできあがってる。それに俺たちの声は聞こえないように魔法をかけた。心配ない」 水系魔術師のニトロだ。酒の毒性を高めるくらい造作もない。酒精に細工をすれば味も変わらず強力な睡眠薬のできあがり、というわけだった。 「魔法……。あなたも呪師なの?」 「いいや。俺は鍵語魔術師だ」 言った途端アリソンの目がきつくなる。どうも呪師の間ではずいぶんな風聞が出回っているらしい。内心で溜息をつくがいまはそれどころではないと思いなおす。 「どうして魔術師様があたしを助けるの」 「あんたのお母さんに頼みがあるんだよ。それで、約束をした」 「でも、破るんでしょ?」 「破んねぇよ。ドルシアには俺の血を渡してある。意味が、わかるか?」 わかる、と驚きのままにうなずいた少女。さすがにドルシアの娘と言おうか、血の持つ意味を理解している様子には安堵する。もっとも真実渡したかもわからないものを信じてしまうあたりは若さだが、いまはともかくありがたいばかりのニトロだ。 「俺は必ずあんたを助け出す。だからちょっと協力してほしい。できそうか?」 「……なにを、したらいいの?」 「ちょっとした芝居だな」 「あたし、お芝居なんてしたことない」 「そこら辺は大丈夫だ。あんたは普通に振る舞ってていい」 明日、母が面会に来るときに具合が悪くなる、とニトロは言う。急に胸が苦しくなって気が遠くなり、そのまま意識がなくなると。 「あたし、死ぬの? 死んでお母さんのとこに帰るの?」 「俺はそこまで外道じゃねぇっての。それがお芝居だ。あんたはちゃんと生きて……は帰れねぇけど、おうちについたら息は吹き返す。信じられないだろうがな、そこは諦めてくれ」 ダモンだったら言葉を尽して信じられるように努力をするだろうか。ダモンではないニトロは肩をすくめるだけ。 「わかった。諦める。ここにいても怖いだけ。きっとあたし、帰れない。だから、信じないけど、信じる」 「よし、いい覚悟だ。さすがドルシアの娘だな。いい目をしてるわ」 母のことを言えばほんのりと娘は笑った。普段はもっと闊達な少女なのだろう。窶れ切った頬が痛ましい。穏やかで落ち着いた姉とお転婆な妹。あの母の下、三人で楽しく暮らしていたことだろうに。 「怖がらせるけどな。もう少しの辛抱だ。――腕を出してくれ」 アーロンならばこんなとき、腕に抱いて慰めてやるだろうか。双子神の神官がすれば誤解を招きかねないけれど、彼はそうするような気がした。差し出された腕は細く、折れてしまいそう。袖を捲り上げるのだとてためらわれるような華奢ないとけなさ。 ――あの、外道ども。 こんな子供に酌をさせ、体を撫でまわしていたかと思えば腸が煮えくり返るなどというものではなかった。隠れて見ていたニトロはそれだけでも島を沈める理由になる気がしている。 「なにするの?」 「病気になったみたいに見える魔法、だな。痛くはねぇよ、心配すんな」 「……ん」 ことん、とうなずく少女に魔法を施して行く。疲労と恐怖の結果、心臓が止まってしまったかのような幻影が発動するように。念のため、魔法が発動すると同時に娘本人も仮死状態にする。その方がおそらく怖い思いをしないで済むだろう。 セヴィルにドルシア以外の呪師が協力していないのは彼女に聞いてあった。魔導師会にも照会済み。つまり、ニトロのこの幻影を見破れる相手はこの場にはいないことになる。魔導師会に所属していない野良魔術師に負けるニトロではない。 「よし。これでいい。明日までだ。それまでだからな。絶対に帰れるから」 「……うん。わかった」 「誰かが気づくと厄介だからな、俺はこれで消えるけど。――その辺で隠れてるからよ。万が一のことがあったら呼びな。悲鳴でいい。聞こえるから。すぐ飛んでくる」 「困るんじゃないの?」 「あんたにもしものことがある方がよっぽど困る」 真顔の青年に少女は知らず笑っていた。こんなときには心配だから駆けつける、などと言うものではないのだろうか。 「俺はそういうの苦手なんだよ。じゃあな、寝れるんだったら寝ときな」 眠れるわけはないと知りつつニトロは言う。眠れないのにアリソンもわかったと言う。この場を離れるのがつらかった。少女の目がいつまでも自分を追っているような、そんな気がして。 ――ドルシアが来るまでいてやれりゃ、いいんだがな。 さすがに邸内には用心棒が多い。魔法で姿を消し、忍び込んだニトロであったけれどひやりとしたことが一度あった。戦場を知っている、あるいは傭兵崩れか。彼らは魔法に縁こそないけれど、その対処法を体で心得ていることがある。迂闊な真似はできなかった。 まんじりともせず、夜が明けて行く。アリソンは夢でも見たのかと思いはじめていた。三人の男たちは夜中になって交代の男たちに起こされ、どやしつけられながら去って行く。が、人が変わっただけで彼らも同じ。酒盛りこそしなかったが眠れないアリソンを小突きまわして楽しんでいた。襟元から入り込んできた荒れた手の忌まわしさ。思い出すだけで身震いがする。己の体を抱きながら、アリソンは母の訪れだけを待っていた。 「元気にしてたかしら、お嬢ちゃん?」 昼も近くなり、エヴリルがやってきた。もうすぐ母が来る。エヴリルの訪れはそれを示唆していた。にんまりとした赤い唇が歪む。泣き濡れた少女を見やる眼差しは獲物をいたぶるかのよう。 「まだまだ元気そうねぇ? 男たちの相手が気に入ってるのかしら? すっかり女らしくなったじゃない。ねぇ?」 伸びてきた指が顎を掴む。きりきりと掴まれ、アリソンはいやいやながら口を開けざるを得ない。まだ厚みのない唇の間、挿し込まれたエヴリルの指。舌を撫でまわし、唇を摘まむ。涙をこぼす少女を目で犯す。充分に堪能し、エヴリルは彼女をようやく放した。 「入れておやり」 ふん、と鼻を鳴らしたエヴリルの声に男たちが恭しく扉を開ける。途端に走り込んで来た女。声も出せず少女は泣く。 「アリソン! アリソン! アリソン! あぁ……!」 駆け寄ってきた母の腕に包まれ、少女はただただ泣いていた。一瞬のうちに、エヴリルに引きはがされた母の腕。それでもぬくもりはまだある。 「あ……」 その時だった。昨日の青年は夢ではなかったのだと悟ったのは。急に苦しくなった胸。恐怖に喘ぎ、アリソンは喉を押さえる。息ができない、奇妙な苦しさ。何度も口を開け閉めし、ただ母だけを見る。 「アリソン――!」 母の悲鳴。騒ぐ男たちの声。エヴリルの舌打ち。かき抱いてくれた腕のぬくもりにアリソンは目を閉じる。 「あたしの娘を殺したな――!」 母の悲鳴がもう少女には届かなかった。かすかに青くなったエヴリルはけれど傲然と顔を上げ。知ったことではない、死体は持って帰ってもいいが姉を寄越せ、そう喚く。 「慈悲深い私は護衛をつけてあげるわ。あんたたち、ついて行きなさい!」 ざわりと男たちが顔を見合わせる。急死した娘を抱き、怒りの眼差しで周囲を睨み据える呪師の側になど近寄りたくはない。 「行きなさい! 聞こえなかったの!?」 誰かが誰かの背を押し、また誰かの背が押され。立ち上がったドルシアは亡骸を抱えたまま。せめて手でも貸してやろうとした男の一人が声もなくのたうち回る。エヴリルは咎めなかった。その代わり、ついて行く男の数が倍になっただけ。 |