夢のあとさき

 小屋で一夜を明かし、クレールの案内に従って山を行く。黙々と歩く老婆にアーロンが少し心配そうだった。
「……あたしがドルシアを逃がす、とは思わなかったのかね」
 しばらく行った後のことだった。前に立つクレールが独り言のよう言ったのは。背中を眺めつつニトロはにやりと笑う。
「言ったはずだ。山狩りしてでも探し出す。逃がしたなら草の根分けても探す。陸にいなけりゃ櫓櫂の及ぶ限り追う」
 だから逃がしたとしても問題ない。ニトロは言い放つ。ダモンとアーロンの溜息が重なった。隣を歩くダモンがニトロの肩を思い切り打つ。
「君は子供が絡むとどうしてそう二の腕で考えるんだ」
「山狩りは馬鹿じゃできねぇぞ?」
「そういう問題じゃない。聞け、ニトロ。君が子供を救うのはそれはそれでいいことだと僕は思う。君の動機がなんであれ、救われる子供はいる。ただ、ニトロ。君がそれで被害を出すのはいただけない」
「……まぁ」
「わかってないな? 君が大量殺人をしてまで救った子供はその事実を知った後どう感じるか、という問題だ。自分のせいで大勢が死ぬんだぞ? それは、救ったことにならない。救うなら、最後まで救え」
「なるほど。そりゃもっともだ。自重する」
 いまになって理解した、とあっけらかんとうなずくニトロ。アーロンは驚いていた。ニトロの物の考え方を知っているつもりで、知らなかったのかもしれない。
「あんたは不思議な男だね」
「そうかい?」
「救いたいのかどうなのかもよくはわからん。自分のことも理解しているようでなし」
「刀自殿はさすがの慧眼だな。ま、その辺は見逃してくれ。――俺がやってるのはただの八つ当たりだ」
 過去の自分が救えなかった友。彼の代わりに子供を守るつもりなど微塵もない。当時のやるせなさを思い出したくないだけだ。ニトロにとってはセヴィルの問題を解決するのは言葉どおり八つ当たり。
「それでも次のシアンが生まれないのは大事だよ。僕はそれでいいと思う」
「……まぁ?」
「君の問題は君の問題。友人として貸せる手ならばいくらでもあるけれど、君が解決する問題、だろう?」
 そうして救ってくれたのは君じゃないか、ダモンは笑う。救った覚えがないニトロとしてはなんとも言い難い。自分のために引きずり上げただけ。それでもダモンはこうして元気に生きている。そればかりは嬉しく思う。
「刀自殿。道は遠いのですか」
 アーロンが老婆を案じた言葉。淀んだ空気を払うつもりだったのかもしれない。が、クレールには小さく笑われた。
「あたしが人の姿で行ける程度だよ。もっとも、あんたにはつらい道かもしれないね」
 街の人間には厳しい道のりだ、とクレールは言う。アーロンは気を引き締めてかかったらしいが、ニトロとダモンは鍛錬の差が物を言っている。クレールに遅れず足を進めていた。
「……意外と健脚だね」
 さすがにしばらく行ってからクレールもそのことに気づく。ちらりと振り返ればアーロンは額に汗を浮かべて喘いでいるのにダモンとニトロは平然としていた。見比べてみれば一行の中で最も柔弱に見えるダモンだというのに。
「エイシャの神官は武術も修めるのが常ですから」
 微笑んだダモン。違うとはクレールだけが知らない。真実を言うつもりはなくとも嘘ではない。それを暴く気はアーロンとニトロのどちらにもなかった。
「ここだよ」
 アーロンの足がいい加減に止まりそうになったころ。陽も沖天をすぎ、イーサウならば茶の時間というところか。クレールが見えてきた洞穴の前で足を止める。
「ここで待ちな」
 ニトロに言えばあっさりと彼はうなずく。逃がすとは考えていないのか、それとも本気でどこまでも追うつもりなのか。クレールは肩をすくめて洞穴の中へと進んで行った。
「ちょっと不思議だね」
「なにが?」
「洞穴に暮らしているのかな、と思って。神秘的だと思わないか」
 興味深そうに周囲を見回しているダモンだった。ニトロは別のことを感じている。キアランがドルシアと会ったのは呪詛の現場の一度きり。祖母も居場所は山の狼として知っているだろう、とだけ思っていたらしい。が、どうやら彼女たちは知己のようだ。キアランは事実誤認をしていたらしい。自分のこと、家族のこと。たとえそうであってもそんなものだろうとニトロは思う。それを口にすればアーロンが衝撃を覚えそうな気がして、ニトロは言わなかった。
「それが恐ろしくも尊敬すべき呪師ってことなのかねぇ?」
 まるで散歩に出てきたような二人だった。膝に手をついたアーロンは恨めしげに二人を見やる。気づいたダモンが水で薄めた蜂蜜酒を飲ませてくれた。
「助かります、ありがとう」
「君はもう少し鍛錬をした方がよくないか?」
「そういう問題ですかね? この体力お化けどもめ!」
 からりと笑うから回復はしているらしい。さすが双子神の神官、と言ったところか。夜なべて客の相手をすることもある聖娼たちだ、へばっていては勤めにならない。
「はいんな」
 ぬっとクレールが顔を出し、アーロンは背筋を伸ばす。格好の悪いところを見られた、と感じたらしい。そんなところもまた聖娼らしかった。
「お邪魔します」
 この場で真っ当な対応ができるのはダモンだけ、ということなのだろう。一礼して挨拶したのは彼だった。ニトロはただ真っ直ぐと中を見ている。
 洞穴の中は手彫りで装飾が施されていた。いったいどれほどの年月をかけて岩を彫り抜いたのだろう。精緻で、印象的な彫刻の数々。太陽と月の意匠が一番多いようにニトロは思う。
 その奥に女たちがいた。クレールが傍らに座し、五十代ほどの女を守っている。長い黒髪の巻き毛を薄布で覆い、目許を濃く染めた独特の化粧。くっきりと作り込んだ意志の強そうな唇。もっとも相手も魔法の使い手、実年齢かは定かではない。ただ強壮さは感じた。反対には十五歳にもなっていないような少女が一人。弟子なのかもしれない。瞬間、異変を感じた。が、誰もなにもしなかった。ただニトロだけが皮肉に笑う。
「あんたがドルシアか? これは敵対の意志、と思っていいんだな?」
「あぁ……あたしがドルシアだ。客じゃないのは本当らしい。試すような真似は詫びる」
「……ほう?」
 ちょい、とアーロンに腕をつつかれた。気づいていなかったのか、とニトロは驚く。そして彼が双子神の神官ゆえに守られたのだと理解する。
「俺たちの言葉で言う、魅了系の魔法をぶっ放されたんだ、いま。お前は神のご加護で守られたんだろうよ」
「僕は? 君か?」
「お前は単に意志力の問題。俺はなんにもしてねぇよ」
 ふん、と鼻を鳴らしたニトロだった。ニトロに至っては大陸魔導師会の魔術師すべての中で特筆するほど魔法抵抗が高い。この程度の魔法ならばかけられたとも気づかないうちに跳ね返す。
「あんたたちが魔術師様ってわけか」
 ドルシアの皮肉が滴るような声。クレールが顔を顰めていた。ドルシアを保護はしたいが、ニトロならば必ず追うだろうと理解してしまったらしい。
 それがダモンとしては不思議でもある。彼女の孫と曾孫に呪いをかけたのはドルシアだ、というのに。なぜ彼女は呪師を守ろうとするのか。それがいまだ不明だった。
「魔術師は俺だけだ。カレン・ニトロ。ニトロでいい」
「エイシャの神官、ダモンと言います」
「双子神の神官にして聖娼、アーロンと言う。お美しい方に愛らしいお嬢さん。お目にかかれて光栄だ」
 すっかり自分を取り戻したらしいアーロンだった。正直に言って女性の扱いどころか対人関係そのものが苦手であるニトロとしてはありがたいのだが、いまに限ってはあまり感謝する気にもなれない。ほほほ、とドルシアが笑った。
「世辞とわかっていても嬉しいものさ。それで魔術師様がなんの用かね。占いがご所望かい」
「まず、魔術師様ってのをやめてもらおうかい。俺はただの魔術師で、あんたとは対等だと思ってるぜ。あんたが呪師の束ねをしてるってんでもないんならな」
「あたしはそんな立派な女じゃないね。……ふん、対等、と来たか」
「そんなに不思議なことを言ったか?」
「言ったよ。魔術師はいつもあたしたち呪師を馬鹿にする」
 ニトロが長い溜息をついた。誤解をさせるだろう、とアーロンがまたもはらはらしはじめる。それすらも跳ね飛ばし、ニトロは大きく笑った。
「いつの時代の話だ? いまの魔術師にそんな野郎がいるたぁ聞いたこともねぇがな。そもそも呪師と関係がある魔術師がほとんどいねぇんだからよ」
「あたしたちの歴史はそう語る」
「それはそれでいいがな。俺は、あんたを、馬鹿にしちゃいねぇんだ。俺に関係ねぇことでガタガタぬかすのはやめてくれ。不愉快だ」
 睨み据えるニトロの藍色の目。ドルシアの吸い込まれそうな漆黒の目と絡み合う。折れたのはドルシアだった。長く息を吐き、ようやくに座を勧める。少女が飛ぶように茶を差し出してくれた。ありがたく口をつけたのはダモン。おいしい、と礼を言って少女に頬を染めさせたのはアーロン。ニトロは黙ってただ飲むだけ。
「本題に入ろうか。あんたがキアランとシアンに呪いをかけた呪師で間違いないな?」
「そうだ」
「解いてほしい」
「……率直な男もいたものだね」
「話が長いのは苦手でな」
 肩をすくめたニトロをどうしたものか、とドルシアはクレールを見た。老婆は答えない。どちらでもいいと言われている様子にドルシアは考え込む。
「……まず、俺の方から提示できるいい話をしようか。あんたに無報酬で解呪をしろって迫ってるわけじゃない」
「ほう?」
 意外だ、とドルシアではなくクレールの眼差しが言う。道々あれほどの言葉を吐いていた彼だというのに、とでも感じたらしい。もっともだと思いつつ、こういう男なのですよ、とダモンが目顔で言えばかすかな微笑み。キアランのそれに少し似ていた。
「近々な、イーサウの魔法学院の大改革がある予定だ」
「それがあたしになんの関係がある」
「ないと思うか? 学院はいまはほぼ魔法関係だけを扱ってるがな、他の学問にも門戸を開く、と決めた。文学、音楽、歴史、数学、その他諸々。いまだったら、別系統の魔法を簡単に放り込めるんだ」
「別系統だって!?」
「鍵語魔法じゃないって意味で別系統だろうが? いまんところ魔法関係は、鍵語魔法科、呪歌科、魔法史学科が作られる予定だ。そこに呪師科を作りゃどうだ? あんたが馬鹿にされてるって感じるんだったら、馬鹿にさせないだけの業績を上げるのが、いまなら簡単だ」
 よもや魔術師にそのようなことを提案されるとはドルシアは夢にも思ったことがない。まして対等に、本気で対等に扱おうとする魔術師がいるなど。ほんのりと微笑む神官たち。無言で座すクレール。ドルシアは迷った。




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