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沈んだ空気を吹き飛ばそうとばかりティアンが咳払いをする、それを小さくダモンが微笑んだ。いいものだな、とキアランは眺める。が、ほのぼのとした気分にはなぜかならなかった。 「そう言えばな、島主の娘さん……なんだっけ?」 「エヴリル?」 それそれ、とニトロの言葉にティアンがうなずく。照れたような、居心地が悪いような、なんとも言いがたげな顔。ニトロの苦笑がそれを更に深めたらしいけれど、ティアンはまるきり無視をした。 「そこまで好き者なんだったら、娼婦とか、向いたんじゃないのか?」 島主の娘とあってはそんなことはできない相談ではあったのだろうけれど。もしもそうできていたのならばキアランや他の人たち。何よりシアンのような不幸は生まれなかったとティアンは思う。 「無理だ」 が、アーロンの一刀両断。ばっさりと切り落とされてティアンはさすがに不快を顔に浮かべた。その膝元、何気ないニトロの手が叩く。はたと気づいたのだろうティアンのばつが悪そうな顔。 「キアラン?」 どうしたの、と目顔で問うダモンにキアランこそ不思議だった。自分は何か妙な顔でもしていたのだろうか。首をひねるキアランにダモンは笑って誤魔化した。 「アーロン。なんで無理なのか聞いてもいいか?」 そんなに咳払いをしていたら喉が痛くなるだろうに。くつくつとニトロは喉の奥で笑う。手の中に抱き取った鳩まで今は楽しげに見えた。 「話に聞く限りだけれど。そのお人は自分が、楽しみたいんだろう?」 キアランに向けられた眼差し。青い目をキアランは黙って受け止める。何を思うのかアーロンがふ、と口許をほころばせた。 「花街の人間として言うなら、客が楽しんでこそ、というものだろう。神官として言うなら、互いに楽しんでこそ、というもの。自分一人が楽しみたい人間は向かないよ」 「なるほど……なぁ? 売れっ妓になれたらちっとは話が違うかと思ったんだがな」 「んー、被虐的な嗜好がありゃできたかも?」 「あぁ……代わる代わる失神するまで好き放題にどろどろにされて? そういう人には思えないな、私には」 「どっちかって言えば嗜虐的な方だよな、そいつ」 「だろうね」 うんうんとうなずきあうニトロとアーロン。さすがにティアンが真っ赤になっていた。自分が持ち出した話題だというのに。そんな彼をダモンが笑う。 「二人とも。シアン君が聞いていないからいいけれど、その辺にね?」 「俺だって子供じゃないんだ。ガキに聞かせていい話とそうじゃない話の区別くらいついてるっつーの」 「どうだかな」 ふん、と八つ当たりのようティアンが言い放つ。にやにやするニトロと怒るティアン。友人同士のやり取りに不思議と心が沈む。 「僕も聞きたいことがあったんだ。いいかな、キアラン」 「あ……はい。なんでしょうか」 にこりとするダモンにキアランは赤くなる。理由はよくはわからない。ただ、途轍もなく恥ずかしかった。それを気にした様子もなくダモンは首をかしげる。 「アーロン、この人は僕らより年上らしい」 「ほう? そういう種族なんですね。なるほど」 ちらりとアーロンはニトロを見た。魔術師がそこにいる。何もイーサウでは珍しいことではない、と言いたげに。 「そこで疑問と言うか……ちょっと言い方に困るけれど。エヴリル嬢に伽を命ぜられてあなたは屋敷にいわば、囲われていたわけだろう?」 「えぇ、そうです」 「それが十八年以上」 シアンの年齢を考えればそうなる。何も間違ってはいない。疑問を率直に言ってくれてかまわない、と言うつもりでキアランは微笑んだ。 「あなたは囲われた当時、すでに大人だったはず」 いまのニトロの外見年齢とさほど変わらなかったのではないか、とダモンは言う。そのとおりだったキアランは驚きと共にうなずいていた。そのぶん疑問がわからない。 「それからここまで。あなたは人間族より容姿が変わらないまま来た。そうでしょう? それを、セヴィルの人、と言うか……最低限エヴリル嬢はどう思っていたんだろうかと」 そんなことだったか、とキアランは拍子抜けする。だが思えばもっともな疑問でもあった。知らず笑ってしまうほどに。 「どうも、思っていらっしゃらなかったのではないかと」 「いまのあなたは少々お疲れの様子だが、健康を取り戻されればなかなかの美形とお見受けする。そのせいかな?」 「聖娼が言うと妙な意味に聞こえるからな?」 酷いことを、と笑うアーロン。和やかな目で見ているニトロ。キアランは見ないふりをしてそっと笑う。 「関係はないかと思います、神官様」 「要はあれか、おっさん。あんた個人に興味なんざなかったから顔形がどうのなんぞ気にしてもいなかったってことか? 見苦しくない程度に整って好みだったらなんでもよかったと」 「たぶん。ニトロの言う通りだと思います」 「……なるほど?」 「ちょっと待て、アーロン。切れるな」 「聖娼としては許し難いのでね。自分一人でいい気分になりたいんだったら棒にでもまたがっておけばよろしい。他人を踏みにじるとはなんという不遜」 「……言ってることはたぶん正しいんだけど……なんつーか……この辺が双子神の神官の頭抱えたくなるとこだわな」 「ニトロ!」 「お前の信仰どうのじゃない。世間の常識ってもんだ」 「魔術師が常識を語る? それこそ非常識なことをするものだ」 返す言葉のないニトロをアーロンが笑い、それで彼は静まったらしい。二人のやり取りをダモンとティアンは何度か見ているおかげでさほど驚きはない。キアランこそ、居心地悪げだった。 「とりあえずセヴィルの件に関しては全面的に協力する。私の助力をあてにしてくれてかまわないよ、ニトロ」 「あてにはしてる。だから話を持ってきた。――だがな、アーロン。独断専行は許さん。まだ話を詰めるなんつー段階ですらねぇんだ。段取り組むまで吶喊したりするんじゃねぇぞ」 「私が? そんなことをすると?」 「しないと誓えるか、え? お前は誓わねぇよ、俺は知ってる。お前に万が一のことがあったらどうする。セヴィルがどうなってるか、呪師がどう動いてるのか、俺はまだなんにも知らねぇんだ。勝手はすんなよ」 「それは心配されている、ということかな?」 「誰がそんなこと言うか!」 鼻を鳴らしたニトロに微笑むアーロン。黙ってキアランは目をそらす。申し訳ない思いが強かった。自分のためにこうして動いてくれる人たちがいる。けれどそれだけでは。 「君のためなら私は何をも惜しまない。ただ一言、言ってくれればいい。口説く機会をやる、と。それだけでなんでもするものを」 嘆かわしげなアーロン。更に嘆かわしげなニトロの溜息。重なっているのに絶妙に違う方向。ぷ、とティアンが笑い出す。 「お前なぁ、アーロン。お前は覚えちゃいないだろうがよ」 「君のことならばなんでも忘れたりするものか」 「さすがにおしめ替えられたのまでは覚えてねぇだろうが? そんな男に口説かれるってのは中々ぞっとするもんだぞ、お前」 「私はぞっとしないからね」 「俺がすんだって言ってんだろうが!? お前はねぇよ、お前だけは絶対ねぇよ!」 ついには絶叫になったニトロ。彼の友人たちには旧知の話だったのだろう、キアラン一人が置いて行かれる。それに気づいたダモンが話してくれた。 「ニトロのお師匠様、カレン師のご友人のご子息なんだよ、アーロンは」 「おかげで腹ん中にいるころから知ってるわ」 「生まれる前からの付き合い、というわけだね、私と君は」 「お前が勝手に付きまとってんの。俺は逃げてんの。おわかり?」 「わからないな。どうしたのか。君の言葉が急に理解できなくなったらしい」 言った直後だった。本気ではなかっただろうが業を煮やしたニトロがアーロンを殴ろうとしたのは。冗談だと察していても鋭い拳。息を飲みかけたキアランの前、乾いた音を立ててアーロンが拳を受け止めて笑っていた。 「たちが悪い冗談だぞ、アーロン」 「怒った?」 「……多少はな。とりあえず勝手に動くなよ。お前のおふくろさんに申し訳が立たないようなことすんなよ」 「母は……」 「アーロン」 「わかった。自重する」 「結構。そうしてくれ」 にやりとしたニトロが話は終わり、と立ちあがる。見送ろうとしたのだろうアーロンも立ち上がりかけ、その肩にニトロは手を置く。かまわないでいいと言うのだろう。その無言のやり取り。 「ニトロ!」 そして悪戯のよう黒髪を梳いていったニトロ。照れたのだろうか。壮年の優雅な男が浮かべるには少年じみた笑顔だった。 「あー、もう。疲れる。だから双子神んとこは来たくねぇんだよ」 「アーロンはいまでも君が大好きだね」 「俺のどこがどういいんだかな」 神殿を出れば夕暮れ間近。そろそろ早い店は火が灯りはじめているおかげで花街は艶めかしい風。キアランは少し落ち着かない。耳の片隅で、けれどニトロとダモンのやり取りを聞いていた。 「おしめ替えたって、ほんとかよ?」 「そんなことで嘘ついてどうするんだっつの。替えた替えた。子守もしたぜ。こう……抱っこしてげっぷさせてな」 「あぁ、乳を飲んだ後の乳飲み子はそうするものなんだってね。君がすると聞くと……違和感はあるな」 「大丈夫だ。やってた俺自身が違和感しかなかったからな」 それでいてきちんと面倒を見たのだろうとダモンは思う。そんな男なのですよ、と言うつもりでキアランを見ればうつむきがち。 「ニトロ。僕とティアンは神殿に寄ってくる。シアン君でも飲めるような強壮薬を頼んであるんだ。先に帰っててくれないか。キアランも少し疲れたようだし」 「あぁ……いえ、大丈夫です」 「気を張り詰めすぎるとろくなことにならない、というのは経験談ですよ。なに、ニトロがいる。心配は要りませんよ。ゆっくり休むことです」 微笑むダモンが彼にしては強引にティアンを引っ張っていった。内心で首をかしげつつニトロは見送る。帰り道、自分とキアランと鳩と。なにを話すでもなかったけれど、居心地は悪くはなかった。 |