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受け入れられる、とはこんな気分なのか、とキアランは雲でも踏んでいるような気分だった。ダモンの待つエイシャ神殿でのこと。待ち構えていた神官はキアランと鳩を見るなりにっこり笑って「珍しいお人ですね」と茶に招待してくれた。 ただ、それだけ。あらかじめダモンが異種族である、とは告げていた、とキアランは聞いた。その上で神官は彼らを見て、害意なき者、として受け入れてくれた。狼に変ずる自分だというのに。 「大多数の人間にとっては恐ろしいものだとは思いますよ。でも、私は、あなたを、害あるものとは思わない。それだけですよ」 イーサウという国としての反応までは自分にはわからない。だがエイシャ神殿はあなたを受け入れる。神官は笑ってそう言ってくれた。 ふわふわと足元が定かではない気分のまま、街を歩いていた。次は双子神の神殿、とのこと。朗らかなダモンと打って変わってティアンは落ち着きがない。その理由がキアランにもすぐわかる。 「……神殿?」 思わず訝しそうに呟いてしまえばティアンの苦笑。それもそうだ、とダモンが笑った。 「神殿ですよ。同時に娼館でもある」 そういう信仰なのだ、とダモンは言った。道理で花街の真ん中にあるわけだ。いまはまだ時間が早いせいでそれほどでもなかったが薄物を着た男女が多くいる。それだけで目をそらしたくなる。 「あぁ……セヴィルでは、このような……?」 「えぇ。なんと言いましょうか、その」 「苦界に身を落とした人、ですか?」 無言でキアランはうなずいた。漁が苦しいときには子供を売ることがいまでもセヴィルにはある。金山の経営が順調になってきてからは少なくなったものの、皆無と言うわけにはまだいかない。彼らもまた、そうしてつらい勤めをしているのだと思えば真っ直ぐと目を向けることはしにくい。 「そういう人がいない、とは僕も言いませんよ。でも、ここはそこまでつらいものでもないようです。基本的に自分の意志で勤めている人が多いですから」 「え――」 「ちょっと信じがたい、と思うでしょう? 僕もそうでした。イーサウに来てはじめて知ったんですよ、これ」 「実はミルテシアの方が盛んな信仰なんだがな」 ダモンを補足し、ティアンが言う。それに小さく笑ったダモンだった。その笑みの理由がティアンにはわかる。彼の故郷、と言っていいのかどうか。オスクリタの集落はミルテシアにこそあった。だがそこで非常識こそ常識として育てられたダモン。他者の信仰など知りもしなかった彼。いまはここにあるもの、世界の在りよう、として笑って眺めていることができる彼。 「双子神の神官はすなわち聖娼でもあります。彼らはつらい勤めをせざるを得ない境遇の人々を救い出す務めをも負っているんですよ」 だから酷い場所ではないのだ、とダモンは言った。つらいばかりではない。いずれ必ず這い上がることができる。手助けしてくれる人がいる。それがイーサウの在り方なのかもしれない、ふとキアランは思う。 「おぉ、いたな」 娼館としか言いようのない優美な神殿の前、ニトロが待っていた。傍らには三十代も半ば過ぎだろうか。ニトロの外見年齢から見れば年上の男性がいる。男盛りの照りも麗しい、完全武装すればどれほど美々しいかと思わせる男だった。彼らに気づいたのだろう、こちらを見やってふと微笑むさま。思わずどきりとしたのだろうティアンが居心地悪そうに身じろぐのをダモンが笑った。キアランはただそれを見ていた。背中でひとつに結んだ黒々と長い髪に青い目。それはティアンとよく似ている。セヴィルでも半エルフの色合い、と言われることがある外見だ。それがどうこうではなかった。なぜか不意に痛みにも似たものが胸をつく。なぜだろう、と思ううちに消えてしまった。 「どうよ?」 屈託のないニトロがダモンに問う。答えなど知れているだろう、とダモンが笑う。それに肩をすくめつつ、それでもほっとしたのだろう、ニトロは黙ってキアランの肩を叩き、鳩にと手を伸ばす。おとなしくついて来ていた鳩はニトロの手にくるくると鳴いた。 「彼が君の言っていた人だな」 「おうさ。で、どうするよ?」 「それは答えを聞いてからだね。――さてお客人、あなたは愛を知っていますか」 どきりとした。ここは娼館で神殿。そのせいだろう。キアランはわずかに怯むが、誰にも助けは求めなかった。ここは自らを問われている場面。それを悟る。ニトロに抱かれている鳩に眼差しを向け、キアランは答える。 「神官様の言う愛かどうかは、わかりませんが。息子を愛しく思っています」 「けっこう。では、あなたは他者の肉体と魂を踏みにじる行為を容認しますか」 「まさか!」 それだけは即答できた。ほっと息をつく間もない。ニトロがにやりとし、神官が微笑む。顔を見合わせそれをするのにキアランは思わず瞬きをしていた。 「では、我が神々の前にあなたは正しく人です。どうぞお入りなさい」 ぽかん、としてしまった。エイシャ神殿でもそうだったのだけれど、ここでもすんなりと受け入れられてしまった。隠していた自分が間違っていたかのように。 「それは勘違いですよ、キアラン。神官はこういうものです。が、すべての人がこうあれるわけでもない」 ダモンの言葉がなかったら危ういところでキアランは自分の考えを信じ込んでしまうところだったかもしれない。 「おや、すでにエイシャ神殿に?」 神殿の中はやはりどう見ても娼館だった。首をかしげていたらティアンが夜になるとここは本当に娼館になる、と教えてくれた。 「拗ねるなよ、アーロン」 ぼそりとしたニトロの声、明るくアーロンと呼ばれた神官が笑う。ぱちりと片目をつぶって見せる茶目ぶりもこの精悍な男にはよく似合っていた。 「なぜエイシャ神殿が先だったのかは聞かせてほしいとは思うがね。君はそれほど私が信用ならないか?」 「逆だっつーの。人間は視覚情報に左右される生き物だからな」 「あぁ、愛すべきエイシャの神聖魔法か。あれはちょっと羨ましくはあるなぁ」 言いながら、私室なのだろう優雅な居間で茶の支度をしようとするアーロンから茶器を奪い、ニトロがする。あまりにも手慣れていて、ニトロがここに何度となく足を運んでいるのが窺えた。 「ニトロ?」 説明が欲しかっただけだ、キアランはそう思いつつ問う。どことなくダモンに含み笑いをされた気がするのが気にかかったけれど、いまはおく。 「ん? あっちで言われなかったか? エイシャ女神の神官はあんたがどういう存在か、その目で見えてるんだ。ダモンもそうだぜ」 「僕はあなたが言葉通りの意味で人間ではない、というところまでは視えてはいませんよ。違和感はありましたけど。でも悪意ある存在でないことは視えましたからね」 神殿にいた魔力のある神官はもっとはっきりと視えていたはず、とダモンは言った。キアランが人狼である、と知った上で神殿に招き入れたのだ、と。 「それが珍しい人、という意味でしたか……」 「愛すべきエイシャの神官はなんでかね? どうにも言葉が足らないことが多々あるよな」 「それは君の知識が偏っているせいだと私は思うよ、ニトロ」 「うちの系列の魔術師にいたからなぁ」 魔術師にして神官、という人がかつていたのだ、とニトロは言う。その人がそういう、少し言葉が足らない人、だったらしい。ニトロの仏頂面をアーロンが笑っていた。 「我々双子神の神官には見えるわけではない。ただ、我々にとって大切なのはあなたが愛と欲望を踏みにじる存在かどうかだけ、ですから」 信仰上、それだけは許せない。そこだけ守られているのならばなんの問題もない、アーロンは言い放つ。キアランは少し眩暈を感じないでもなかった。ティアンも同様だったのだろう、こちらは無言で首を振っている。 その間にキアランとシアンが被った被害をニトロが簡潔にアーロンに語っていた。次第にアーロンの眼差しが険しくなる。ぞくりとしたのはダモンだった。その手に武器を持つダモンが、いまのアーロンは怖いと思う。 ――これは。 何かの予感だったのかもしれない。ただでは済まない、もっと大きな波が来るとでも言うような。だがいまはそれだけで終わってしまった。 「それにしてもニトロ。なぜ君は私のところに持ってきた? 正直に言えばこれはドンカ神殿の管轄だろう?」 「んー。俺の個人的な問題、かねぇ?」 「それは私の方が頼りがいがあった、ということかな?」 ふっと微笑んだ目許の艶美。男性的で精悍なのに、ひどく優雅でもあった。が、ニトロは何も見なかった顔のまま苦笑する。 「そっちじゃねぇよ。俺たち魔術師はどうも大多数的な結婚をするやつが少ねぇわ、同性愛者は多いわでドンカ神殿に行くのはちょっとな……。別に不義理働いてるわけでもねぇのに敷居が高いってのは気分のいいもんでもねぇしよ」 肩をすくめるニトロを友人たちが笑っていた。キアランは今度こそ居心地が悪くなる。とっくに感じていていいはずの感情だった。 「そう言えば魔術師夫婦ってあんまり見ねぇよなぁ」 「だろ? どっちかって言えば魔術師は自分の魔道に没頭しがちだからな。夫婦揃ってそれやってたら家庭生活が破綻するわ」 だから結婚に及ぶ関係を築くものが少ない、とニトロは言う。 「それに、常人とは関係が作りにくい。なんだかんだ言って魔術師はやっぱり野郎が多いしよ。つかず離れずで色恋すんならなんとなく同性になっちまうってのもわかるかな」 「今更だけど、なんで常人はだめなんだ?」 キアランが問いたくても言葉にならなかったことをティアンがあっさりと口にしていた。苦笑しつつ肩をすくめるニトロをアーロンが柔らかな眼差しで見ている。キアランは何気なく目をそらした。 「別にだめでもねぇんだけどよ。たとえばな、いまここで花も恥じらう十八歳の乙女が俺の嫁になったとする。どうなるよ?」 「え? イーサウの住人全部にお前が殴られるとかか?」 「なんでそうなる!? そういう話じゃなくってな、ティアンよ……」 長い溜息をダモンとアーロンが笑った。つられて笑ったはずのキアランは不思議と自分の唇が強張っていることを知る。 「俺は魔術師だぜ? 常人の二倍から二倍半は生きる。嫁さんどころかてめぇのガキだって間違いなく俺より先に死ぬぞ。――そんな覚悟がねぇ魔術師の方が多いんだっつの」 笑い飛ばすと言うには重たいニトロの言葉だった。無言のアーロンが新しい茶を注ぐ。黙ったままニトロもそれをあおった。 |