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ここは狼の巣、という町なのだ、とティアンに教えてもらった。元々「暁の狼」という傭兵隊が拓いた町で、基本的に軍事基地の町なのだと。そのわりに普通の町、というよりキアランにとっては都会とはこうだろう、と想像していたような町だった。 「もう少し向こうに行くと猫の町って区画もあるぜ」 「今度は猫、ですか?」 肩先に鳩を止まらせたまま、キアランはティアンと共に町を歩いている。顔をさらして来い、とはニトロの言なのだが、こうしていると散歩の気分だった。 「俺も一時世話になってた傭兵隊で『幸運の黒猫』って隊があるんだが。そっちはそこの隊員が拓いたんだ」 だから猫の町。そうティアンは笑う。単純だろう。それでいて面白い名前だろうと。屈託のないその表情にキアランはつられるよう微笑む。口の端が強張っているのが、ティアンにはそれでも見えていた。 ティアンはこれから兵学校に向かい、休暇の届けを出し、そしてダモンが向かったエイシャ神殿で彼と合流する。その後、魔導師会本部に行ったニトロとは双子神の神殿で合流する手はずだった。 「そういえば。聞いていいのかな? 見た目より、年上なんだろう、あんたは。俺らと同年代くらいか?」 答えたくなければそれでもかまわない。ティアンの明るい声だった。きっと、明るく振る舞えるくらいティアンにも難しい過去があったのだろう、とそれこそ人生経験から理解ができる。キアランはそっと微笑んでいた。 「さて、どうでしょう。僕は五十歳を超えていますが」 言った途端に華やかにティアンが吹き出した。大らかに笑うその姿。貴重だ、とキアランは感慨深い。自分が異種族と知ってなお、変わらず接してくれる彼ら。知らず鳩に触れていた。 「年上じゃねぇか!? まぁ、いっか。……いいのか? あんたが気にしないんだったら、いまのままのほうが目立たないかな、とは思うが……いや、魔術師連中がいるからなぁ」 「魔術師、ですか?」 彼らに知られては問題があるのか、とキアランの眼差しが一瞬にして曇る。それにティアンは慌てていた。逆のことを言ったつもりだったのだが。 「いや、魔術師がいるからな、この街には。見た目が実年齢とかけ離れててもイーサウの連中はあんまり気にしないんだよ」 だからキアランも大丈夫だ、ティアンは微笑む。カレンなどニトロとどれほど離れているかわからない、とも言う。 「なにしろあの人はアリルカ独立戦争って言って、わかるか?」 「寡聞にして。不勉強ですみません」 「とんでもない。氷帝戦役って言った方が普通は通じるからな。魔術師連中はその言い方が好きじゃないらしくってよ。俺もついそっち使っちまう」 照れて笑うティアンにキアランは微笑み返す。実は氷帝戦役、と言われてもわからなかったのだが。それとなく察したのか、どれほどの昔なのか彼は話してくれた。 「カレン師はその戦争を知ってるんだ」 「知って……」 「むしろ戦争のど真ん中にいたって言った方がいいな。最前線にこそ出てなかったらしいけど、後方では色々やってたらしいぜ」 さすがにそれには唖然とするキアランだった。魔術師、というものがいまだよくはわからない。もっとも人狼という存在を自分自身で知悉しているのか、と問われればそちらも覚束なくはあるのだが。 「ここにはそういう連中がごろごろいる。だからあんまり気に病まないで助けてくれる人の手を借りちまえば、たいていは大丈夫だ」 「あなたも。いや、失礼」 「どうぞお気になさらず? なに、気楽にやってくれよ。俺? 俺も目一杯に借りた口だよ。本当にカレン師にはお世話になった」 ニトロに借りた、とは死んでも言わない、とティアンは言う。からからと笑うから、どれほど借りたのか、と思っているのだろうとはキアランにもわかる。 「あいつがここまで入れ込んでるのはちょっと珍しいな、と思ってるぜ」 「そう、ですか? ニトロは面倒見がいいように見えますが」 「だな。それはそうなんだ。ただ……なんて言うか……あいつは本心を見せない。平気でべらべら自分の過去は話すし、腹立ったのイラついたのむかついたの言うけどな。――本当のところで自分がどう感じたのかは、絶対に吐かない。そういう男だからな」 ここまでシアンとキアランの境遇に怒りを見せているのは珍しい、ティアンは呟く。もっともダモンの境遇のこともある。あのときにもそうだった、とは思った。 「息子があのような境遇であったことが、ニトロは許せないのでしょう。不甲斐ない父親です」 「そんなことあいつは思ってないと思うけどな」 「ですが」 「できるやつができることをすりゃいいくらいにしかあいつは思ってないぜ。自分はできるから手を貸す。――昔な、ダモンが助けられた時の話だが。あいつはダモンと自分の死体を作って助けてくれたんだ。というか『殺された』らしいな」 「……はい?」 「暗殺者に狙われててな。一度死んで見せないと逃げ切る時間稼ぎができないってことだったらしい。これ、普通はできないだろう?」 「そもそも暗殺者、ですか? その前に身をさらすことが難しいと思いますが」 「だろ。でもあいつはそれを平気でする。なんでだと思う? 自分にはその能力があるからだって言い放つ。できるからした、それだけだってな」 効果的な手段を取るだけの力が自分にはある。それが魔術師だということでもあるし自分の才能だとも言い放つ。ティアンは苦くそれを思い出す。 「確かにな、できるからやってんだと思う。ただ、なんつーか、平気で体を投げ出すような真似は慎んでほしいとは、思わないでもないがな。別に心配してるわけでもねぇけどよ」 ふん、とティアンは鼻を鳴らした。キアランは横顔に照れを見る。友情なのだ、と思いつつそれを見ていた。羨ましいとは不思議と思わない。ティアンにニトロの姿を見ただけ。あるいはニトロの一面を知った喜びにも似た何か。 そうこうしているうちに兵学校だった。兵士の訓練をしている場所、と聞いていたからもっと厳格なところなのかと思っていたキアランは目を丸くする。どう見てもまだ少年ばかり。 「あぁ、いずれここから自衛軍に入ったり、傭兵になったり。そういう子供らもいるんだよ、ここは」 剣を習いたい商人や腕を更に磨きたい兵士もいる。自分が教導しているのはそちらだ、とティアンは言った。 そんなところがあるのか、と目が開かれる思いだった、キアランは。島には日常的に読み書きを習う場所はない。大きな神殿もなかった。小さなドンカ神殿の神官が月に一度子供たちのための勉学所を開く。それを子供たちは楽しみに待っていた。それだけが彼らが学べる唯一の機会。 「イーサウは元々商売の町だったからな。読み書き勘定を教える場所ってのは整備されてたそうだ。それから兵学校ができて、魔法学院ができた」 いまは数多くある学校の基礎になったのがその三校だ、とティアンは言う。考えたこともない、夢のような町だとキアランは思っていた。 「校長、ちょっといいですか」 ティアンは校舎の中を進んでいく。その間も子供たちがティアンに手を振ったり教師に声をかけられたりと忙しい。慕われているのだ、と眩しいような思いでキアランは見ていた。 「あぁ、いいよ。――休暇の申請かい? カレン師からすでに内密に助力を頼む、とお手紙をいただいているよ」 「ありゃま。俺の方が遅かったか。申し訳ない」 「カレン師より早いのは無理だろうな。私が登校してきたら机の上にあったから」 「……どうやって届けたんだ?」 「さぁ?」 初老の校長はからからと笑った。魔術師が魔法で何かをしてもそれだけで済ませて笑う。そんなことがあるのだとキアランは驚き通しだ。もっとも魔術師と呪師では同じなのか違うのかもわからないのだが。少なくとも島では呪師が姿を見せるだけで波が割れるよう人が引いたものだった。ここでは違うらしい。 「なに、ニトロが帰っているの?」 校長室には校長本人の他にも人がいた。キアランは女性がいる、というのに少し驚いてはいたのだが、おそらくは書類の類でも片づける人なのだろうと思う。 「帰ってるぜ。連絡なかったのか?」 「ないわよ。なによ、あいつ。飲みに行こうって言っておいてちょうだい」 ぷりぷりと怒る壮年の女性はアイラという、とティアンに紹介された。先ほど話した幸運の黒猫隊の隊長だ、と。 「傭兵隊、ですか?」 「えぇ、そうよ。女の傭兵が珍しい? けっこういるのよ」 「いえ、申し訳ない。田舎者でして」 「気にしないで。珍しがる人は多いもの。ニトロのお客人かしら?」 客、と言われて戸惑うキアランを察したかティアンがそつなく客だよ、とアイラに言ってくれていた。校長もにこにことしながら聞いているが、ティアンはその目の鋭さを見抜いている。 「ふうん、そう。ティアン」 「……なんすか、隊長」 「警戒しないでよ、そんなに怖いの? ニトロに伝言しておいて。――友達のための手ならいつでも空いてるわよ。それだけ」 「うい、了解」 にやりとしたティアンを戯れにアイラが打つ。ひどく心地よいものをキアランは見たように思う。ニトロの友人がここにもいるのだと。至るところに友人がいる彼が眩しい。 「あぁ、そうだ。アイラ隊長。ティアンはすぐには戻らないだろうからな。黒猫から人を借りられないかね。二三人、できれば」 「いいわ。ティアンの代わり?」 「ですな」 「だったら腕利きがいるわね。さぁ校長先生、いくら出す?」 悪戯っぽい報酬交渉がはじまった辺りでティアンとキアランは兵学校を辞去した。くすくすとティアンは笑っていたから、あれがいつものやり取りなのだろう。 「あんまり見慣れないものだったかな、あんたには」 「正直に言えば。商活動、というもの自体に馴染みがないのですよ」 「あぁ、屋敷勤めって言ってたもんな。やってたことは違うが、俺も昔お貴族様んところで使われてたからな。わからないでもない」 「イーサウには――」 「いやいや、ここじゃない。ガキのころさ。ミルテシアの貴族の家で飼われてたんだ。秘密の剣闘士、というか剣奴だったんだよ、俺は」 そんなものはお話の中にしかないと思っていた。キアランの顔がさっと青くなる。ティアンは気にするな、と言うよう彼の肩をぽん、と叩いた。はじめてキアランは気づく。鳩を連れたままだったというのに、兵学校で会った人たちは誰一人としてそれを指摘しようとはしなかったと。これがイーサウかと。 |