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ダモンが食後の茶を淹れてくれた。薫り高いのに穏やかで、キアランは驚きと共に口にする。 「どうです?」 「とてもおいしいです。まるで山の中にいるような……」 「それはよかった。ではこの線で考えてみますよ」 にこりと笑うダモンに思わずキアランは首をかしげる。それにニトロが石鹸のことだ、と教えてくれた。他愛ない、けれど温かな心遣い。キアランは言葉もなく黙って頭を下げるのみ。そんな空気を嫌ったのかティアンが咳払いをした。 「で、どうするよ?」 鋭い眼差しがニトロを見ていた。自分と息子のことだ、というのにキアランは緊迫感を持てないでいる。たぶんきっとニトロに全面的な信頼を寄せているせいだろう。その思いが剥げ落ちるような酷薄な笑みをニトロが浮かべていた。 「とりあえず巻き込めるところは全部巻き込むつもりでいるぜ」 「その詳細を教えろって言ってんだ」 「ま、順番に行くか……。ダモン。キアランをどう見た」 ひどく精悍で、しかも熱量のないニトロの藍色の目。それが彼の熱意の表れだ、と幸いにしてダモンは知っている。うっすらと微笑んで答えた。 「僕は問題ないと思うよ」 「じゃあ、神殿に話通してくれ。頼んでいいか?」 「任せろ」 頼もしいダモンにニトロの笑み。ほっと息をついたのにキアランは気づく。ちらりと見やればニトロの苦笑。そういえば話していなかったな、とでも言いたげな顔でキアランは少し落ち着いた。 「こいつ、神官なんだよ」 ダモンのことだ、というのはわかっている。が、あまりにも神官、という位階からは遠いダモンの姿。しかも彼は調香師、と言っていたはず。混乱するキアランを救ったのは当のダモンだった。 「魔力のない平神官ですけどね。我らが最愛のエイシャ女神はお話をお好みになるんです」 かつて歪んだ世界観だけを与えられていたダモンは心の平安のためにエイシャ神殿を訪れたのだ、と言った。世にも稀な話ではあるのだから、女神の御心に適う珍しい話ではあるのだ、と神官は言ったらしい。ぽつぽつと自分の話をし、その縁で香油を納めたりもした。そうこうしているうちに女神の啓示があったと彼は言う。 「僕には魔力がないので、治癒魔法ひとつかけられません。が、最愛のエイシャの御心でもある真実と幻想を見抜く目だけは与えられているんですよ」 その目でキアランを見たのだ、とダモンは言った。どう見えているのだろう、とキアランは背筋が寒くなる。魔物同然の異種族である自分。ダモンは真っ直ぐと微笑んでいた。 「僕はあなたを危険だとは感じない。だから神殿に話を通しておきますよ。確かにニトロの言う通りだ。頼れるところはすべて頼るべきです」 「って、そう言えばな、ニトロよ。キアラン親子は呪われてる。で、普通はこれでしまいにするもんか?」 「しねぇよ」 「だったらこのお人は隠しといた方がいいのか、それとも……なのか、どっちにするんだ」 ティアンの言っている意味がキアランは飲み込めない。ニトロも彼らも戦うことを知っているのだ、とキアランは思う。剣の使い方ひとつ知らない自分とは違う。 「ニトロ。どういうことなのか、聞いてもいいでしょうか」 「ん? たいしたことじゃねぇよ。あんた、追手がかかってたって言ってただろ」 「でも、それは……島を出るまでのことで」 戸惑うキアランに、さすがに場数を踏んでいるダモンとティアンは事の詳細を飲み込む。現在の追手は、ダモンがニトロに目顔で問えば、なかった、と目だけで応えられた。 「とは言ってもな、ニトロ。イーサウの街ん中じゃ状況が違うだろうが。セヴィルって言ったら金山の島だろうが。取引に来てるのが山のようにいるぜ。そいつらがキアラン見かけてほっとくか?」 「そりゃほっとかねぇだろ」 さっとキアランが青くなる。まるで考えていなかったらしい。無理もない、とダモンは思っていた。目の前に押し寄せてくることでいっぱいいっぱいなはず。経験談としてダモンにはよくわかる。 「ニトロ……それでは、あなたが。協力してくださる方々も――」 「気にすんな。……って言っても気にするのはわかってんだがな。気にしてもらうべきだったら最初っから俺は引き受けなきゃ済んだ話だ。迷惑? 夢にも思ってねぇな、そんなのは」 ふん、と鼻を鳴らしてニトロは鳩に向かって手を差し伸べる。食卓の隅で遊んでいた鳩だった。ぴょい、とニトロの手に飛び乗り、くるくると鳴く。それを見つめる眼差しの優しさ。先ほどの冷たい色が嘘のよう。 確かにニトロは鳩を、シアンを、何をおいても救う気でいてくれている。無垢な子供が被害に合うのが許せない。ただそれだけで。キアランは唇を噛んで不甲斐ない自分の内側を見ていた。 「で、ニトロ、隠すのかさらすのか。どっちだよ?」 不愛想なティアンの声。はっとキアランが顔を上げれば悪戯のよう片目をつぶられた。それでいて顔色はまるきり変わっていなのだから目の惑いでもあるかのよう。ふっとキアランの肩から力が抜ける。 「連れまわすぜ。当然だろ? この俺の保護下にいるって知ってて襲撃かけてくるんだったら相手になるぜ」 「お前なぁ。……まぁ、あんときにもそうだったけどよ」 「そう言ってカレン師とニトロは僕らを助けてくれたんですよ、キアラン」 くすりと笑いダモンとティアンは顔を見合わせる。またもそうして赤の他人に手を差し伸べるニトロを見た、と言いたげに。ニトロはそんな友人たちからあからさまに顔をそむけていた。 「あー。とりあえずダモンはエイシャ神殿な。で、ティアン。あんた、休暇取れるか?」 「取れなくっても取ってくるよ、しょうがねぇ」 「悪いな。借り一つだ」 「取り立てんの楽しみにしてるさ。それで?」 ティアンは兵学校の教官だと言っていた。そちらを休んでまで協力してくれると言うのか。無言のまま頭を下げるキアランをティアンは見なかったことにしたらしい。 「ついでにおっさん連れて行ってくれ」 「兵学校に?」 なんの意味でだ、と問う訝しげなティアンにニトロは苦笑する。言っただろう、と。 「キアランが俺の保護下にいるってのをさらしてまわってくれって言ってるだけだぜ」 「……あいよ。連れまわせばいいわけな? キアラン、それでもいいか?」 「僕は……かまいませんが。危険なのでしたら」 「自衛くらいはできるし、あんた一人を守るくらいだったら今の俺でも充分さ。問題ない。問題はニトロ、お前の方だろうが? どこ行って何すんだよ。話が遠いっつーの」 「魔術師に短絡を求めるな。無理だから」 「そりゃ魔術師云々じゃなくってお前の話の組み立てが悪いだけだろうが!」 同感、とダモンが笑えば諍いはそこまで。よい仲間だな、とキアランはほのぼのと見つめる。島にいたときにも、このような仲間を持ったことがキアランはない。屋敷で伽を申しつけられている数人は仲間と言えば仲間ではあったけれどぎすぎすとした仲であったし、そもそもキアランは己が人狼であることを隠していた。なにしろ早くに亡くなった母は当然のこととして父も知らないのだから。知っていたのは山の祖母だけ。これでは親しい友人など作れようはずもなかった、といまにして思い至る彼だった。 「俺? さっき師匠んとこ顔出してきただろ? 師匠のほうからエイメさんにナシつけたって言ってたからよ」 エイメ、というのはカレンが信頼する魔術師だ、とダモンが教えてくれた。自分たちもまた親しくさせてもらっている、とても優しい人だとも。それにキアランがうなずくのを横目で見つつニトロは続ける。 「だからマーテル巻き込むわ。マーテルってのはエイメさんの後継者でな。俺が信頼する魔術師だ。傭兵隊のやつなんだけどよ、仕事がないときには学院で教えたりしてるし、あいつは本部にも顔利くからな」 「なんだ、魔導師会も巻き込むつもりなのか、お前」 「当然だろ? まずはキアランの安全を確保するのが先だぜ。こいつが異種族勘弁って放り出されりゃ別の手を考えなきゃならねぇしよ」 それはないが、とニトロは付け加える。まるでキアランを一瞬でも不安にさせることを恥じた、そんなニトロの表情をキアランは理解できるのだろうか。ダモンはそっと彼を窺う。ただ穏やかにニトロを見ていた。 「エイシャ神殿と魔導師会と。まずはそのあたりでキアランの安全を確立させて、それから、ということかな。ニトロ」 「いや……昨日な、ちょっと師匠の話に出たので考えてたんだけどよ」 合流する前にカレンが双子神の名を出した、とニトロは二人に教えた。ぽ、とティアンの頬が赤らむのをキアランは興味深く見ている。それに気づいたかダモンがそっと悪戯のよう囁く。 「双子神の神殿は娼館を兼ねているので。ティアンはこれで意外と照れ屋なんですよ」 「連れ合いの前でいきなり娼館の名前だされて恥ずかしくもねぇってのは問題だろうが!?」 「そう? それはそれ、これはこれ、だと僕は思うよ」 「図太くなったよなぁ、ダモン。俺としちゃ頼りがいがあって涙が出そうだぜ」 「褒めてないよ、ニトロ」 つん、と顎先を上げれば青年のよう。壮年の立派な男性がそれをするおかしさ。が、長い付き合いの彼らの間では懐かしい冗談にもなる。 「そんで、ニトロ!? 娼館……じゃねぇわ、双子神の神殿がなんだってんだよ!?」 「照れるな。お前が照れたって俺は全然嬉しくねぇわ。……双子神だって言ってんだろうが。キアランは何やらされてた? 好きでもねぇ女抱かされてガキこさえさせられて、そのガキはこの有様だぜ?」 「――神官殿が、怒り狂うのが僕には目に見えるようなんだけど。ニトロ」 「だから巻き込むんだっての。正直な、おっさんとシアンの呪いを解くのは俺の仕事で役目だぜ。頼まれたのは俺だからよ。でもセヴィルどうこうは俺にゃどうにもできねぇんだよ、いまんところは」 島主が何をしていようともイーサウの一介の魔術師には介入のしようがない、とニトロは溜息をつく。その息の重たさ。ニトロの感情が素のままに零れる。 「双子神の神官噛ませりゃ、多少は突破口が開けるかと思ってる。あいつらにとっちゃ絶対にあっちゃいけねぇことだからな、無理矢理ってのは」 「んー、キアランには悪いが……。そこまでお前が」 「なぁ、ティアン。シアンは十八歳だぜ? 島主の娘がシアン産んで以後慎ましく暮らしてたと思うか?」 ニトロの示唆に一番に気づいたのはダモン。さっと青くなる伴侶にティアンが悟る。じくじくと染み込み、理解したくないとばかりキアランが首を振っていた。 |