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町に入るとき、キアランは思ったものだった。自分とニトロはいい。だが鳩を連れているのは目立つだろうと。実際、呪われてさすらっている間キアランは何度も町で奇異なものでも見るような目で見られた。鳩を連れているというのはそれほど目立つ。 だがニトロは気にするな、とばかり。彼が言うのならば、と従ったキアランだったがその理由がようやくわかる。 「あいつらにも用事があるかもしれねぇし。早めに連絡しとくか……」 呟くなり、彼の掌の中、何かが生まれる。キアランが驚きに瞬いたとき、それは真っ白な鳩になっていた。思わずシアンである鳩を見てしまう。よく似ていた。 「これがあんたに気にしなくって平気だって言った理由だな」 にやりとしたニトロが説明をしてくれる。手紙なのだ、と彼は言った。何がどうなって手紙なのかはさっぱり理解できないが、そういう魔法なのだ、とキアランは思うことにする。 「魔術師にとっちゃ鳩の魔法ってのは四六時中使うもんでもあるからな。俺が鳩連れてたって誰も気にしやしねぇわ」 「そういう……ことでしたか……」 「まぁな」 言いつつニトロが手を放す。鳩はぱっと飛び立ち、確かに魔法の産物なのだとキアランに知らせた。開けてもいない窓を通り抜け、鳩はどこかに消えて行く。 ニトロはその鳩を少しの間、眼差しで追っていた。思い出すのは亡き友のこと。少年時代、魔力のない彼と文通をしたくて工夫をした思い出。以来、ニトロはずいぶんと工夫を重ねた。 現在の鳩の魔法はかつてのそれをニトロが改良したものになっている。以前のものは魔力のない人は開封できなかったけれど、ニトロの工夫によって魔力がなくとも開封することが可能になった。 ――あいつがいま生きてたら、なに書いて寄越すかな。 知らず内心で呟いてしまう。いまのニトロの研究課題としては魔力のない人が鳩の魔法を簡略に使用することができるような魔法具の開発だった。現在もできないわけではないが、非常に面倒で中々使ってもらえない。 「あのな、ニトロ」 ニトロが視線を戻すなり、カレンが顔を上げる。何かを考えていたのだろう。そして自らの馬鹿さ加減に気がついた、と言わんばかりの顔。非常に嫌な予感がした。 「なんすか」 「よくよく考えたらな、魔術師だろうが呪師だろうがな、致命的な呪いをかけるのはどう考えたって連盟法上の犯罪行為だろうが?」 「あ……いや、まぁ? そうかも?」 「かもじゃねぇよ。完全に犯罪行為だっつーの。だったらその呪師を連盟で捕縛することは可能だろうな」 そんなことが、とキアランの目が丸くなっている。ニトロとの出会いからこちら、驚くことが多すぎるのか、はじめのくたびれた窶れぶりは少し影を潜めた。 「キアラン。あんたはその呪師ってのがどこの誰か、わかるか?」 カレンも一応は尋ねただけだろう。まさか答えが返ってくるとは予想していなかったらしい。紛れもない犯罪行為だった、と言われるまで気づかなかった自分を棚に上げてニトロはにやにやとする。そんな弟子をカレンは一睨み。その間にもキアランは答えていた。 「セヴィルの者ではありません。対岸の……僕らは本土と言い習わしますが、本土の山に住んでいるドルシア、という女です」 「対岸ってことは……右腕山脈の中か?」 「はい。右腕、と見立てるならば肘のあたりになるのでしょうか」 よくは知らないが、とキアランは言い添える。それにカレンはまた難しい顔をした。客が不安にならないように、とデニスがそっと新しい茶と菓子を差し出す。甘い香りの焼き菓子にキアランはありがたく手を出す。実に美味だった。 「んー、じゃあ。とりあえず次男坊。お前見て来いよ」 「そりゃいいんですがね、師匠」 「不満か?」 「そっちじゃなくって、問題がまだあるんだっつーの。あのな、こいつ」 言って抱いていた鳩をニトロは示す。それからちらりとキアランに視線を向けた。首をかしげる彼に苦笑する。 「あぁ……気にしないでください。大事な話ですから。僕ならば、大丈夫ですよ」 「ん……まぁ、悪いな。――察したでしょ、師匠」 いまのニトロの態度で、カレンには悟るものがある。デニスも少し顔色が変わった。キアランにはそれが不思議で、なるほど、彼らにはそれだけ強い繋がりがあるということなのだと理解する。 「こいつはね、生まれてすぐ廃坑道に放り込まれた」 ぎょっとして息を飲むデニス。それに目も向けずニトロは淡々とシアンの生い立ちを話していた。キアランが島主の屋敷に勤めていたこと、島主の娘の夜伽にされたこと。そして生まれたシアンという息子のこと。 「ちょっといいかい、キアラン? 島主の娘さんが産んだってことは、セヴィルの跡取りってことにもなるんじゃないかと私は思うんだが。セヴィルでは違うのかい?」 現島主の孫になるのだから、シアンは。世襲をしていれば当然そういう話になるだろう。だがシアンはそうは扱われなかった。 「僕には、わかりません。エヴリル様はご結婚、ということを考えないお方でしたし、それを言うのならばなぜシアンを産んだのかも、僕には」 「いや、酷なことを聞いてすまなかったね」 片手を顔の前に掲げてカレンが詫びる。豪快な仕種が彼女にはよく似合っていた。一見して細身の男性のような女性だったけれど、相対してみれば彼女は美しい。それでいて、あまり女を感じない。影ですら女の匂いのきついエヴリルとは対照的だった。 そんな二人のやり取りを眺めつつ、ニトロは別のことを考えている。シアンが最初で最後だったのか、と。シアンは十八歳になる、という。ならば十八年もの間、何事もなく平和だったと信じられるほど薄らぼんやりとはしていない。間違いなく、シアンの他にも同じ境遇の子供がいたはずだ。ニトロはそれを強く疑っていた。だからこそ、師に協力を仰いだ、とも言う。 「セヴィルの自治に干渉することになるかもしれねぇから、師匠に噛んでほしくって。だめだってんだったら俺、カチコミかけますわ」 「待て、ニトロ!? お前はどうしてそう突っ走るんだ。師匠の判断を待たないか!」 「そりゃ突っ走るのは水系最大の特徴だしな」 「主語を大きくするな! それはお前の性格だ!」 「長男坊も偉そうなこと言うようになったなぁ。いや、正しいぞ、デニス。そのとおりだ。ま、続きを聞かせなよ、次男坊」 にやにやするカレンにニトロは肩をすくめる。あとはたいして話など残っていない。つまりこれは喋っている間に冷静になれ、と言われているらしい。 「俺がこういうガキが大っ嫌いなのは師匠も知ってんでしょうが。シアンがこんな目にあったのはなんでだよ。ろくでもない親がいるからでしょうが」 「だからそれと内政干渉が繋がらねぇだろって言ってんだ。詳細を聞かせろ詳細を」 ぽん、とやり込められて確かに自分は冷静ではない、とニトロは照れくさくなる。横目で見やればキアランが少しばかり楽しそうに師弟のやり取りを見ていた。それにかすかな安堵を覚える。話題が話題だった。生々しい話題はさすがにニトロも心苦しく思ってはいた。 「キアランが夜伽に召されるってのがそもそもどうなのよってのは置いといて、だ」 「置いといていいのかい、キアラン?」 「――どうなのでしょう。気分のいいものではなかったので」 「だったらそれも追加か。ほら、あれですよ、師匠。隷属雇用禁止令」 「あれか。なるほどな、いいとこに目を付けた。褒めといてやる。だったらとりあえずフィッツさんに話を通すか」 「……ニトロ」 「ん? フィッツさん? フィッツ・サマルガードって言って、イーサウ自由都市連盟の連盟議長だよ」 そんな偉そうな人とカレンは話ができるのか。それにキアランは目を瞬く。この魔術師師弟は考えているよりずっと重要人物なのかもしれない。もっとも島で生まれて島で育ったキアランだ、町のことはよくわからない。 「その話を通すのにも……呪師、ドルシアだったか。そいつの話が聞きたいな、私は」 「行きましょうか、俺?」 「キアランが落ち着いてからでいいぜ。今日明日に逃げ出すってこたぁねぇだろうさ。最短で何日かかる?」 「行って帰って……探す時間もいれて……拉致っていいですか?」 「とりあえずやめろ、ニトロ! 相手は犯罪者かもしれないけどな! 問答無用で誘拐はやめろ!」 「それもそうか。じゃあ、デニスの忠告に従ったとして……二日?」 つまりそれは話しあう時間が一日余分にかかるだけだ、とニトロは言っているのか。ここはイーサウの街で、右腕山脈からはずいぶんと遠いというのに。キアランの疑問にニトロは短く転移するから、とだけ答えた。 「あと……そうだな……。双子神の神官でも送り込むか。どうよ、ニトロ?」 「どっから出てきたんですか、双子神!」 「だって御乱行が過ぎてるお嬢さんだろ。だったら双子神の神官はちょうどよくねぇ?」 首をかしげるキアランに、諦め顔のデニスが双子神の教義をざっと話してくれた。愛と欲望を司る、と聞かされてキアランはそんなものがあるのか、と思う。が、エヴリルのそれは愛ではないとは思った。欲望ではあるかもしれないが。 「いきなり双子神の神官が乗り込んできたらどんな馬鹿でも疑うわ。まず話が聞きたいですよ、俺は」 「カチコミかけるとか抜かしてやがったくせになに言ってんだ」 にやりと笑うカレンがいた。要はこれで冷静になった、と認められたらしい。確かに乗り込みたい気持ちは充分にあるが、カレンがそれを言えば否が応でも冷静にならざるを得ないニトロだった。 「俺らはキアランの話しか知らねぇわけですし? 別にあんたを疑ってるわけじゃない。でも話ってのは一方から聞いてるだけだと歪むからな」 「でもな、ニトロ。どう考えても犯罪行為をしてる呪師が絡んでるんだぞ? その時点で終わりだろう」 「でもねぇよ。あのな、デニス。世の中は不思議だぜ? 島主んとこに世にも奇怪で理解不能な理由があるのかもしれねぇし、誰にでも納得できる理由があるのかもしれない。それを俺たちはいま、知らねぇんだよ」 それを確かめるのが先だ、ニトロは言う。どんな理由があれども呪いは許されない、デニスが不満げ。二人の弟子をカレンが見やり、キアランに向かって片目をつぶった。 |