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ぽかん、と口を開けたまま、まじまじと自分と鳩を交互に見つめているデニス。自分より年上に見える――実際、間違いなく年上だろうが――立派な男性がそこまで驚く、ということの方にキアランは驚いてしまう。思わず手を差し伸べればためらいなく取ってくれた。 「大丈夫ですか」 「え……えぇ。あぁ。大丈夫です。ありがとうございます」 照れ笑いをするデニスに根性が足らん、とカレンが文句を言いつつ笑っていた。根性がどうの、というのはよくわからなかったけれど、キアランにも理解できることがある。 デニスは、人狼である事実に驚きはしなかった。呪われている、という事象にこそ、驚いていたと。キアランの手に縋ったままデニスは立ち上がり、元の椅子へとゆっくり戻る。それは自分の動作が確かだと自信がない、と言っているかのよう。 「申し訳ない。驚いてしまって」 「いえ……」 「正直に申し上げると、獣に変化する呪い、というのは多くないんです。実例が少なすぎる」 「人間性を失う危険が高すぎるからな」 「いま師匠が言ったとおりです。呪うんだからどうでもいいだろう、というのはあるんですが、それでも。変化に耐えきって、人間性を保っていられる、その精神力に感嘆してしまって」 それで恥ずかしいところを見せてしまった、デニスは頬をかいて頭を下げる。それをにやにやしながらニトロが見ているのだから、どことなくこの三人の在り方がキアランにも飲み込めてきた。 「確かに精神力は強いんだろうがな。他に理由があるだろうよ。ほれ、子蛙一号。お前の意見は?」 「え……待ってください、師匠!」 「じゃ、子蛙二号な。どうよ?」 「そりゃ簡単でしょうが。元々キアランが人狼だからだ。本人の意志で変われるんだから呪われたって被害は少ねぇわ」 だな、とカレンが豪快に笑う。気づかなかった、とデニスが悔しそう。自分の種族的特徴が話題にされている、というのにあまり嫌な気分にならないのは彼らのからりとした雰囲気だろうか。 「問題は、もう一つあるよな。今度こそ一号?」 「はい! どこの誰が、こんなことをしでかしたか、ですよ。確かに師匠も四六時中誰かを呪ったりしてますけどね。こんなに致命的なことはしないでしょう。魔術師の倫理にもとる!」 「……お前なぁ」 「頭に来るたんびに平気で素人を呪うような人じゃないですか」 呆れ顔のカレンに果敢にデニスが言い返す。そのあたりで耐えきれなくなったのだろう、ニトロが大きく笑っていた。 「一応、師匠の弁解をしておくとな。相手が反省するとすぐ解いてるからな、この女は。頭を冷やせって意味でやってんだよ」 「それだってあんまり褒められたことでもないだろ、ニトロ!」 「効果的だろうが」 キアランに弁明をしていたらデニスが憤然と言葉を継ぐ。それをキアランは微笑んで見ていた。ニトロだけが変わった魔術師、なのではない。確かにそのとおり。彼らはこう在る。魔術師すべてがそうなのかはわからない。ただ彼らは信じられる。それをキアランは確信していた。 「それで、ニトロ! 誰なんだよ、お前が調べてないはずはないだろ。早く言え! 査問会の準備するからな!」 腹立たしくてならない様子のデニスだった。それだけ魔術師にとっては重大な事件、ということなのだとキアランは知る。ニトロを見ていると納得しがたかったが、デニスの態度はそう語っている。不思議だった。それぞれが考えることは違う、それでもある一定の線は「魔術師」として共有している、そういうものなのかもしれない。そんなことを思うキアランの隣、ニトロが長々と溜息をついた。 「ここで俺が素直にお師匠様助けてって言った理由が来るわけだ」 「気持ち悪ぃやねぇ。殊勝なお前さんはなんかやらかしてるんじゃねぇかと思うとぞくぞくするわ」 「俺がやらかしたわけじゃねぇよ」 ふん、と鼻を鳴らすニトロにくつろぎを見る。キアランは旅の間、ニトロは緊張にさらされ続けていたのだと知る。守ってくれたニトロ。傍若無人な態度の影、どれほど案じてくれていたのだろう。申し訳なくなるよりありがたかった。 「それで、ニトロ!」 急かすデニスをニトロは一睨み。キアランが何かを考え込んでいるのは横目に映ってはいる。が、長い付き合いでもない、むしろ行きずりに毛が生えた程度だ。わかりようもなかった。 「へいへい。――こいつ、セヴィルの出身なんですよ、師匠」 それでわかるだろう、と言わんばかりのニトロだった。実際カレンもデニスもはっと顔を見合わせる。それにニトロがうなずいていた。 「やったのは呪師です。問題だって言った意味がわかるでしょ? 呪師は同盟支配下にない」 「――ニトロ」 「あぁ。同盟……正確には大陸魔導師会って言うけどな。俺ら魔術師の組織だと思ってくれればいい」 大勢の魔術師が所属し、倫理を守りつつ「人間」に共存し、研究に励んでいる機関だ、と彼は言う。そのようなものがあるのはやはり街ならではだ、とキアランは目を瞬く。島では考えたこともなかった。 「漁師の組合とか、なかったか?」 「あぁ、ありましたね。それと似たようなもの、と言われても職種……と言っていいのかわからないから、想像もしにくいのですが」 「似たようなもん、似たようなもん。で、うちの組合に、そっちの連中が入ってねぇわけよ。これだとこっちの組合が手出ししにくいっつーかな」 ずいぶんと簡単かつ庶民的な話題になってしまった。キアランは首をかしげるが、デニスもカレンもいいたとえだ、とうなずいているから案外的確だったのかもしれない。 「俺が個人的にカチコミかけて呪いを解くのも可能っちゃ可能だけどな。ここで問題がもう一つ」 ニトロには呪師の魔法がわからない、と言う。キアランはまだ瞼の裏に鮮やかなリザードマンとの戦闘を思う。戦うのと呪いを解くの、違うのかもしれないけれどあれほどの彼がわからない、と言うのが改めて不思議ではあった。 「俺にわかんねぇのが不思議って顔してるよな?」 「それは、その。えぇ、率直に言えば」 「ははぁ。旅の間にうちの倅がなんかやらかしやがったな? 怖い思いをさせてなきゃいいんだが。怪我はなかったかい?」 「とんでもない。守っていただきました」 ほほう、とからかうような、それでいて嬉しそうなカレンの笑い顔。ニトロはそっぽを向いて相手にしない。淡々と説明を続けることにしたのをデニスまで笑っていた。 「あのな、キアラン。たとえばここに農夫がいる」 「農夫、ですか」 「おう。こいつは人参を作ってる。けっこううまくて評判だ。で、頼みごとを持ってくるやつがいたわけよ。林檎作ってくれって」 「はい?」 「だって土いじりしてんだからできるだろって言われたって農夫も困ると思わねぇ? そういう問題なわけよ」 確かに常人にとっては魔法とひとくくりにされる問題ではある。が、魔術師と呪師ではそれだけ違う。ニトロはそう言っているらしい。 「更に問題になるのがな、俺らが呪師の魔法を全然知らないってことなわけよ。さっきのたとえで言うんならな、林檎作ってくれって言われてたのに、よくよく聞いてみたらそりゃ芋だった、みたいなことも起こり得る」 人参と芋ならば似ているからなんとかなる、とニトロは言う。そのあたりでキアランにはさっぱりだ、たとえとしては理解したが。それで充分だ、とニトロがうなずいた。 「こいつの呪いの感覚で言うんならね、師匠。俺はどっちかって言うんだったら呪歌の方がまだ近い、そんな気がしますよ」 また知らない名称が出てきた。少し頭がぼうっとしてきたキアランだったが、すかさずデニスが新しい茶を淹れてくれる。すっきりとした爽やかな芳香のする茶だった。 「呪歌、知らねぇ? 吟遊詩人の魔法って言ったらあれなんだが」 「あぁ! そう言ってもらえればわかります。あれは呪歌と言うんですか」 「そうそう、それな。まぁ、呪歌と近いって言っても鯖と鮫と海豚を並べりゃ鮫と海豚は近い方だろうよ、程度だろうけどな」 「大きさしか近くないですよ、ニトロ」 「鯖よりゃ近いだろ?」 にやりとニトロが笑う。魔法という馴染みのない話題がぐっと身近になったような、そんな気がしてキアランはふと微笑む。そうしてくれたことが嬉しかった。 「ところでな、ニトロ」 にやにや笑いのカレンだった。また何かはじまるのか、とキアランが楽しそうに彼女を見ている。くつろいでくれたのならば何よりだが。そう思いつつニトロは背筋にぴりりとしたものを感じていた。 「キアランさんと息子さん、一緒に呪われてるんだよな?」 「ですよ。陽が落ちるとこっちが人間に戻る」 「ちなみに呪師はあんたが人狼だって知ってたのかい、キアランさん?」 「どうぞ呼び捨ててください。――知らなかったでしょう。僕も隠し続けてきましたから」 一瞬鋭くなったカレンの目に、ニトロが無理矢理に暴いたわけではない、とキアランは言い添える。戦闘で危ない目にあったところを助けてもらったのだ、とニトロは付け加えていた。 「倅を助けてくださったか。ありがたい、感謝するよ。なるほどなぁ」 カレンには考えることがあるらしい。腕を組み、背もたれに体を預ける彼女の精悍な表情。キアランはニトロに似ている、そう思う。その眼差しがすい、とニトロに戻った。 「その鳩、シアン君か。――タイラント師と、同じか」 奇妙な抑揚を感じたのはニトロただ一人。いつもどおりの顔でカレンが何気なく問うている。 「……ですね、同じです」 「同じかなぁ? 確かに鳥とドラゴンは似てなくもないけど。飛ぶという意味では」 不思議そうに首をかしげるデニスだった。それから竜に変化してしまったタイラント、という伝説の魔術師のことをデニスは話してくれる。キアランはかつて似たようなことがあったのだ、というだけで少し安心する。もっともタイラント、という人は人間で自分は人狼だとの差は大きいのかもしれなかったが。 「何はともあれ、まずは調査と解析だな。で、坊や?」 「へいへい、手は借りますよ。ダチにもな!」 師弟の間での冗談なのだろう。にやりとするカレンにニトロがむっとした顔をしつつ、仕方ないとついには笑う。いいものだな、とキアランは眺めていた。 |