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何を聞きたいのだろうな、とニトロは思う。率直に尋ねてくれていいのだが、どうにも他人の心を慮るのが苦手だ。訝しい、けれど言いかねているキアランの目にようやく気づく。思わずぽん、と手を打った。 「あぁ、そうか。計算が合わねぇって、思ってたのか!」 なるほどなるほど、と一人合点しているニトロにキアランは首をかしげる。なんの計算がどう合っていないのかが、わからない。 「俺、六十歳過ぎてるぜ?」 言われて、やっとなんの計算でどう合っていないのか、キアランは理解する。そして愕然とした。目の前のニトロ。どう見ても二十代も半ばより上とは思いがたいニトロ。にやにやとキアランを見ていた。 「魔術師は一定のとこで外見年齢が止まっちまう。魔力が高ければ高いほど、早く止まる。俺は比較的魔力が高い方だからな。見た目はこんなだ」 肩をすくめたニトロをまじまじとキアランは見てしまった。これが魔術師、ということなのか。わからないことが多すぎて、これが魔術師なのか、それともニトロなのか、区別がつきようもない。 「温度に左右されにくかったり、外見が若いまんまだったり。魔術師ってのはそういう種族だな」 「種族、ですか?」 喉から声がせり出してきた。キアランはそう感じる。自分で問うつもりもなかった言葉が自然に押し出されてきたかのようだと。ニトロは気にした様子もなくそのとおり、とうなずいていた。 「見た目は人間だろ、俺も? でも違う。確かにおんなじもん食っておんなじもん見てはいる。でも異種族ではあるな。なにしろ時間感覚が全然違う」 「そうは、見えませんが。異種族、ですか……」 「おうさ。あのな、たとえば俺ら魔術師は、ちょっと実験したいからって十年くらい平気で使う。それを人間がやったらどうなるよ?」 「すぐに、時間が尽きてしまいますね」 「だろ? でも俺らは平気。普通にやる。そこに齟齬も生まれる。人間と魔術師と。やっぱ異種族だよなって話にはなる」 「街ではそれで問題に?」 ならないならない、と笑ってニトロは手を振った。つくづくセヴィルの生まれなのだと思う。まだ連盟に加わって長い時間が経っているわけではないセヴィル。常識もいまだイーサウ連盟と同化しているとは言い難い。 「イーサウだと、魔術師みたいに若々しいみたいな言い回しがあるぜ。あとあいつは魔術師だって言ったら傍若無人だって罵ってんのと一緒だな。――それくらい、魔術師がいるのは普通で日常だ」 問題など起こらない、異種族と見做し合っていても。断言するニトロにキアランは考え込んでしまう。 何を考えているのだろうな、とニトロは横目でそれを眺めていた。セヴィルではあるいは魔術師はもっと違う言われ方をしているのかもしれない。呪師、というのがいま一歩ニトロには飲み込みにくいが、尊敬すべき恐ろしい人々、とキアランは言っていた。ならば魔術師もそれに準じた扱いなのかもしれない。 「街の魔術師は、もっとなんと言うか……その辺にごろごろいる存在だな」 「異種族と知って、恐れたりは……しないのでしたね。そう、ですか」 「種族が違うってだけで、別に倫理観に大差があるわけでもない。俺らだって盗みはだめだって思うし人殺しは論外だって言う。人間だって似たようなもんだろ?」 「例示が極端ですよ、ニトロ」 苦笑するキアランに、けれどその程度の差なのだとニトロは言い返す。それには何か思うところがあるらしいキアランだった。 「あなたが熟年の魔術師とは知らず――」 「いやいや、気のせいだからな、それ? あぁ、魔術師と人間の差。もう一個あったか。俺らは人間の倍以上は生きる。寿命は百五十前後ってとこか。もっとも、平均寿命にすると短くなるんだけどな」 なにしろ事故死率が異常に高い、ニトロは笑う。笑い事なのだろうかとキアランは思うが、長き時を生きる、と言われた驚きの方がずっと強くてついに言わずじまいだった。 「俺は独立は許されてるけど、魔術師としてはまだまだ若僧からちょっと出た、くらいだな。だから気にしてくれるな。つか、ほんとだったら俺のがあんたを敬った方がいいんだろうがな、その辺は性分だ、諦めてくれ」 「敬うなど。とんでもない」 「俺とあんたの差ってのは、常人と魔術師の差で考えるとそんなもんなんだよ。それだけだ」 肩をすくめて、ニトロは野営地を片づけはじめる。てきぱきとした動作にニトロの照れを見た気がしてキアランはそっと微笑み手伝った。 そうしつつ、少し不思議になってくる。移動するのだろうかと。焚火のあとまでしっかりと片づけたことで間違いはないと思う。 「あぁ、悪い。言ってなかった。とりあえずイーサウ帰るぜ」 「あぁ、そういうことでしたか」 「聞きたいことがあったら言ってくれ。俺は察しが悪いんだ」 察しておいてよく言う、思ったけれどキアランは静かに微笑むだけ。口許だけが楽しげに笑っていた。そうこうしているうちに野営地は綺麗になる。まるでここに誰もいなかったかのよう。 「野営地の片づけってのはこうあるべきだな、うん」 元のままに、あるがままに戻すこと。ニトロはそう考える。キアランは、と見れば確かに、とうなずいていた。 「僕は野営こそしたことがほとんどありませんでしたが、海を汚すのは嫌なので」 「さすが島の男だな」 「漁はしていませんでしたけどね」 していれば、シアンに教えてやれただろうに。呪いを解かれ、元気になった息子に彼が喜ぶことをしてやれただろうに。その肩にぽん、と手が乗る。 「行こうぜ」 「……はい」 ほんのりとしたキアランの笑み。感謝のそれに見えたけれど、ニトロには意味がわからない。それでもキアランの気分がよくなったのだったならばいいか、と思うことにする。 「そういえばあんた、剣の類の心得は?」 荷物を背負い、二人は歩く。前に後ろに遊ぶよう飛ぶ鳩がいた。時折キアランの肩に止まったり、ニトロの白金の髪を啄んだりと忙しい。 「ありません」 「だろうな。なんとなくそうじゃないかと思ったよ。剣の心得があったらそれだけは手放さないだろうしよ。じゃあ……」 歩きつつぐるりとニトロが周囲を見回す。ちょうどいいものを見つけたのだろう、何かを呟くと一直線に飛んできた。 「枝、ですか……?」 驚きに目を見張るキアランだった。無造作に振るわれる魔法――おそらく――には目を奪われるばかり。異種族、と彼自身が言うけれど、言葉の意味以上の間隙はない気がする。 「おう。これを……こうしてっと」 ひょいひょいと細工をしているのだろうけれどキアランには見当もつかない。歩きながらそうしているニトロが楽しそうだ、とは思った。 「ほい、あんたの護身用だ。硬く加工してあるからな」 「僕は――」 「持ってるだけでいいさ。一応だ。それに、丘を下ったら下は沼地だぜ。三日三晩は歩き詰めだと思ってくれ」 さすがにぎょっとした。が、ニトロはそこを通ってきたのだろう、道は知っていると見える。ならばキアランに否やはない。 「わかりました。努力しましょう」 「俺も気をつけるつもりではいるけどな。遠慮はなしだ。俺はあんたの体力がわかんねぇからな?」 「申告しますよ、そのときには」 そうしてくれ、とニトロは笑った。並んで歩きつつ、彼の横顔を見る。掌一つ分ほどだろうか、ニトロの方が背が高い。白金の髪に浅黒い肌、一種独特な美貌。とても人間で言えば晩年にも相当するような年齢には見えなかった。確かに異種族、ではあるのかもしれない。人間ではない、という意味で。 「魔術師とは、どんなことができるのですか」 キアランは何気なく口にして、無礼であったかもしれないと気づく。が、ニトロはまるで気にしていない。さて、と首をかしげていた。 「難しい質問ではあるな、そりゃ。たいていのことができるって言ってもいいんだがよ……。俺のことで言うなら、俺は属性型魔術師に分類される」 「属性型?」 「あぁ。魔術師にも色々あってな。元々魔法ってのは手に負えない技術の塊だ。神人の子、わかるか?」 突然出てきた、それこそ完全な異種族の存在にキアランは目を丸くする。それでも知らないわけではない、とうなずいた。 「祖母が、時折山で見かけたことがあったと、と」 「なるほどなぁ。そんなこともあっただろうな。まぁ、神人の子らはな、魔法って意味じゃとんでもなく器用なもんらしい。火だろうが水だろうが同じように扱う。こりゃ定命の子らにはちょっと無理だ」 そういうものらしい。キアランには理解ができなかったけれどニトロが言うのならばそうなのだろう。そんな彼のまわり、鳩が飛んでいる。よく晴れ渡った日で気分がよさそうだった。 「だから属性って概念ができた。属性で言うなら俺は水系だ。だから火の魔法はかなり苦手だな」 「火と水では、相性が悪そうですからね」 「そのとおり。飲み込みがいいな」 にやりとするニトロにキアランは赤くなる。窶れた頬もたかが四五日でずいぶん戻った。それだけ飢えていたのかもしれない。 「属性型と対になるのは汎用型。これはなんでもできる。火も水もそれなりに扱う。ただし、属性型ほどとんでもないことはできない。要は魔力の差だ」 「魔力が少ないと突飛なことはできない、そういうことですか」 「まぁな。これはどっちが偉いとか、そういう問題じゃない。ただ方法論の差っていうだけだ。言ってみれば属性型は芸術家だな。汎用型は職人。どっちもできることが違うだけだろ? むしろ職人がいない方が世の中にとっちゃ大変なことになる。俺らは魔法の最先端で遊ばせてもらってんだよ」 汎用型魔術師が下支えをしてくれているからこそだ、とニトロは言った。島の役割に当てはめて考えればわからないでもない、とキアランは思う。 「網の職人がいるからこそ、難しい漁ができる。坑道を計算している職人がいるからこそ、事故が起きない……」 「そういうこと。現場は一番大変なんだよ」 ニトロは嬉しそうに笑っていた。話が通じる、それが楽しい。まるで友人と話しているようだ、ふと思い、そんな自分に肩をすくめる。 丘は下りはじめ、そろそろ沼地が見えてくる。見えるより先に臭気が来た。つん、とした臭いにニトロが気づくより先、キアランは顔を顰めていた。 「そろそろ沼が見えてくるな。さぁて、覚悟しろよ?」 「怖いことを言いますね」 にやりと笑ったキアラン。笑い返すニトロ。キアランの肩に羽を休めた鳩がくるくる鳴いた。 |