夢のあとさき

 セヴィル島がイーサウ自由都市連盟に加わったのはたかだか二十年ほど前だ。人の往来がはじまったのすら、アリルカ戦争に遡る程度。
 原因は右腕山脈だった。旧シャルマーク王国は両腕山脈に囲われ、海と隔てられている。おかげで海から守られている代わりに海辺とはほぼ行き来がない状態が長きにわたって続いてきた。
 けれどそれはまったく人が住まない、と同義ではない。あるいは昔はそうであったのかもしれないけれど、少しずつ人の集落を嫌う、あるいは住めない人々が住処を求めて出て行った。そしてできたのが海岸にへばりつくようにして作られた村だ。中にはいまでも両腕山脈の山深くに住んでいる人たちもいるらしい。
 そして出来上がった村はやはり、山脈の内側の人々との関係を断った。断たざるを得なかった。容易に行き来ができる山ではない。
 通行が可能になったのは、ひとえに一人の魔術師のおかげだ。その名をリオン・アル=イリオと言う。右腕山脈の横腹に大穴を開け隧道と成す、という大工事を一人であっさりやってのけた。もちろん海辺の人たちはそんなことは露知らない。とんでもないものができあがって、はじめてそれを見たわけだった。
 が、それはイーサウ側にしても同じこと。そんなところに人が住んでいる、とは全く想像すらしていなかった、という。
 元々イーサウは交易のための船が欲しい、その停泊地が欲しい、として隧道を通したい、と願ったらしい。山の向こうはただ海がある、としか思っていなかったらしいのだから、村を見てさぞかし驚いたことだろうといまでもニトロは笑うやら呆れるやら。
 紆余曲折の結果、イーサウは貿易港を得た。同時にセヴィル島をも発見した。島の住人曰く、遥か昔に大災害があった、と言い伝えられているとのこと。それから逃れ、けれど山に隔てられて大陸に帰ることができなくなった人々の裔、と称している。
 ――自尊の意識も強かったって聞くな。
 当然だろうとニトロは思う。その大災害とやらがもしもアルハイディリオンに歌われているあの話であるのならば、逃れ、生き残っただけでもすさまじい努力と運だ。そして大陸から取り残され、彼らは自力で生きてきた。少なくとも本人たちはそう言っていた、と当時のイーサウ側の歴史に残っている。
 イーサウは村から町へ、そして商業都市と発展を続け、隧道を通した当時はようやく都市連盟が起ったばかり、といったところ。よかったらセヴィルもどうか、と誘ったらしい。何しろ海辺の村はこぞって新参なのか旧来なのか、「山の内側の人々」を歓迎したらしいのだから。
 が、セヴィルは拒んだ、とニトロは聞いている。あちらにも言い分はあるだろうから鵜呑みにはしていない。少なくとも、年に一度はイーサウから誰かが赴いて説得に当たっていた、とは聞いている。
 セヴィルの方もイーサウの富は充分に理解していたらしい。人口の多さ、新たな知識。欲しいものはいくらでもあった。イーサウは「助力する」との名目で島の整備にも手を貸したから、向こうでは新知識の強さ、というものを目の当たりにしたことだろう。何しろ鉄合金の道具、などなかったらしいのだから。正確に言えばあまりに貴重で島主だけが使っていた。イーサウでは当たり前の道具だ、と聞いた島民から声が上がり、島主を動かした。
 仮に島主のところにだけであったとしても鉄合金があったことでニトロは山脈内外の交流があったのだ、と確信している。島民は知らなくとも、一部の人間だけは難路を通って交易をしていたのだろうと。
 そして二十年前に連盟に加わる。そこでイーサウの人々ははじめてセヴィルが拒み続けてきた理由を知る。セヴィルは金が出た。むしろ、セヴィル島、という島そのものが金鉱山だった。島主は細々と採掘をし、そこから得た金鉱石で諸事を行っていたらしい。隧道が通るようになるとなおのこと金の売買は進み、その利をイーサウに渡し難く思ったとしても無理はない。無論、連盟首脳部はそれを熟知していたからこそ、加盟を促し続けたのだろうが。今ではイーサウが出資し、セヴィルが採掘をし、利益は割合を決めて相応に配分している、とニトロは聞いている。さすがにそのあたりになるとさほど興味がない分野だったから記憶が定かではなかった。
 隧道が通ってからの変革、というのならば呪師の存在だろう。否、隧道が通ってからも長く彼らはその姿を隠し続けてきた。むしろ最近になってやっと呪師、と名乗っていることがわかった、と言っても過言ではない。エリナードが存命だったのならば彼は何をするだろう、ニトロは思う。さぞ面白がって一人で調査に飛んで行きそうな気がした。新しい魔法に出会いたくて。亡くなる直前まで彼は魔法に対する興味を失わず、魔道を歩み続けていた。
「へぇ、呪師? どんな魔法だ? どんな理論で何できんだ? まだわかんねぇんだったら俺が会いに行く。絶対行く!」
 エリナードの声が聞こえるような気がしてニトロは何度微笑んだことだろう。彼の代わりに自分が、思ったこともある。が、竜の泉の調査すら完遂しないで新しいことはしたくない。結果として呪師のことはイーサウでもそのままになっている。だからニトロには呪師がどういう存在かすら、定見がない。漠然と聞いていることがないわけでもない、という程度だ。キアラン父子が呪師の呪いによって変化を強いられている、と聞いても不思議はだからなかった。そのようなこともできるだろう程度にしか思っていない。けれど不思議が一つ。
「――あなたは、何が訝しいと?」
 無言になって考え込むニトロに焦れたのだろうキアランの声。はっと顔を上げて苦笑した。研究ばかりをしているとどうも眼前に人がいる、と忘れて没頭する無礼をしがちだった。軽く片手を上げて詫びれば視線を外される。ためらいがちな態度が嫌ではない。
「悪いな、考え込んじまった。――俺は呪師ってのがどんな存在か、はっきりは知らない。あんたにとって呪師ってのは?」
 存念を聞かせてくれ、ニトロは率直に問う。知らないのだから知っている人に聞けばよい。少なくとも、キアランが自分を呪った相手をどう考えているかだけは、理解できる。
「恐ろしい、とは思います。けれど、尊敬すべき人々だとも思う」
 その言葉はニトロを驚かすに充分だった。呪われていてすらキアランは尊敬すべき、と断言した。
「あんたは自分に非があったと思ってる?」
「あなたは……シアンからどこまでを? 僕に非があったとは……思えない」
「ま、だいたい聞いたってとこ? ふうん、そんでも尊敬すべきって言うのか」
「言います。呪師は立派な人たちだ」
 己に非はなく呪われる咎もない。そうした相手を、けれどキアランは尊敬すると言う。ならば直接呪文をかけた相手はどうなのだろう。そこまで踏み込むことはしなかった。
「だったらなおのこと、疑問がある」
「どんな?」
「あんたがそこまで尊敬するって言った呪師だ。獣への変化の影響がわからなかった、とは思えない」
 そうだろう、とキアランはうなずいた。ニトロに言うつもりはないが、確かに呪師は「理性を失くし徐々に死ぬ」と島主に告げていたのをキアランは聞いている。
「だったらな、なんで逆じゃない?」
「どういう意味だか、僕にはわからない」
「あのな、残酷なことされてるのは、理解してるか?」
 まずそこは大丈夫なのだろうか。ニトロは不安になる。キアランという掴みにくい男を前に、彼が何を考えているのかがわからない。思わず鳩に手を伸ばせばくるると鳴いた鳩は楽しげ。羽ばたいて、辺りで遊ぶ。それにそっと笑えば同じことをキアランがしていた。
「――理解しています」
 互いにその笑みを見たはずだった。が、互いに何も言わず会話に戻る。これを兄弟子はおそらく居心地が悪い、と言うだろう。ニトロは思う。けれどニトロ自身は逆だった。悪くない気分だ。
「だったら、そんな残酷なことをしといてな、なんで逆じゃないのかが、俺は不思議だ」
 再び手を伸ばせば、人間性を失っているはずの鳩はまるで心得たかのようニトロの手に止まる。
「そう難しい話じゃない。あんたが昼間、狼になったらどうなる? シアンは狼連れでどうやって旅をする?」
「夜の中、息子はさぞ恐ろしいと僕は思う」
「でもそっちのほうがましだ。シアンはじっと狼のあんたを待ってることができる。あんたは日中、人間に戻って稼ぎもできりゃ買い物もできる。もしもシアンが人間になるのが昼間だったら?」
 金を得ることも、買い物をすることも彼はできただろうか。否、とニトロは断言してもかまわないと思っている。キアランはどう考えるかはわからないが。ぎゅっと口をつぐんだところを見れば息子にもそのくらいは、と思っているのかもしれない。
「生きるって意味だったら、と言うか、死なせる気があるんだったら、あんたが昼の間に狼になってるほうがきついはずなんだ。――呪師はどうしてそっちを選ばなかった?」
 ぼそりとした疑問は自問の形。キアランに答えを求めているわけではない。彼にも答えようのない問題だろう。あるいは考えてもこなかったか。ニトロの腕からぽん、と鳩が飛び、キアランの肩へと止まっては髪を啄む。優しく翼を撫でてやれば柔らかい。
「ま、考えても仕方ないんだけどな。俺は魔術師であって呪師じゃねぇし、そもそもあんたを呪った呪師ってのが特殊なのか普通なのかもわかんねぇわけだし」
 ぐい、と伸びをしたニトロをキアランはまじまじと見ていた。考え込んでいたかと思えば放り出す。真面目かと思えば軽薄にもなる。よくわからない青年だ、と思った。
「で、なんの話だっけ? 要点だけ言うとな、つまりシアンに頼まれて俺はあんたらをなんとかしたいと思っちゃいる。とはいえ、行きずりの他人に違いはない」
「わかる」
「だろ?」
 にやりとすればキアランの口許が少し動いた。笑ったのかもしれない。そういう目で見れば狼が笑ったかのよう不自然で、それでいて興味深い笑みの形。
「俺はこのあとちょいと調査でまだまわるところがある。それに付き合わないか? 俺の見るところ、あんたは早晩なんとかしなきゃ死ぬってわけでもなさそうだしな」
 それがまず不思議ではあるのだが、とニトロは思っている。変化の呪文はそれほど危険だ。けれど「鍵語魔法では」なのかもしれないし、まだ他の理由があるのかもしれない。何しろタイラント・カルミナムンディという前例もある。世の中は不思議に満ち満ちている、と思えば何が起きても不思議ではない。
「俺とちょいと旅して、そんで俺に助けられる気になるかどうか、決めてくれればいい。どうよ?」
 それでシアンにも義理が立つ。キアランが拒めばそれまで、とニトロは思う。かつて友人を助けたときのよう、無理矢理でも助けられろ、とは思わない。だが、手を振りほどいてほしくはない、とは感じていた。それがまた不思議で、世の中の面白さ、ということにしておく。
「足手まといにすぎないのに」
「うん、見りゃわかる。正直、よく死なないで旅してこれたなって思ってる」
「……確かに」
 真っ直ぐなニトロの感想にキアランは小さく笑った。今度こそはっきりと笑い、そしてニトロに手を差し出す。




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