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魔術師の旅は気楽なものだった。エイメと二人ならばその場で転移してしまうカレンだったが、さすがに弟子たちがいる。一旦自宅に戻り、常設してある転移点を利用しての転移だった。 「……すごい」 ニトロは感覚としてわかっただけだった。技術的なことは何も理解できていない。それでも膨大な魔力をカレンが遅滞なく一切乱さず扱い切ったのは肌でわかる。 「だよな。ここの森、僕も大好きだ!」 アリルカの外れの森だった。勘違いしたデニスが嬉しそうにはしゃぐ。それに小さく笑うニトロは言い返す気はないらしい。それならばそれでいい、カレンは見ていた。 ――ニトロ君、勘がいいわね。 ――勘だけで済んでほしくないもんだがな。 ――カレン様の欲張り。 ふふ、と笑ったエイメの心の手触り。くすぐったいような、恥ずかしいような。カレンは無言で肩をすくめる。 カレンは今回のよう転移点を利用しての転移でなくとも、いつもたいていはここに出現する。アリルカの町中に、あるいは師の下に直接転移することも可能な彼女がそうする理由は一つだけ。 「たまにゃ散歩もいいもんだからな」 何くれとなく歩く、ということをしないカレンだ。魔導師会本部のあるタウザント街は確かに森の中にあるのだけれど、あちらに行くとやたらと用事が押し寄せてくるおかげで森の散策と洒落込む気分には到底なれない。 「夏の森は素敵ね」 「春も秋も、冬だってお前はそう言うだろうが?」 「森が好きなの。綺麗じゃない?」 お喋りをしつつ歩くカレンとエイメを先導するのはデニス。自分は道を知っているぞ、と言わんばかりの稚気だった。 「……あ」 不意に空気が変わった。そんな気がするほどかすかな、それでいて顕著なもの。声を上げたニトロにデニスがほう、と息を吐いた。 「なに?」 「ん? ニトロは勘がいいなって思ってただけ。いま変わったの、感じたんだろ?」 「これ、結界?」 さっさと話を進めようとするニトロにデニスの苦笑。内心では驚いている。はじめて自分がここを訪れたときにはその存在を知らされてはいても、これが結界、と断定することはできなかった。それほど密やかで強固な結界。ニトロは一瞬で看破して見せた。 「だぜ。アリルカに害意があるやつは入ってこれないって、強烈なやつだ」 「どうやって……。いえ、自分でまず考えます。間違いなくわからないと思いますけど。それから聞かせてください」 「あいよ。頑張んな」 ふふん、と自慢げなカレンだった。ニトロの言葉がどうやら嬉しかったらしい。それでいてデニスをもカレンは同じように可愛がっているのだから懐の広さが違うのだ、とエイメは思う。 「なんだよ?」 視線を感じたのだろうカレンの訝しそうな顔。なんでもないわ、とエイメは笑う。この人の友であれる自分でありたい。青臭いことを考えられた自分がどことなく嬉しかったなど、恥ずかしくて言えない。 森の道を進み、気づけばそこは街の中。それでいてやはり森の中。アリルカ独特の風景だった。そしてそこには人間ではない種族が大勢。 「綺麗だ――」 ニトロの感嘆の声。カレンはそれに内心でうなずく。ニトロの目は神人の子らを見ていた。異種族と言われ、人ならざるものと排斥されて長い彼らを。その歴史を踏まえ、けれどニトロはいま自分の目で見て、そして綺麗だと言った。 ――天性なら確かに魔術師向きだよな。 物事を平らかに見ること。均衡を取ること。いかなる偏見をも持たない、それが魔術師に求められる資質だった。どうやらニトロは言われる前にそれができる性質らしい。 ――学院で面倒な思いをしたせいかね? 自分が嫌な思いをしたから人にはしない。そうならば出来のよすぎる子供だと思う。そう考えたカレンだったけれど、ニトロに無理をしている様子はない。ならばやはり天性なのだろう。 考え事をしながらでもエイメとのお喋りはできた。何よりエイメはカレンが考え事をしている、と悟っている。だから話題は軽いもの。他愛ないほんの一時のお喋り。そうして楽しませてくれるエイメがありがたかった。そうこうしているうちに滝の側へと。その道を上がっていけば湖のほとり。 「あれがアリルカの議事堂。元は神人の館だって聞いてるよ。それとあれがリオンの杖! すごく綺麗だろう?」 「あれが……」 「この国を守ってる。すごいことだなって、僕は思う」 得々と話していたデニスが最後だけは真剣だった。少し背伸びをして弟弟子にいいところを見せたいらしい。 ――背伸びって。カレン様、デニス君はもうそんな年じゃないわよ? ――でもそう言いたくなんねぇ? ――なるわね。 遺憾そうなエイメの声。心の声は鮮明で、肉声で話すより感情がはっきりと伝わる。それはエイメの技量以上に、二人の関係性の強さの表れ。同時にそれを感じた二人は顔を見合わせあっては小さく微笑む。 「おう、いたな」 そして湖のほとりの木の根方。いつものように彼がいた。軽く片手を掲げたカレンに返してくる手。歩を進めるカレンに遅れて弟子たちが従った。 歩いてくるカレンとエイメ。カレンの仏頂面は今にはじまったことでもなく、エリナードにとっては見慣れたもの。隣を歩く弾むエイメの足取りもまた。それからデニスも。あの厄介事をエリナードは忘れてなどいない。だが。 「師匠?」 一瞬にも満たない間、エリナードの目が鋭くなった。否、鋭いと言うよりは訝しいと言った方がいいか。他の誰も気づかないそれにカレンだけは小首をかしげる。 「いや、なんでもねぇよ。どうした?」 エリナードが見ていたのはデニスの隣にいる少年だった。こちらを真っ直ぐと見てくる眼差し。蜂蜜色の健康的な肌に少し長めの素直な黒髪。それでいて目だけは深い青をした少年。 「なんでもないってこたぁねぇでしょうが」 「たいしたことじゃねぇっつの。昔の知り合いに似てた、それだけだ」 「はい? こいつが? だからってそんな顔するか、普通?」 「うっせぇな。しちゃ悪いかよ。死人が出てくりゃ俺だって驚くわ」 さすがにエリナードのすべてを知っているわけでもないカレンだ。それが誰を指したのかはわからない。それでも師の心にいまも強く刻みつけられている相手なのだろうとは察した。 「もう、お二方とも。子供たちが驚いてますわ」 「あー、悪い。エイメ」 「悪ぃな、エイメ。師弟揃って柄が悪くってよ」 それこそ師弟揃ってエイメに頭を下げれば、くすくすと彼女は笑う。いまだ驚きの強いニトロと緊張の隠せないデニスは棒立ちのままだった。 「ほら、座れよ。で、師匠。こいつ、ニトロと言います。私の新しい弟子っすよ」 「ほう。そうか。どっかで見た顔だな。学院出か?」 白々しい、カレンの顔には書いてあったけれど、さすがにニトロにはわからない。素知らぬ顔のままエリナードはニトロに目を向けていた。先ほどの訝しさは綺麗に消えている。あるいは隠し切ったのかもしれない。 「……はい」 緊張しているのかどうか。きゅっと口をつぐんでニトロは真っ直ぐとエリナードを見ていた。握った拳が一度だけ胸元に。それもすぐ下ろされてしまった。まるで何かを取り出そうとしてやめたような。エリナードは追及しなかった。 「魔術師になって、どうしたいんだ?」 ちらりとデニスを見て意地悪く問う。ニトロではなく、デニスが顔を赤らめていた。それに気づく様子もなく彼はそっとうつむく。そして顔を上げたときには決然とした表情。 「――友達がいました。あいつに、生かされました。だから、あいつに恥ずかしくない生き方ができるようになりたいです。あいつにもらった命だから、俺は歩けるところまで、歩いて行きたい。――そういう魔術師に、なりたいです」 唐突だった。エリナードはきっとなにも知らないだろうに。言い切ってしまってから、恥ずかしくなる。握った拳がいまになって汗まみれ。それでもニトロは言葉を続けた。 「師匠の下でなら、俺はそういう生き方ができると思います。俺は……俺になりたい。だから、魔道を歩きたい」 誰も何も言わなかった。黙ってカレンがその背を叩く。見上げればにやりとした力強い笑み。頼もしい師の笑みの下、ニトロはうなずく。 「ずいぶんと買われたもんだぜ。まぁ、任せときな。お前が歩く道筋の立て方くらいは教えてやるからよ」 「……はい!」 気づけばするすると流れるように滑り出てきた言葉だった。まるでここに来たことが切っ掛けとなったかのような。それが不思議で、ニトロはついエリナードを見つめる。カレンの師はお伽噺のような美貌の持ち主だった。これで態度さえ改まればと誰もが思うような。それなのにニトロはその在り方が美しい、と感じた。不思議で、まだわからないことがたくさんあって。こうして言葉が出てきたのも理由がわからなくて。 「どうした?」 「いえ。魔法は、楽しいなと思って。生きるのは、楽しいのかもしれないと思って」 「――俺の師匠の受け売りだけどな。明けない夜はないって言ってもな、暮れない昼もないんだ。生きてりゃ面倒事ばっかりだ。それでもたまにゃいいこともある。それが生きるってことだな?」 「百年後、そう言えるような生き方をしたいです」 「言ったな、小僧?」 にやりとしたエリナード。いつかは話したいとニトロは思う。いまはまだ。ぎゅっと握った拳にデニスが目を留めていた。まるで自分もまた歩き続ける決心を新たにしたと言うように。 「そっちの坊やはどうだ? 多少はましになったかよ?」 「……なった、と言える気はまだしません。それが成長だ、と言えればいいな、とは思います」 「情けねぇ顔しやがって。それでもカレンの弟子か? しっかりしろよ、ったく」 「エリナード師のお優しいこと。デニス君、励まされてるのよ。頑張って!」 「励ましてねぇよ!?」 綺麗にエリナードとカレン、声が揃った。励ますとろくなことにはならないのだからと。言われた当人のデニスが口許を押さえては笑いをこらえる。ニトロ一人がきょとんとしていた。 |