夢のあとさき

 狼の巣からイーサウ本市街へ。元は軍地基地だったという巣だけれど、いまとなってはごく当たり前の町に見える。けれど本市街に入れば明らかに違った。これぞ商業都市の活気と言わんばかりの喧騒。
「お前、遊んだか?」
 カレンとエイメ、並んで歩きながら背後の弟子たちに彼女は問う。ちらりと振り返ったカレンの表情はすでに答えを知っているかのよう。
「僕はあまり。タウザント街に行くことはありましたけど」
 答えるデニスにニトロもうなずく。そうだろうと思っていたが、デニスの当時ですらそうだったのかと思えば愕然とする。ニトロは更に酷かったのかもしれない。
「先生方は、本市街は危ないから、と仰っていましたが……」
 不満だ、とニトロの目に表れた。少年らしい鋭い眼差しがカレンには好ましい。この年頃にはそのようなものだろうとも思う。
「だよね。僕らにも先生方はそう仰っていたし」
 デニスとしては不思議を感じていなかったのだろう。彼に学院はたぶん、合っていた。魔術師の教育、という意味ではとんでもない間違いではあるのだけれど、デニスがすくすくと育ったのは学院のおかげでもある。けれどニトロのような子供にとっては苦痛でしかなかっただろう。
「師匠はどう……あ」
 デニスが問いを発し、そして気づく。時々デニスは忘れてしまうらしい。カレンはイーサウの出身ではなかったし学院出でもない。彼女は「魔術の華開く国」と称えられたラクルーサの、それも宮廷魔導師団の出身だった。
「あのなぁ。私が星花宮で育ったからって、お行儀のいい育ちなんかしてるもんか」
「でした。師匠ですもんね」
「おい、ガキ。どういう意味だコラ」
 長い腕が伸びてきて、戯れにデニスの頭に落とされる拳。痛いと涙目になるデニスだったけれど嬉しそうだった。それを見てはニトロもくすりと笑う。
「アントラルの街は、危なくはなかったんですか?」
 さすがにニトロの年齢であってもラクルーサの王都は知っている。古く大きな街だった。ラクルーサという伝統の国を支え続けてきた床しい街。それならば危険なことなどなかったのだろうか。ニトロの問いにカレンの口許が歪む。
「ないわけねぇだろうが?」
「それでも星花宮の魔導師たちは子供たちを遊びに行かせたりなさっていたの?」
「そりゃそうさ。ガキなんかちょろちょろしてなんぼだからよ。一応はどこが危ないってのは、聞かされるぜ?」
 それでも遊びに行く。もちろん危険と言われた場所にも。それにデニスが顔を顰めていた。「いい子」のデニスとしては言われたことは守るもの、という頭がある。
「けどな、こっちも魔力持ちだ。常人よりよっぽど勘は鋭いぞ?」
「だから危なくはない、ということですか?」
「違う。本格的にまずいときにはわかるってだけだ。ついでに言えばな、命の危険を感じたとする。星花宮の子供たちはどうするか。答えは簡単だ。師匠を呼ぶんだ」
「はい?」
「助けて師匠ってな。まぁ、実際はガキだからな、師匠ってより仲のいい先輩の一人を呼ぶんだがよ」
「それで助けてくださるの?」
「おうよ。あとで聞いたことだけどな。星花宮のガキどもは大人がきっちり見てるんだ。ある程度の年齢になると精神の指先引っかけとくようなことはなくなるけどな。それでもそいつが一人前になるまでは何くれとなく世話を焼いてくれる。危ないときに呼びゃ一発で跳んで来てくれるぜ」
 デニスが衝撃を受けた顔をしていた。そんなことをしていては大人の身が持たないのではないかとでも言いたげな顔。ニトロは更に驚きが強い。そんなに丁寧に扱われた覚えがない。カレンの言葉からは干渉されたという響きはなく、見守ってもらっていた、という感謝だけがある。
 ――俺たちは。
 自分とネイト。いつも説教ばかりをされていた。わかってももらえず、理解を求めることも忘れてしまっていた気がする。
「もちろんそのあとは滾々と説教されるぞ?」
「あら、カレン様。されたの?」
「されたされた。私はガキのころからこんな調子だったからな。だめだって言われても粋がったりしてな。破落戸に絡まれたとか、喧嘩ふっかけられたとか。もうさんざんにやったからな」
 少女時代のカレンの姿に思いを馳せたのだろうデニスの頭痛の顔。わかる、とニトロは笑ってしまった。羨んでいた気分が飛んで行くのはきっと、いまからでも遅くはない、そんな風にも思うせい。ニトロの表情に目を留めたカレンがちらりと微笑んだ。
「本気でまずいって思ったときだけだったけどな、助けを求めたのは。とりあえず青あざ作って帰ったとかはしょっちゅうだったよ。それで怒られる」
「でも、やめなかったの?」
「別にわざわざ怪我したくてしてたわけじゃない。頭でわかってるだけだったんだよ、まだ子供だったからな」
「頭、で……」
「デニス坊やには覚えがあることだろう? 言われても頭でわかったつもりになってるだけだった、私も。お前と違うのはな、私はそれを理解していたってことだ」
 う、と息を飲むデニス。思うところがいくらでもあるのだろう。カレンとしては飲み込みの早い遅いの差でしかない、と思っているのだが。
「私は最低限、それがわかってた。だから体で理解するために少々の無茶をした。お前は頭で理解してる、ふり、だったから色々なことがあったわけだ。いまは理解の努力ははじめたな?」
「そう、ありたいと思っています」
「いんだぜ、それで。私は私、お前はお前だ。道を歩くのに早い遅いはあっても歩いてることに違いはない。そういうもんだ」
 肩をすくめたのはきっとカレンが照れたせい。そんなことがいまは少し、デニスにもわかるようになった。それが嬉しい。
「ガキってのは頭でしか、理解できてないもんだ。それもちゃんとわかってるわけじゃない。だから体で覚えようとする」
「ちょっと難しい言葉で言えばね、二人とも。それは知識が智慧になる、と言うのよ」
「ましてガキだ。知識ですら圧倒的に足らねぇんだ。実行して覚えるしかない。それが身になる」
「大人になれば頭で理解したことをそのまま自分の物にできるわ。でも子供のうちは色々経験するのがたぶんいいんでしょうね」
 望ましいかもしれない、とは言ってもエイメはやれ、とは言わなかった。それにニトロはほっと息をつく。
 ぞくりとした、そんな自分に。進みたい、魔道を歩く。言いながら逃げているような、そんな気がした。
 ――できることなら、やってみた方がいいのかも。
 何をしたいだろう。考えてみる。ふと目に留まるのはカレンの後ろ姿。すらりとした長身のその背中には確固とした芯がある。
 ――師匠の下でなら、色々。
 できるのかもしれない。やってみたいと思うことが増えて行くのかもしれない。ふと振り返ったカレンの目だけが笑っていた。何も言わずに。
「そういや、お前。造形はやるのか?」
 唐突に話題を変えたカレンだったが、魔術師の会話などこのようなもの。エイメは気に留めてもいない。面喰らうのはデニスで、ニトロは実はさっさと慣れた。
「――少し。先生方には内緒でしたけど」
「あー、やっぱバレると言われたか?」
「……はい。まだ早いって。危ないからよしなさいって」
 デニスがニトロを横目で見やる。そう言いたくなる学院の教師の気持ちもわからなくはない。ニトロは実際にまだ少年にようやくなった、という年齢だ。
 ――でもニトロはできる。僕よりずっと魔道が進んでる。魔力の扱いにも不安なんか全然ない。
 ならば進ませてもよかったのでは、ちらりとそう思った。学院時代には教師の言うことをまったく疑わなかったけれど、最近では少し疑いを持たないでもない。特にこうして自分とは性格の違うニトロを見ていると。
「好きか?」
 頓着しないカレンの言葉にニトロははっきりとうなずいていた。ちょっとしたデニスへの訓話だったはずが、ニトロの胸にも何がしかは響いたらしい。そう思えばくすぐったいカレンだ。
「だったらよく見とけよ。ほれ、ついたぜ」
 小さな店だった。が、デニスは自分一人でならば絶対に店の扉は開けられない、そう思う。何しろ宝飾店になど用がない。というより恥ずかしい。
 カレンを筆頭に四人で入れば店の中は輝いていた。特別に明るいわけではないのだけれど、あまりにも煌びやかなものが並んでいるせいかもしれない。
「まぁ、素敵!」
 どうやら新作が並んでいるらしい。カレンもエイメも屈託がなく、店員も二人に愛想がいいところを見るとはじめての客ではない様子だった。ニトロは最初デニスと並んでおずおずとしていた。けれど次第に引き込まれて行く。
「ニトロ、こういうの好き?」
「自分でつけるんじゃなくて、作りたい。そういう意味でなら、好き」
「そっか。僕も練習しようかな。あんまり得意じゃないんだ」
「なにが得意?」
「実用品なら。装飾品は苦手だな、僕は」
 それもまたデニスらしい回答だった。魔法は人の役に立つものだ、人助けができる、したいと思っているデニスだ。実用品は彼の魔道と意図とに適っている。
「これとこれ、どっちも素敵ね」
 エイメが髪飾りを手に迷っていた。カレンはどうやら師の参考に見学をしているらしいけれど、エイメは純粋に買い物なのだろう。
「ねぇ、カレン様。どっちがいいかしら?」
 一つは金で鳥をかたどり、その目には青玉、嘴には珊瑚玉のついた銀の枝を咥えた飾り櫛。もう一つは銀鎖が幾重にも連ねられ、その途中に小さな宝石が揺れている優雅な簪。
「お前だったら鳥の方が好きだろうな、と思うけど。銀鎖のが似合うかな」
「だったらこちらにするわ。銀鎖の方を頂戴」
 毎度ご贔屓に、ほくほく顔の店員だったがデニスは呆れ顔を隠さない。ちらりとニトロと顔を見合わせれば、互いに浮かぶ似たような表情。思わず笑い合った。
「へぇ、これ。最近の流行だよな」
 鳥の目も珊瑚玉も台にはめ込まれているのではなかった。小さな爪で留められているせいでいっそう美しさが引き立つ。よくぞお気づきで、褒める店員にカレンはそれをくれと言っていた。両方売れて舞い上がりそうな店員を残し、四人は店を出る。
「エイメ。ほら、動くなよ」
「え……?」
「あぁ、やっぱこっちも似合うな。お前は綺麗な髪してるから鳥も嬉しそうだぜ」
 飾り櫛をつけてやりつつ言うカレンにデニスは肩を落とす。ニトロはくつくつと笑っていた。




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