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エイメとデニス合作の昼食は量もたっぷりで、特にカレンとエディが競うように皿を空にしていく。結局五本もの立ち合いをしたのだから空腹は当然かもしれない。内、三本を取ったのはどちらか、とは言わぬが花か。 わいわいがやがやと話し声の絶えない食卓だった。賑やかで、世の常識人ならば猥雑だ、と言うだろう。顔を顰めるものとているかもしれない。けれどニトロはこれが心地よかった。話題に混ざることはなくとも、聞いているのは楽しかった。 ――学院の食堂とは、全然違う。 賑やかだったのは学院も同じ。けれど何がどうしてここまで違うのだろう。仲良くしろと言われないせいだ、ふと気づく。話題に入らなくとも放っておいてもらえた。それでいて、時折は視線がこちらを向いて微笑む。無視されているわけではない。楽しんでいるのが伝わっている。ニトロの口許もほころび、常より食欲もわいた。 ――あぁ、カレン様。だからだったのね。 ニトロの様子に得心したのはエイメ。帰ってきたばかりのエディを呼びつけ、レイも加えての大勢の風景。学院との差を見せようとしたか。気づいたカレンがぱちりと照れくさそうに片目をつぶった。 「とりあえずは買い物だな」 くちくなった腹をさするカレンをエイメが笑う。その笑顔は幸福そのものだった。いままでエイメに味付けを尋ねていたレイが不思議そうに首をかしげた。 「師匠にさ。こっちの方が意匠は先端だからな。あれこれ話してやりゃ……まぁ……喜ぶしよ」 ぼそぼそとしたぶっきらぼうな口ぶり。思わず、と言った調子でレイが吹き出す。処置なしと肩をすくめるエディの口許もひくついていた。 「あら、笑ったりしたらひどいわ、二人とも。エリナード師は素敵な方ですもの。カレン様が尊敬なさるのも当然なのよ?」 「いや、そりゃわかってんだよ、姐さん。俺たちだって世話になった。――けどな」 「なんだよ!?」 珍しくカレンが声を荒らげる。ニトロはそれを瞬きもせずに見ていた。友人。カレンとエディは友人同士。不意に心に落ちるものがある。 ――俺と、ネイトも。俺も、こんな風だった。たぶん、きっと。もう、わからない。 ネイトがいたころには、こんな風に他愛ない喧嘩をしたり、言い合いをしたり。仲直りをして、冗談だと肩を叩きあって。 それを見るのは、痛いような気もした。けれど、どこか安らぎもする。生々しい痛みより、眺めている安堵。まだ幼いニトロは上手に表現する術を持たない。あるいはそれは、温かい情景を目の当たりにすることで己の過去を再確認する行為だったのかもしれない。そうして傷を癒そうとする、ニトロなりの前に進む意志。 「あんたがそうやって照れてると、槍でも降るかって気になるんだよ!」 「うっせぇぞコラ。つか、降らせるからな!?」 「できるのわかってんだからやるんじゃねぇわ!?」 「できるから――」 「はい、二人とも。そこまでよ。カレン様ったら。ニトロ君が引きつけを起こすわ。そんなに大きな声を出したりして」 「ん? あぁ、すまん。驚いたか?」 「……驚きは、しました。でも、引きつけを起こすほど小さくないです」 ぶっとカレンが吹き出す。それにデニスが顔を顰め、そんな弟子を見てはまた笑う。仕方のない女だろう、とエディが力なく笑っていた。 「ごめんなさい、ニトロ君。気に障ったわね」 「いえ……それほどでも、ないです」 「あんまり気を使わないことだわ。私たち、ずっとこんな調子でやってきたものだから。言葉が荒くて。あなたもそうしてって言ってるわけじゃないのよ? あなたはあなたの好きなようにすればいいの。そのために、私たちに気を使わないで。それがお願いかしら」 嫌なら嫌だと言えばいい。配慮はするがたぶん改まりはしない。エイメは付け足して笑う。またも仕方ない女だ、と今度はエイメに向けてエディが肩をすくめた。 「この姐さんはな、一番まともに見えてるだろう?」 「でもニトロ君。よく考えてみたらいい」 「エイメ姐さんはな、カレンのダチなんだぞ? 推して知るべしってのはこういうことだな」 連れ合い同士で顔を見合わせては笑う。それには返答のしようがないニトロだったけれど、当事者二人はそのとおり、と笑い合っていた。 「大人があんまり年少者をからかうものじゃないです、みなさん。ニトロを子供扱いするつもりはないですけど、まだ色々戸惑うことも多いはずなんですからね!」 「おうおう、ガキがいっぱしの口叩くようになりやがって」 「師匠がその調子なので、致し方なく!」 言い返したデニスをエディが仄かに優しい目で見やった。ちらりとそれを見たレイが口許をほころばせる。それもいいものだな、とニトロは眺めていた。 「さあ、お買い物だったわね。エディたちはどうするの。一緒に行く?」 「誰が行くか。レイと久しぶりにのんびりさせろよ」 「あら、いまだに熱々。いいわね、レイ君」 「羨んでもエイメにエドガーはあげないよ」 「いらないわ。私、エディみたいな面倒くさい男、好みじゃないもの」 「そんなに面倒……くさいな、君は。確かに」 「なぁ、レイ。お前が言うなって言葉、知ってるか?」 「知っているよ?」 だからなんだと微笑むレイにエディが笑いかける。結局のところエイメの言う通りだ、とデニスが笑った。 「俺たちは女神湖に散歩にでも行くさ。レイが遊びに行きたいって言ってたからな」 「そりゃいいな。ちょうど夏霜草が咲きはじめたぜ。いい匂いしてたわ」 「あぁ、いいな。素敵だ。行こう、エドガー」 あいよ、笑ってエディは立ち上がる。それを機に全員が外出の支度をした。デニスはとっくにわかっていたのだろう、手早く上着を取り換えて、ニトロの分まで用意をしてくれていた。 「……ありがと」 「師匠は気紛れだから。こういうの、けっこう多いよ」 「わかった。準備しとく。ありがと」 うん、と含羞んだデニス。そこまで照れられるとこちらが恥ずかしい、思ってニトロは内心で驚く。悪くない気分だった。デニスは嫌いではない、それを確認したような、そんな気分。たぶんきっと、そのせい。ためらっていたものをそっと懐に忍ばせる。デニスは気づいた様子もなかった。 家の前でエディとレイとは別れた。向かう方向は同じながら、あちらは休暇だ。一応は、とカレンが気を使ったらしい。とはいえ、エディに黒猫の隊長宛ての手紙を託しもしては少々嫌な顔をされていた。それが冗談半分なのだ、と誰にでもわかるほど彼らは友人同士だったが。 「意外と心細やかなところもあるのよ、この方。見えないから誤解されるだけなの」 「別に誤解されようが曲解されようがどーでもいいわ」 ふん、と鼻を鳴らしたカレンにデニスが文句を言っていた。これでもカレンは「塔の後継者」だ。魔術師としては相当に重んぜられる立場でもある。それに相応しい態度を、とデニスが苦言を呈するのだけれどカレンには聞こえた様子もない。 むしろニトロはカレンの言葉にこそ、衝撃を受けていた。否、それでいいのだと驚喜していた。自分は自分。どのような評価も気に留める必要はない。そう言い切れるカレンの強さ。それでいいと自分もいつか言えるようになりたい。他人の評価ばかりを気にするように、そう言われていた学院の生活が遠くなっていく。 「夏霜草とは、あの花ですか。師匠」 デニスは覚えがあるのだろう。それを言えばニトロもだった。学院で学んだ植物学。記憶はまだ新しい。とはいえ、薬効があるわけでも触媒に利用するわけでもない。単に香りのよい花であるだけだった。 それでも学院で話題に上るのは、「女神湖の夏霜草」が特別なせい。あのフェリクス・エリナードが植えたのだ、と言う。 「師匠のちょっとした悪戯? まぁ、いまのお前に言うとめんどくさいことぬかしそうだからまだ詳細は内緒だ」 「僕だって前ほど面倒くさいことは言わなくなりました!」 「まぁな。少々面倒な男、程度にゃなったか」 ふふん、とカレンがデニスの頭をかきまわす。嫌がるデニスはそれでも嬉しそうだった。師に認められた、と知って。 その情景を見つつエイメは何度となくカレンに感嘆している。先ほどの食事一つとってもそう。今度のアリルカ行をとってもそう。 ――夏霜草が咲いたってことは、そろそろアリス祭だわ。 夏の初めに咲きはじめるあの花。夏中よく茂ってよく咲く。手入れいらずの丈夫な花でもあった。そして夏霜草が咲きはじめれば、それは夏の訪れ。ここイーサウではアリス祭の時期でもある。 かつてシャルマークの小さな辺境の村でしかなかったイーサウ村。その発展に寄与し、陰日向に支えてくれたのがシャルマークの四英雄。ある時、村を苦難が襲った。一人の少女が助けを求め単独で走ったと言う。その手を四英雄が取ってくれた、それがイーサウ発展のはじまり。少女の名をアリスと言い、いまでも彼女を記念して祭りが行われる。 ――去年のアリス祭には、ネイト君がいたのね。 きっとニトロと二人、祭りを見物に行ったことだろう。学院も参加する行事だ、あれこれと手伝いもしたかもしれない。二人で。 ――今年は。 ニトロの隣にネイトはいない。学院では犯罪者と扱われ、自業自得で死んだとまで言われているネイト。ニトロの大事な友達。 カレンはニトロに思い出させたくなかったのではきっとない。思い出すも出さないもないと思っている。ただ、ほんの少し距離を置いた方がいいだろう、それだけの小さな配慮だった。 ――何もわざわざ今はいないってのを目の当たりにすることはないからよ。 デニスと他愛ないことを喋りながらカレンは心で囁く。エイメの目が優しくなった。そんな目をされると照れるというのに。 ――照れ屋なカレン様も素敵よ? ――言ってろ。馬鹿。 弟子たちに気づかれないよう、そんな話をしているなど二人は夢にも知らない。デニスは師とのお喋りをいったん中止して今度はニトロをかまい出す。時折は面倒そうな顔をするものの、ニトロは嫌がりはしない。とはいえ。 「デニス。話が長いよ」 「だって、だから! 僕だって一生懸命に!」 「必死になっても無駄は無駄だと思う。俺が面倒で聞き流したら、まるっきり無駄になるよ」 「聞き流すなよ!」 「流さないようにまとめてから喋って」 大人二人は顔を見合わせ目だけで笑い合う。意外と悪くはないらしい、弟子たちの仲は。友人と言うほど熱いものにはならないでもいい。うまくやっていけばいいのさ。内心で嘯くカレンと気づいたエイメの腕がするりと彼女のそれに絡んでは微笑んだ。 |