夢のあとさき

 カレンの水作りの剣は美術品としても一級だった。硬化した水なのだから、どこか氷めいていてもおかしくはないというのに、やはりどう見ても水にしか見えない。じっくりと見れば剣身の中央に流れがあるとわかるだろう。涼やかな小川の、更に深い流れのように。それが剣の重心を変え、動作を補助する。機構としても一級品だった。
「見てみるか?」
 くすぐったそうに言うカレンにニトロは正気に返ったらしい。が、おずおずと寄ってくる。好奇心には替えられなかったのだろう。
「いいか?」
「持って、いいんですか?」
「いいぜ、別に。保持までやってみな」
 ひょい、と無造作に渡されてしまって、慌ててニトロは受け取る。咄嗟にそうしたことがよかったのだろう。瞬時に魔力が巡り、剣は姿を失うことなくその手にあった。
 ほう、とエイメが感嘆していた。デニスにはまだその凄味がいま一歩理解できないらしい。カレンの剣はいわば魔力の塊だ。手にすることすら難しい。未熟な弟子の身とあってはカレンに渡された瞬間に消え去ってもおかしくはない。それをニトロは無意識に魔力を操り、保持して見せた。
 ――すごい子ね。すごい子だからこそ、難しい子でもあるのね。
 ニトロがいま意識せずにしたことそのものが、本来ならば危険なこと。学院は何をしていたのだ、エイメははじめてそう思う。ニトロのあれだけの魔力を学院は認識していなかったのではないだろうか。
 ――らしいぜ? まだなぁんにもわかんねぇちっちゃな子って扱いだったからよ。
 不意に触れてくるカレンの心の手触り。驚きのあまり障壁が多少緩んだらしい。親しい間柄だからこそ、冗談のようカレンは話しかけ、注意を促してくれた。ここには一人前の魔術師の心の内を知らないでよい弟子が二人もいるのだから。ふ、とエイメは目だけで笑って感謝に代えた。
「どうだ?」
 ゆっくりとニトロが剣を触り、眺めていた。傾け、反対に向け、今度は逆からもう一度。まるで剣を見定めているかのよう。けれど違う。
「……全然わかりません」
「ほう?」
「術式の見当くらいは、つくかな、と思ったんですが。何がどうなってるのかも、わからなくて」
「残念か?」
「いいえ」
 やけにきっぱりと言い、ニトロはそんな自分に気づいたのだろう、ちらりと周囲を見回す。大人たちは揃って素知らぬ顔をしていた。一応は大人の部類ではあるデニスばかりは少々ぎこちなかったけれど。
「変に聞こえるとは、思うんですが。――嬉しいです」
 言ってニトロはカレンに剣を返した。どこか名残惜しそうな手つき。触っていればいつかは自分にも理解が及ぶ、そんな目。カレンは内心で居心地が悪くなってしまう。どこかで昔見たような目だと思えばこそ。
「それと……」
 カレンの手に戻れば剣は美しさが違った。ニトロはそう思う。自分の手にあったときにはぎりぎり存在を保っていたあの剣。カレンの手の中で輝きを増す。
「うん?」
 カレンとニトロの会話をエディとレイも聞いていた。「カレンの弟子」によい印象のない二人だったけれど、いまとなってはデニスもよい青年に成長している。そこに現れた幼い弟子。中々に興味深かった。
「――これも、変に聞こえると思うんですけど。師匠に……似合っていないんじゃなくて……でも、なんて言うか……何かが、違う気がするんです。これは、なんだろう……?」
 途中からは呟きになってしまったニトロの言葉。呼吸を一つ分。カレンはぽかんとし、ついで大きく笑っていた。
「師匠?」
「いや、すまん。はじめて見抜かれたな、それは」
 にやにやとしながらカレンはニトロの頭に手を置いた。浅黒い顔を紅潮させたニトロはいつもよりずっと生き生きと見える。その目が丸く驚きを表す。
「あら、カレン様? 何か隠し事をしてらしたの?」
「隠してはいねぇんだけどよ。初見で見抜かれたのはさすがにはじめてだ」
「どういうこと?」
「姐さん、鈍いな。勘が悪くなったんじゃないのか」
 人の悪い顔をして会話に混ざったエディにニトロはなぜか感謝の眼差し。ふとエディは気づく。この子供は会話が苦手なのだと。こうして誰かが話の接ぎ穂を作ってくれるのがありがたいらしい。
「……痛いからな、レイ?」
 子供相手に嫉妬をするな、言いたくとも言えばにこりと微笑まれるに決まっている。無言で思い切り踏みつけられた爪先を振るエディをエイメが笑った。
「どういうことよ、私が鈍いって」
「だからカレンの剣だろうが。それ、カレンの剣じゃないんだろ?」
「どこが? カレン様の――」
「エディが正解。この剣は元々師匠の剣さ」
 つい、と剣を掲げればニトロどころかデニスまで驚く。話したことがあったような気がするのだが、彼には。師の眼差しにデニスはばつが悪そうに視線をそらした。
「私用に調整はしてあるけどな。元はあの男が自分で作って自分用にしてた剣だ。やっぱり違和感は多少あるだろうよ」
 それがニトロが感じた不思議の正体。勘がいいで済ませていいのだろうか。ふとカレンは心の内で首をかしげる。そして思い出した。彼女の師の不思議を。エリナードは神秘に対する感度が異常に高い男だった。
 ――世の中にはああいう男もいるからな。そういうもんか。
 とりあえずはそれで済ませておこう、思うカレンだった。まだ海の物とも山の物ともわからない幼い弟子だった、彼は。
「ちなみに」
 一度エリナードの水の剣を消し、カレンは再び呟く。その手の中には新たな剣が。はっと食い入るニトロの眼差し。
「わかるな?」
「師匠の剣です」
「そのとおり。これが私の本来の剣さ」
 すらりとした剣だった。蒼く光る鋼色の剣身は鋭く細い。いわゆる刺突剣に分類される形だった。切り裂くより貫く型の剣だ。女性の腕力ではこちらの方が適してもいたのかもしれない。そこまで弟子たちが考えたのを見とってカレンはにやにやとする。
「見てろよ?」
 すい、と剣を動かした。途端に上がる声は綺麗に揃う。弟子たちだけではなく、その場の全員から。エイメまで驚きの声を上げていた。
「素敵……これは、カレン様?」
 刺突剣だったはず。けれどそう見えていただけと弟子たちは知る。剣身と見えていたものは、剣の中心でしかなかった。その周囲にほぼ不可視の刃が。否、いまはカレンが見せてくれているだけなのだろう。実戦では不可視を実現するに違いない。
「性格の悪さが滲み出てるだろ? 屈折率はほぼ零。反射も観測不能。透明度は言うにや及ぶ。純度完璧。つまり?」
「刺突剣だと思った相手は、両刃の剣に切られることになりますわね」
「そういうこと。私らしいだろ?」
 感嘆するエイメと違ってエディはどこなく不満そうだった。そちらを見れば肩をすくめられる。言葉を濁すような間柄ではないだろう、眼差しで促せば苦笑をされた。
「俺相手にあんたは手を抜いてたのかって拗ねてただけだ。気にすんな」
「はあ? なに馬鹿なこと言ってんだ。レイ、別れろ。これほど馬鹿だとあんたは苦労しかしねぇぞ」
「……正直に言って、いまのはカレンさんが正しいと僕でも思うよ、エドガー」
「ちょっと待て!? 俺はそこまで妙なこと言ったか!?」
「言ったよ、エドガー。君はカレンさんの敵か? 違うだろう。カレンさんはご自分の剣を実戦でしか使わない。そうでしょう?」
「ま、そのとおり。手の内さらしてもつまらんしな」
「だから君が知らないんだ。君とカレンさんは戦場を共にすることはあっても、そこまで酷い戦いを共にしてはいない。カレンさんがその剣を使う場面はいままでなかった」
「レイはいい子だなぁ。飲み込みいいし。誰かに見習わせたいねぇ」
 当てこすられたデニスが赤くなる。それを見やったニトロがほんのりと笑っていた。笑顔の可愛い子だ、とエイメは思う。
「まして敵でもない君とこの剣で対戦する理由がない。カレンさんには愛剣が二振りある。普段使いの水の剣と、ここぞの時のそちらの剣。それだけだろうに」
 呆れた素振りのレイだった。それでいて緊張している、とカレンとエイメは気づいている。現役の小隊長に後方支援員でしかない自分が偉そうなことを言ってしまった、そう感じているらしい。
 ――そこら辺が可愛いよな?
 ――初々しくって見ているこちらが恥ずかしくもなりますけど。
 ちらりと眼差しをかわし心で会話をするカレンとエイメにさすがに弟子たちは気づかない。エディとレイのやり取りにデニスはそういうことか、とはじめて納得したような顔をするのがおかしかった。
「そうだ、エイメ。帰ってきたばっかってことは、仕事はないよな?」
「ないわ。どうなさったの、カレン様」
「じゃあ、ちょっと付き合わないか? 師匠の話が出たついでだ。ちょうど返すもんもある。付き合えよ」
「ですって。小隊長。遠出をしてもいいかしら?」
「俺じゃなくって隊長に聞けよ。カレン、話は通ってんのか?」
「思いつきだからよ。通ってるわけねぇだろうが。ま、半分くらいは仕事だがな、こっちは」
 それでエディには通じた。要するに黒猫の隊長に話は通っているらしい。エイメを伴いエリナードの下に行く、ということは闇の手絡みに相違なかった。それゆえに、ただ遊びに行くのだとせねばならないのだと。
「だったらあんたが隊長を口説いてくれ。俺はやりたくねぇよ」
「あいよ、了解。レイ、悪いけど我が家の面倒を見てもらっていいか?」
「掃除ですか? かまいませんが」
「悪いな。ガキどもも連れて行くからよ」
 言われたデニスがぱっと顔を明るくする。遅れてニトロも。エリナードの所に行く。彼に会うのだ、じわじわと興奮が湧きあがってきた。
「カレン、伝言頼んでいいか? ディアナにすまなかったって、伝えてくれ。急に出てっちまったからな」
「あいよ。ディアナさんは了解のことだと思うがな。あんたの気持ちだってんなら伝えるぜ」
 にやりと笑うカレンにエディが肩をすくめた。男友達同士のようなそのやり取り。レイが二人を苦笑して見上げていた。




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