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「よし、一服したな? 付き合えよ」 すらりとカレンが立ちあがる。察したのだろうエディだけが少し嫌そうな顔をした。デニスなど不思議そうな顔をして二人を見ている。ニトロはおかげでさっぱりだ。 「あんたなぁ。帰ってきたばっかりだって言ってんだろうが?」 「だから?」 ふふん、と笑うカレンにエディが溜息をつく。それで諦めたのだろう、彼もまた立ち上がった。その目がちらりと連れ合いを見やる。 「レイはどうする?」 が、尋ねたのはカレン。それに美しい青年はほんのりと微笑んだ。 「いいのですか?」 「かまわんよ。エイメがいるからな。防御は心配ない」 「って聞くと俺の方が不安なんだがな?」 「言ってろよ」 鼻で笑ったカレンに処置なし、とエディが肩をすくめた。それで決まりだったらしい。エイメも笑いながら立ち上がる。 「お前らは見学だ。きっちり見とけよ。目ぇ養いな、頭使いな」 はい、と返事をしたデニスと違ってニトロはまだ飲み込めないでいるらしい。が、何も問わずにうなずく。 カレンはそれをよし、と眺めていた。ニトロはすぐにわかることだから自分で見ればよい、そう判断した上で問わないことを選択した。それがカレンには見てとれている。 ――心配なさそうだな。 心身両面において不安の勝る弟子だった。けれどこと魔法に関してだけは情熱を一切失っていないニトロだ。いましばらくは大丈夫だろうと判断する。 そして全員揃って地下へと移動した。エディにレイ、弟子たちにカレンとエイメとずいぶんな大所帯だったが、それでも地下は狭さを感じない。ニトロは呪文室の雰囲気にほっと息をつく。このような隔絶された空間が好きだった。 「ニトロ君は、こういうところが好き?」 不意にレイに尋ねられて驚く。思わず無言でうなずいてしまって、それでは失礼かと慌てて返答をした。 「落ち着きます」 「なるほどね。そのあたりが魔術師と常人の差。なのかな?」 「そう……なんですか?」 「たぶん。僕はなんと言うか……閉じ込められたような気がして、最初は落ち着かなかった」 その言葉にちらりとエディが懸念の眼差しを送る。が、レイは大丈夫だと微笑んで返事に代えていた。何かが、あったのだろうとニトロは感じる。それを問わないニトロでもあった。そんな弟弟子をデニスが見ている。優しいと言うよりは少しばかり畏敬に寄った目だった。 「呪文室は魔法を内外に通さない構造になっているから。そのせいでとても静謐な空間になってるわ。そこがレイ君には気になったんだと思う、はじめはね?」 作業をしつつのエイメだった。レイはそういうことだったのか、と納得してうなずいている。ニトロはけれどそちらではなくエイメの手元を見ていた。 「気になる?」 ふふ、と笑われてしまってはばつが悪くなる。しかし気になるのは事実だった。デニスはようやくエイメのしていることに気づいたのだろう。いまになって食い入るように見はじめた。 「これからカレン様とエディの対戦よ。私がいるから大丈夫って、さっき仰ったじゃない? つまり、相当危険だってこと」 口ではそう言いつつ、エイメは片目をつぶって見せた。安心して、とでも言わんばかり。が、レイにそれは通じなかった様子。少しばかり顔色を変えてエイメを見つめた。 「エイメ、それは――」 「エディに普通の試合以上の危険はないわ。カレン様の腕を信じて。カレン様がエディを死なせるはずはないから」 「だったら」 「危ないのはあなたとこの子たち。身を守ることができないでしょう?」 それだけのことをいまからする、と言われてデニスが身を引き締めたのがニトロの視界の端に映った。そのときにはもうニトロはエイメの術式を見終えてカレンへと眼差しを移している。 「ニトロ」 「――はい」 「エイメの術式、お前はどう見た?」 視線を感じるより先に問うカレンだった。ゆっくりと体の曲げ伸ばしを繰り返しているのは準備運動か。エディもまた同じことをしていた。 「対抗呪文が自動発動するようになっている、と見ました」 「具体的に」 「物理攻撃……たとえば剣が掠ったとか、そういうことがあれば、その時点で結界が護身呪に近いものを発動させて、中を守る、みたいな」 「近い?」 「……俺には、それが何か、わかりませんでしたから」 「結構。わからないことをわかってるってのは進歩だぜ」 にやりと口許を歪めたカレンにニトロはほんのりと赤くなる。褒められたのだと知った。けれど悔しい。わからないことが。まだまだ知らないことがある。それが。同時に嬉しくもあった。これから先、知るべきことがこれほどまでに多くある。それが。 「さぁ、そろそろはじめるんでしょう? あなたたち、ここから出ちゃだめよ? 特にレイ君。あなたは魔法耐性がないんだから、見てるだけよ」 「わかってるよ、エイメ。大丈夫。エドガーが危ない、となったらつい体が動いちゃうかもしれないけれど」 「ですって、エディ。無様は見せられないわね」 「言ってろよ。相手はカレンだぜ?」 魔術師相手に後れを取るものか。そんな台詞に一瞬は聞こえた。すぐさま気づく、逆なのだと。カレン相手では無様は避けられたとしても苦戦はする。そういうものだとエディは断言していた。 「はじめようか」 ふっと空気が揺らいだような感覚。ニトロはそれを感知した瞬間、カレンの手元に剣があるのを知る。知らず吐息が漏れる。 なんと美しいものかと思った。完全に水だった。それでいて、剣だった。透き通る水の魔剣。あれがカレンの愛剣なのか。 学院で話に聞いたことはある。実際に見たこともある。一流の魔術師の中には魔力で生成した剣をもって戦うことが可能なものがいると。数度見た魔剣の中でもカレンのそれは格別だとニトロはまじまじと見つめていた。 弟子たちの食い入る眼差しを浴びつつカレンは剣を掲げる。気づいたエディがにやりとした。それが合図。息を飲む間もなく激しい剣がかわされた。飛び散る飛沫を感じる、それほど強い魔力。何より感嘆すべきはエディだった。 「……すごい」 彼は魔剣ではなく、質はよくとも鋼の剣。それでカレンの魔剣と立ち合っていた。居間で喋っていたときとは打って変わった眼差しの鋭さ。カレンもまた真剣な目をしてエディの太刀筋を見る。ふっと口許がほころんだときには。 「うわ!」 デニスが驚愕の声を上げたほどの攻撃呪文。寸前で身をよじってかわしたエディの背後の壁が淡く光を放っては水の槍を吸い取り拡散させた。 「エディ、おかしいわよね」 「エイメ?」 「あの男のどこが常人なのって言いたくなるわ、私だって」 「そうか……褒めている、ということかな、エイメ?」 「真っ直ぐに言わないで。照れるわ」 口許だけで微笑みつつ、エイメの目もまた真摯。その目はただひたすらにカレンを見ていた。彼女の魔法を。彼女の歩く魔道を。そしてニトロもまた。二人の声など聞こえてもいないのだろう、彼は。エイメが発動させた防御結界のぎりぎりまで進み出て試合を見ていた。 「あれは」 どうなっているのだろう。いま、カレンは何をした。わかるようでわからない、そのもどかしさ。その素晴らしさ。久しぶりに何も考えずに胸が弾んだ。夢の先がここにある。自分の行くべき道の半ばがここにある。 興奮に頬を赤らめたニトロの横顔をエイメはほんのりと見ていた。カレンから事情を聞いたエイメだ。この子供が少しでも幸せになれればいい、そう思う。少なくとも魔法を目指している限り、彼は幸せなのだとは気づいた。 ――さすがカレン様。気づいてらしたのね。だから、いまなのね。 こうして試合としては極限の対戦を見せることでニトロが目指す具体的なものを見つけられるだろうと。ちらりとエイメがデニスを見やった。彼は彼でやはり真剣に観戦している。 ――デニス君だったら、カレン様はきっとこうはなさらなかった。デニス君、誤解しそうだもの。 無論、以前の彼ならば、だが。ニトロはこうして「武器」としての魔法を見せられてもただ攻撃力だけを目指しはしない。それがカレンにはもうわかっていたのだろう。改めてカレンの凄味を味わうエイメだった。 「――ここまでだな。どうよ?」 「……カレン」 「なんだよ?」 「……この」 いままで息を乱してもいなかったエディだった。それが試合終了を告げられるなりぜいぜいと肩で息をする。いままで詰めていた息と気づきもしないニトロまで呼吸を荒らげていた。 「暴力魔術師め!? てめぇのどこが魔術師だよ!」 「どこからどう見ても魔術師だろうが。なぁエイメ?」 ふふん、と自慢そうに笑うカレンの額にもびっしょりと汗が浮いていた。そこに結界を解除したエイメが跳ねるように飛んで行く。 「カレン様。素敵。素晴らしいわ。眼福でした。本当に」 「よせよ、照れるだろ?」 「本当?」 くすぐったそうに笑うエイメの腰をカレンは片手で抱く。繊細な指を伸ばしてはエイメがカレンの額を拭っていた。 「……そこの魔術師ども。ガキの教育によろしくねぇぞ? まだ真昼間だろうが」 「そういう問題なのか、エドガー?」 くつくつと笑うレイもまた、連れ合いの額をこちらは布で拭っている。ようやくデニスが正気に返り、赤くなった顔をそむけた。その先で。 「ニトロ?」 目を潤ませ、真っ赤になったニトロだった。何かこの奇妙な情景によろしくないものを触発されでもしたのか、デニスがそう思ったのは一瞬。ニトロの目はただカレンの剣を見ていた。 「綺麗だよな。それでいて、素晴らしい技術の結晶ってところがなおすごい。僕は、そう思うんだ」 ゆっくりと話しかければ、こくんとうなずく。普段のニトロからは考えられない興奮ぶりだった。これが彼が本来持つ、友人と共にあったころの情熱なのか。気づいたデニスはけれど何も言わない。それにカレンがにやりとしていた。 |