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翌朝、隣家から戻った弟子たちはすでに来客があると知って驚いていた。デニスなど寝坊をしてしまったかと青くなったほど。それに来客の一人が笑う。 「おう。邪魔してるぜ」 にやりとした精悍な男。カレンと並ぶと非常に似合いだ。男女という意味ではなく、友人として。ニトロはデニスの表情から、この人たちが昨夜話してくれた彼の失敗談の相手か、と思う。 「デニス君、大丈夫よ。この二人が早いだけ。朝ご飯なら私がしたわ」 ふふ、と笑うエイメ。ちょうど茶の支度をして台所から戻った彼女だった。こうしていると立派な一家の主婦に見える。とても魔術師には、それも傭兵には見えない彼女だった。 「前に言ったな? このでかいのが私のダチのエディ。それと連れ合いのレイだ。エディはエイメの同僚でな」 「同僚と言うより私の小隊長ね」 「やめろよ、復帰直後だぜ?」 「だからなに? 小隊預かってるのはあなたじゃない」 ぽんぽんと交わされる会話に、確かに彼らは仲間なのだとニトロは思う。見ているぶんには心地よい姿だ、とも思う。 「レイのほうは後方支援員だからな、ずっと巣にいたんだが……。お前も私んとこに来たばっかだったしよ、初対面の挨拶を何度もやんのはめんどくせぇだけだろ?」 だから一度で済ませようとエディが戻るのを待って紹介したのだ、とカレンは笑った。それにニトロは仄かに胸が温まる思いでいる。学院だったらどうだろう、つい考えてしまった。 ――きっと、仲良くできない俺が悪いって、言われた。 すぐに馴染めなどできない、人に会うだけで疲れる、そんな気持ちをカレンは理解してくれている。それはやはり嬉しかった。 「君が、新しいカレンさんのお弟子さん?」 柔らかな声だ、とニトロは思う。レイと紹介された彼もまた、傭兵隊の一員なのだと言う。エイメ以上に兵隊生活の似合わない人だとも思った。端麗な、とはこういうことをきっと言う。涼やかな美青年だった。その彼にうなずきつつ、ニトロは知らずじっと彼を見ていた。 「ニトロ」 「あ、はい。師匠」 「そっちのエディな? やたらめんどくさい男でよ、誰彼かまわず焼きもち妬くからな、気をつけろよ?」 「そんなことしねぇだろうが!? だいたいガキ相手にするか馬鹿!」 抗議するエディところころと笑うエイメ。やっていたと仰け反りながら笑うカレン。間でデニスがおろおろとし、レイは端然と座したまま微笑む。ニトロは一度ぽかんとし、気づけばつられて口許が緩んでいた。そこにふと触れてくるもの、カレンだとすぐにわかる。何か不安があったのか、と。言葉にならない懸念の思いだけ。ニトロは少し黙った。そして。 ――あいつが大人になったら、レイさんみたいだったのかなって、思って。それだけです。 口には出したくなかった。接触による会話を選んだのはそのせい。そしてすでにカレンがそうしていいのだと示してくれたことに遅れて気づく。何事かに気づいたのだろう、エイメが微笑んでいた。 「あ、デニス君。お茶菓子が欲しいの。なにかないかしら?」 「すぐに持ってきます! え、と。エディさんはお腹にたまるものの方が、いいですよね?」 「朝飯食ったばっかだって言ってんだろうが」 「でも、エドガーはその方が好きだと思う。ありがとう、デニス」 「とんでもない!」 嬉しそうに駆けだして行くデニスにカレンがそれほど広い家ではないぞ、と文句を言う。その目許が笑っていた。 そうしつつカレンはエイメがくれた隙を有効に使う。いまのニトロの言葉は衝撃だった。友人たちに受け答えをしつつ、思考を巡らせる。 ――大人になったら、か。 ネイトは可愛らしい顔立ちだった、とニトロも言っていた。瞥見したことがあるカレンもそれは感じている。だがそれほどはっきり見たことがあるわけでもない。だからこそ、ニトロの証言は驚きだ。 レイは端正な青年だった。誰に聞いても言うだろう、ミルテシアの美貌を持っている、と。レイはミルテシア人が理想とする要素をすべて備えた青年だった。一見優しげで女のよう、それでいて凛々しく精悍、それがミルテシア男性の理想という。 もしもネイトが成長の暁にレイのようになったのだとしたならば。ネイトはミルテシアの出身ということにならないか。 ――いや、仮になったとしても闇の手の本拠がミルテシアである確証にはならない、か。 ただ蓋然性は高いような気がしている。昨夜エイメから渡された血液もまた、ミルテシアを示していた。ただ、漠然としすぎていてまだ詳細はわからない。血液の解析は済んでいないのだからそのようなもの。 ――符合では、あるな。 もしもミルテシアであったのならばそこから先はイーサウ自由都市連盟という国家と大陸魔導師会の折衝になる。また面倒が増える、思いつつカレンに止まる気はなかった。 「この子、とても面白い子なのよ。興味深いって言った方がいいかしら」 エイメが話を継いでくれていた。エディは何か察するものがあったのだろう。言葉数の少なくなったカレンと気づいている素振りも見せない。 「面白い?」 話題の主になってしまったニトロが慌てていた。もっともあまり表情には出ていなかったのだけれど。とっくに戻ったデニスがそんな弟弟子を微笑ましげに見ている。 「新しく弟子に認められると、たいていの子供が先に先にと進みたがるのよ。私だってそうだった。デニス君もよね?」 「はい。えーと、たぶん。僕の場合は、その……」 「ま、お前は進みたがるって言うよりアレだよな?」 エディににやにやとされ、レイには微笑まれ。デニスは間で縮こまる。が、二人はそんな彼を嫌ってはいないらしい。ニトロはそんなことを思いつつ少し居心地が悪い。 「でもこの子、最初に基礎の見直しをしたいって言ったらしいの。面白い子でしょ」 カレンに聞いたのだ、とエイメは微笑む。それもまた一つの在り方よ、と言いつつ。そんなことを言われるとは思ってもいなかったニトロだった。それにも驚きを感じる。 「珍しいか?」 不意にカレンが言葉を挟む。それにエディがにやりと笑う。考え事は済んだのか、と言わんばかりに。レイがわずかにそっぽを向いたのにニトロとデニス、揃って頬を赤らめた。 「珍しいと思うわ、カレン様。基礎が大事って気づくのはもっと後だもの」 「そうかぁ? だったら私も珍しかったんだな。知らなかったぜ」 「あら、カレン様もだったの?」 「おうよ。師匠んとこに引き取られて最初にやったのは『アルディオン三瀑考』の見直しだったな」 現代では基礎中の基礎に数えられている水系理論書だった。カレンが弟子の当時ですら、基礎ではあったはず。ニトロは知らず目を丸くする。デニスが隣で身じろいでいた。 「デニス君?」 「……至らない我が身を恥じています」 「いいんじゃない? だめな自分に気づくのも大事よ。気づかなくっちゃ、そこまでだもの」 「気づいた後に進まなきゃ意味ねぇけどな」 ちくりとエディに言われたのにデニスは背筋を伸ばしてうなずく、晴れやかに。いまの自分は進んでいる、変わろうとしている、そう彼は言い切れるのだろう。 ――俺は。 変わろうとするだろうか。できるだろうか。ネイトのこと、魔法のこと。他にも色々。人付き合いは嫌いだったし、友人知人が多くいるのが当たり前とは思えない。それを変える必要があるのだろうか。彼らを見ているとやはり思うのはそんなこと。 ――お前はお前だ。自分でそれでいいって決めて歩くなら、それでいい。だめだってデニスは思った。だから、変わろうとした。お前はまだ変化の必然がない。だからとりあえず……歩いとけ。止まるなよ? エディたちと言葉を交わしながらのカレンだった。一切ニトロは見ず、けれど心は。ニトロはそのぶっきらぼうで、けれど優しい心の手触りをそっと胸に抱く。いまの自分はまだ今の自分。明日はわからない。 ――なら、歩くだけ。 それでいい、カレンの微笑みが見えた気がした。デニスの日常に文句を言って顰め面の彼女だったのに。それに思わず笑みがこぼれる。 「にしたって、カレンの二人目の弟子か」 ふとエディの目がニトロを見た。鋭い目だな、とニトロは思う。嫌いではない。横目で窺われるよりずっと好きな目だとも思う。少々厳しい目ではあったけれど。 「なんか不満があるかよ?」 ニトロではなく、抗議をしたのはカレンの方。それにエイメが小さく吹き出す。デニスまで笑っていた。 「ねぇよ。問題はこっちの小僧だろうが? つか、小僧の躾をやり直しながら子供の面倒ってなぁいくらあんたでもきつくねぇのか」 ちらりと見られたデニスが身を縮める。そっとレイがエディの膝を叩いていた。 「僕ならもう、気にしていないんだ。君は少々執念深いぞ」 「やらかしたことがことだからな。お前だってそう簡単に忘れられるようなことじゃないだろ?」 「忘れません。僕の失敗です。それに……レイさん」 「なに?」 「こうやってエディさんがことあるごとに言ってくださるの、嬉しいんです。僕は考えなしなのがまだ、直ってなくって。だから、思い出させてくれるの、ありがたいです」 「君はそう言うけれど。連れ合いが執念深いというのは見ている僕が恥ずかしいんだ」 「あー、わかる。ねちねちいつまで言ってんだよこいつって思うよな?」 茶化したカレンにデニスが和やかな目を向け、それでもエディに向かって頭を下げる。今後とも言ってください、と言いながら。 「あのなぁ。自分も成長したんだからそこまで言われる覚えはないって言えるようになれよさっさと」 「ちょっと、当分無理かと」 「断言するなよそこで!」 耐えきれなかったエディの悲鳴のような言葉。デニスがきょとんとし、ついで笑った。ニトロはそんな彼らを見ている。こうして側にいるのは嫌いではない、それを確かめつつ。 |