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夜も更けて、カレンとエイメは酒を酌み交わしていた。カレンの育ての親とも言える男が若かりし頃に好んでいた強い酒。いまはカレンが好んで飲む。 「おうよ」 そしてエイメもまた。優雅な美女にしか見えない彼女だったが相当な酒豪でもある。その酒杯に注ぎ足せばほんのりと笑みを刻んだ。もうずいぶん飲んでいるはずなのに顔色がまったく変わらない。 「ご機嫌ね、カレン様」 「まぁな。デニスの飯も悪くないんだが、ダチの手料理ってのはいいもんだ」 「またそう言うことをおっしゃって」 ふふ、とエイメが笑う。満更でもなさそうな笑みだった。カレンは本心を語っていた、エイメもまたそれをきちんと受け取っている。エイメが手料理を振る舞うことができた、無事に帰ってくることができた、それが本当にありがたい。小さく笑うカレンにエイメが首をかしげた。 「いや。レイはいつもこんな気分なのかと思ったらな。あいつは強いわ」 友人がいる、とニトロに言った一人はエイメ。もう一人は同じ黒猫隊の小隊長、エディ。その連れ合いは隊の書類仕事を一手に預かるレイという男だった。後方部隊に属する彼は連れ合いの帰還をいつもこんな思いで待っているのかと。 「そうね。待たせてるのもつらいものだけど……待ってる方はもっとつらいと思うわ」 「つらいか、エイメ?」 「もちろん。もし帰れなかったらどうしよう、なんて思うこともありますもの。いまはカレン様が待ってるから、そう思って頑張るの。いいわよ、こういうのも。張り合いがあって」 くすりと笑うエイメに強靭さを見る。直接に戦闘を行うことが多々ある傭兵隊。その魔術師であるエイメは学院にいる教師たちなどでは及びもつかない実践的な魔法を操る。確かに魔力は特記するほどではない、属性型にはなり得ない魔術師だ。が、技術と技量が相まって強力な汎用型魔術師である彼女。研究一筋の属性型魔術師ほど彼女を批判する。 「色々学院も改革の時期かな」 「そう、なの?」 「あぁ……。師匠が作ったときにはよかった思想がな、理想論で語られ過ぎてる。おかげで歪みに歪みまくってて、もう手がつけらんねぇわ」 「なにか手を貸せることなら、いつでも仰って。私の手はカレン様のものよ」 「黒猫の魔術師がよく言うぜ」 「隊の仕事とかぶらないときには、だったわね。それ以外ならいつでもどうぞ」 軽く言われた言葉に込められた重さ。カレンは眼差しだけを伏せる。くすぐったそうにエイメが笑った。 「そうそう、ニトロ君って言ったかしら? あの子、可愛い坊やね。デニス君の修行のためにもいいことだと思うわ」 話題を変えるぞ、とのエイメ。カレンが笑って変わっていない、と目顔で告げれば不思議そうな顔をした。 「で、あればいいがな。――ニトロはあの事件の当事者さ」 「え――。それは、つまり?」 「あぁ。犯人だって言われた子供がいただろう? 実際犯人だったわけだが。その一番の友達だったのが、あいつだ」 う、と息を飲んでいた。痛ましい、思ったのだろう。けれどそれを口には出さないエイメ。言えば軽々しすぎるとでも言うように。 「だからカレン様なの?」 ニトロを弟子としたのは。わずかな非難の気配にカレンは肩をすくめる。その仕種に詫びだろう、酒杯に酒が注がれた。一息で煽れば再び。 「性が合う。それが感想だな。アランさんに言われて会ってみたんだが、会った瞬間こいつは私の弟子だって思ったよ」 「そういうものよね、師弟って。うちの師匠もそんなこと言ってたもの」 「だよな。面白いもんだぜ」 エリナードはどうだったのだろう。ふとカレンは思う。ほぼすぐさまカレンは自分の後継者だと感じたらしいが、そこまで率直な言葉をほとんど聞いた覚えがない。意外と照れ屋な師だった。 「事件が切っ掛けではあるんだがな。学院でのことを色々聞いてたらまぁぼろぼろ出てくる出てくる」 「あら、そんなに?」 「ひでぇぞ。師匠はたまに顔出してるだけだから気づいてなかったんだな。思想が硬直化、なんて生易しいもんじゃねぇわ。――なぁ、エイメ。お前、ダチがいない子供がいたらなに言うよ?」 「もし私が教職についていたら? そうね、その子次第かしら。一人でも楽しくやってるならそれがその子の性格なんだろうし、それでいいんじゃない? 逆に仲間外れにされてるんだったら原因追及の手は緩めないわね、きっと」 ふっとカレンは笑う。意外とエイメは教師向きなのかもしれないと思った。いまでこそ実践的魔法を追求しているエイメだけれど、それを子供たちに道の一つとして教えるのも悪くはないのではないだろうか。 「だよな。それが大人ってやつだろ? いまの教師たちの……一部ではあるんだがな。最低限、主立った教師の考え方はまだまともなんだが……とにかく現場でガキ見てる教師の何人かは言うらしい。お友達がいないなんてだめです、みんなと仲良く楽しく過ごしましょう、ってよ」 「はい?」 「意味わかんねぇだろ? そりゃな、学院設立当初は『仲良くやれ』が目標だった。なんでかわかるだろ?」 「だって、最初のころはすでに魔道を歩きはじめた、最低限弟子になっている人、心得のある人しかいなかったって聞いているわ。つまり大人でしょう? それも、いままで会ったこともなかった、流派も違う、思想も違う。そんな大人たち。だったらちょっとしたことで喧嘩騒ぎになりかねないもの」 「だよなぁ。だからだったんだ。私もさんざっぱら絡まれたからよ、実感はある。でもガキにそれ言っちゃ……」 「駄目よ、そんなの。子供の在り方を大人が決めちゃいけないわ。未来の塊、なんて綺麗な言い方をするつもりはないけれど、決めつけるってことは大人の鋳型に嵌めるってことだもの。可能性の芽を摘むだけじゃない」 「ほんと、それを教師陣に聞かせてやりてぇよ」 長々としたカレンの溜息。どれほど頭の痛い思いをしたのかが如実に窺えてしまってエイメは心配になる。どんなことでも助けになりたい。顔に出たのだろう、カレンがにやりと目だけで笑い返してくれた。 「私が勝手を言っているだけかもしれないわ。所詮は部外者だもの。先生方だって精一杯やった結果、かもしれない」 「精一杯だろうが中途半端だろうが努力は結果を伴わなきゃ意味ねぇよ。頑張りましたけどガキは潰れました。でも努力はしたからしょうがないよね? ねぇだろ、それは」 「ないわねぇ」 しみじみと呟きエイメは友人を見つめていた。無頼同然のカレンがこんなにも優しい心持ちで子供たちの将来を、現在を案じているとは。それこそ学院の教師たちは気づいていないのかもしれない。 「なんだよ?」 「別に? なんでもないわ。あぁ、そうだ。お仕事しましょ。ご依頼の品、お持ちしましたわ」 「唐突な女だな」 「話題を変えただけよ。はい、どうぞ」 笑うカレンの目前に出現するのは小箱。エイメの魔法だった。以前ニトロがやったよう、どこからか転送したのではない。いままでおそらくはエイメの懐にあったのだろう、目に見えないほどに縮小して。小箱にはまだ彼女のぬくもり。 「おうよ、ご苦労さん」 封印を解き、カレンは蓋を開ける。そのあっさりとした魔法にエイメは感嘆していた。黒猫隊第一の魔術師だ、エイメは。イーサウに継続雇用されている、すなわち実力は折り紙付きの傭兵隊の。その彼女が万が一を考えて厳重に施した封印。カレンは無造作に解いていた。 「どう?」 「あぁ、充分だ。悪かったな。嫌な思い、しただろうが?」 「気分のいいものではないわね。でもあなたの頼みだもの」 肩をすくめたエイメの視線の先。箱から取り出されたのは小瓶だった。数本のそれはいずれもとろみのある液体で満たされている、血液だった。 「参考までにどうなさるの、それ?」 エイメは闇の手絡みの掃討に出ていた。ほぼ工作活動であったとはいえ、相手を無力化してもいる。カレンからもしその際に確実に闇の手の構成員だとわかった者がいたらその血液を、と依頼されていた。 「……本拠地が、わかんなくってよ」 それでエイメには察しがついた。カレンほどの水系魔術師。相手の血液があれば絶大な情報を得ることができる。ただ、本拠地のような情報はかえって知りにくいらしいが。人間は道順をいちいち考えながら家には帰らない、ということらしい。エイメにはそのあたりがよくはわからない。経験として見当がつく、というところがせいぜいだった。 「念のために。採取を見ていたのはエディだけよ。あと隊長には報告済み」 「悪いな、気を使わせた」 「自己保身よ、気になさらないで。カレン様が血の魔術師だ、なんて噂が立ったりしたら私、哀しいもの」 それを保身、と言ってのけるエイメの心。カレンは汚れ仕事を頼んだことが申し訳なくなる。魔術師として、己の魔力でも触媒でもなく他者の血を使う魔術師は何にも増して軽蔑の対象だった。無論、討伐対象でもある。 「これで本拠が抜けりゃ、話は楽なんだがなぁ。無理かもなぁ」 「焦らないで、カレン様。時は動くものだもの」 「とは言ってもな。なんかの形で決着がつかねぇと、ニトロがな」 「それは違うわ」 差し出口だけれど、微笑みながらエイメが言う。こうして忠告をくれたしなめてくれる友人は貴重だった。リィ・サイファの塔の後継者、そのカレンに助言をくれる魔術師は少ない。 「ニトロ君のことはニトロ君が片付けるしかないのよ」 「代わってやりてぇとまでは言わねぇけどな。決着の筋道くらいは――」 「そこが間違い。ねぇ、カレン様。気持ちを決めるのはニトロ君だわ。事件の決着がつくのを彼が望んでいるなら、そうすべき。本人がそうしたいのならあなたに言うでしょう? それまで見守ってあげなきゃ。なんでもかんでも道をつけちゃだめよ」 「あぁ……」 ふ、とカレンが手を伸ばす。エイメの手を無言で取り、額に押し当てていた。くすくすと笑うエイメの声を額に感じる。 「感謝、エイメ。私は学院の教師とおんなじことをしそうだったな。ったく、偉そうな口は叩けねぇってことだな、まだまだだ」 「カレン様に褒めていただいたとき、一生の誉れって言った私にカレン様は言ったのよ。魔術師の一生なんてまだまだって思いながら過ごして行くものだって。ね?」 友人の励ましと援護と。これさえあればこの世は無敵。そんな気すらするカレンと気づいたエイメが身をよじって笑いながら酒杯をあおった。 |