夢のあとさき

 話すつもりで小箱を転送させてから、いままで迷っていたのだろう。そしてニトロは決心を固めた。幼い顔に浮かぶ凛々しい表情。伏し目がちのままではあったけれど、浮かんだそれにカレンはうなずく。
「ネイトと……手紙のやり取りを、してたんです」
「なるほどな。そうか、お前ら、授業内容が違うから」
「はい」
 魔力があるがゆえにその制御を学んでいたニトロ。学問として魔法の勉強をしていたネイト。同じ講義を受けることはあっても、常に共にいたわけではない。だから手紙を書いた、ニトロは言う。
「この箱に入れて、やり取り、してたんです」
 そっと指先が蓋を撫でていた。震えるそれをカレンは見なかったことにする。痛々しくて、見ていられなかった、本当は。
「ガキどもはそういうことするよな。わかる」
 だからこそ、笑ってカレンは言う。お前たちもだったのか、そう笑う。ニトロが思い出に沈み込みすぎないように。
「カレン師も、ですか?」
「いや、私は同期の中では浮いてたからな。女の子たちがきゃあきゃあなんか書いてたり、男どもが秘密の合言葉だ!とか言ってたり。ちょっと羨ましかった」
 星花宮時代のことだった。同期の少女たちは今どうしていることだろう、ふとカレンは思う。魔術師として名を上げたものは驚くほど少ない。市井の魔術師として身を立てているものさえほとんどいない。当時の女性魔術師とは、そのようなものでもある。
 元々星花宮は養育する子供たちの数が多かった。その大半が魔力制御だけを学んだ後に市井に戻り、常人と変わりなく過ごす。弟子となり、魔道を歩きはじめたとしても「星花宮の魔導師」を名乗れるものは同期の中で二人いれば多い方、と言われる。まして絶対数の少ない女性魔術師となれば、市井の魔術師ですらいないのはある意味では当然でもあった。
「学院と、星花宮と。場所は違うし時代も違う。でもガキのすることは変わんねぇよな」
 喉の奥で笑ってしまった、思わず。あのころ混ざりたかったのは確かだ。当時は粋がってそっぽを向いていたけれど、本当は一緒に遊びたかったのではなかったか、いまのカレンはそう思う。
「同じ、なんですね」
 小さくニトロも微笑んだ。カレンのような魔術師でさえも似たようなことをしたのかと。意外で、面白くて。そんな感情が目に透ける。学院からニトロを引き取ってまだ一月と経っていない。それでも初日に感じた目の鎧戸はずいぶんと薄くなった、ような気がカレンはした。いまだ開いた、とは言えなかったが。
「ちょこちょこ工夫してな。ほら、他愛ないことでも自分たち以外に見られるのは嫌だとか、あるだろ? 覚えたばっかの魔法で細工してな。楽しそうだったぜ」
「カレン師は、どんなことを?」
「私はそうだなぁ」
 混ざっていなかったのだからやっていない、とは言えなかった。ニトロがまだ迷っている。ネイトとの思い出を話したくて、話す決心がつきそうでつかなくて。ならば時間を与えたかった。
「言っただろ? 同期の連中とはあんまり遊んでなかったからな、私は。その代わり掃いて捨てるほど魔術師がごろごろいたからな、星花宮は。先輩魔術師に悪戯を仕掛けたりな。もちろんやり返されるんだけど、それからちょっと仲良くなって遊んでもらったり」
「やり返される……んですか?」
「そりゃそうさ。一緒になって遊んでくれるってのはそういうことだろ? そうそう、仲のいい先輩と花火でやり取りしたなぁ」
 細かく火花の色を変え、連続で点し花火とする。火系魔術師の得意技でもある。それをカレンたちは遊びの道具にした。
「火の色を変えてな、青は何で赤はこう、とか言葉に対応させて。花火の暗号だ」
「……楽しそう」
「おう、面白かったぜ。真昼間に見えるようにするにゃどうしたらいいのかとかな。あとから思えばいい勉強になってたんだ、あれが」
 からからとカレンは笑っていた。先輩魔術師と遊んでいるつもりだったけれど、たぶんあれは修行の一環だったのだとカレンも悟っている。自分で呪文を組み立てる、その訓練だった。
「あれ……? 花火、だったんですか?」
 ふと気づいたのだろうニトロの訝しい目。カレンはにやりとしてしまった。デニスだったならばここで疑問は覚えない。むしろ魔法を遊びで使うのか、と訝しい顔をするのはそちらだっただろう。
「星花宮時代の私は火系だと思われてたんだ」
「……え!?」
「属性ってのは厄介でな、ガキのころに見極め損なったってのは稀にあるぞ? だから最初の師匠はミスティ師だよ、知ってるか?」
 こくんとうなずき、ニトロはまじまじとカレンを見ていた。ニトロにとってミスティとエリナードは雲の上遥か高みにいる魔術師だ。その二人に教えを受けたカレン。知らず背筋が奮い立つ。
「俺たちも、そんなことをしてました」
 だからこそ、話す。いまはそれしかできない。カレンに、聞いてほしかった。聞かせて変わるものではない、自分の気持ちも変わらない。それでもなぜかカレンには聞いてほしい。ニトロは不思議とそんなことを思った。
「内緒で手紙のやり取りをして。――この箱、俺の魔力にだけ、反応するように、してあるんです」
「ほう。見ていいか?」
「あ、はい」
 素直に返答をしてしまってからニトロが戸惑う顔をした、ほんの一瞬だけ。カレンの鋭い目はそれを見逃さない。カレンはだから本当に、見ただけ。指すら触れず、箱を見つめる。
「なるほどなぁ。簡単なのはいいことだ。単純ってのは強いからな」
「他に、できなかっただけです」
「できないってことを理解してるってことでもあるな? それはそれとして、ネイトはどうやって開けてたんだ?」
 手紙のやり取り、ということはニトロ一人が箱を開けていたわけではない。ネイトもまた箱を開けて手紙を入れなくてはやり取りにはならないはず。だがニトロは言った、自分の魔力にだけ反応して開くのだと。
「これを」
 ニトロが箱に触れた。涼しく流れるようなニトロの魔力。カレンにはそう感じられる。無論、それはニトロの制御がいまだ未熟なせいだ。他者に感じ取られてしまうほど、無駄が多い。そのせいでカレンには魔力が見えるかのよう。それでも思う。水のような魔力だと。
「ほう」
 そしてニトロが取り出したのは小さな鍵だった。それも二つ。鮮やかな新緑の色をした鍵と深い泉の青をした鍵。
 カレンもさすがに驚いた。いまは解けてしまってはいる。が、そこに魔力の残滓を彼女は見る。紛れもない、付与魔術の残滓を。
「なるほどなぁ。お前の魔力を付与して、ネイトはその鍵で開けてたってわけか。うまいことするもんだ」
「未熟だから。鍵は二つになりました」
「ま、永続化させるのはちょっと荷が重いやな?」
 にやりとカレンは笑う。本当はニトロは一つの鍵で済ませたかったことだろう。だが付与魔術は難易度が高い。ニトロの年齢で簡易型付与魔術を発動させることができている、それを知った学院の教師たちは何を言うだろう。ニトロは言われるのが嫌で黙っていたのだろうとも思う。もし発破をかける教師がいれば、遥かに進んだことができていたかもしれないというのに。
「どっちかの鍵で箱を開けて。手紙と一緒に鍵も入れておくんです。それで、俺が入れておいたもう一つの鍵を取り出して、次はその鍵で箱を開ける。――そんな風に、してました」
 そのたびごとに鍵に魔力付与をした。ニトロは思い出していた。ネイトがどんな手紙をくれるだろう。返事を面白がってくれるだろうか。他愛ない、口で言えばいいだけのような手紙の交換。それなのに書くのはきっと、そんなことが楽しかったせい。
「いまは……ネイトの、最後の手紙が、入ってます」
 カレンは平静を保っていた。ニトロの震える声につられてはならないと。アランの石を握り、文通箱を前に。ニトロはじっとしている。耐え得ない激情ならば、静かになるだけ。
「これを俺が読んでるってことは、自分が死んだってことだからって」
 あの日、大勢の病人が出た。危うく死人が出そうになる騒ぎで驚いた、そう思っていた、ニトロは。淡々とあの日を思い返す。
「ネイト、言ったんです。腹が痛いから一緒にいてって。晩飯抜きになっちゃうけどごめんって。変なこと気にするなよって、俺、言いました」
 握りしめられた拳。カレンは無言で手を重ねる。唇を噛み、ニトロは拒むではなく、しかし首を振る。
「ネイトの、毒でした。みんなの体がおかしくなったのは、あいつの毒でした。あいつ、手紙の中で言ってました。俺に毒を盛りたくなかったからって。俺だけは死なせたくないからって。友達を殺すのは嫌だって」
 だから最後の晩、共に過ごした。仮病を使って寝台の中、小声でお喋りをしていた。夕食抜きになって腹を空かせながら、それでもニトロは楽しかった。ネイトのぬくもりと、いつものお喋りと。夕食が終わるころ、騒ぎが起きるまで。
「なんだろうって言い出したのはネイトです。ちょっと見てくるねって。俺、言ったんですよ。腹痛いんだろって。俺が行くよって。それなのに、ネイト。すぐ戻るよって行っちゃったんです。待っててって」
 そしてネイトは戻らなかった。不安になったニトロが部屋を出れば大量の病人に騒然としていた。教師たちが奔走し、偶々来ていたらしい神官の手まで借り、死者は出さずに済んだほどの。
「驚いて、探して。ネイトがいないって、言わなきゃよかった。先生方に捜してなんて、言わなきゃよかった」
「捜しては、くれたのか……」
「はじめはそんなこといま言うなって。こんなに他の子が苦しんでるのにって。酷いと思いませんか? 俺の友達はどうでもいいのかよって。自棄になって大きな声あげて。そしたら、しょうがないって捜してくれて。――見つかったのは、死体でした」
 はは、とニトロが声を上げた。笑いに似たものでも出さなければやっていられなかった。教師について探し回り、ネイトの死体が見つかったとき、ニトロもまたそれを見た。
「酷かったです。木に吊るされて、わざわざやったんだと思います、あちこち切られて。ネイト、可愛い顔してたんですよ。仲間内でからかわれるくらい。見る影もないって、ああいうの、言うんですね。俺、見ちゃいました」
 あの日に見たものを忘れられなどしない。教師の怒鳴り声、騒ぐ声。原因だの意味など、そんなことより早くネイトを下ろしてやってくれ、叫んだ自分の声。いまもまだ聞こえるように。




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