夢のあとさき

 決心なのか、それとも別の思いなのか。再びニトロはアランの石を手に握る。手の中にちょうどいい大きさで、つやつやと気持ちよさそうだとはカレンも思うが。
「それ、なんか箱でもやろうか? せっかくだ。失くしちまわないように綺麗な箱かなんか、どっかに……」
 魔術師の家だ、種々雑多なものがそこらじゅうにあふれている。小さな石を入れておくような美しい小箱とて探せばある。だが、ニトロの眼差し。
「いいえ」
 きっぱりとした断言と拒絶。自身でそれに気づいたか、ばつが悪そうに視線を伏せる。それでも箱はいらないと態度で示した。カレンとしては首をかしげてしまう。
 ニトロが何にどう反応するのかはやはりまだ、よくわからない。師弟未満の上に幼いころから育てていたわけでもない。
 ――できりゃ、うまいことやって行きたいんだけどな。
 なんと言えばいいのだろう。妙な親和性とでも言おうか。ニトロにはそれを感じる。自分に続いてくれるかもしれない魔術師の卵。否、それ以上に、それ以外にも。いとけない生き物を愛したい、そんな気持ちが自分にもあったのか、カレンは驚いていた。
 そのカレンの前、一度ニトロが唇を噛む。そして小さく呟いた。そのときだけは眼差しを伏せ、けれどすぐさまじっとカレンを見上げてくる彼の目。
「へぇ、中々いい腕してんな。ちょいと効率悪いか。もう少し工夫してみな」
 あ、と声がした。ニトロは何を思っていたのだろう。いま彼の目の前には小さな箱がある、自分の部屋から転送させた箱が。もちろん魔法で。カレンとしては文句などどこにもない。少々覚束ない呪文構成ではあったけれど発動はした。無理に発動させているせいで本人に負担がかかっているのを後は自分で解決すれば済むこと、程度にしか思っていない。
「……もっと、色々言われる……とは、思っては、いなかった気がします」
「うん?」
「でも、なにかは、言われるかな、と思ってました」
 何かとはなんだろう、内心で首をかしげ、学院か、と気づく。教師陣にニトロは何くれとなく言われていたのだろう、様々なことを。
「子供なんだから、まだ早いとか。子供なのに立派だとか。色々」
 カレンの思考のめぐりを待つかのようなニトロの声。互いにぴたりとはまり合い、二人して目を見かわしては首をかしげる。それにカレンはそっと微笑む。つられるようニトロも。
「ガキの悪戯と大差ないだろ? やってみたかった。やってみたらできた。その程度だろうが?」
「そう……言っては、もらえませんでした。あの、ほとんどは」
「ちゃんとした先生もいたか?」
「はい。面白いことやってるなって、笑ってくれた先生とか、いました。ラパックス先生は、俺たちと一緒になって悪戯してくれたり。自分だったらこんな風に魔法で遊ぶとか、教えてくれたり」
 カレンは深くうなずく思いでいる。魔法とは楽しいものでもある。何より応用性が高く、術者の創意工夫が物を言う分野でもある。ならば幼いうちにはとにかく型に嵌めるような教え方をするべきではない、カレンの考えに近い教師もいた。
「ラパックスさんは面白い男だよな。フラン師の弟子はみんなそうだ。豪快で、私も教えられることが多い」
 カレンの師であるエリナードの前世代に属する火系魔術師がフラメティス、通称フランだ。星花宮時代には「あれは重装騎兵だろう」と言われたほどの体格を誇る、一見して魔術師には見えない男だ。その弟子たちも豪放磊落で、けれど細やかな心を持っている者が多い。ラパックスはそうして学院の教職についた一人だった。
「俺たちのこと、色々言わないでいてくれたの、ラパックス先生とチェスター先生くらいでした。――ネイトも、勉強してるやつの中じゃ、一番出来がよかったから」
 魔力がなくとも学問としてならば習い覚えることができる。彼の友人であったネイトはそうして学院に入り込んでいた。が、カレンは思う。
 もしかしたらネイトは本当に学問が楽しかったのではないかと。暗殺技術だけを仕込まれて育てられ、はじめて「学校」に通い、勉強をして友人もできた。ネイトは、楽しかったのだろうと。二人のためにそれを祈りたいような気持ちだった。
「転送も、俺は隠れてやってたから。ラパックス先生は知ってたけど。先生は……やっぱりまだ下手くそだな、頑張れよって、笑ってくださった。でも、他の先生方は」
 ぎゅっと拳を握り、ニトロは目の前の箱だけを見ていた。小さな、飾り気のない箱だった。蓋にだけ少し、彫刻がしてある。それもあまり出来がよくはない。たぶん、ニトロかネイトの自作だろうとカレンは思う。
「カレン師は……そんなことを、言わないでいてくださった……」
 本人を目の前にして、けれどニトロのそれは独語。それだけはカレンも許し難い。会話をしろ、と言いたくなってしまう。あるいは自分一人で抱え込むな、と。ぽん、と手を伸ばして拳を叩く。慌てて顔を上げたニトロの目が揺れていた。
「お前の努力はたいしたもんだとは思うぜ? ただな、私の周りってのは天才だの秀才だのがごろごろしてんだ。お前程度のことで一々驚いてられるか」
 ふん、と鼻を鳴らせば不思議そうなニトロの顔。揺らいだ眼差しも、魔法の話題にすぐさま戻る。どこかで見た目だな、思ってカレンは鏡の中を思い出しては内心で笑ってしまった。
「うちの師匠がいまの転移点型転移魔法への改革をしたのが幾つか知ってるか? 十三歳だぞ? そういうのを天才って言うんだ。お前のはただ頑張って……ってのも変だな。好きでやったらできただけ、だろ?」
「はい……」
 安堵か、それとも別の何か。できれば信頼であってほしい何か。ニトロの目が輝く。本当は、カレンも思ってはいる。エリナードとて自分は天才だから結果が出たなど思ったことはないだろう、自らに天与の才があるとは疑わずとも。ニトロも同じだ、とカレンは思う。努力と才能と、それも共に類稀なそれを彼は年齢ごときで毀誉褒貶されてきた。開花させるのが教師や師であるべきだろうに。内心での溜息を是非ともアリルカの師に届けたかった。
「カレン師も、そのおひとりだと、思います」
「さあ、どうかな? 私もそこそこ使える方だとは思うがな。私が知ってる魔法の天才たちってのはな、何がすごいって、それだけを見てる。魔道だけを見て、雑音が全然聞こえないんだ」
「雑音……」
 カレンの言葉が理解できた気がした。学院で教師や学生に謂われないことを言われ続けてきた。けれどこれが己の魔道、と見定めてしまえば確かにそれは雑音でしかない。
「周りがなに言ってもな、あの人たちには関係ないんだ。それが本当にすごいと思う」
「カレン師もじゃ、ないんですか?」
「んー。私もその心境に至るまでけっこうかかったからなぁ。これで私は一応は女だしな。私の世代の魔術師ってのはいまよりずっと女が少なくってよ。それをどうこう言われるのが本当に嫌だった。目立つのが嫌で、逆に目立ってやろうと思った。ひねくれてるんだ、私は」
「目立つのが……嫌?」
「女だからって目立つんだったら魔道で目立ってやろうってな。男のくせに私の後ろをちんたら歩くんじゃねぇよ、くらいの気持ちだったこともある。おかげで態度も悪くなった」
 からからとカレンは笑う。実際はどうだろう、といまでは思っている。確かに虚勢は張っていた。けれど星花宮を離れ、イーサウのエリナードの下に来てずいぶん変わった。少なくともカレン自身はそう思っている。エリナードに自身の在りようを無言のうちに肯定されたおかげだ、と。逆に師に倣うよう態度のほうは刻一刻と悪化の一途をたどってしまったが。
「ガキだからって言われるのはな、いずれなくなると思ってるだろう?」
「俺が大人になれば、言われなくなるんじゃないんですか」
「甘いな。そんときでもまだ年上の連中は生きてるぜ? そいつらが死に絶えるまで『若いもんは』って言われんだ」
 その頃になれば自分の考え方も変わっていることだろうけれど、それが一面の事実でもある。カレンの言いぶりにニトロは何を思うのか、口許に手を当てて考えていた。生真面目すぎる眼差しに不安を覚えないでもない。もっといい加減でよいとカレンは思う。こんなにも幼いうちから必死になっていてはいつか切れてしまう。それが怖かった。
「……俺も、目立つのは、嫌いです。面倒なことを言われるのも、嫌です。でも――魔法は、好きです」
 うまく言葉にならないその思い。カレンはそれでいいと微笑んでいた。魔法が好き。何より強い思いだとカレンは思う。
「好きなもんを好きなように研究できるよう、まずは基礎だな?」
「はい。いまは……それが楽しいです。楽しいって……思い出した気がします。デニスさんはちょっと……ですけど」
「いいやつではあるんだけどな。空気が読めないと言うか、善意が空回りすると言うか。傍迷惑な野郎だとは私も思うよ」
 肩をすくめたカレンにニトロは小さく笑う。そして笑った自分に気づいたのだろう、再び口許を押さえた。
 まるで殺された友人を思うようだ、カレンはそう見る。笑うこともできなくなってしまったネイトに、彼は何を思うのか。後悔であったり、怒りであったり。解決しようのない問題ならばせめて折り合いをつけるしかない、それができるようになるまでニトロを守りたかった。
「いい人だとは、俺も思います。それに応えられない自分が……。ネイトのことも、知ってるみたいだし」
「まぁ、ほとんどの魔術師は知ってると思っとけ。大事件ではあったからな」
「……はい。思い出させないようにしてくれる、心遣いが……でも、ちょっと」
「あー、わかる。それは鬱陶しいわな。まぁ、今後は気をつけるだろうから、また腹立ったらガツンと言えばいい」
「それで……」
「いいんだぜ? 遠慮がいるような仲じゃないだろ。友達になれなんて言わねぇよ、話も合わないだろうし。それでも一つ屋根の下に暮らしてんだ、変なところで気を使うことはない」
 困ったような、嬉しいような。なんとも言い難いニトロの表情。カレンは何気なく見えるよう心がけて彼を見ていた。そして唐突にニトロは言う。先ほどの小箱に指先を乗せて。
「この箱があるから、大事なものをしまったりしたく、ないんです」
 急になんだ、と首をかしげたカレンにそれと気づいたのだろう、力なく微笑み、そしてニトロは箱の由来を話しはじめた。




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