夢のあとさき

 悩んでいるな、とカレンは思う。デニスは元々台所仕事の好きな男だった。その彼が悩みはじめるとやたらと凝った料理が出てくる。そうでなければぴかぴかに磨いた鍋を見ることもある。
 今日の夕食の凝りようはたいしたものだった。小振りの肉団子の中に鶉の卵を詰め、甘辛く煮こんである。その上にとろりと焼いたチーズ。付け合せはさっぱりと香草のサラダ。その味付けもカレンにはどうやっているのか見当もつかない。しかもデニスは薄焼きパンまで自作したと来る。
 ――これは本格的だな。
 大変に美味な夕食ではあったけれど内心で苦笑してしまう。ニトロは姿を見せなかった。デニスが時折ニトロのために用意した皿を見やってはそっと息を吐く。せめてうまい飯でも食べてほしい、願って作ったことだろうに。
「うまかったぜ。お前は料理上手だよな」
「……師匠が大雑把なんです」
「食えりゃいいだろ?」
 ふふん、と笑えば力ない笑みが返ってきた。励まされている、そう感じたらしい。それでいいとカレンはうなずく。デニスは無理にニトロを呼びつけはしなかった。互いにどうしたらいいのか、困惑を極めているのだろうとカレンは思う。
 ――こんなもんは時間だな。ほっとくよりしょうがねぇわ。
 すぐに仲良くなれ、デニスに悪意はなかったから許せ、そんなことは言っても無駄だろうし逆に害悪だ。二人が互いに歩み寄るしかない。
 デニスはニトロが食事に来ない、と諦めたのだろう。溜息をついて皿を片付ける。手つかずの皿をどうするのだろう、カレンが思っているうちに彼は台所で仕事をはじめたらしい。思わずにんまりとしてしまった。
 その音を聞きつつ、カレンは酒杯に酒を注ぐ。暖炉の前のいつもの場所。育ての親とも言える男が好んでいた場所で、若いころの彼が好きだった酒を飲む。カレンにとっては安らぐ一時だ。
「師匠。お先に失礼します」
「おうよ、ご苦労さん」
「はい、お休みなさい」
 頼りない顔をしたままデニスは微笑んで自室に下がる。部屋にはニトロがいる。それでもデニスは「普段どおり」を演じる覚悟を決めたらしい。
「それでいい」
 デニスの姿が見えなくなってからカレンは呟く。今頃はニトロも冷静になっているだろう。デニスの言葉が癇に障った、それが原因だとしても彼に怒り続けるのは違う、とニトロも理解しているだろう。
「怒り続けるってのは疲れることだしよ」
 いつまでもいつまでも頭に血をのぼせていられるものでもない。あのような形で激昂した自分に対する自己嫌悪が一番大きいのではないだろうかとカレンは思っている。
 強い酒で唇を湿らせながらカレンは魔道書を読んでいた。居間の灯りは落とし、手元だけを魔法灯火で照らしている。忙しいカレンの一時の休息。時折ページを繰る音だけが聞こえた。
 デニスの様子をここから窺うこともカレンには可能だ。が、しなかった。デニスはきっと部屋で勉強をしている。側の寝台でニトロは毛布をかぶっている。そんな二人が見えるよう。わざわざ覗くまでもない。小さく笑い読書に戻る。
 夜も更けてからだった。デニスも眠ったらしい。気配が薄くなっている。いつの間にかカレンの手元には書付が散乱していた。何も娯楽で本を読んでいるわけでもなかったから、魔術師の読書などこういうものだ。そのカレンがふと顔を上げた。
「おう。目が覚めちまったか?」
 いままで眠っていたのだろうと言わんばかりのカレン。だがニトロは立ち尽くす。無言で首を振り、カレンの嘘すら否定する。
「……ご存じだったと、思います」
 起きていたこと、デニスを無視したこと。夕食すら食べずにいたこと。ニトロの短い言葉の中には様々な後悔にも似たものが込められていてカレンを苦笑させた。
「気にするようなことか、それ? 言っただろうが。むかついたら言えっての」
 そのとおりにしたのだから悔いることはない。カレンの言葉にニトロはうなずかない。薄暗がりの中、ぎゅっと拳を握りしめて立っていた。
「座ったらどうだ?」
 促され、ようやくニトロは動く。そんなことすら指示されなくてはできないでいるニトロに年齢以上の幼さを見た。
 カレンはそのまま読書の続きに戻る。話したければ話せばいい、そんなつもりで。ニトロもそれが通じたのだろう。じっとしたまま時々カレンを窺ってはいた。これは水を向けないとだめかな、内心でカレンは首をかしげる。
「それ、お気に入りか?」
 ニトロが拳の中、何かを持っているのは気づいていた。見る必要もない事実に気づいたカレンのかすかな笑み、アランから贈られたあの石に違いない。
「……はい」
 驚いたよう顔を上げれば魔法灯火に藍色の目。エリナードのような色の目をしているのにニトロの目は暗い。鬱屈がそうさせているのだろうとカレンは思う。
「院長先生は、どうしてこれを俺にくださったんだろうとか、色々考えます」
 よけいなことを考えているな、とカレンは心の奥で肩をすくめる。贈りたかったからだ、と単純には考えられないらしい。
「とても綺麗な石で、触媒としてもとても有用なものだと思います」
 だが自分に触媒は必要ない。アランには必要不可欠のものだったとしても。ニトロはそこまでは言いかねたのか口をつぐむ。だが目に思いが表れていては同じことだった。
「お前は気に入ってるって言ったな?」
「はい」
「だからだろ」
 簡潔に過ぎるカレンにニトロは眉を顰める。そしてそんな自分に気づいたのだろう、慌てて平静に戻った。
「アランさんは綺麗だからお前にくれてやりたいと思った。お前は綺麗で気に入った。それじゃだめか?」
「だめ、では……」
「それ見て、なんか思うところはあるか?」
 ないはずはない。ニトロにとって自分の学院時代の呼び名の由来であった石だ。アランの思いがカレンには、わかっている。ニトロはどうだろうか。
「……色々。学院に連れてこられたばかりのころのこととか。ネイトと一緒に遊んだこととか。悪戯したり、叱られたり。色々」
「なんだ、わかってるじゃねぇか」
「え――」
「アランさんは、覚えててほしかったんだろうさ。いまのお前に学院はつらい場所になっちまったかもしれねぇ。でも、楽しかったこともあっただろ? 面白かったこととか、思い出になってることとか、あるだろ? アランさんはそれまで忘れたり否定したりしてほしくなかったんだろうさ」
 藍色の目が丸くなり、ぎゅっと石が握られる。アランの思いはきちんと伝わった、カレンは目だけで微笑む。いずれはニトロ自身が気づいたことだろう、それでもいま言っておくべきことだった。
「腹、減ってねぇか?」
 笑いながら覗き込めば含羞んだ気配だけがするニトロの眼差し。カレンはにやりと笑って片手を振る。まるで動作が発動の契機であったかのよう鮮やかに魔法は現れる。息を飲むニトロの前、綺麗に盛りつけられた皿があった。
「ガキは食っとけ? 育ち盛りなんだからよ」
 こくん、とうなずいてニトロは石を放し食べはじめた。器用なものだな、とカレンは呆れ半分に感嘆している。ニトロが食べているのは夕食に出たものとは似て非なる料理。デニスはあの薄焼きパンを半分に切っては割いて肉団子を入れていた。冷えたチーズはまずいだろうということなのかわざわざ抜いたらしい。香草のサラダも一緒に入れて手で掴んで食べられるように細工をしている。
 ――ほんとにこの器用さを魔法と思考に生かせりゃ文句はねぇんだけどなぁ。
 魔法が不器用なのは未熟だからだとしても、あの硬直した思考はなんとかしたいカレンだ。もっとも、以前に比べればずいぶんとよくなっている。少しずつでも成長している弟子。いずれはニトロも、そんな風に思う。
「……ご馳走様でした。……なんかすごく、おいしかったです」
「腹減ってりゃなんでもうまいさ」
「いえ……そうじゃ、なくて」
 気を使ってでも世辞でもないらしい。このあたりはまだまだ互いに勘所がよく飲み込めない。自分とだとてそうなのだ、デニスとニトロがぎこちなくとも当然だとカレンは苦笑する。
「デニスだよ」
「――だと、思いました」
「違う、そういう意味じゃねぇよ。――晩飯に作ったもんをな、わざわざお前が夜食にできるようにあいつは作りなおしたんだ。冷たいもん食うんだ、それでもそこそこ食えるよう気を使ってな」
「あ……」
「前のデニスだったらな、晩飯にお前を無理矢理に連れ出してた。そうじゃなくてもこの皿を部屋に持っていってな、お前の枕元にでも置いといた。あいつはそれをしないでお前の選択に任せた。ちょっとは成長したんだと私は思うがね、お前が不愉快なのも当たり前だぜ?」
 無言で綺麗になった皿を見つめているニトロ。何を思うのだろうとカレンもまた彼を見つめる。ぎゅっと握り込まれた手が痛そうで、気づけばその手を取っていた。
「あ」
「ん? 嫌だったか? お前の年頃だとべたべたされんのは嫌かな」
「びっくり、した、だけです」
「そりゃよかった。なんか痛そうでよ、つい触っちまった。嫌だったら言えよ?」
 ぽんぽん、と拳を叩いてもニトロのそれは緩まない。頑固さが透けて見えるようでカレンには微笑ましい。
「……デニス、さんに。悪いことをしました。――デニス、さんの、せいじゃないのに、デニスさんの言ったことに、あんなに怒ることないのに」
「そうか? デニス本人も自分が悪いって言ってたけどな。あのな、ニトロ」
「はい」
「いい子になろうとするな。デニスを見ろよ、あのガキ加減。私はそれでいいと思ってるよ」
 なぜかわかるか、覗き込めばそらすことない真っ直ぐな目。黙って首を振っていた。
「お前は正真正銘まだガキだけどな、デニスだって私にとっちゃ似たようなもんだ。ガキはガキでいいんだ。子供が子供でいられる時期ってのは短いぞ? その貴重な時期に背伸びして無理すりゃあとが歪むぜ」
 ふん、と鼻を鳴らしたカレンにニトロの藍色の眼差し。染み込むように何かを飲み込んでいく。カレンの言葉だけではない、何かを。
「それでも、朝になったら、デニス……さん、に謝ろうと思います。悪いのは、デニスさんだけじゃなかったから」
 きゅっとつぐんだ唇。意志の強さが見え隠れ。その思いをカレンは守ってやりたい、強くそう思っていた。




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