夢のあとさき

 もう三年ほど前になるか。あまりにも聞きわけがないデニスをエリナードの下に送り込んだのは。彼の手によってデニスが常識と信じるものを壊されてくるがいい、そんな願いからしたこと。カレンは目を和ませていまのデニスを見ていた。
 当時のデニスならば間違いなくニトロに言い張ったことだろう、自分が正しいと信じることを。ニトロにはニトロの真実があると理解する気もなく。いま少し、大人になった。それが師としてこんなにも喜ばしい。ニトロのためにデニスを煽ってしまったカレンだ、いささか申し訳なくは思っている。が、結局はこれもデニスのためになるはず、そう思っていた。
「師よ……」
 ざわりとデニスの魔力が騒めく。器用でもない、魔力が高くもないデニスだった。家の中を探る、それだけでも大騒ぎになってしまう。技量ではないのだ、とデニスが理解したのも数年前。
 そしていま、デニスはニトロの行方を探した。自分はカレンと話がしたい、けれどニトロが心配だ、そんな兄弟子らしい態度。カレンはくすぐったい思いで弟子を見ていた。同時に安堵してもいる。デニスが探るより先にカレンはニトロの居場所を察知している。自分たちの部屋に戻ってニトロはうずくまっているらしい。出て行かなかったのならば問題ない。まずはデニスだった。
「ん、どした?」
 気楽に首をかしげればそんな師の態度にデニスは思うところがあったのだろう、小さく笑う。励まし、と解釈したらしいデニスにカレンは目を細める。
「噂話なんかに惑わされて、とお思いでしょうが」
「まぁしょうがねぇんじゃね? いろいろ聞いてんだろ、あいつのこと」
「……はい」
 大事件だった。魔法学院に暗殺者が入り込み、そして魔術師たちの尽力によって撃退された、そんな風に伝えられた事件。デニスにとってはわくわくとする話でもあったことだろう。だがニトロ。学院ではマロウと名乗っていた少年が事件の関係者であるとデニスが知らないはずもない。
「年のわりにニトロは少し小柄でしょう? そのせいもあるのか、先生方の話ではまだまだ基礎も覚束ないって」
「ほう?」
「やっと四大属性の循環の初歩ができるようになったくらいなのに師匠に預けられて、なんて話も聞きました」
 もちろんいい噂、としては聞かなかったのだろう。ニトロに何ができて何ができなくともカレンが選んで弟子にしたのだから、そんな気持ちでもいたらしい。
「でも……ニトロ。できましたよね? 僕なんかよりずっと高度なところまで、行ってる」
 先ほどの循環。確かに魔法としては基礎に違いはない。が、学院の教師に聞いた「基礎」とは階梯が違う。教師陣はそのような意味では断じて言っていなかった。
「それで?」
 羨むのだろうか、カレンはそれが心配ではある。カレンの目から見てもデニスは属性特化するのがようやくできるかどうか、という魔術師だ。転じてニトロはこのまま進めば間違いなく一流の属性型魔術師になる。あるいはこの自分の先にまで到達するかとも。だがデニスは首を振った。
「前だったら……そうですね、正直に言って羨んだと思います」
 そうしてデニスは含羞む。ほんの数年前。それでも過去の自分。その振る舞いと過ち。思い返してここに立っている、と言えるのだろうか、自分は。ぎゅっと拳を握りカレンを見上げた。
「でも、いまは羨みはしません。――前、エディさんに言ったことがあるんです」
 ニトロに話していた、カレンの友人である傭兵隊小隊長の名をデニスは挙げる。彼の伴侶とデニスはさして年齢が変わらない。彼らとの交流でデニスは自分を見つめ直しもしたようだった。
「僕は……師匠の先にはきっと行かれません。最先端を目指すことはたぶん、できない。それを羨むことはあると思います。いいなって、思うこともあると思います」
 もしも自分の手にそれだけの魔力と技術があったならば。デニスは夢想する。いったい何ができるだろう、何がしたいだろう。けれど空想でしかない。現実はそううまくはいかない。
「だからエディさんに言ったんです。僕は師匠の先に行けないなら、師匠が切り拓いた道を広く歩きやすくするんだって」
 デニスにとってニトロは幼い少年だろう。が、カレンにとってはデニスとて若すぎる子供。幼い者の決意の表明が眩しかった。
「ずっと、そう思ってきたんです。でも、具体的には何をしていいか、わからなくって」
 デニスの眼差しが地上へと。いまは寝台にもぐりこんだまま膝を抱えているニトロ。悪意はなかったけれど、傷つけてしまった少年。彼がここまで傷ついた元凶はたぶんきっと自分ではない、デニスは考える。
「立派な魔術師がたの批判に聞こえそうですけど。でも、ニトロ、あそこまでできるのにどうして何もできない、なんて言われてたんでしょう?」
「そりゃあいつが人目につくのを嫌ってたせいだろうな」
「でも、先生ですよ? 小さいうちから指導してくださっているのに、それが……僕には理解できない……」
 実はカレンも同感だった。ニトロにも親しい教師の一人や二人はいただろうが、ニトロに引き合わせてくれた教師はそうではなかった。ニトロの表面だけを見て彼は語っていた。
「だから僕は……一人前になったら、教師に、なりたい……。ニトロみたいに、上っ面だけで語られたりする子がいるのは、哀しいです。ニトロ、すごいのに、すごいのが嫌って言いたくなるくらい、色んなことがあったんだと思います。そんな子がいなくなるように、僕は、教師を目指したい……」
 いつの間にか両手を顔の前に掲げ、デニスはそれを見ていた。口にはした。いままでもやもやとした願いだったものが望みになった。それでもできるのか、と問われれば不安になる。
「ま、頑張ってみな」
「師匠!」
「うん?」
「そんな……気軽に……言わないでください。僕なんかが教師になんかなっちゃだめだって、言ってほしいくらいなのに」
「そこでヘタレんなよダメ弟子め。私はいいと思うぜ? ガキの導き手ってのは少々だめな方がいい。完璧な大人なんかいねぇんだっつの。それなのに大人が完璧なふりをしたらガキが歪むわ。お前みたいなダメ野郎がガキの面倒見た方がいいな」
「……僕でもとりあえずここまで育ったんだからって思えるようにですか?」
「僻むなよ」
 思わず吹き出してしまった。三年前のデニスならばそれは本当に僻みの言葉。けれどいまのはデニスの甘えだった。ぽんぽん、と頭を撫でるよう叩けば照れた笑い顔。
「それも否定はしねぇけどよ。お前なら、四苦八苦してるガキの気持ちがわかってやれるだろうが」
「あ……」
「誰とは言わねぇけどよ、自分は教師でございますって面した野郎にそれができるか? ガキの気持ちに寄り添ってやれるか?」
「それができていたら……ニトロは、あんなに苦しまなかった気が、します」
 そういうことだ、とカレンはうなずく。ニトロを引き取ったのは、純粋に偶然だ。アランからの依頼で会ってみる気になった、それが偶然。だがしかし会見してみれば間違いなくニトロは我が弟子、と確信した。
 それがデニスの魔道のためにもなった。カレンにはそれが嬉しい。できれば仲良くならないまでもうまくやってほしいものだと思う。間違いなく双方のためになるだろうから。
「とりあえずはさっさと一人前になるんだな、頑張れよ。坊主」
「はい!」
 茶化したつもりが真剣な返答が返ってきてカレンは面喰う。それに気づいたのだろうデニスが笑った。
「にしても、お前もちったぁ大人になったな」
「そう、でしょうか?」
「おうよ。いまもニトロの様子を見に行くって言わねぇだろ?」
「いま……僕が行っても逆効果だってことを学んだだけです」
「学んで理解して実行できる。それが一歩進んだってことさ」
 そんなものだろうか。不安そうに首をひねるデニスにカレンの目は優しい。こんなときだけ優しい師の目にデニスは励まされる。それでいいのだと。まだまだ先はあるのだと。
「僕にはよくわからないんです、でも……周りから理解されないって、哀しかっただろうなって」
「それでもあいつには大事な友達がいたんだがな。それでよかったはずなんだが……」
「殺されちゃった……んですよね。どんなにつらかっただろうって」
 ぽつん、と言ったデニスの言葉にカレンは内心で目を見張る。あのニトロのことだ、抗議をしたとは思えない。ならばいまのはデニスの素の言葉。彼は言った、殺された、と。死んだではなく。ならばまだ目はある、カレンはそう感じた。
「今だから、かな。僕も学院のこと、ちょっと色々思うことがあって」
「ふうん?」
「あの、責任転嫁とかではなくって! 僕が馬鹿なのは僕が悪いんですけど! でも、もっと小さなころに、ちゃんとだめなものはだめって言われてたら、違ったかな、とか……思ったり思わなかったり……その……」
 もじもじとするのは以前の自分が恥ずかしいせいだろう。それだけデニスは成長している。ニトロもいずれ、カレンは願う。そのぶん、デニスの思いが温かい。
「だから、ちゃんと色んなことが教えられる教師に、なりたいです」
 きっぱりと顔を上げたデニスにカレンは再びうなずいて見せる。その決意を後押しする気持ちで。まだまだ未熟で正直に言えば将来のことなど考えるのは早すぎると言われるだろう。けれど目標はいつ設定しても早すぎるということはない、それがカレンの信念でもあった。
「師は、ニトロを、その……どうするおつもりでしょう?」
「ん? 別にどうもしねぇよ。ほっといてやる。それだけだな」
「え……」
 今後の参考に、と問うたデニスにカレンはあっさりしたものだった。肩まですくめてたいしたことではないとばかり。
「ニトロは一人で悩んだり怒ったりするのを選んだ。だったらそれを尊重するさ」
 言いつつ、けれど抱えてほしくはないとカレンは思う。頼ってくれたならば。思うけれどいまだそこまでの信頼関係を築けていない師弟未満の自分たちだった。




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