夢のあとさき

 学院が発展してきた弊害、とも言えた。魔術師として先へと歩みを進める意欲の少ないものが出てきたのは。
「そんな若手が子供を導こう、というのは悪くはないと、思うんだがね」
「んー、どうでしょ? 教職しかすることない、みたいな考え方してるのもいるらしいじゃないですか?」
「それはねぇ」
 いない、とアランは断言ができない。できる限り心を改めさせているつもりではある。けれど相手もこちらも生身の体。
「発見次第駆除ってわけにもいきませんしね」
「カレンちゃん……それじゃ害虫だよ」
「似たようなもんですよ。ガキの教導ってのは軽い気持ちでやっていいもんじゃないでしょうが」
 アランは見ていた、学院創設をどれほどエリナードが迷ったかを。当時の彼は傭兵隊の魔術師。頭の上に超がいくつもつく星花宮出身魔術師の姿を焼き付けるようにして暇さえあれば見つめていた。暇を作ってはエリナードの手足になった。だからこそ、彼がどれほど悩み迷いながら進んできたのかを知っている。自分は。アランが思わない日はなかった。
「今回の事件一つとってもそうなんだよ。この前の会議では魔導師会側の魔術師から発言があっただろう?」
 マロウをどうするつもりか、処分しないのかと。忘れてはいないカレンは不愉快そうに顔を顰める。
「でもね、カレンちゃん。教師の中にも、そう考える者が――」
 瞬間だった、不愉快が殺意にまで高まったのは。息を飲み、アランは大丈夫だ、とうなずいて見せる。さすがにその発言をした教師こそ処分したと。
「まずいですよ、アランさん。差し出口になりますけど、大人がそれじゃ……。そうか……」
「わかったみたいだね? マロウを学院から出すのはその意図だ。彼は決して魔法への意欲を失ってはいない。確かにいまはまだ大切な友人を失った悲しみだとか、そんな簡単な言葉で表していいようなものではないものに、彼の心は閉ざされている。でも、マロウはきっと進んでくれる」
 私はそう信じている。断言するアランが眩しかった。だからこそ、カレンもまた信じられる。マロウを、ではなく学院の未来を。
「色々と手は打った。対策もしたつもりだ。でも、これでよかったのか、まだできることはあるとも思う。教師を処分しただけでいいのか? 乗せられた子供たちが何かを言うことを叱るだけでいいのか?」
 呟きのようなアランの言葉。闇の手の傷はこれほどまでに深い。マロウに嫌がらせをした子供だとているのだろう。
 マロウのためには仕方ない、とは言いたくない。けれど、致し方ないことかとも思う。マロウの友人が、学院の子供たちを傷つけたのだから。幸い死者は出なかった。それは本当に僥倖だっただけだ。偶然に偶然が重なっただけ。多くの一流魔術師が在籍する学院、そしてさらに上を行く魔導師会本部が隣接している。それでも、彼らだけでは手が届かなかった命。あの日、偶然にもアランの下にエイシャの司教が訪れていた。魔術師たちが繋ぎ止めた命を司教が救い上げてくれた。そうでなければ間違いなく死者が出ていた。
 だからこそ、マロウに文句を言いたい子供がいるのはある意味では当然だとカレンは思う。けれどマロウがそれを甘受する必要はない。言い返せるような精神状態ではない彼を守るのは大人の魔術師であるはずだったのに。
「マロウ一人守れず、僕は子供たちを守れるんだろうか……」
 アランの苦しげな声だった。彼もまた、襲撃によって傷ついている。きっと誰もが。エリナードですら怒りと形を変えた衝撃を受けたのだから。
「馬鹿親父の話ですけどね、アランさん。師匠が星花宮を追放されたときのことです」
「狼のせいだったね、あれは」
「と言うよりライソンさんのせい? むしろ付き合ってた男が悪かった? 師匠は完全に自業自得だって言ってましたけどね。でも――フェリクス師はやっぱり苦しんだそうです。愛弟子を、追放することでしか守れなかったって」
「……そうか」
「アランさんも一緒でしょ? マロウを学院から出すことで守ろうとしてる。大丈夫ですよ、なんとかなりますって」
「いやいや、氷帝と同列に語られると寒気がするんだけど」
「大師匠、可愛い人だったじゃないですか?」
 不思議そうなカレンにアランは力なく笑う。彼女にとってはそうだったのかもしれないが、やはりアランには畏るべき魔術師だった。エリナードの魔法精度は頭がおかしいとしかいまだに思えないアランだ。だがフェリクスは。至上の賛辞としてフェリクスは人間ではない、そう思う。
「まぁ、あれですよ。星花宮を思い出してください。アランさん、見てたでしょ? 四魔導師があれだけ傾注して作りあげてきた星花宮ですら、他人の一突きで壊れるときには壊れるもんです」
 アレクサンダーという、現在のラクルーサでは忌まわしい名となってしまった狂乱の王。王の嫌悪で星花宮は壊れた。タイラント暗殺を以て、すべてが灰燼に帰した。いまだにラクルーサに魔法は戻らない。
「ですからね、口幅ったい言い分ですけど。完璧を期そうとするのが間違ってるんです。我々は所詮はただ寿命が少々長いだけの人間です。不備や綻びだらけで足掻いて生きてるんです。その我々が完璧を目指す? 前提条件が間違ってます」
 不完全が完全を目指せばその時点で破綻する。カレンは断言した。アランは目を開かされる思いでいる。同時に、言われるまでそんなことにも気づかなかった己を恥じる。どれほど惑乱していたのか、学院長自らこれでは教師の腰が据わらないのも当然だと反省する。
「あれですよ。なんかあったときに、なんとかできるだけの態勢だけは作っておく。そのための芯だけは、きっちり決めておく。それで充分なんじゃないですかね。場当たり対応でもなんとかなりますよ、後は」
「芯、か……」
「親父がやってたのはそういうことかなぁ、と思うんですけどね」
 いまだ至らない若輩者の戯言だ、カレンは笑う。アランは微笑んで首を振っていた。そこにいるのはエリナードの愛弟子にしてイメルの後継者、次世代の魔術師の長。
「カレンちゃんも大きくなったね」
「よしてくださいよ、もう」
「はじめて会ったときはまだ十代だっただろ?」
「アランさんだって三十歳になるかならないかくらいでしたー」
 ぷぷ、とカレンが笑う。あまりエリナードと共にいるときには見せない子供っぽい表情。アランにはよく見せていた、昔から。彼女の憧れの強さを思う。
「僕もね、エリンにできれば続いて行きたい。彼から預かった学院を、このままでだめにしたくはない」
「違うでしょ、アランさん?」
「まぁ……できればもっと発展させたいな、とは思っているけどね。現状でそれは大言壮語だよ」
 発展させればあの教師のような魔術師が出てきてしまう。それを防いで先へと進んで行くにはどうすればいいのか。アランにもまだ先は見えない。それでもきっと。
「できることがあったら言ってくださいよ。私は学院の関係者じゃないですけどね、手伝いならいくらでもしますし」
「ありがたいけど、カレンちゃんに手伝わせると魔導師会がうるさくってなぁ」
「なんでです?」
 きょとんとしたカレン。自分の立場を彼女はまったく意識していないのだろう。だからこそ彼女はイメルの後を継ぐ。魔術師として、魔道の果てまでまっしぐらと歩んでいくその姿。隣を歩むことの叶わないアランはせめて彼女に続く道を拡げて行きたい。次に歩んでいく子供たちのために。
「そう言えば。他愛ないことなんですけど、マロウ、なんでマロウなんです?」
 他愛なくはない話だった。アランはにやりと笑う。話題の急転換はカレンが何事かに照れたせいと長い付き合いで気づいている。
「僕自身は魔力が弱いけどね、人の魔力の多寡はだからこそよく見える。それがすべてではないよ、もちろん。それはわかっている」
 カレンが口を挟もうとした隙にアランは言葉を続ける。言い訳じみていたか、思うのはやはり事件から続く様々なことに疲弊しているせいもあるのだろう。
「とはいえ、あそこまではっきり見えることは多くはない」
「そんなに違いました?」
「僕の目には相当違ったね。カレンちゃんはなまじ魔力が強いから微妙な差異がわかりにくいだろう?」
「です。さすがにマロウくらいになると違いはわかりますけどね」
「属性特化できるかどうか、くらいの魔力だとわかりにくいんじゃないのかな?」
 そのとおりだ、カレンはうなずく。アランのよう汎用型、と呼ばれる魔力の少ない魔術師とカレンのよう属性区分された魔法を使う属性型魔術師。同じ魔法でありながら必要とされる魔力が桁違いだ。カレンにもその「桁が違う」はわかった。けれどアランほど繊細にその境界上にいる相手を見定めることは難しい。
「マロウはその必要がないくらいはっきりしてたからね。ここに連れられてきた瞬間、僕はあの子は水系魔術師になると思ったんだ」
「それでマロウ? 植物じゃないですか」
 瑞々しく大きな葉を持つ薬草の一種だ、マロウとは。水系魔術師になる、と断言した子供に名付けるには不思議と言える。
「違うんだ、カレンちゃん。僕が意識したのはこっちだよ」
「あ、マラカイト――」
 アランが取り出したのは美しい碧の鉱石だった。魔法の触媒の一つでもある。そしてマラカイトの名の由来はその色。マロウの葉のように鮮やかで瑞々しい碧。
「綺麗だろう? 触媒にしてしまうのが惜しくってね、とってあったんだ。あの子に会ったとき、この石を思い出した」
 水に親和性を見せる子供だと見たときに思った。エリナードもそうだ、彼は高い水への親和性を持っている。だからこそ彼はエリナード、水の申し子と名付けられたと後で聞いた。が、彼は一点の曇りもなく澄んだ清水。子供は森の中にひっそりと隠れる底知れない深い泉のよう。
 集落が子供の魔力発現を嫌ったせいで学院に連れてきた、そう聞いた。家族から離れ、故郷を失い。絶望する子供は多い。あの子供は違った。真っ直ぐと魔法を見ていた、そんな気がアランはしている。
「これをカレンちゃんの手で――」
 いつかマロウに渡してやってほしい。言いかけたアランが黙る。ちょうどよく叩かれた扉にカレンがにやりとしては入室を促した。




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