夢のあとさき

 ついでだ、とカレンは教師に釘を刺す気になった。これは自分の役目ではなく、アランのもの。だがアランが手を焼いている気配を感じなくもない。ならば「塔の後継者」の名声が役に立つ。
 ――好きじゃねぇんだけどな。
 内心でぼそりと呟いても返ってくる声はない。師がイーサウにいないのだ、とこんなときに感じる。独り言に返ってくる声のないことがたまには寂しい。
「アラン師。そちらの先生はマロウがまだ右も左もわからないって仰っていましたがね」
 そのとおりだ、と激しく教師はうなずく。まるでそれにしか縋るものはないと言わんばかりに。だからこそ砕く気になったカレンだった。教師がこれでは師匠は迷惑をするし子供は歪む。
「あいつ、髪染めてますよね?」
「あぁ――」
「えぇ、そのとおりです。元の色が人と違って目立つから、と。あの子なりに周囲に馴染もうと努力する素晴らしい姿だと思います」
 溜息が二つ。アランまでだった。それに教師は訝しげな顔をする。さすがに険しくなったカレンの眼差しにアランがほどほどに、と目顔で。
 ――まだ若いんだ、カレンちゃん。彼は子供と大差ないんだよ。
 ――ガキに導かれるガキが迷惑しますよ。
 ふん、と笑えば肩をすくめたアラン。彼は彼で言葉の通じない教師に苛立っているらしい。では遠慮なく、笑うカレンにアランは諦めた様子だった。
「子供が素顔でいられないってのは、問題だと思いますがね」
「はい?」
「信頼されてないんですよ、あなた。マロウにとって学院は安心できる場所じゃなかった。だからあいつは素顔に戻らなかった。そういうことじゃないですかね、アラン師」
「私も、そう思う。心配りをしていたつもりではあるんだが……」
「一人でも素っ頓狂な大人がいるとぶち壊しですからね、子供ってのは難しいもんだ」
 言ってカレンは教師を見やる。信頼されていない、などとマロウとはほぼ初対面のカレンに言われて納得しがたいらしい。顔に出ているぞと目が笑えば、ばつの悪そうな顔をした。
「それと、髪を染めているってのはそっちの話じゃないですよ。マロウは自力で魔法をかけてますねって話だ」
「……はい!? まさか、そんな! できるはずが……」
 教師の言葉は宙に消えた。恐る恐るとアランを見やれば学院長は破顔している。唖然としつつ、教師はさすがに悟る。カレンの冗談ではないのだと。
「なんかありましたか、切っ掛けが?」
「いや、数年前のことを思い出していてね、カレン師。学生のちょっとした悪戯で、とある農場主が怒鳴り込んできたのだよ」
 アランは当時のことをさも楽しげに語った。その頃はまだ一人前ではなかったのだろう教師はそんなことがあったのか、と驚きに目を丸くしている。
 怒鳴り込んできた農場主の勢いといったら凄まじいものだった。少数の羊を飼っている男で、そろそろ毛刈りの時期、と見定めていたところだったと言う。その羊が一夜にして色とりどりに変わった、らしい。
「いや、もう。頭から湯気を噴き出して怒る男など久しぶりに見たよ、私は」
「それ、どうなったんです?」
「いやいや、怒鳴り込まれた内容のほうがまた振るっていてね。『色を変えるなら一色にしてくれ』だったんだ」
「は?」
「せめて一頭に付き一色、そうしないと染色済みの羊毛として売りにくい、と来た。さすがイーサウだ、と私は感心したよ」
 結局その羊の色は定着しなかったらしい。若き魔術師の卵たちの悪戯で色とりどりに染められてしまった羊が迷惑そうに毛を刈られているうちにもみるみると色褪せていったそうだ。
「脂抜きをするころにはすっかり元の色に戻っていたらしいね。――マロウは、それを見ていたようだ」
 そして呪文構成の不備と改善点を自分で探り出し、そして実行した。アランは当然にして気づいていたが間違ってはいなかったので放置していたとのこと。
「あの子が幼いころこの街にやってきたときには、確かに目立っては可哀想だ、という親の情だったんだろう。どうかこの子が一人で染められるようになるまでお願いします、と頭を下げられてね」
 マロウが八歳になるまで、一般的な薬品を使いアランは彼の髪を染めてやっていた。それからは自分でできる、と言うのでやらせていたものを、二年後には呪文を編みだして行使するまでになった。
「たいしたものだよ。それもたぶん、あの子は毛染め剤を使うのが面倒だから、なんだ」
「それはいい。最高の動機ですよ、それは」
「だろう?」
 魔法とはそうやって「手を抜きたい」から発展しているものでもある。嬉々として語り合う二人の魔術師に教師がぽかんと口を開けた。
「わかりましたか。マロウは、右も左もわからない子供というわけじゃありませんよ」
 悪戯っぽい、と言うには少々意地の悪いカレンの眼差し。アランは少し申し訳なく思っている。彼女に悪役を押しつけてしまった気分だった。
 ――気にしないでください。悪評だったら師弟共々これでもかっていうほどありますからね。
 明るく晴れやかな、それでいて優しいカレンの声。心配り、とはこれを言うのだ、とアランは改めて思う。
「さて、カレン師。お茶でもどうかな? それとも、ここで待つかい?」
「いやいや、ぼーっと立って待ってるのも可哀想でしょう」
「……可哀想」
「わかりませんか。ここで私が立って待ってたら、マロウは気にしますよ、大人を待たせたってね」
「あ――」
「まぁ、私が言うことじゃないんですがね。もう少し平衡感覚を身につけてください。物事を真っ直ぐ平らかに――もう、デニスに口酸っぱくして言ってることをここでも言うとは思ってもいませんでしたよ、アラン師!」
「若い人とはそういうものでもあるからね」
 励みたまえ、教師に微笑みかけアランはカレンを促す。呪文室を出た途端だった。
「すまなかったね、カレンちゃん。本当に――」
「よしてくださいよ、アランさん。私はがさつで口が悪いってのが評判なんです。私に言われた方が効くでしょうよ、あの手合いは」
「……愚痴になるがね。僕に魔力があまりない、というのがたまには響くんだ」
「はい? さっきのあれだってうちのデニスと大差ないですよ?」
 デニスは魔力が強い方では断じてない。むしろ魔術師としては弱い。無理をすれば属性特化も可能だろうが、アランたちのよう汎用型魔術師として魔道を歩んだ方が遥かに遠くまで進めるだろう。
「その僕がエリンから学院を引き継いだっていうのが、ね」
「なんすか、それ。私が師匠の女だってのとどっこいの戯言じゃないですか」
「まだ言われるかい?」
「言われますねぇ。女の私に負けて悔しいんだったら魔術師廃業しろってんですよ」
 男女の差異を口にするだけでその魔道の先は見えている、カレンは断じる。アランとしてもそのとおりだと思う。だが、集団をまとめて行くとなれば他愛ない陰口の類は避けては通れない。
「魔力がないくせに院長面して、エリンの贔屓だ。だから院長の言うことなんか気に留めなくっても。自分の方が上なんだし。とね」
「しかもそれってあれでしょ。だいたい言ってんのは魔力がないやつでしょうが。んー、アランさん、ちょっと言いにくいですがね、少し考え直した方がいいですよ」
「僕も魔力絶対主義、というのは間違ってると思うんだが、なにせ僕が言うとねぇ」
「なるほど。了解しました。どっかで特大の釘でも刺しときますよ。いや、師匠にやらせるか……いや、イメル師の方がいいかな」
 ぷ、とアランの明るくなった笑い声。仮にも師匠にやらせるとは何事か、とそれでも笑っているアランの声。カレンはこの明るさが好きだった。戦場を知り、魔力の少なさに悩み、それでもあのエリナードに「技術ならば超一流」と言わしめるまでに技量を磨き抜いたアラン。
「カレンちゃん?」
「なんつーか、アランさんの魔道の先を見たいな、と思って」
「それは……」
 絶句していた、アランは。エリナード師弟が羨ましくなかったと言ったら嘘だ。フェリクスと、エリナードと。そしてカレンと。みなが技量に優れ魔力の強大な魔術師たち。そのカレンに筆舌に尽しがたい褒詞をもらった、そんな気がした。
 院長室はエリナードがいたころとあまり変わっていなかった。アランが彼の面影をとどめておきたい、と願っているかのように。何かがあれば気軽に跳んで来てくれるエリナードではあるのだけれど、日々エリナードの事績に接して忘れまい、そんなアランの心をカレンは感じる。
「アランさん、茶ァ淹れるのうまいからな」
「そうかい? エリンの方がうまいよ」
「あの男はがさつなんですよ。ゆっくり茶ァ淹れてるのなんかほとんど見たためしがない」
「忙しい人だからね、エリンは」
「ま、たまに淹れてくれる茶はうまいですけどね」
 ふ、とカレンの目が和む。師に憧れ、彼に近づきたい一心で修業に励んできたカレン。男女の師弟で、しかもエリナードは誰もが振り返る美形と来ている。カレンの師に憧れる眼差しが誤解されても無理はないことではあった。
 アランは知っている。カレンがエリナードに近づきたいのは、彼を越したいがゆえと。追い越して、いつか師が届かなかったもっと遠くに行くために。エリナードがフェリクスを追いかけているように。
「エリンから預かったこの学院をね、どうすべきか悩むことはある」
 カレンにはもう言わずとも通じているだろう。先ほどの教師の件もある。子供を養育する場としてここは相応しいのか。相応しく在れているのか。
「マロウは、確かに社交性が高い子供ではないよ。それも僕はよし、と思っている。でも」
「さっきの先生はそうは思ってなかったですよ」
「あぁ、カレンちゃんも聞いたか。――子供たちの中にも、そう考える子がいるんだよ」
「そりゃそうですよ。大人がそうあれ、それが正しいって言ってるんですから。違うって言えるような口の達者な子供は多くはないですよ?」
 にやりとしたカレン。彼女が幼かった頃はどうだったのだろう。アランは問わない。カレンも言わない。
「問題は、社交的であるのが間違いではない、ということだよね。内向的であっても、どっちでも正しいんだ、と断言できる教師が……少なすぎる」
「一人面倒なのがいると引きずられますからね。元凶を叩くのは有効ですよ。なんだったらほんとに師匠を焚き付けときます」
「うん、まあ。いずれ本当にエリンに頼むかもしれない」
「早い方がいいですよ、子供の成長は早い。デニスの矯正に私は毎日怒鳴りっぱなしですから!」
 それでも導いて行くと決めた弟子に対するカレンの目は柔らかだった。ふとアランはエリナードの眼差しを思い出す。カレンの後ろ姿を見ている彼もまたよくこんな目をしていた。




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