数か月後、カレンは魔法学院に呼び出されていた。見てほしい子供がいる、とのこと。それは通常、弟子にするつもりはないかとの打診。現在カレンはデニスという大変に手のかかる弟子を養育中だ。できれば遠慮したいところだが、と思っていたのだけれどアランからそれが誰か聞かされてまずは、と学院を訪れることにした。 「どうぞ、カレン師。こちらです」 マロウと呼ばれている子供の教導をしている教師だった。はじめから魔道の最先端を究めるつもりはなく、その道を拡げ、後に続く者を養成したい、そう考える若手が増えてきている。学院の成果ではあった。 魔法学院は魔力のある子供だけを育成しているわけではない。暗殺者として潜入していた子供もそうだったけれど、学問として魔術やその歴史、あるいは関連学問を学びたいと言う子供も増えている。結果としてそのような教師も増えている、というわけだった。 「ありがとう」 小さな呪文室で子供は待っている、と教師は言う。そちらに向かいつつカレンはどうしたものか、と考えていた。 「カレン師。伺っても?」 「なんです?」 「その……マロウはまだ幼いのです。右も左もわからないと言ってよいほどで。私としては学院長に反対するつもりはないのですが――」 外に出すのはまだ早い、と教師は言葉を濁しつつ言う。カレンはどうだろう、と内心で首をかしげていた。マロウは十三歳になった、と聞く。確かに弟子に取るには少し早い。が、なにも年齢で魔道を歩くわけではない。本人がどれだけ何を理解しているかの方が重要だ。もっとも幼い、という意見にはうなずけるが。 「本人に会ってからにしましょう」 それだけを言えば教師はまだなにか言いたそう。エリナード・カレンに直接、物が言える機会は多くない。この際だから、と意を決したのがカレンにも見てとれる。 「やはり、私は反対です。まだなにもわからない子供ですから」 「それを本人に聞きましょう、と言っているんですよ」 「ですが、本人に尋ねてもわけもわからずうなずくだけでしょう?」 子供が心配だ、教師は真摯に言う。カレンはわずかに頭上を仰いだ。アランの言葉が蘇る。 「我々の教師を悪くは言いたくないんだがね、カレンちゃん。どうにもマロウは学院にいては進めない気がするんだよ」 どういう意味だ、と思っていたがこういう意味だったか、と小さく溜息をつく。子供が心配なのは嘘ではないだろう。あるいは、その心配に値するような子供なのかもしれないが。だが、少し物が見えていない気がカレンにはする。 「一度見かけたことがありましたがね。明るい、率直な子だったように記憶しています」 学院と同じ敷地内に魔導師会の本部もある。カレンはそちらには何かと用事があって訪れる機会も多い。そのときにちらりと見かけたことがあった。仲の良かったネイトという少年と一緒に遊んでいたマロウの姿を。 「いえ……それが。マロウは友達がいないんです」 「あの子だけ、ですか?」 「はい。亡くなったネイトだけで。それが心配でなりません。率直に、カレン師には見えたのでしょうけれど、なにしろ交友関係を築くことができない子ですから」 「ですが、ネイトとは仲良くやっていたのでしょう? 友人の数を競っても仕方ない。そんなものは多寡ではないでしょう」 「とんでもない! 子供はもっと明るく社交的であるべきですとも!」 ここでこの教師を殴ってもいいだろうか。カレンの精神の声がアランに届く。聞かせるつもりでしたことではあったけれど半分笑ったような声でやめてくれ、と返ってきた。 「……頭に春を湧かせた馬鹿の元凶はここか」 「カレン師?」 「デニスと呼んでいる弟子がいますが、学院の出身です。覚えていますか?」 子供たちは大陸中から集まる。魔力のある子供の呼び名がそのまま真の名であることもまだある。その危険を回避するため、魔力のある子供たちは総じて預けられた時に新しい呼び名を学院から与えられる。いまはデニス、と呼んでいるカレンの弟子も学院時代は違う呼び名だった。 「もちろん覚えていますとも。真っ直ぐで明るいよい子でした」 晴れがましげに微笑まれてしまった。改めて殴りたいような気がしたけれど、殴られても自分が何をしでかしているのか気づかないのではないだろうか。それに思い至ってカレンは諦める。 「おかげで私は非常に苦労していますがね」 「え――?」 「塔の後継者として勧告します。子供の在り方を大人のあなたが決めないように。明るいも暗いも善悪ではない、ということを幼児に戻って学び直しておいでなさい」 「いや、ですが!」 「社交的すなわち善ではないでしょう。それならば私はどう考えても悪ですよ。社交嫌いは師匠譲りでしてね」 にやりと笑ってみせる。間接的にエリナードをも非難していることになるぞ、とばかりに。そんなつもりではない、抗議する声にならない悲鳴。 「大人はよくて子供はだめ、なんてものが世の中にはたくさんありますがね。この問題は年齢は関係ないですよ」 この話はここまでだ、とカレンは肩をすくめる。マロウが待っているだろう呪文室の前まで来ていた。 「待ってください、カレン師――」 「あのね、年端もいかない子供の前で叱られたいんですか、あなた。それこそ子供の前でやっていいことじゃないでしょうが」 善悪と言うならばこちらの方が大問題だ、カレンに一蹴されて教師の顔が青くなる。デニスが考えなしなのは何もこの教師一人の責任ではないだろう。大部分的には本人の責任だ。が、学院が助長しているとなれば師範級魔術師として改善を求めるべきでもあった。 「入るよ」 硬直する教師を置き去りにしてカレンは無造作に扉を開ける。慌てて教師が従った。カレンはそちらを見もしない。 なるほど。納得する思いだった。同時に愕然と。一度見たきりではある。けれどあのときの少年とは似ても似つかないほど暗い眼差し。 「エリナード・カレンだ」 「――マロウ、と呼ばれています」 「おう、よろしくな。外でやって行きたい希望があるって?」 「外でも、どこでも。ここでも、いいんです。どこでも」 細い吐息のような子供の声だった。長めに伸ばした前髪が額の上でうるさそう。黒い髪に青い目までくすんで見えた。とても美しい深い青をしていたというのに。 「そうか。とりあえず四大属性を一通りやって見せてくれるか」 淡々とうなずく子供だった。できなかったらそれでいいんだよ、などと教師が言っている。その声が彼には聞こえていないのではないだろうか。少し鬱陶しそうだ、と思ってカレンは内心で微笑む。 そしてマロウは魔法を操る。カレンは何も言わなかった。ただやって見せてくれ、とだけ。それなのにマロウは風系からはじめる。 ――自覚してるな、これは。 風の魔法で準備を整え、そして水にと移っていく。教師などではないだろう。マロウが自身で選択している。カレンの目から見ても間違いなくマロウは水系だった。 「まだまだ拙くて、カレン師にはどうぞご容赦いただきたく」 しどろもどろな教師にカレンは答えない。どこに目をつけている、と怒鳴ってしまいそうだった。控えるためには黙るしかない。 さすがに十三歳、拙いのは当たり前だ。が、一通り以上のことがマロウはできている。四大属性を遅滞なく循環させていく。それだけでもたいしたものだった。ましてカレンはすでに見ている、マロウがそれ以上の魔法を操っていると。 そしてマロウは一言もなく魔法を収束させた。息も乱さずじっと待つ。前髪の向こうからカレンを窺っている気がした。 「よし、わかった。私はお前とやって行きたいと思うよ。どうだ?」 「――はい、よろしくお願いいたします」 「ん。じゃあ荷物の準備してきな。私は院長先生と久しぶりにお喋りしてくるからな。ゆっくりでいいぜ」 はい、と頭を下げただけの子供。一度だけ真っ直ぐとカレンと目が合った。目は心の窓、とよく言う。美しい青の目が窓だとするのならば何重にも鎧戸が下りた窓だった。 「ま、待ってくださいカレン師!?」 子供が退出するなり教師が慌てる。まだ早い、何もできないと喚き出す。顔を顰めたカレンに気づいてもいないのだろう。魔術師としては決定的に注意力不足だ、と言いたくなった。 「本人が望んでる。アラン師も認めてる。あなたが反対する理由は?」 「ですから、あの子はまだ――!」 「あなたが思っている以上にあの子は立派に魔法を操ってますよ。――あぁ、アラン師、いいとこに来てくれましたね」 ほっとカレンが息をつく。子供が退出したのを見計らってアランが訪れていた。自分までいては子供の負担になる、と考えてのことだろう。 「どうしました、カレン師」 悪戯っぽい笑い顔だった。他人の目がないところではカレンちゃん、などと呼ばれるけれどこうして人目があれば互いに「立派な魔術師」の顔もする。傭兵隊の魔術師であった若き日と、修行中の少女時代、知られているのはお互いばつが悪いものでもあった。 「まずはご報告を。あの子供は私が預かります」 「ですから、カレン師。どうかお待ちください。マロウはまだまだ幼いのです。それに……カレン師ほどのお方が弟子に取るような才能ある子供でも」 その瞬間だった。カレンの気配が切り替わったかのよう変化する。若き教師は知らない、カレンは戦場を知る魔術師だということを。ぴたりとその喉元に水の剣。 「才能がどうのなど聞きたくない。私がなんだ? 才能があるから弟子にすると思われているのだったらたいした侮辱だ」 傷つけはしない。けれどいつでもそうする。そんなカレンの眼差しに教師は動けない。からりと笑うアランの声が教師を救った。 「考えなしの若手をたしなめるのは私の役目かな? そのあたりで勘弁してやってくれないか」 「言いたくはないですがね、アラン師。それでどれだけ師範たちが迷惑しているか、きっちり言い聞かせてください」 「あぁ……エリンにも言われたよ。この前」 長く、そしてわずかに震えたアランの吐息。エリナードにも苦情を言われた、アランの言葉に教師が改めて震えを酷くする。いつ水の剣が消えたのかもわからないほどに。 |