転移というものはまずもって気軽に行使できるような魔法ではない。かつて十三歳にして現在の転移点型転移魔法への大改革をしたフェリクス・エリナードだ。転移魔法が得意、というのはまだ理解ができる。 けれど根本的な問題として、転移にはずれが生じる。日常ではただの誤差だ。イメルたちだとて一歩と違わず出現するだろう。けれど座っているエリナード。半歩のずれでも無様をさらすことになる。彼にはそれが許し難いらしい。拳ひとつのずれもなく出現することを彼は可能にしていた。 それが畏怖に繋がる。若い魔術師たちの中には何か仕掛けがあるのではないか、と疑うものもいるらしい。理解はできる、とカレンは含み笑いを漏らす。その響きが妙に師に似ていて今度ははっきりと顔を顰めた。 そうこうしているうちにずいぶんと講堂内も落ち着いてきた。静粛を求めるわけでもないやり方が常人は少し不思議らしい。放っておけばいずれ黙る、と上段の魔術師たちは思っているだけだろう。事実その通りになった。 「そろそろ良いかね?」 静かなアランの声。若いころアランは「暁の狼」という傭兵隊に所属していた。当時の彼をカレンも知っている。魔力は少なくとも技術は一流、とエリナードが頼りにする魔術師の一人だ。いまは公職から退いたエリナードの後を承けて学院長を務める。 「議題は言うまでもないことのように思うが」 一応は、とアランが「闇の手」の襲撃からそれに続く報復一切の報告をする。ここには学院の主立った教師だけではなく、魔導師会の魔術師も多数参加していた。報復作戦に参加したものも、後方支援に徹したものもいる。彼らのための説明だった。 「学院長」 す、と手が上がったのは座席から見てとるに魔導師会側の魔術師らしい。カレンもそちらに座っていた。 「どうぞ」 学院長自ら軽く微笑んで発言を促す。それに応えて一人の魔術師が立ちあがった。カレンにも覚えがある、熱心と言えば聞こえはいいが血気盛んと言った方がいい若手魔術師だった。 「暗殺者はすでに処分したとのことですが、親しくしていた学生がいる由。そちらはどうなさるのですか」 こほん、と咳払いをしての発言に周囲が騒めく、同意と非難とが半々ほど。主に学院側の魔術師は非難をしている。それにカレンとしては息をつく。 「それには私がお答えいたしましょう」 主任教師だった。彼もまた魔力は覚束ないものの、幼い者を教導する姿勢は素晴らしい。カレンも尊敬する魔術師だ。 「回答としてはどのようにもしない、です。このまま本人の希望通り、学び続けて行くことでしょう」 「待ってください! それは危険でしょう!?」 「なにがですか?」 「暗殺者と親しかった、ということはその学生にもそのような思想があった、ということではありませんか。他の学生に危険が及べば今度は死者が出ますぞ!」 闇の手事件で死者は出なかった。一人を除いては。たった一人、闇の手に暗殺者として育てられ、学院に潜入していた子供を除いては。 教師たちが総じて発言者を睨みつける。彼らにとって死んだ子供は「殺された子供」だった。暗殺者としての責務を全うできなかった彼は、イーサウに潜伏していた同志の手によって殺された。 教師たちはいまも思っている。もしも相談をしてくれていたならば。もしも一言でも漏らしてくれていたならば。決して殺させはしなかったものを。その思いを逆撫でする発言だった。 しん、とした講堂内に小さな笑い声が聞こえる。見やればエリナードだった。傲然と座したまま発言者を見下ろす。 「なるほど。類は友を呼ぶ、という言葉もある。そういう意味か?」 「エリナード師のおっしゃる通りです。これ以上――」 「では、友には類になってもらおうか」 ふっとエリナードが口許だけで笑っていた。微動だにしないはじめの四導師たち。現在の四導師もそれぞれくつろいで発言者を見やる。気安さを表している、とは誰も思わなかった。 ――カレン、お前の師匠だろう!? 止めろ! ――ミスティ師。無茶言わないでください。私は弟子なんですよ? 師匠を止められるほどいい腕してないです。 ――戯言を抜かせ。いざとなったらお前も加われ。いいな? わずかに慌てたようなミスティの精神の声。カレンは心配ない、と思っている。いざ暴走の際には手を貸せ、と言ってくれたけれど必要ないだろう。エリナードは怒ってはいるが、怒り狂ってはいない。 「エリナード師……? それは、どういう?」 「お前の友人の一人が三年前に破門宣告を受けていたな? 自らのほしいままに魔法を利用し他者を害そうとした。魔力を枯らされ、正式に破門されている。そうだったな?」 「なるほど。では友人に倣って彼も危険人物なのだろう。破門をするか。エリナード」 「本人はそれを望んでいるみたいだからな。そうするのも優しさかね?」 鼻で笑ったエリナードだった。呆れた口調のミスティだったが、内心ではいまだひやひやとしているらしい。付き合いが長く深いイメルは諦めの境地なのだろう。とっくに関係ないことを考えているのが目に表れている。たしなめるようオーランドがちらりと彼を見やった。 「待ってください! 私はそのような思想を持ってはいません! 友人であった人間に連座させられるとは納得ができません」 「ほう? 自分の発言くらいは管理しような、坊や」 「お前は自分は友人とは無関係で危険ではない、と主張するが」 「でも君は当の学生は危険だ、と言うんだよ?」 おかしいだろう。オーランドがじっと発言者を見つめる。発言者の額にじわりと汗が滲んだ。彼らは子供を咎める気がない、それを公式に聞いて教師陣がほっとした気配。 「アラン」 「なんです、エリン」 「お前はよくやってるよ。俺が言うのも偉そうだがな」 彼をエリン、と親しく呼ぶことができるのはいまはもうアラン一人。いまここでそう呼べ、と示唆したエリナードにアランはにやりとする。 「子供の面倒を見るってのは並大抵のことじゃない。そっち側に座ってる若いのの半分くらいはもう学院出身だな? 自分たちがどれだけ教師陣に大事に育てられたか、忘れたか」 覚えている、とうなずく若い魔術師たちが大勢いた。カレンは学院出身ではなかったけれど、あの雰囲気はとても好きだ、と思う。大勢で子犬のように転げまわって育つのは、どれほど楽しいことだっただろう。 「子供の中には悪さをするのもいる。むしろ、それを奨励してるな?」 「えぇ、いまでも悪戯は大いにするよう言っていますよ、エリン」 「だろう? そうやって子供は育って行く。善悪を大人に叩き込まれて、やっていいこと悪いことを学んでいく」 「今回はそこにすでに固定化した概念を植え付けられた子供が混ざった、ということが原因だ」 「物心もつかないうちに暗殺技術を叩きこんでるって話も聞くからな。命令に従うように、それが善だと教え込まれた子供だ」 「それをね、いっしょくたに考えるから君のようなことを言う羽目になる。例外を一般化すると痛い目を見るよ」 お前が言うな、とエリナードの目が笑ってイメルを見やる。自分だから言うのだ、とイメルが肩をすくめた。緊迫感を思い出せ、とミスティの呆れた目。飄々とオーランドが肩をすくめる。いずれ全員似たようなもの、ということだろう。 「――今回のことでな、一番つらい思いをしてるのはお前が処分すべきだって言ってのけた子供本人だ。そいつだけは大事な友達が殺されたんだ」 エリナードの言葉にう、と息を飲んでいた。彼には理解ができるはずだった。少々考えが足らないけれど、一応は一人前の魔術師。しかも彼には経験がある。友人が、破門をされた経験が。なぜ自分に言ってくれなかった。どうして一人で突き進んでしまった。友人であったのならば責めたい気持ちはあっただろう。否、いまでも思うかもしれない。無言で遠くに行ってしまった友人を止めることができなかった彼だった。 「学生の件はこれでいいね?」 アランの静かな声。発言者は無言で座る。苛立った座り方でなかったのにカレンは安堵する、軽卒を悔いているかのような態度だった。 それからも会議は時に白熱し、時に静まり返る。暗殺結社が入り込んできた、とはそれだけ重大な事件だった。 「今回はイーサウの全面的な後ろ盾があった。なぜかわかるか。我々が有用だからだ」 「有用、と言われて顔を顰めたものがいるな? だが社会とはそのようなものだ。我々魔術師とて魔力を食って生きているわけではない。常人の世界に和して行くのはどうあっても必要なこと」 「そのとおりだね。イーサウが、こうやって学院の子供たちが狙われたのを不快に思ってくれる、というのは大事なことだと思う。イーサウにとっても子供たちは魔法使いの子供、じゃなくて共同体の子供、なんだと俺は思うよ」 「この流れを作りあげてきたのはあまり褒めたくはないがエリナードだろう。彼がイーサウに居を移して以来、協調して歩みを進めてきた結果がここにある」 それを本当に嫌そうにミスティは言った。にやりとしてエリナードが彼の膝を叩く。緊張感のない人たちだな、とカレンは呆れていた。 「今後もそうありたいものです。利用し、利用される。結構、それをあるいは信頼と呼ぶのでしょう」 にこりとアランが笑った。商人の街として発展してきたイーサウ。連盟主導都市となってもそれは変わらない。だからこそ、それを信頼と呼ぶことができると。イーサウ出身者たちがそっと笑った。 「口出しをして悪いが、教師陣はしばらく子供たちには気をつけてやってくれ。色々あったからな、心配だ」 エリナードの言葉に教師たちがもちろんだ、とうなずく。カレンとしては意外だった。こんなことを言う人だったのかと。 カレンですらその有様だ。魔導師会側魔術師、学院側魔術師を問わず意外そうな顔を隠さない。それではたとカレンは気づく。 ――なるほど。あえて「あのエリナードが言った」という形にするわけか、師匠め。 ――独り言たぁいえ師匠を呼び捨てにすんじゃねぇよ。 ――うっせぇクソ親父。 エリナードは軽く微笑みながら教師たちの言葉を聞いている。先ほどまでの傲岸がどこに行ってしまったかと思うほど。 ――芝居気がある男だろ? そんなとこも実はフェリクス師――う。 ぶつん、と音が聞こえそうなほどの勢いで精神の声が途絶えた。最上段で平然としたままイメルが脂汗を浮かべている。わずかにうつむいてカレンは笑いをこらえた。 |