子供たちの安全を委ねられた気がした、カレンは。ふ、とイメルの微笑みに気づく。イメルから塔の後継者として発表されている身だった。そして後を承けた段階ですでにそれは自分の肩に乗っていたと気づく。 「師匠がこれな上に、イメルの後だろう? お前はよくよく運がない。つらいだろうが、励めよ」 しみじみとしたミスティの声音。思わず吹き出したのは当人のカレンだった。それに呆れ顔のミスティ。相性がいいと知っているからこその暴言。エリナードがわずかに自慢げな顔をし、そんな自分に気づいたのだろう、それとなくそっぽを向く。 「さて、みんな。そろそろ時間だよ?」 長い溜息はミスティのもの。促したイメルも好きこのんではいない、と顔に書いてある。ぽん、とその肩を叩いてオーランドが立ちあがった。 「おうよ。――カレン、着替え手伝ってくれ」 これから闇の手絡みの会議が学院である。彼らはそれに出席予定だった。実は四人揃って最近の学院には不満がある。結果としてはじめの四導師が正装で、どん、と構えることになる。若い魔術師たちにとってはそれだけで大変な重圧だろう。 「うい、了解です」 体の不自由なエリナードだ。着替えるにも人の手がいる。普段はファネルがするのだけれど、こうして不快な仕事をする時のエリナードは彼を伴わない。見せたくないのだ、とカレンは思う。 「お前なぁ」 すでに衣装は預かっている。三人もそれぞれ着替えをするだろう。大仰な正装など長時間着ていられるものではない。 「なんです?」 首をかしげるカレンにエリナードが溜息をつく。師弟の姿をイメルがにこにことして見ていた。なんだったら自分も手伝おうか、そんな彼の顔にカレンは黙って首を振る。 「男の裸見るんだ、ちっとは動揺しろよ異性愛者」 これだからカレンに恋人の一人もいないのだ、嘆かわしげな師の言外の声にカレンは肩をすくめる。関係がないだろうと思っていた。 「親父の裸見てときめく方が問題でしょうが、このダメ親父め」 小さな破裂音。驚いてミスティはそちらを見る。音の正体はオーランドが吹き出したそれだった。口許を覆って目に涙まで浮かべているとなれば彼にとっては大笑いに等しい。 「はい、カレンの勝ちー」 イメルまでそんなことを言って笑っていた。肩をすくめたミスティがいい加減にしろ、と怒鳴るまでしばし。 「お前ら。着替えないと間に合わないだろうが。揃って遅刻か? 格好がつかん!」 「待たせるってのも悪くないけどな」 「どきどきさせちゃいそうだよねー」 ただでさえ彼らが出席する、と聞いて慌てふためいている若手たちだ。待たせれば泡でも吹くものが出そうな気がカレンはする。 「見たくないんで、そんな光景。ほら師匠、着替えますよ。それともここで剥いてもいいんですか!」 いまにも襟に手をかけそうなカレンにエリナードはぎょっとして襟元をかき合わせる。今度は三人揃って笑われた。 「お前ね、エリナード。どんな乙女の姿だそれは!」 「ちょっと待ってください、イメル師! それだと私が乙女を襲う暴漢なんですが!」 「だろ? だから怖くってよ。もうなにされるかと思うと小さな心臓が張り裂けそうだぜ」 「……よく言う。氷の鎧を着ているくせに」 ぼそりとしたミスティの言葉。イメルは笑い、オーランドは目を和ませ。エリナード一人がほんのりとしたいわく言いがたげな色を目に浮かべた。 戯言を抜かしつつ、エリナード師弟は三人を見送る。彼らの方がカレンに肌を見られるのを恥ずかしがるせいだ。 「お前に見られてもどうってこともねぇだろうに」 「師匠が雑なだけでしょ」 「否定がしにくいな、そりゃ」 彼らは異性愛者で、姪のようなカレンであるからこそ、どことなく気恥ずかしい。そんな気がわからなくはないエリナードだ。今頃互いに手を貸しあってがやがやとやっていることだろう。 「ほんとは師匠もみなさんに手伝ってもらった方がいい?」 見慣れているカレンだ。エリナードの裸を見ても特には何も思わない。なにしろ少女時代に同居していたのだからお互いあられもない姿を見せてしまったことも見てしまったこともある。 「別に? つか、そっちがよかったらはじめっからあいつらに頼んでるっつーの」 カレンに渡された内着に袖を通しつつのエリナードだった。上半身の物ならば自分でできる。ちょうど顔が隠れたのも都合がよかった。 「あぁ、そっか。師匠は同性に見られる方が嫌ですもんね」 納得したような、けれど意地の悪いカレンの声。エリナードはにやりと笑うだけ。それにカレンも何も言わずに笑い返す。 「はい、脚通しますよ。――次、反対。ちょっと我慢してください」 屈んだカレンの肩から背中にエリナードは腕を預ける。腹にもぐりこむようにしてカレンが脚衣を腰にと通して行く。 「あ、これ。改良したんですね。こっちの方がいいな」 椅子にと元通り座らせてカレンは何もなかったかのよう笑う。自分のせいで体の自由を失った師。それをカレンは後悔しない。悪いとも思わない。そんなことで立ち止まるくらいならば新たな魔術の地平を師に見せる。カレンの深奥の言葉が通じているのだろうエリナードだった。 「いままでの長衣だと面倒でよ」 「ですよね。背中んとこで腰から下が割れてるのか。これって……」 「鎧にそんなのがあるだろ。馬に乗ったときにちょうど具合がよくなるやつ。いままで思い至らなかったとは不覚だぜ」 袖を通し、カレンが裾を整える。背中で割れた長衣は座ったままでも脱ぎ着が楽だった。しかも裾が乱れることもない。襟元を留め合わせ、飾り紐を結んでいく。最後に裾をちょいちょいと直せば出来上がりだった。 「うん、悪くない出来ですね。ほんと黙ってれば王子様なんですけどねぇ、師匠」 「今更王子かよ?」 「いまでも、じゃないですかね?」 ふふん、とカレンが笑った。彼女がエリナードの後継者と披露目を受けたときの二人の衣装。オーランド謹製のそれは氷の王子と夜の女王。 「いい加減に王位につきたいもんだぜ」 氷帝の弟子は嘆く。が、カレンは疑っていた。彼に本当にその気があるのかと。フェリクスの魔道の先を行くことは望んでも、彼の名声を――あるいは悪名を――超えたいと師が思っていないような。 「ほれ、馬鹿言ってないで行きますよ。みなさん支度ができたみたいだ」 カレンが言ったと同時に扉が開く。それぞれの属性に合わせた正装をまとった三人。カレンですら眩しいと思う。ちらりと師を見やった。 「カレン」 「なんです、イメル師」 「エリナードが一番かっこいいって思っただろ?」 揶揄するイメルにカレンは笑顔。その表情にイメルが怯む。それくらいならば言わねばいいだろうに。とは誰も言わない。風系の呪いなのではないか、と思ってはいたが。 「……懐かしい」 「ってオーランド!? こういうとこでうちの師匠を思い出すのはやめてくれる!?」 「タイラント師はいつもフェリクス師をからかっては……その、少々口には出しにくい顔をなさっていたからな」 「涙目って言うか、半泣きだよな。全泣きになったとこも見たことあるけどよ」 エリナードはあっさりと肩をすくめた。カレンは見たかったような、見たくはなかったような微妙な気分。カレンがそれ以上何も言わないでいることによけいイメルは怖がっていた。 「そろそろ行くぜ。揃ったみたいだ」 学院の大講堂から離れていてもエリナードだった。そして彼らだった。同じ学院の敷地内だ、彼らにとっては造作もない。 「イメル師。あとはよろしくお願いします」 一人座ったままのエリナード。立てない彼にカレンがちらりと視線を向ける。自分も大講堂には出席するが、四人と同列の座につくわけではない。 「あいよ、任せてー」 気軽にイメルは笑う。エリナードも笑う。ミスティも、オーランドも。そして四人は掻き消える。座ったままのエリナードすら。 「ほんと、いい腕してるわ」 呆れに隠した憧れ。本人は慣れの問題だ、と言うけれど座ったままの転移はやりにくいだろうに。無造作にエリナードは跳ぶ。いまごろ、四導師の「出現」に大講堂は騒めいていることだろう。カレンも軽く身なりを整えて足早にそちらへと向かった。 大講堂に到着したときにもまだ騒めきは続いていた。仮にも魔術師と名乗るのならばいつまでもおろおろとするものではない、とカレンは内心で顔を顰める。 とはいえ、上段には学院長のアランをはじめ、主立った教師陣。そして魔導師会を主導する現在の四導師たち。いずれもミスティたちの弟子で、水系導師はカレンの兄弟弟子でもある。彼らが正装で雁首揃えているのだ、見慣れているはずのカレンですら少しは怯まないでもない。 「カレン師――」 小声で声をかけてくれたのは親しい魔術師の一人。あちらに彼女の席が、と教えてくれた。けれどそれにもカレンは顔を顰めたくなってしまう。彼には礼を言い、そちらに向かったけれどどうして自分の席がこんなに高い席次にあるのか。実際問題としてカレンはいまだ一介の魔術師でしかない。公的な地位は何もない。単にフェリクス・エリナードの後継者でタイラント・イメルの後を受け継ぐ予定の魔術師、というだけだ。 ――ちょっと無理があるか。 自分で内心に呟いてしまった。本人はただの魔術師、と思っていても他人はそうは扱えないのだろう、中々に。ちらりとこちらを見やってきたアランが小さく笑った気がした。 席についてもまだ辺りは騒めいている。今度はカレンに、だった。彼女はまったく頓着しない。ぞろりと勢揃いした八人の導師たちも。 周囲はカレンが遅れた、と言って騒いでいた。はじめの四導師より後に入ってくるとは何たる不遜、と。師の世話をしていたのだから遅れるのは当然だ。わかっている人たちだけがわかってくれていればそれでいい。カレンは思う。 ――だいたい、私が転移して入ってきたらそれはそれで騒ぐんだろうしよ。 ――そのとおり。雑魚はほっときな。 ――師匠。無造作に話しかけんの、やめてくれません? そりゃ失礼。かすかな含み笑いのような気配。カレンは呆れて物も言えない。エリナードは最上段に座したまま無表情に大講堂を眺めていたのだから。 軽い溜息をつき、エリナードを見つめる。あの場に転移するにはどれほどの技量が必要なのかと。控室で座ったままだったエリナード。足の形をカレンに整えさせ、そしてそのまま転移した。そしていま、何事もないかのような顔をして座っている。 |