夢のあとさき



 様々なことが落ち着いて、ダモンはアリルカを訪れたい、と言い出した。
「頼んでみたら、いいんじゃないのか?」
 それとも問題があるのだろうか。戸惑うティアンにダモンは微笑む。温室で見ていたのとよく似て違う、柔らかな笑み。それにいまだに戸惑ってしまう自分だとティアンは知っている。
「ニトロに頼んでみるつもりではいる。――よかったら、君も、一緒に。――だめ、かな?」
「光栄だ」
「なんだ、その言い方は!」
 明るく笑うようになったダモン。闇の手の呪縛がそう簡単に解けたとはティアンは思わない。少しずつ変わっていけばいい、そう思う。できることならば自分もまた、変わっていきたいと願いつつ。
 そうして二人はニトロに連れられてアリルカを訪れた。幻の国、アリルカ。実在すら疑われるその国はやはり、夢のよう。
「うわ……」
 思わず声が上がってしまった。至るところが森で、ここに比べるとタウザント街ははっきりと町だと言えるほど。だがティアンの驚きは、そのような意味ではなかった。
 あちらこちらにいる異種族。神人の子、と呼ぶらしい半エルフに闇エルフ。外見はまったく差異はない、けれど人間には顕著にその違いが感じられる。肌で。あの美しい人は闇エルフだ、と。
「もし、ファネルさんに会ってなかったら……俺、やばかったかもしれない」
 呟くティアンにダモンもうなずく。思わず剣を取りたくなるこの感覚をなんと言うのだろう。恐怖と似ていて、それ以上。
「今やんないんだったらいいんじゃねぇ?」
 あっさりとしたものだった、ニトロは。白金の髪を風になぶらせニトロは行く。無造作な足取りは何度もここを訪れたと語っていた。
「君にとってここは、どういう場所?」
「んー。強いて言えば……なんだろな。祖父ちゃん家?」
 自分の言いぶりに照れたのだろうニトロ。ティアンは面白くない。彼をダモンが眩しげに見上げているとなれば。まして。
「だからな? 俺をそういう目で見るんじゃねぇっての」
 こうやって必ず敏いニトロはからかってくるのだから。もっとも直後にダモンが笑って腕に絡んできたりするからあながち捨てたものでもないと最近では思うようになっている。
「ここには、エリナード師が住んでらっしゃるんだろう?」
 あのとき助けの手を伸ばしてくれた数多の魔術師。中でもアリルカ在住のエリナードは闇の手の者たちをすべて預かってくれた。
「あぁ、向こうで待ってるぜ」
 言いながらニトロは滝の側の小道を上がっていく。そして驚くべき情景が。声もなく立ち尽くす常人二人にニトロは満足げ。
「綺麗だろ?」
 そんなものでは足らなかった。静謐で、この世のものとは思えないような美しい湖。その向こう、見たこともない様式の建物。神人の館だったものを改装して使っているアリルカの議事堂だ、とニトロは言った。
「あぁ、いたな。大師匠!」
 ほとりの木立だった、エリナードがいたのは。大ぶりのクッションを幾つも積み上げ、その上に体を預けては手仕事をしている。ニトロにとっては見慣れた姿だったらしい。
「あぁ……」
 ティアンは声を上げてしまってから恥ずかしくなる。エリナードは体が不自由だったのだと、思い出していた。
「あのように座ってらっしゃると、楽なのかな?」
「みたいだな。まぁ、大師匠も魔術師だからよ。まったく身動きできないわけじゃないしな」
「そう、なのか? やっぱり魔術師は不思議だな」
 だがティアンは不思議、で済ませられるようになった。ニトロたち魔術師は常人とは「違う」だろう。それでも同じように生きている。それに気づいたニトロがにやりとしたのに思わず顔を顰めた。
「魔術師は別に好きでも嫌いでもない。カレン師や、他の魔術師たちには感謝してるよ、俺も」
「僕もだ。どれほど助けていただいたか、わからない」
「だからな、ニトロ! 俺はお前が嫌いなだけなんだ!」
「気が合うよなぁ。俺もだ」
 にやにや笑いのままのニトロ。ティアンとの掛け合いをダモンが楽しそうに聞いていた。その声がとっくに聞こえていたのだろうエリナードだった。苦笑しながら手を上げている。
「よう。来たな」
 そして彼の手元には茶菓の用意。外気の中で茶を飲む、というのもまだまだ経験が浅くてティアンとダモンは戸惑う。けれど気持ちのいいものだ、とダモンは思う。
「少し顔つきが変わったな。いい顔になった」
 にやりとエリナードが笑う。ニトロと似すぎていて、ニトロがどれほど彼の先を目指しているのかが感じられてしまって、それが楽しい。
 ニトロは言う。まずは師匠だ、と。カレンの先を行き、そしてエリナードの先まで。そのたびにカレンは言う。自分こそがエリナードの先に行くのだ、と。
「馬鹿弟子はさっさと追いついて来いよ? お母さん、待っててやんないぜ?」
 ふふん、と鼻で笑う態度もずいぶん見慣れた。ダモンにとっては彼ら師弟から学ぶことがたくさんあった。それを言うならばティアンも。
「色々と、本当にお世話になりました」
 座が落ち着いてようやくダモンは頭を下げられる。それまでは質問攻めのような世間話の連続。半ば無理矢理頭を下げたようなものだった。
 だからこそ、エリナードは矢継ぎ早に最近の様子などを聞いていたのだが。礼など言われるほどのことはしていない、そう思っている。エリナードにとっても闇の手は因縁の相手だった。ニトロという、当時はカレンの弟子でこそなかったものの、学院の子供たちが巻き込まれたあの事件。今度こそ決着がついたか、そう安堵していた。
「お世話ってほどのことはしてねぇからなぁ」
「大師匠、結局んとこ、どうなったんです?」
「なんだよ、カレンから聞いてねぇのか?」
「最近、忙しいんですよ。あっちこっちから呼ばれて出づっぱりだ。俺の研究は捗ってますけどね!」
「そりゃ手伝いもさせてもらえねぇって意味か?」
 喉の奥で笑うエリナードに抗議をするニトロ。家族、という呼び方をするのはきっと違うのだろう。それでもそこに家族のような情愛を見る。ダモンはそれを眩しく思う。羨むことはない。いまはまだ。隣に腰を下ろしたティアンはいずれ、と思いつつそんな彼の横顔を見ている。いつか羨ましい、そう言える日が来ることを願って。
「いい話と悪い話、どっちから聞きたい?」
「……悪い話から、お願いします」
「いい選択だ。話は楽しく終わりたいもんな。――預かった大人たちは、三分の一くらいかな……生き残ったのは」
 息を飲むティアンの横、ダモンはうなずいていた。どことなく、察するものはあった。自分だとていまだ迷い、足掻いている。足掻くことをようやく、知った。
 エリナードの話では大人の方が難しかったらしい。当初もそのようなことをカレンから聞かされてはいた。神人の子らや魔術師が大勢いるこの国で、彼らは一度心を壊されたも同然。闇の手の呪縛を解くために必要なこと。それほどの衝撃を与えなければ、変わりようもない。ダモンは身をもって知っている。
 そして闇の手の外にも世界はあると、別の正義や正しさがあると知った彼らは。
「――そんなものは存在しないって気分だったのかもしれねぇな。食うのも寝るのも止めちまったやつらもいた」
 そのまま看護の甲斐なく衰弱して逝ってしまった、エリナードは眼差しを伏せる。衝撃が強すぎたか、思わない日はない。他に方法があればよかった。けれど、知らない。エリナードたちが取れる手段はあの一つだけ。
「自分が間違っていたはずはない、正しいのは自分で間違ってるのはそっちだって言いながら、自殺したのもいる」
 混乱していたのだろう。ダモンはいまだ若い。けれど彼らは。もし外の世界を正しいと認めてしまえば立ち行かなくなる。それでも。
「死なれるのは、やっぱりつらいわな」
 できることならば立ち直ってほしかった。学院を襲った闇の手とはいえ、教えが間違っていたのであって、彼ら一人一人が悪だったとはエリナードは思わない。ニトロが真っ直ぐとそんな彼を見ていた。
「本来ならば、僕が立ち合うべきでした」
「それは悪手だな。生き残ったやつらもな、顔も体も変えさせてもらったぜ。その上で、一人ずつ別の場所で生きてもらうことにした」
「それは――」
「会いたく、ないだろ? お前の顔だってやっぱり、見たくないだろうさ。思うところもあり過ぎる、言いたいこともあり過ぎる」
「向こうだけじゃないぜ? ダモンだって会って顔見りゃな、いままでのこととか言いたいこと、ないわけでもねぇだろ?」
 うなずくダモンに、だから二度と会わない方がいいのだ、と魔術師たちは言い切った。が、ティアンには懸念がある。いま彼らは何を言ったか。
「もう、ここにはいないって含みだった気がするんだが……?」
「あぁ、いないぜ」
「――馬鹿がよけいな気を回してるだけって気もするんですが……聞いてもいいですかね」
「わかんないことをそのまんまにしとくより聞いた方がましだって思うんだったら馬鹿でもねぇだろ? なんだよ、聞けよ?」
 類稀な美貌、とはこういうことを言うのだろうエリナードだった。ニトロも確かに整った顔立ちをしている。客観的に見ればニトロとてやはり大変な美貌だ。それを認めたくないのはティアンの個人的な感情による。その二人の、このぞんざいな態度ときたら。思わず笑うティアンをダモンが嬉しげに見ていた。
「だったら遠慮なく。――エリナード師は、あいつらがまた暗殺に手を染めたら、とは思わないんですかね?」
 言ってから、ぬかったとばかりティアンはダモンの手を取る。彼は断じてそのようなことはしない。信じているからではあったけれど迂闊な言葉でもある。
「君の言いたいことはわかるつもりだ。――たぶん」
「たぶん、が怖い」
「怖いんだったら言葉に気をつけりゃいいだろうによ。で、大師匠? 思いませんよね?」
「んー、どっちでもいいってとこかな」
「はい?」
 綺麗に三人揃ってしまった。ニトロまで、とは思わず常人たちは彼をまじまじと見る。ばつが悪そうに顔をそむけていた。




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